その1 ナカジマ領の現在
先日、コノ村にやって来たチェルヌィフ商人のシーロの説明によると、現在この国の隣国にミュッリュニエミ帝国の軍隊が攻め込んでいるらしい。
アダム隊長はその件で何度か王都と連絡を取り合っていたみたいだけど、彼が言うにはどうも騎士団本部の反応が鈍いんだそうだ。
しばらくは僕達もヤキモキしながら騎士団の様子を窺っていたけど、結局、アダム隊長達は新たな命令が来るまでは現状維持という方針で決まったみたいだ。
この決定に僕達はホッと胸をなでおろした。(僕にはなでおろす胸も手もないけどね)
もし、戦争に備えてナカジマ領の騎士団が全員王都に引き上げるなんて事になりでもしたら、捕虜の元ゾルタ兵で編成された開拓兵を持て余していた所だからね。
現在、ナカジマ領では開拓兵として元ゾルタ兵に農地の開拓に従事してもらっている。
見張りをしてくれている騎士団員がいなくなれば、当然、彼らを今のように使ってはいられなくなるだろう。
かといってどこかに全員を押し込んでおく訳にもいかない。そんな事をしてもし暴発されでもしたら僕達だけでは彼らを押さえられないからだ。
ナカジマ家はまだ自前の騎士団すら編成していないのだ。
そんなふうに情勢が不安な中でもナカジマ領の発展は着々と進んでいる。
当たり前だ。先行きに不安があろうが僕達は自分の生活を送らなければならないからだ。
とは言っても、今は具体的に何かが出来てる訳じゃなくてその前段階、人の流れと物の流れが出来つつある状態、といった所なんだけどね。
『道を作るのが先決です』
相変わらずナカジマ家臨時執務室となっている僕のテントで、代官のオットーが領主のティトゥに訴えた。
『道を作るための埋め立てをする土が足りません』
オットーの言葉に異を唱えたのは、かつてポルペツカ商工ギルドの役員の中でも一番の若手だった男、スターレクだ。
現在彼はここコノ村で埋め立て工事の人工の手配を一手に引き受けてくれている。
『その土を工面するためにも山までの道が必要なんだ』
ペツカ湿地の北には東西に山脈が広がり、隣国ゾルタとの国境にもなっている。
その名もペツカ山脈。そのまんまだね。
先日のハヤテ作戦で湿地帯に出来た巨大な焼け跡だが、堤防工事の効果が出たらしく、今では少しずつ水が捌けていっている
とはいえ未だに全体的に地盤は緩いし、大きく空いた穴に水が流れ込んであちこちに池が出来ているしで、今後何に使うにしろ埋め立ては絶対に必要となっていた。
現在、堤防の補強工事と並行して、土を運び込んでの埋め立てを始めているのだが、オットーはその埋め立てに使う土の確保を問題にしているみたいだ。
オットーの案では、一先ず山まで道を通して山から土を掘り出し、埋め立てに使用するつもりらしい。
『近くに丁度良い小さな丘があるという話ではなかったのかしら?』
ティトゥの発言にオットーがかぶりを振った。
『とてもじゃないが足りないとベンジャミンから報告がありました。今後の作業ペース次第では今の丘が平地になるのに半年とかからないとか』
『平地になればそこにも農地が作れないかしら?』
ティトゥの言葉に顔を歪めるオットー。
ティトゥは慌てて言葉を続けた。
『まあそれはその時になったら考えましょう。そうね、まずは山までの道を通す工事を進めましょう』
ナカジマ領の発展はあまりに急激で、現在オットーは殺人的な激務を強いられている。
かといってオットー以外にナカジマ家で開発の指揮をとれる人材はいないのだ。
人材不足は現在のナカジマ家の最大の泣き所だ。元々マチェイ家から人数を割いてナカジマ領を運営しているんだから仕方が無いとも言えるけどね。
だったらここ、ペツカで現地の役人を雇えば良さそうなものだが、このペツカ地方は元々ネライ領の分領のようなもので、役人はみんなネライ本領から出向いていたんだそうだ。
ペツカがネライ領からナカジマ領になった今、当然彼らは元のネライ領に帰って行ってしまった。
そういった訳で僕らは、明らかなオーバーワークの中、体に鞭を打って働くオットーに気を使って、まるで腫れ物に触るような扱いをしているのだった。
『早速ジトニークに連絡を入れましょう。きっと誰か道作りに詳しい人材を手配してくれるはずですわ』
『ジトニーク商会ですか・・・ あまり気は乗りませんが、仕方が無いですね』
ティトゥの提案に渋るオットーだったが、他に代案が思いつかなかったのか、やむを得ずといった感じで受け入れた。
ホッとするティトゥ。
ジトニークはオルドラーチェク領ボハーチェクの港町の商人だ。
僕用のオリジナル増槽の制作を頼んでいる相手でもある。
彼が作らせた増槽は様々な場面で大活躍してくれた。
ジトニーク本人もナカジマ家に良くしてくれる、ティトゥにとっては得難い人物だ。
とは言うものの、ジトニーク商会の軸足はあくまでもボハーチェクの港町にある。それにジトニーク商会はオルドラーチェク家の御用商人だ。
彼に頼るという事は、そのままナカジマ家の内情がオルドラーチェク家に筒抜けになる、という事にもなる。
そのためあまりジトニークを重用するのはマズい、とオットーは考えているみたいだ。
だからと言って、ナカジマ家としては彼の他に頼れる者がいない。
最近ではなるべく他の商人も利用するようにしているものの、やはり大手商会であるジトニーク商会の使い勝手の良さには及ばないらしい。
ジトニーク商会は、目から鼻に抜けると言うか、痒い所に手が届くと言うか、そんな感じで融通が利くんだそうだ。
ジトニーク商会は長年に渡ってオルドラーチェク家の一部を支えて来た商会だし、ノウハウが他の商会よりずば抜けているんだろうね。
『領主様はおいででしょうか? シーロめが戻って参りました!』
大袈裟な身振り手振りをしながら見張りの騎士団員に促されて入って来たのは、エキゾチックな服装の若い商人。
チェルヌィフ商人のシーロだ。
元々はティトゥとランピーニ聖国の海上を飛行していた時に、漂流していたシーロを見付けたのが彼との出会いだった。
彼はその時の恩を忘れずに、ティトゥが領主になったと知るやナカジマ領へと駆け付けたのだ。
とはいえ彼自身は国でも行商人のような事をやっていただけらしく、ここでも特に店を構えたりはせずにいつもどこかをフラフラとしているようだ。
『フラフラは酷いですよハヤテ様。あちこちの町で商売のタネを拾うのだってれっきとした商人の才能ですぜ』
『それで今日はどんな話を聞かせてくれるんですの?』
シーロはお調子者でうさん臭い感じのする男だが、ティトゥに受けた恩を返したいという言葉は本当らしく、こうしてあちこちで見聞きした事を包み隠さず僕達に報告してくれるのだ。
この世界には新聞もなければインターネットもない。そのため情報やニュースはどうしても人伝手で聞くしかない。
しかし出来たばかりで他家との交流のないナカジマ家は、どうしても外の流れに疎くなってしまうのだ。
そういった意味では、彼もまたナカジマ家にとっては得難い人材と言う事が出来るだろう。
『へへっ。そういう事でさあ。流石ハヤテ様は良くお分かりで。さて、今回私めはこの国の王都へと足を運んだ次第で』
シーロのドヤ顔にオットーが眉間に皺を寄せたが、シーロの情報がありがたい事はオットーも良く分かっているのだろう。
何も言わずに黙ってシーロの話の続きを待った。
『どうやらこの国、かなりヤバい、ゴホン、大変な事になるかもしれませんぜ』
そう前置きされて始まったシーロの話は、僕達の顔色を変えるに十分すぎる内容だった。
彼の話を聞き終えたティトゥはまるで悲鳴のような声を上げた。
『そんなまさか! カミル将軍が王城に幽閉されたなんて!』
次回「民の希望」




