その16 混乱する使用人達
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その朝。マチェイ家の使用人は全員総出でマチェイ家の次女、ティトゥを捜していた。
今朝早く、彼女付きのメイドであるカーチャが主人の姿が見えない事に気付き、慌てて屋敷内を捜したもののどこにも見付からなかったのだ。
今は捜索範囲を屋敷外に広げ、屋敷の敷地内、近所の村、の二箇所を屋敷の使用人全員で手分けして捜しているところだった。
「お嬢様は見つかったか?!」
「いえ、どこにも! 村人にも聞いて回りましたが、さすがに早朝だったためか見た者は誰もいませんでした!」
つい先ほど、屋敷の裏の森を探していたカーチャも合流したが、やはり手掛かりすら見つけることは出来なかったという。
「絶望のあまり命を絶たれたのでは・・・」
「バカな! なんてコトを言う!!」
家令のオットーは迂闊なことを口走ったメイドを叱りつけた。
彼は強い焦りと後悔に苛まれていた。
全ての元凶は昨日のこと。彼のところにネライ領に出兵中の当主から報告書が届いたのだ。
戦争に出ている間の給与は国が出してくれることになっているとはいえ、それは戦後に払われるものであって、戦争中はおのおのの家が持ち出しで行っている。
戦地から追加の物資や金の要請はわりと良く来るのである。
ティトゥとその母が報告書を手にするのを家令のオットーは止めなかった。
心配する家族に向け、当主が報告書に手紙を入れることは今までにもあったからだ。
(迂闊だった。もし私が先に手にしていたなら、いかなる責を問われれようと決してティトゥ様にだけはお見せすることはなかったのに・・・)
そう、その手紙の中に元第四王子・ネライ卿からの手紙も入っていたのだ。
ネライ卿はもう何年も前からマチェイ家の次女ティトゥに執拗に求婚していた。
これが普通の縁談であればむしろ喜ばしいことなのかもしれないが、同じ貴族として相手との格が違いすぎた。
この国では格の異なる上士位と下士位の婚姻を認めていない。
すると彼はティトゥを妾になるよう言いだした。
貴族の娘が妾になるなどあんまりな話ではないか。
マチェイ家からの当然の断りに対し、ネライ卿は元王族の権力を存分に使い、手を変え品を変え再三に渡り、娘を差し出すよう当主に要求を突き付けるようになった。
身の危険を感じたティトゥは、今では人の多い場所に出ることが出来なくなってしまっていた。
幼いころはお転婆で、こっそり屋敷を抜け出しては村の少年少女のガキ大将だったこともあるティトゥが、今では屋敷の周囲しか自由に歩き回れない。
屋敷の者だけでなく村人達も、彼女に降りかかった理不尽に心を痛めていた。
元第四王子・ネライからの手紙は卑劣かつハレンチで、おおよそ元王族という高貴な家柄の者が書いたとは思えないほど卑しい内容であった。
その手紙がどれほどの衝撃を屋敷に与えたのかは、言うまでもない。
ティトゥの母親はショックのあまり倒れこんでしまい、ティトゥもあまりのことに茫然自失するほかなかった。
噂はすぐに屋敷を飛び出し、近くの村にまで届いた。
驚くべきことにその日のうちに村でそのことを知らない者がいなくなったことからも、いかにティトゥが多くの者に慕われ、皆が義憤にかられたのかが分かろう。
屋敷は深夜に至るまで憤懣やるかたない思いと深い悲しみに包まれた。
母親は涙ながらに娘に縋り付き、気力を使い果たして眠りにつくまで娘を離さなかった。
詳しい事情を知らない長男も、彼がかつて見たことのない憔悴しきった姿の姉にショックを受け、泣き出してしまった。
遅くまで泣き疲れた二人は今でも屋敷で眠りについていた。
(もしこのまま上手くどこかに逃げられることが出来たのなら、ネライ卿の下に行かれるより幸せなのではないだろうか・・・)
家令のオットーはそんな夢物語のようなことを考えた自分を恥じ、小さくかぶりを振った。
下士位の娘が着の身着のままでどこかに逃げ出しても普通の生活を送ることすら難しいだろう。
ましてやティトゥはあの美貌だ。恐らくロクなことにならないのは間違いない。
オットーは心配のあまり大声で叫びちらしたい衝動をグッとこらえた。
この場では彼が一番上の立場だ。今も全員が彼の指示を待っている。
「何か聞こえんか?」
その時屋敷で一番高齢な料理人のテオドルが何かに気が付いた。
「それがどうかしたのか?!」
家令のオットーはつい先ほどの感情が漏れ、テオドルを強く咎めてしまうが、すでに何人かがテオドルの言葉に反応している。
その様子にオットーはさらに感情を乱されるが、彼自身も直後にブーンという音に気が付き、それに気を取られた。
何の音だ? 空から響いてきているような・・・
「ええっ! ドラゴンさん?!」
ティトゥ付きのメイド・カーチャが空を見上げると突然叫んだ。
その声に全員が空を見上げた。
青空の先、屋敷の裏の森のある方角から鮮やかな緑の色をした飛行物体がこちらに向かい飛んで来ていたのだ。
その姿はみるみるうちに大きくなり、あっという間に彼らのすぐ上を通過した・・・
と思った途端ーー
「えっ?」
カーチャがドラゴンと呼ぶその飛行物体は身体を軽く傾けるとかれらのもとへと戻ってきたのだ。
突然の出来事にパニックに陥る使用人達。
多くの者が凍り付いたように立ち尽くす中、一部の者は咄嗟に自分だけでも身を隠そうと走り出そうとした。
しかし彼らの上空を大きく旋回するドラゴンがそれを許さない。
出足をくじかれた彼らは、その場から一歩も動くことが出来なくなった。
「どうして?! 今朝はいつものように大人しかったのに?!」
「カーチャ、あれは何なんですか?! ドラゴンと言ってましたよね?!」
「ドラゴン?! おとぎ話の生き物じゃぞ?!」
「冗談じゃねえ! みんな食われちまうぞ!」
メイド長である初老のミラダが部下のカーチャを問い詰める。
今はそんなことをしている場合ではないのだが、日頃冷静沈着な彼女をして優先順位を取り間違えるほど慌てているのだ。
家令のオットーも自分が指示を出す立場であることも忘れ混乱していた。
いつドラゴンが襲い掛かってくるのかと全員が戦々恐々として見守る中、目ざといメイドがあることに気が付いて指さした。
「背中に人間が乗っているわ!」
言われてみるとドラゴンの背中に透明の部位があり、その中に人の頭らしきモノが見えた。
緑色の中ひときわ目立つレッド・ピンクの頭。
メイドに指摘されなければそんな目立つモノにすら気が付かないほど全員混乱していたのだ。
不意にその頭が彼らの方を向いた。
「「「「「「は?」」」」」」
全員の気持ちが一つになった。
突然空から現れた謎のドラゴン。
その背中に乗っていた人物こそ、彼らが今まで必死で捜していたティトゥその人だったのである。
バカみたいに口を開け、ティトゥを見つめる使用人達。そんな使用人達を空から見つめるティトゥ。
ドラゴンは律儀に上空を旋回し続けている。
しばらく見つめ合った彼らだったが、不意にティトゥがもう耐えられないとばかり視線を逸らすと噴き出した。
張りつめた空気が一気に弛緩した。
ティトゥは地上に彼女のメイドの姿を発見したのだろう。にこやかに手を振りだした。
メイド少女は反射的に手を振りかえそうと少し手を上げかけたが、周囲の微妙な空気を読んだのか、キョロキョロと周りを見渡してコッソリと手を下げた。
すると今度はドラゴンが、ティトゥのマネをしたのだろうか、軽く数回翼を上下に振ったのだ。
ドラゴンの人間じみた仕草に地上の人間達は驚きを隠しきれずにいた。
そんな屋敷の者達の姿を見たティトゥは花のほころぶような笑みを浮かべるのだ。
そのあまりに幻想的な光景に、使用人達は息をすることも忘れ、見惚れた。
そんな夢のような時間は唐突に終わりを告げる。
ドラゴンはひときわ大きく、ヴーン! とうなり声を発し、大空へと高く飛び去って行ったのだった。
残された者達は今起こった事が本当に現実なのか信じられず、その姿が空のかなたに見えなくなるまで誰も一言も発しなかった。
一言でも発すればこの美しい夢から覚めてしまうのではないか、そんなふうに思ったのだ。
・・・正確にはこの中で唯一、最初からドラゴンの存在を知っていた最年少のメイドだけはみんなに説明しようと口を開きかけた。
しかし、周囲の空気を読んで「今はそういうのは誰も望んでいないっぽいな」、と察し、微妙な顔付きで周囲に合わせたのだった。
次回「目指すは戦場」




