その11 アネタの一日
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私の名前はアネタ・オルサーク。
オルサーク男爵家の長女です。
今年で7歳(*数え年)になります。
家族はお父様とイヴァナ様とお母様。
イヴァナ様は正妻でお母様は側室だけど、二人は仲が良いので私にとってはお母様が二人いるのと変わらないの。
私には三人のお兄様がいます。
一番上の兄様はイヴァナ様の子供で、去年結婚して今はお嫁さんと一緒に住んでいます。
真ん中の兄様は私と同じお母さんの子供で、今年で16歳になります。
今は騎士団の副長になって毎日お父様に怒られています。
真ん中の兄様はよくトマス兄様に「俺が母さんのお腹の中に脳みそを忘れていった分だけ、後で生まれたお前が賢くなったんだぜ。だからお前は将来は俺の分まで兄貴の領地運営を助けてやんなきゃダメだからな」と言っています。
だけど、トマス兄様と真ん中の兄様はお母様違いなので、このお話はおかしいんじゃないかしら?
私は今、トマス兄様と一緒に隣の国(*ミロスラフ王国)にいます。
私達の国は帝国の軍隊に攻め込まれて大変な事になっています。
トマス兄様はこの国の王様に軍隊を出してもらうためにやって来ました。
私と兄様はそのための「人質」なんだそうです。
兄様は私に「まだ幼いお前に本当に済まない」と言って謝りました。でも私は兄様と一緒だから平気です。
・・・ウソです。本当は「もう二度と母様に会えない」と言われて泣いてしまいました。
兄様だって寂しいのを我慢しているのに・・・ 私だけゴメンなさい。
その日を最後に私はもう二度と泣かないと誓いました。
兄様と私は今、ナカジマ様の・・・ええと、漁村? に住まわせてもらっています。
兄様はこの国に来るまでは、「この土地の領主は臣籍降下した元王子と聞く。先ずはその方を頼り、王家に口添えをお願いするつもりだ」って言っていたのに、実際に来てみたら全然違う人の土地になっていて驚いていました。元王子様はどこに行っちゃったの?
ナカジマ様は凄くキレイな若い女の人で、大きな緑色のドラゴンに乗っています。
竜 騎 士というお仕事をしているそうです。領主様じゃないのかな? 良く分かりません。
でも凄くキレイでカッコイイので、女の人の中ではお母様の次ぐらいに大好きです。
その次に私が好きな女の人は、魔法のような美味しい食事を作る料理人のベアータです。
私はこの村に来てから食べ物の好き嫌いが無くなりました。
だってどの料理も凄く美味しいんですもの。
兄様も食事の時だけはいつもの難しい顔を止めて笑顔になります。
いつも食事時間だったらいいのに、って思います。
トマス兄様はこの頃はいつも困った顔をしています。
ナカジマ様がこの国の将軍様に私達の紹介をしてくれるというお話が上手くいっていないみたいです。
「アダム隊長からの連絡はまだないのか?」
「それがナカジマ様の騎士団にも何の連絡もない様子で」
今日も兄様は家の騎士団の人達と難しい話をしています。
「トマス兄様。私、テントでご本を読んで来るね」
「ああ。誰かアネタに付いて行ってやってくれ」
私はいつものように兄様達の邪魔をしないように部屋を出る事にしました。
私は、私達のお世話に付いているメイドのカーチャに本を持ってもらって外に出ました。
屋敷にいた時は絶対に中庭から外に出してもらえなかったけど、ここでは村の中なら自由に出歩けます。
兄様は「そうは言うが、裏の林を含めればオルサーク家の屋敷の方がこの村全体よりも敷地面積は広いんだぞ」って言ってたけど、私は屋敷では危ないから林に入れてもらえませんでした。今の方が自由に歩き回れて楽しいかもしれません。
「あ・・・ オルサーク様おはようございます」
男の人が私を見付けて頭を下げました。家具職人のオレクです。
オレクは私と同じゾルタの人です。元々兵隊としてこの国に来たけど、ナカジマ様に負けて今はここで家具職人をやっています。
この領地にはオレクのような人達が大勢いるんだそうです。
「俺がこしらえたベッドの具合はどうでしょうか?」
「よろしいですよ。兄様も満足しています」
「あ、ありがとうございます」
私がそう言うと、オレクはますます頭を下げました。
私達の話が終わるのを待っていたのでしょう。次はカーチャがオレクに話しかけました。
「あの、オレクさん。ハヤテ様が頼んでいた”こんてな”なんですが、作業の方はどうなっていますか?」
「あ、はい。”樽増槽まーくツー”用の”こんてな”の改良ですよね。今回は少し手間取りましたが夕方にはお見せ出来ると思います。ハヤテ様にもそうお伝え下さい」
ハヤテ様とはナカジマ様のパートナーのドラゴンの名前です。
パートナーって何なんでしょうか。ひょっとしてナカジマ様はハヤテ様と結婚しているのかもしれません。
私達はオレクと別れてハヤテ様のテントを訪ねました。
「あら、いらっしゃい。ごきげんようアネタ様」
「ごきげんよう、ナカジマ様。ハヤテ様に本を読んであげに来ました」
テントの中ではハヤテ様の前に机を並べてナカジマ様達がお仕事をしていました。
私はみんなの邪魔をしないようにしながら、いつものようにハヤテ様の翼の後ろにイスを用意してもらい、カーチャから本を受け取りました。
「ごきげんようハヤテ様。今日は”インドラ姫と海賊ビンビン”の本を読んであげますね」
『何だかスゴいタイトルだな! ”海賊ビンビン”って本当に幼女が読んでいい本なわけ? ちゃんと全年齢指定だよね?』
「? 何を言っているのか分からないわ。分かる言葉で話して頂戴」
『・・・サーセン』
ハヤテ様は時々こうやって分からないドラゴンの言葉で話します。
ナカジマ様は”聖龍真言語”って言ってました。
私達は”聖龍真言語”は分からないけど、ハヤテ様の方は私達の話している事が分かっているんだそうです。
何だかズルい気がします。
「昔々、雪を固めたような真っ白なお城に、美しいお姫様が住んでいました」
『あ。普通に子供向けの本なんだ。良かった』
「ハヤテ様、アネタ様のお話をちゃんと聞いて下さい」
カーチャの言う通りです。一生懸命読んでるんだからちゃんと聞いてくれないとダメなんですからね。
『・・・サーセン』
私はハヤテ様をメッと睨むと、また本を読み始めるのでした。
「そろそろ休憩に致しましょう。モニカさんお茶を淹れて頂戴。カーチャ、アネタ様をお誘いして」
「はい、分かりました。アネタ様あちらに参りましょう」
「分かりましたわ」
『マジか・・・ 何だか微妙に面白いし、普通に続きが気になるのがちょっと悔しいんだけど。海賊ビンビンって名前はアレだけどいいヤツじゃん』
メイドのカーチャに言われて私はご本を閉じました。
ハヤテ様がやっぱり何か言っているけど、私はお茶の方に気持ちが向かっていて聞き取れませんでした。
「今日は干し果物の入った練り菓子ですよ」
「私には”龍甘露”を下さい!」
「そうおっしゃると思って、ベアータがアネタ様の分にはたっぷりとかけていましたよ」
やったあ! ベアータ大好き!
練り菓子もハヤテ様から教えて貰った”ドラゴンメニュー”なんだそうです。
豆とお芋を蒸した物に干し果物を混ぜて練ったものです。
私は豆は変な味がして少し苦手だけど、これは凄く美味しいので大好きです。
特に”龍甘露”をたっぷりかけた甘いのが美味しいの。
『ねえカーチャ、良ければアネタに本を借りてもらって後で続きを読んでくれない? 中途半端な所で止められて気になるんだけど』
「ハヤテ様、話なら後にして下さい」
うん。甘くて美味しい!
ハヤテ様はいつもテントでゴロゴロしてるだけなのに、どこでこんな美味しい食事を覚えたのかしら?
ひょっとしてハヤテ様のお母さんは料理が得意なドラゴンだったのかもしれません。
『僕の母親? どっちかといえばあまり料理に手間はかけない人だったかな。スーパーで買った惣菜やレトルトで済ます事が割と多かったよ』
「ハヤテの母は料理が得意だったと言ってますわ」
『いや、誰もそんな事言ってないし。どうせ分からないと思って適当に言わないでくれる?』
「ドラゴンも料理をするんですね」
ナカジマ様もハヤテ様の言葉が分からないそうですが、契約者となった今では何となくハヤテ様の言っている事が分かるようになったんだそうです。
『僕ってそんなに分かり易いのかな?』
「分かり易いですわ」
「・・・分かり易いですね」
「・・・分かり易いと思います」
大きな胸を張るナカジマ様。メイドのカーチャとモニカさんがこっそり二人で何か言っています。
カーチャが蓋の付いた器に二人分の練り菓子を取り分けました。
「二つ入れておきましたから、後でトマス様と一緒にお召し上がり下さい」
なんてステキなアイデアなの! 兄様もきっと喜んでくれるわ!
私はカーチャにお礼を言ってから器を大事に膝の上に乗せました。
こうして私は国を離れてこのナカジマ領で過ごしています。
お母様とお父様に会えないのは寂しいし、屋敷にいた時よりは不便な事も多いけど、辛い事ばかりじゃないので大丈夫です。
一日も早く兄様の表情が晴れればもっと嬉しいのに。
次回「アダム隊長の帰還」