閑話5-6 ティトゥの『大帝都燃ゆ』後編
◇◇◇◇◇◇◇◇映画『大帝都燃ゆ』より◇◇◇◇◇◇◇◇
終戦を間近に控えた昭和20年8月。
日本本土に対する米軍の爆撃は日々苛烈を極めていた。
その日、接近しつつあるB―29の迎撃のために、白山の所属する基地航空隊は飛び立った。
しかしその時、日本の沿岸に米軍の機動部隊が接近しつつあったのだ。
慌てて部隊を呼び戻そうとする基地司令部。
最悪の場合、彼らは弾薬も燃料も尽きた状態で敵艦載機に遭遇する事になる。
一人機体の不調で基地に残った白山伍長は声を上げた。
「私が止めに行きます!」
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「言われた通り爆装しました。海軍さんの軽爆弾(250kg徹甲爆弾)を参考にウチで作った対艦徹甲爆弾です」
「しかし・・・コイツは試作品で発射装置が付いていません。胴体に括り付けただけの代物です。神風に(特攻に)なってしまいますが良かったんでしょうか?」
ハヤテの翼の下で作業をしていた男達が心配そうに私に話しかけて来ました。
神風? 何の事でしょうか?
私は帽子をかぶりながらハヤテを見上げました。
ハヤテは私が乗るのを今か今かと待ち構えているように見えました。
「そもそもコイツはさっきエンジンがかからなかった機体です。原因はまだ判明していないのですが」
「それなら大丈夫ですわ」
こうしているとハヤテの気持ちが伝わってきます。
きっとハヤテはこうなる事を察して、みんなと一緒に行かずにこの場に残ったのでしょう。
「・・・そんな無茶な」
呆れる男を尻目に私はハヤテの背中に乗り込みました。
「さあハヤテ、みんなを守るために行きますわよ!」
男達は、これは言っても聞かない、と諦めたのかハヤテを動かすべく取り付きました。
四角い馬車がやって来てハヤテの鼻先に鉄の棒を差し込んで回すと――
ドドドドドド
「そんな馬鹿な! 一発でかかるなんて!」
「ほら御覧なさい! 仲間を助けたい気持ちはハヤテも同じなのですわ!」
さっきは何をしても無反応だったハヤテが、いつものうなり声を上げ始めました。
私の言葉に、男達は慌ててハヤテの前足の前に置かれた三角形の木切れ(輪留め)を拾って離れました。
その時私は建物の前にお父様が立っているのに気が付きました。
お父様は無言で――何か言ったとしても、この距離だとハヤテのうなり声がうるさくて聞こえなかったでしょうけど――手を上げて顔の横に指先を付ける独特のポーズを取りました。
きっと彼らの間の挨拶なのでしょう。
私の手も自然と同じ形を取っていました。
「さあ、行きますわよ! 目指すは敵の船ですわ!」
ハヤテはひときわ大きくうなると広場を疾走、ふわりと空へ舞い上がったのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇映画『大帝都燃ゆ』より◇◇◇◇◇◇◇◇
その時米軍の機動部隊は目的地に到達しつつあった。
その中央に位置する空母の飛行甲板には、エンジンをうならせる艦載機(F6Fヘルキャット)がズラリと並んでいる。
空母の艦橋では、艦長が焦りの表情を浮かべて出撃準備を眺めていた。
その時、艦橋に通信士が駆け込んで来た。
「こちらに日本軍の戦闘機が向かっています!」
艦橋にサッと緊張が走った。
その時、輪形陣の外輪に位置する巡洋艦が対空射撃を行うドロドロという音が響いて来た。
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「す・・・すごい攻撃ですわ」
遠くの海上には何隻もの灰色の船が見えます。
その船の甲板がピカリと光ると、少し遅れてドドンとお腹に響く音がして空に黒い煙がパッと広がります。
驚くべきことに、彼らはあんなに遠くからこちらを攻撃をしているのです。
あの黒い煙にはどれほどの破壊力があるのでしょうか?
風圧に煽られたのか、ハヤテの体がビリビリと震えました。
その度に私の手足は、まるで自分の物ではないかのように動きます。
いえ、実際に自分の体ではないのでしょう。
私の手は目の前に生えた棒――私の知るハヤテは以前マリエッタ王女を乗せるために引き抜いてしまっていますが――を細かく操作し、私の足は床の板を巧みに操っています。
私の体はハヤテを意のままに操り、艦隊の中心へと飛び込んで行きました。
やがて船の姿が間近に捉えられるようになると、今度は船から光の礫が雨のように浴びせられました。
私はハヤテを操って光の雨の中に突っ込みます。ハヤテのうなり声に混じってガンガンと何かを打ち鳴らすような音がします。
理由は分かりませんが、唐突に私は理解しました。
ハヤテが攻撃を受けて負傷している! と。
しかしハヤテは多少のケガをものともせず、勇敢にも光の攻撃を振り切りました。
あれだ! 間違いない!
そこに見えたのはやはり灰色の四角い大きな船でした。
この距離でも大きな船と分かったのは、甲板の上に無数のドラゴンの姿があったからです。
青いような灰色のような濃い体色のドラゴン達は、ハヤテの姿より寸詰まりのどこか愛嬌のある姿に見えました。
しかし、彼らがオットー達を殺そうとしている敵なのです。
それにしてもすごい数です。船の大きさはさぞ途方もないのでしょう。
本当にハヤテの攻撃があの船に通じるのでしょうか?
ひょっとしたら虫に刺されたくらいにしか感じないのかもしれません。
私は不意にそんな不安に囚われました。
その時私は大きな船の航跡が曲がっているのに気が付きました。
大きな船はゆっくりと身をよじるように舵を切っているのです。
相手は私の攻撃(爆撃進路)を見越して回避しようとしているのです。
相手はハヤテの攻撃をイヤがっている。
逆に言えば、ハヤテの攻撃は彼らに恐れられるほどのものだという事です。
その思い付きに私の鼓動は高鳴りました。
しかし、逸る心とは裏腹に、私の体は目の前の棒を倒すと足の板を全力で蹴り付けていました。
遠心力でガクンと首が持っていかれたその横、まさについさっきまで私の頭があったその場所を光の線が通過していきました。
驚いて振り返った私が見たのは、背後から私達を狙う3体のドラゴン達の姿でした。
◇◇◇◇◇◇◇◇映画『大帝都燃ゆ』より◇◇◇◇◇◇◇◇
対空砲火を浴び、満身創痍の白山機に、三機の直掩機が襲い掛かった。
だが白山機は驚異的な粘りで敵の攻撃を避けつつ、辛抱強く特攻のチャンスを狙った。
爆撃進路が開けた!
彼の粘りが敵の焦りを呼んだのか、その瞬間奇跡的にわずかな隙間が生まれた。
その隙間に飛び込もうとする白山機。
しかし度重なる被弾に白山機は既に限界を迎えていた。
彼の操縦に舵の利きが追従しきれず、慌てて回避するF6Fヘルキャットと軌道が交わり、彼らの機体は空中で接触してしまうのだった。
引き裂かれ、胴体がえぐり取られる白山機。
錐もみ状態で落下する機体から白山伍長は空に放り出されてしまう。
彼は意識を失う寸前、無意識のうちにパラシュートを操作した。
大空に小さく開いた白いパラシュートは、吸い込まれるように海面に落下するのだった。
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次に私が気が付いたのは狭い部屋のベッドの上でした。
ほとんどベッドで一杯の部屋には小さな丸い窓が開いています。――と、思ったら透明な板がはまっていました。
しかしこの部屋は狭いし、空気は悪いし、不快な低音を感じるしで、妙に居心地が悪いですね。
ガチャリと大きな音を立ててドアが開きました。
入って来たのは無精ひげの学者風の男でした。
「・・・今度はベンジャミンなのね。ねえ、ここはどこなのかしら?」
「気が付きましたネ。ここはあなたがアタックしようとしていた空母の中デス。あなたは乗っていたエアプレンから投げ出されたのデス」
何だか妙にたどたどしい言葉で喋るベンジャミンの説明によると、私はハヤテから投げ出された所をこの船の乗員に助けられたのだそうです。
「ハヤテはどうなったんですの?」
「あなたのエアプレンは海中に沈みマシタ」
そう・・・ でもこれがハヤテの過去の記憶なら、ハヤテはこの後私と出会う事になります。
仮に大ケガをしていたとしても命に別状は無かったのでしょう。
心配ではありますが、そもそも過去に起こった出来事を変える事は出来ません。
――そうは思ってもやはり完全に割り切る事は出来ないようです。私の気持ちは重く沈んでいくのでした。
ベンジャミンはその後も、戦前は宣教師として日本に赴任していただの、日本語が出来るのをかわれて艦隊の通信士をしているだの、私には良く分からない話をしていました。
私は彼の言葉を適当に聞き流していましたが、最後の一言を聞いてハッと顔を上げました。
「じゃあこの船は今、陸から離れて行っているのですわね?」
「イエス。別の艦隊と合流するために南に向かってイマス。日本はもうはるか北デス」
どうやらこの船はあの場所から離れて、別の場所を目指しているようです。
ベンジャミンは気の毒そうに私に告げました。
しかし私はホッと胸をなでおろしたのです。
彼らはオットー達を攻撃するのを諦めたんだわ。
ベンジャミンは急に嬉しそうになった私を見て、不思議そうな表情を浮かべるのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇映画『大帝都燃ゆ』より◇◇◇◇◇◇◇◇
元々米機動部隊の目的はB―29が到着する前の制空権の確保――迎撃に上がって来る日本の戦闘機部隊に対する航空撃滅戦――だった。
エンジンに不調の出た艦に足を引っ張られた事で、すでに予定時間に遅れて到着していた艦隊は、当初の目的を果たす事が出来なくなっていた。
そこに爆装した白山機が飛来した。
これを受けて艦長は撤退を決意した。
この後に訪れるであろう(実際は存在しないが)日本軍の空襲を警戒しての事である。
既に戦略的に意味が無くなった戦いで艦隊の戦力を損なう愚を避けたのである。
結果として白山の命を懸けた飛行が仲間の命を救う事となった。
白山はこの後捕虜として囚われたまま米軍基地へと向かう事になる。そしてその航海の途上で日本の敗戦を知るのであった。
――それから数年の歳月が流れた。
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今度は何処でしょうね。
私は緑の多いのどかな田舎道に立ち尽しています。
今の私は、例の上下一繋がりの服ではなく、質素ですが割と普通の服を着ています。
男物の服ですね。そういえば今初めて気が付きましたが、このシラヤマ某さんは男性だったのですね。
私は何となくハヤテは女性しかパートナーにしないものだと思っていました。
目の前の家から誰か出て来ました。
あれはカーチャですね。
カーチャは私の姿を認めると、手に持っていた荷物を取り落としました。
落としても大丈夫な物なのかしら?
私は心配して声をかけようとしましたが、カーチャがポロポロと涙をこぼし出した事に驚いて、その機会を失ってしまいました。
カーチャは突然走って来ると私に抱き着きました。
不思議な事に彼女の体温を感じた途端、何故か私の目にも涙が込み上げて来ました。
「ただいま戻りましたわ」
私は目に涙を溜めたままカーチャにそう告げるのでした。
――太平洋戦争の日本軍の戦没者数 約230万人
一般市民の死傷者数 約80万人
――最後に戦争による犠牲者に哀悼を捧げ、二度とこのような悲劇が起こらない事を願って映画は終わる。
――『大帝都燃ゆ』・完 ――
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「ティトゥ様、お休みになるなら、お部屋に戻ってはどうでしょうか?」
「・・・はっ」
カーチャに声を掛けられて私は目を覚ましました。
一瞬自分がどこの誰で何をしていたのか分からなくなりましたが、いつものメイド服を着たカーチャの姿で直ぐに自分を取り戻す事が出来ました。
「やっぱりあなたはその恰好の方が似合いますわ」
「? そうですか?」
カーチャは不思議そうに自分の姿を確認しています。
私はハヤテのイスから立ち上がると、不自然な恰好で寝てしまった事でこわばってしまった体をほぐしました。
「そうですわね。何だか色々と疲れたので今日はこの辺で――」
と私は言いかけましたが、ふと目に入ったハヤテの姿に目頭が熱くなってしまいました。
「――いえ、やっぱりやりかけは良くないですわね。終わらせてしまいましょう」
そう言うと私はモニカさんからブラシを受け取りました。
私の脳裏にはさっきまで見ていた夢の景色が浮かんでいました。
あれはきっとハヤテが見せた彼の過去の記憶に間違いありません。
そんな大事な記憶を伝えてくれるほどハヤテが私の事を信頼してくれていたとは知りませんでした。
私はパートナー失格ですね。
ハヤテはあんな地獄のような戦いを経て、そして実際に死にかけてまで、今、私のパートナーになっているのです。
私が出来る事は、せめてハヤテをこうして労ってあげる事くらいでしょう。
「ハヤテ。あなたも大変な目にあっていたのね」
「? ティトゥ?」
ハヤテは急に何を言われたのか分からずに戸惑っている様子でした。
でも大丈夫。私にはあなたの気持ちは分かっていますよ。
だって私達は心の通じ合った契約者なんですから。
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こうしてティトゥは日が傾くまでハヤテのブラッシングを続けたのだった。
急に優しくなったティトゥに最初ハヤテは戸惑ったものの、すぐに「何だか分からないけどまあいいや」とそれ以上考える事を放棄した。
結局あの現象が何だったのかは分からない。
ただはっきりと言えるのは、ハヤテが知らないうちに二人の絆が深まっていた、という事である。
今回の話で第五章の閑話も全て終了しました。
第六章の開始をお待ちください。