その13 君が望むなら
テントの中が重い空気に包まれたその時、少女の叫び声が上がった。
『待ってください! オルサーク様達はどうなるんですか?! あの方達はこの国に援軍を求めて来ました! まさか帝国軍に引き渡すなんて言わないですよね?!』
意外な事にそれはティトゥのメイド少女・カーチャの声だった。
『カーチャ、あなた・・・』
『せめて、せめてあの方達が国に帰れるようにしてあげて下さい! ハヤテ様が送って行けばペツカ山脈なんてひとっ飛びじゃないですか!』
トマス兄妹の地元、オルサークは、ちょうど山を挟んでナカジマ領の北にあるそうだ。
そりゃまあ確かに僕ならひとっ飛びだろうね。
それにしてもカーチャがティトゥ達の会話に口を挟む所なんて初めて見た。
僕に対してこっそりツッコミを入れる事はあっても、日頃は節度を守って主人達の話を黙って聞いているのに。
余程トマス兄妹の事が心配だったんだろう。
そういえばカーチャに言われるまで忘れていたけど、トマスはアダム隊長の帰りを首を長くして待っていたんだっけ。
カミル将軍に紹介するどころか、ナカジマ家が帝国に降伏すると聞いたらさぞやガッカリするだろうね。
みんなも僕と同じことを考えたのか、重い空気がますます重たくなった。
『そうですわね・・・ お二人にはお国に帰って頂くか・・・ まだこの国で使者としての使命を果たされるおつもりでしたら、お父様から誰か他家の貴族を紹介して頂くのがいいのかしら』
『その前に私からみなさんにお伝えしたい話がございます。先日聖国からもたらされた情報です』
今度はモニカさんが声を上げた。
なんだろうね。ウチはメイドが自由に発言できる開かれた職場を目指しているのかもね。
モニカさんからもたらされた情報は、今までの話の流れを根底から覆すモノだった。
『帝国軍がナカジマ領を目指す可能性が高い?』
『・・・はい』
どういう事なんだろうか? 言っちゃなんだが、このナカジマ領は街道以外何もない土地なんだけど?
『この場合それが問題になります』
モニカさんの説明によると、帝国軍が国境の砦を抜いた後、大きく二つのルートを取る可能性があるという。
真っ直ぐ王都まで通じているメイン街道を通るルートと、西に大回りする田舎街道を通るルートだ。
もちろんナカジマ領を通っている街道は田舎街道の方だ。
まあ、街道沿いの町が賑わっているか賑わっていないかの違い程度で、僕から見れば道自体はどっちもさほど違いはないんだけどね。
そして、メイン街道には途中に何か所か砦が作られている。
王家の敵はなにも国外の軍隊だけじゃない。国内の敵が王家に反旗を翻して王都を目指す事だって十分にあり得る。
そんな時、兵の移動がし易い街道があれば当然敵軍だってそれを利用する。
そんな事態に対応するためにも、街道には王都を守るための砦が作られているのだ。
『あっ・・・』
『そうです。このナカジマ領の街道には砦もそれを守る兵も存在しないのです』
ナカジマ領は人が住むのも苦労するような未開の湿地帯なので、戦略的な価値は皆無に等しい。
隣国ゾルタの軍も、苦労して山を越えて湿地帯を横断して不毛の荒野に攻め込んで来る事は無かったみたいだ。
そのためナカジマ領には砦というものが一つもない。
砦を作って維持する意味も価値も無い土地だったのだ。少なくとも今までは。
『今は領地の開発に合わせて急ピッチで街道の整備が進んでいます』
そう。現在ナカジマ領では街道工事を進めている。すでにいくつもの区間ではメイン街道よりも広く、整備されつつある。
五万の大軍ともなれば移動だけでもかなりの時間を要する。
そんな帝国軍にとって、ナカジマ領の街道はまるで高速道路みたいなものだろう。
人間が一列でしか歩けない道と、二列で歩ける道とを比べれば分かってもらえると思う。後者は前者と比べ、隊列の長さが半分で済むからだ。
つまりは領地の発展のために整備した街道が、この場合は領地の防衛のあだとなった形だ。
『そして各開拓村には騎士団の管理する食料と資材が山積みされています』
『!!』
開拓村には開発用の建材と食料が山積みになっている。それらは騎士団が守っている。と言っても各村にいる騎士団員はたかだか20人程に過ぎない。
それに建築用の資材は軍隊にとっては立派な戦略物資だ。陣地を作るのにも使えるし、攻城用兵器の材料にだってなる。
そんな加工済みの良質な資材が大量に現地で手に入るなら、軍の物資を管理している役人は喜びのあまりガッツポーズをとるだろう。
アダム隊長が自慢の顎髭をしごいた。
『抵抗の予想される最短ルートと、物資が山積みで抵抗のほとんど無い道の整った迂回ルート。私が大軍の指揮官ならどちらを選ぶか考えるまでもありませんな』
戦争はある意味ではギャンブルに近い。
勝つ可能性の方が高くても負ける時には負ける。
日露戦争で大国ロシアが日本に負けたように、桶狭間の戦いで今川義元の大軍が寡兵の織田信長に負けたように、戦力的に有利な方が必ず勝つとは限らないのだ。
なら良将の条件は、僅かでも勝ち目の多い戦いを選び、可能な限り無駄な戦いをしない、という事になるのではないだろうか。
戦わずに勝つ、というのが負けない戦いの一番の秘訣なのだ。
『聖国からの連絡によれば、帝国軍はミロスラフ王国の、ナカジマ領の情報を得ている可能性が高い、とありました。降伏の使者を送っても受け入れられないか、あるいは降伏の条件に領地の通過と全てを根こそぎ奪われる可能性も十分にあり得ます』
『そんな・・・』
モニカさんの非情な宣告に、ティトゥは退路を断たれてしまうのだった。
ナカジマ家に残された選択肢は少ない。
降伏の道が全てを失うものである可能性が高い以上、残された道は戦うか逃げるかだ。
戦うのは難しいだろう。
ミロスラフ王国は現在軍が動ける状態に無い。
騎士団を持たないナカジマ領だけで戦う事は不可能だ。
ナカジマ領にいる騎士団は王都騎士団の所属でティトゥに指揮権は無いからだ。
逃げを選んだ場合、僕達の逃げ込む先はティトゥの実家のあるマチェイになるだろう。
ナカジマ領の領民達は帝国軍が去るまでどこかに隠れていてもらうか、近隣の領地に難民として受け入れて貰うしかない。
他領主との交渉は領主になったばかりのティトゥには厳しいものになるに違いない。
しかも早ければ来月にも帝国軍が攻めて来るのだ。
領民の移動時間の事も考えるとスケジュールは限りなくタイトだ。
どう転んでも僕らに残されるのはボロボロになったナカジマ領だ。
ティトゥは領主になって僅か数か月で究極の選択を迫られていた。
『私は・・・どうすればいいんですの』
少し一人にして欲しいとティトゥに言われ、みんなは僕のテントから出て行った。
今、テントの中には僕とティトゥの二人だけだ。
ティトゥは打ちひしがれて座り込んでいる。
血の気の引いた顔は紙のように白く、丸めた背中がのしかかる重圧と恐怖に小刻みに震えている。
僕は今のティトゥの姿があの日のティトゥに重なる気がした。
僕が初めてティトゥを乗せて飛んだあの朝の姿だ。
あの時のティトゥは白い寝間着姿だったっけ。
「ティトゥ。聞いて欲しい」
僕はティトゥに話しかけた。
これもあの日と同じだ。そしてやっぱり今日も話す内容なんて何も考えていない。
どうせ言葉は通じないんだ。少しばかり変な事を言ったってかまいやしないだろう。
「僕は――僕のこの体は四式戦闘機といって戦うために作られた兵器なんだ。いやまあ、”戦闘”機って名前がついてる時点で兵器って事くらい分かるか。そういう訳だから君が兵器として戦って欲しいと僕に願えば僕はドラゴンじゃなくて四式戦闘機として戦おうと思う」
兵器として戦う。それは人を殺す事に繋がる。
でもそれで多くの領民が守れてティトゥが幸せになるなら、今の僕は恐れずに戦えると思う。
「まあそれでも、僕一人の力で軍隊を相手にどうこうできるとは思えないけどね。でも戦う事は出来るし、僕はそのための体を持っている、という事を言いたかったんだ」
僕の武装は2発の250kg爆弾と、胴体と両翼に取り付けられた4門の20mm機関砲だ。
20mm機関砲の弾はそれぞれ150発。
つまり一発も外さずに全弾敵兵に命中させたとしても、600人しか倒せない計算になる。
五万の帝国軍に対しては正に蟷螂の斧だ。
「ティトゥは僕が初めて君を乗せて飛んだあの朝を覚えているかな? 丁度今のような感じだったと思わない?
君は青ざめて僕の前で膝を抱えて、僕はそんな君を見ていられなくって・・・どうにかしてあげたいと思ってる。ほら、全く一緒だろ?
けどあの日の僕は君を助けたいと思う気持ちはあっても、そのための覚悟が足りなかった」
でも今は違う。僕は半年以上この国で暮らして、ティトゥとカーチャ以外にもたくさんの人と知り合った。
ティトゥパパにティトゥママ。ティトゥの弟のミロシュ君にメイド長のミラダさん。オットーにオットーの部下のルジェック。料理人のテオドルにベアータ。アノ村のロマ爺さんにポルペツカ商工ギルドのスターレク。土木学者のベンジャミンに家具職人のオレク。ボハーチェクの港町のオルドラーチェク家の当主の・・・誰だっけ? 髭の海賊みたいな人。それにシェベスチアーンにジトニーク商会のジトニーク。王都騎士団のカミル将軍にアダム隊長にカトカ女史――はもう結婚したのかな? あとついでにチェルヌィフ商人のシーロ。
今名前の出なかった人にも大勢会ったし、彼らの多くは僕を受け入れてくれた。
そんな人達の生活が帝国軍の軍靴に踏みにじられようとしている。
それは僕にとっても受け入れられない未来だ。
「実はまだ怖い気持ちは残っているんだ。けど僕には戦う力がある。たった一人の力でどれだけの事が出来るか分からないけど、君が望むなら僕は――」
これは僕の決意の宣言だ。
「君が望むなら僕は、もう一度君の力になりたい」
◇◇◇◇◇◇◇◇
私はモニカさんと一緒にみなさんのお茶の支度をしています。
何かしていないと落ち着かなかったのです。
みなさん力無く座り込み、誰とも目を合わせようとしていませんでした。
これからナカジマ領はどうなるんでしょうか?
私の心の中の問いに答える人はいません。
ティトゥ様がどんな結果を選んでもナカジマ領は終わってしまうのでしょう。
せっかくここまでみんなで頑張ったのに・・・ そう思う気持ちはあるものの、やっぱり戦争は怖いです。
私の心に安全なマチェイに帰りたいという気持ちが湧き上がって来ました。
私は弱虫の卑怯者です。
悔しくて私の目に涙が浮かびました。
「ハヤテ殿?」
その時、窓際でハヤテ様のテントを眺めていたアダム隊長が不思議そうな声を出しました。
「ちょ・・・ ご当主様もどこに行かれるんですか?!」
テントの中からハヤテ様がうなり声を上げながらゆっくりと姿を現しました。
ハヤテ様の背中にはティトゥ様が乗っています。
アダム隊長の声に気が付いたのか、ティトゥ様がこちらに振り返りました。
「!!」
ティトゥ様はつい先程までとは違って、晴れやかな笑みを浮かべていました。
私達は驚いて思わず声を失くしてしまいました。
ティトゥ様は何か叫びましたが、ハヤテ様のうなり声がうるさすぎてその声は誰の耳にも届きませんでした。
「”夕飯までには戻ってきますわ”と言ってますね」
モニカさんが呆れ顔で言いました。
後で聞いたら唇の動きで言葉を読み取る技術があるんだそうです。そんな特技を持っているなんてやっぱり凄い人です。
メイドとして何の役に立つ技術なのかは分かりませんが。
ティトゥ様を乗せたハヤテ様は速度を上げると、驚く私達を置いて青い空へと飛び去って行ってしまいました。
次回「ティトゥの願い」