その12 アダム隊長の帰還
そろそろ年末が近づいて来た寒い日の事。
僕達が首を長くして帰りを待ち望んでいた人物が、ようやくコノ村へと帰って来た。
「非常にマズい事になっています」
アダム隊長は馬から降りると旅装を解く間もなく開口一番そう言った。
今まで一度も連絡が無かったけど、よっぽど王都で悪い話を聞かされたみたいだ。
「悪い話どころか・・・こんなヤバい話、手紙になんて出来ませんよ。もし誰かの目に触れでもしたら私の首が飛ぶだけじゃ済みませんからね」
どうやらアダム隊長が得た情報はかなり危険な話のようだ。
アダム隊長は僕のテントからオットーの部下達を追い出すと、話を聞かれないように入り口の騎士団員を声の聞こえない距離にまで下がらせた。
いつにないアダム隊長の真剣な様子に僕達の緊張感が高まる中、ようやくアダム隊長の話が始まったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
街の雰囲気は確かに良くなかったですね。
もうじき新年だというのに通りに人は少なく、どこの店もはやっていない様子でした。
街の者にも聞いてみましたが、今年は未だに王城の新年式のためにやって来る貴族の方々がいないせいもあってか、旅行者の数自体が例年よりかなり少ないそうです。
そのくせ犯罪ばかりは増えているようで、王都の治安は悪化しているという話でした。
騎士団の詰め所に着いた所、建物の中はガラガラでしたよ。
みんな仕事で街に出払っていたんでしょうな。
私は騎士団の事務員にカミル将軍の所在を尋ねました。
「王城に行って戻っていない?」
「はい。もうひと月程になりますか」
ひと月とはただ事じゃありません。
丁度詰め所に騎士団の副長が残っていたので、私は彼を捕まえて問い詰めました。
「何だアダム、王都に戻っていたのか」
「そんな事より騎士団は一体どうなっているんです? 団長がひと月も不在だと聞きましたよ」
「・・・外に出ようか」
騎士団の副長は、え~と、何と言えば良いか・・・ 騎士団員というのはご存じの通り融通の利かない堅物の集まりでして。その中にあって副長は珍しく話の出来る男なんですよ。
それもあってか、私と彼は妙に馬が合いまして。まあ家柄としてはあちらの方が断然上なんですが。
我々は騎士団員行きつけの酒場に入りました。
ここは日頃から騎士団が馬鹿みたいに金を落としている、・・・まあ何というか、我々のテリトリーとでも言えばいいんでしょうか、そんな店なんですわ。
店主も良く心得ているし、他の客も面の割れた者以外入れないので、騎士団員が他に漏らしたくない事を相談するのによく使う場所でもあるんです。
我々は酒の入ったカップを手に小さなテーブルに座りました。
「それでナカジマ領の騎士団はどうなっている?」
「どうって・・・ 今まで通り変わりなし、ですよ。いくら本部に問い合わせても返事が無いんじゃあ動きようがありません」
「そうか・・・ いや、分かった。くれぐれも軽々しい動きは慎んでくれ」
この人は何が言いたいんですかね? そもそも私はそっちの事情が分からなければ動けないと言っているんですが。
副長の言葉に余程私は不服そうな顔をしていたんでしょうな。副長は少し考えるとさらに声をひそめました。
「・・・この話は他言無用。この場で誓え。もし洩らせば俺はお前を斬らなきゃならなくなる」
「おっかないですな。いいです誓いましょう。剣に誓って」
「剣に誓って」
剣に誓って、というのは団員達の間で立てる誓いでして、互いに宣誓し合いながらこうやって官給品の剣を鳴らすんですが・・・え? 誓ったのにここで喋っていいのかって? いやあ、それを言われると困ってしまいますが、まあ何の拘束力もない誓いですから。実は酒の席では割とみんなやってる誓いなんですよ。
「国王陛下がお倒れになられた」
「えっ? また? ・・・あ、いや、失言でした」
ご存じかもしれませんが、国王陛下は体が弱く、季節の変わり目や気候が厳しい時にはよく体調を崩される方なのです。
一応、緘口令は敷かれますが、我々の仕事には王城の敷地内の警備も含まれますからな。
どうしても耳に入って来る訳でして。
「いや、今回は命にかかわるご病気との噂だ。倒れられてもうひと月になる。今まで陛下の病がこれほど長引かれた事は一度も無かった。現在王城の政務は麻痺している状態だ」
「マジかよ・・・」
何というか・・・ この国の政務の一切はユリウス宰相の執務室で執り行われている事は知っていますよね?
極端に言えば、国王陛下はユリウス宰相の書類に認可をするだけのお役目でしか無い訳です。
とはいえその役目すら無ければ、この国はユリウス宰相のものになったのと何ら変わりません。
王家としては絶対そこだけは譲れない一線なんでしょう。
そして副長は、現在国王陛下はそれすら行えない状態と言うのです。
「しかし、一体それがカミル将軍と――」
「陛下がお倒れになったと思われるその日、宰相の部下から将軍に王城に出頭するよう要請があった」
「・・・ああ、そういう事ですか」
陛下とユリウス宰相は前々からカミル将軍の事を危険視していましたからな。
王城が麻痺している現状、カミル将軍を自由にしてはマズいと考えたのでしょう。
なにせ今は隣国が帝国に攻められている最中です。この未曽有の危機に王国中の貴族達が揺れ動く中、誰かが国難を理由にカミル将軍を担ぎ上げ、統治者能力に欠ける現国王に退位を迫るのではないかとの恐れを抱いたのでしょう。
「しかし帝国軍が隣国を攻めている今、そんな事を言っている場合ではないでしょうに」
「お前も今の王都を見ただろう。表向きには軽犯罪という事にしているが、実は今の王城に不満を持つ者達があちこちでいざこざを起こしているんだ。騎士団はその対応に追われて手一杯だ。有力貴族だけじゃない。平民ですら現在の陛下と宰相の統治に不満を抱いているんだよ」
副長の言葉は衝撃でした。
山の雪が春先の陽気で緩み、僅かな衝撃をきっかけに雪崩となって里に押し寄せるように、ミロスラフ王国という山に降り積もった不満と不安が、小さなきっかけがあれば雪崩を打って崩壊し、人々を飲み込みかねないと言うのです。
副長の話を聞いて私は・・・本当は立場上絶対に言っちゃいけない言葉ですが、こんな事態を招いておいて未だに何もしない王城に不満と怒りを覚えました。
「・・・お前の気持ちは分かる。分かるが他の誰が何を言おうと俺達だけはそれを言っちゃダメだ。俺達は誇りある王都騎士団だ。入団式で王家の剣である事を誓った以上、どのような使われ方をしようと剣は主の意に反する事は許されない」
「・・・私は入団式の日に風邪をひいて倒れて詰め所のベッドで寝ていた、っていうのは無しですかね」
「無しだ。俺が許さん。それにカミル将軍も許さないだろう」
カミル将軍は王家を守るため、長年彼らによる監視や締め付けにジッと耐えていました。
僅かでも不満を漏らせば、すぐにでも将軍を担ぎ上げようとする者達が現れて国を割る事態に発展しかねない、と憂慮していたのでしょうな。
「カミル将軍の命は?」
「分からん。が、もし国王陛下がこのままお隠れになった場合、まだお世継ぎのおられない陛下に代わって、次の国王になられる方はカミル将軍かもしれない。軽々しく命を奪うようなマネはしないだろう」
確かに。
カミル将軍は臣籍降下されて継承権を放棄していますが、それでもカミル将軍を推す声が未だ根強いのはこの国の誰もが知る所です。
しかも継承権一位だった元第三王子殿下は、一昨年国外の王族と結婚されているし、替わって一位になられた末の第五王子殿下はまだ10歳足らず。
とてもこの未曽有の国難に際し、貴族領主達を纏めて立ち向かう事はできないでしょう。
先王の弟君は根っからの趣味人で統治者としての器量に問題がある――というか政治に全く関心が無いと伝え聞きます。
また、彼の二人のお子様達はこれもまだ幼く、第五王子殿下と条件は変わりません。
お三方共に、ユリウス宰相がこの難しい時期に国を託すに足ると考えるとは思えません。
ちなみに元第四王子殿下はカミル将軍と同じく臣籍降下して継承権を放棄されている上、現在は王城の”嘆きの塔”に幽閉されているので論外ですな。
”嘆きの塔”は”慟哭の塔”とも呼ばれる、入った者は死ぬまで出る事の無い王族の流刑地です。
まあこの辺の話は、私なんぞよりあの一件により深く関わったあなた方の方がご存じでしょうが。
しかし宰相閣下もさぞ悩ましい事でしょう。
今まで国王陛下にとって最大の障害であると目していたカミル将軍が、現在、次の国王陛下の最有力候補になられているのですから。
「しかも最近、隣国ゾルタの王都が落ちたという情報が入った」
「まさか! こんなに早く?!」
隣国ゾルタの王都バチークジンカは堅牢な城壁に守られた強固な都市と聞いています。
いかに帝国軍でも落とすのは来年以降になると思っていましたが・・・
「帝国軍は五万の大軍だという話だ」
「ご・・・五万ですか?!」
もちろん五万の軍全てが王都を攻めた訳ではないでしょう。しかし、それにしたって途方もない数の軍勢だ。
ゾルタの王都が年内を持ちこたえられなかったのも仕方が無いのかもしれません。
現在隣国ゾルタの貴族達は、帝国につくかつかないかの苦渋の選択を強いられているとの事です。
とはいえ生き延びるためには、積極的に受け入れるか、可能な限り中立を守ったまま受け入れるか、の二択でしか無いようですが。
「その帝国軍だが、ゾルタ中から兵糧をかき集めているそうだ」
「! それってまさか?!」
「・・・まだ分からん。だが我々としては当然最悪の事態を想定して備えるべきだろう」
最悪の事態。それは帝国軍五万が大挙して我が国の国境に押し寄せて来るという事です。
兵糧はそのための準備、と考える方が妥当でしょう。
「国境の砦は帝国軍相手に持ちこたえられるでしょうか?」
「幸い春に隣国ゾルタの侵攻があった事から砦の兵力も増強されたからな・・・ しかし、近隣の騎士団を全て加えても最大でも二千。実際はおそらく千五百、といった所か」
私は副長の言葉に目の前が暗くなる思いがしました。
だってそうでしょう? ざっと30倍の兵力ですよ? 一人で一個小隊と戦えと言われているようなものじゃないですか。
副長は俯いてテーブルの上に組んだ手に額を押し付けました。
「国の存亡がかかったこの一大事に、俺は――王都騎士団は動きが取れない。本当は一刻も早く領主から兵を出させてそれを率いて国境の守りに向かわないといけないというのに、現実はどうだ。王都の治安を維持するだけで人手が足りない状況だ。」
そう言うと副長は歯ぎしりをしました。
「俺は・・・このひと月、朝ベッドで目が覚めた時に思うんだよ。夜の間に陛下が死んでくれていないかって。そしてカミル将軍が国王になって俺達を率いて帝国軍と戦うんだよ」
「・・・聞かなかった事にしますよ」
王家の剣になる事を誓った誇りある王都騎士団の本音の吐露に、私は何も返す事は出来ませんでしたよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『王城は動かない・・・』
アダム隊長の長い話が終わった。
ティトゥの口からはそれだけしか出なかった。
帝国軍五万の大軍。ミロスラフ王国は首脳部がマヒしていて動かない。国境線には対ゾルタ戦を想定した千の兵しか存在しない。これって完全に詰んでいるんじゃないかな?
『ミロスラフ王家が全く軍を動かせない状況というのは流石に想定外でした・・・』
モニカさんが珍しく余裕の無い表情で何か呟いたみたいだけど、僕には良く聞こえなかった。
最近過労で顔色の悪いオットーが、ますます顔色を悪くして言った。
『・・・ナカジマ家は帝国軍に恭順の使者を送るべきかもしれません』
『恭順・・・ですか』
オットーの説明によると、王都から見て北東にある国境の砦を抜いた帝国軍が、街道を真っ直ぐ南下して王都に向かうと考えると、王都の北西にあるナカジマ領は進撃ルートから外れるんだそうだ。
仮に帝国軍がナカジマ領に軍を向けるとしても、おそらくは王都を包囲した後、ナカジマ領から王都に向かう増援を防ぐために街道を封鎖する形になるのではないか、と言うのだ。
『先に恭順の使者を立てておけば、ひょっとして本領の安堵も取り付けられるかもしれません』
まあ確かに。帝国としても後々の統治を考えれば、最初から大人しく言う事を聞いて来た相手をわざわざ攻撃する理由は無いだろう。
色々と難癖は付けられるかもしれないけど、それはその時になってから考えればいい事だし。
『領地での戦となれば被害も出ます。領民の事を考えると帝国軍の軍門に降るのも一つの方法かと』
『領民の・・・ 仕方が無いのかもしれませんわね』
領民の命がかかっていると言われてはティトゥも弱い。
ティトゥの心は戦わずに降伏するという方向に傾いているみたいだ。
正直悔しい思いはあるけど、僕一人で戦争は出来ない。
ミロスラフ王家が現在戦えない状態な以上、この選択も仕方が無いだろう。
テントの中が重い空気に包まれたその時、少女の叫び声が上がった。
『待ってください! オルサーク様達はどうなるんですか?! あの方達はこの国に援軍を求めて来ました! まさか帝国軍に引き渡すなんて言わないですよね?!』
意外な事にそれはティトゥのメイド少女・カーチャの声だった。
次回「君が望むなら」