その14 竜騎士《ドラゴンライダー》
『ねえドラゴンさん。私どうすれば良かったのかしら』
ティトゥが僕に尋ねた。
らしくもない乾いた笑みだ。
彼女のこんな表情を見る日が来るなんて昨日まで想像も出来なかった。
僕は「彼女の服はパジャマみたいだけど、寒くは無いのだろうか? もう朝でも寒くない季節なのかもしれない」などと考えた。
現実逃避である。
重すぎる話題に考えることを脳が拒否しているのだ。
いや、違う。
自分の心の中の怒りから懸命に目をそらしているのだ。
『みんなのために私はあの男のトコロに行くべきだと思うの。いえ、もう決心は出来ているのよ』
僕の返事は期待していないのだろう。ティトゥが続ける。
『・・・でもこうなっても私、まだ何か出来ないか、こんな結末じゃなく違う結末を得ることができないかって思っちゃうのよ』
『諦めの悪い、情けない女ね、私』
そこでティトゥは言葉を切った。
森に沈黙が落ちた。
ティトゥは言いたいことを全て吐き出したのか少しだけ落ち着いたみたいだ。
いや、誰かに話をすることで、自分の気持ちに整理がついたのかもしれない。
その表情には先ほどより生気が戻っているように見えた。
ティトゥは立ち上がると服についた土を払った。
その時になって初めて自分が裸足でここまで来たことに気が付いたようだ。足の痛みに少し眉をひそめた。
彼女は静かに僕の翼の下に潜ると、この一ヶ月の間僕をこの場所に縛り付けていたロープをあっさりとほどいた。
あの憎っくきロープがこうもあっさりと・・・
ティトゥは木に結びつけていた結び目もほどくと、そのまま手の中でロープをたぐろうとしたが、一ヶ月以上も外で放置されていたロープは彼女の想像より汚かったのか、嫌気がさして足元に投げ出してしまった。
こういう大雑把なトコロも実に彼女らしい。
『さあ、どこにでもお行きなさい。ここにいてももう明日からは私は来ませんわよ。』
そう言うと彼女はーー
「その前に僕の話を聞いて欲しい。」
僕の声に足を止めた。
「僕は一年前のあの時、会社のしたことがどうしても許せなかった。だから行動に移したけど、それはいかにも中途半端で、自分の気持ちを納得させるためだけの無意味な行為だった。今でもあの時どうするべきだったのかと後悔し続けている。」
僕の言葉をティトゥはじっと聞いている。
もちろん彼女には全く伝わってはいない。僕は日本語で話しているからだ。
それでも僕は話し続けた。
「でも僕は、あの時何もしない、という選択だけは出来なかったんだ。戦争は怖い。僕の身体は兵器だ。だけど心は人間なんだ。人を殺すのも殺されるのも怖い。それにここは僕にとって未知の異世界だ。僕の知らない強力な兵器にあっさりと”分からん殺し”される可能性だって十分に考えられる。それが怖い。僕は怖くてたまらないんだ。そもそも僕はドラゴンじゃない。君が勝手に思い込んでいるだけなんだ。」
情けないって? そうだ。僕は情けないヤツだ。
こんな体になっても心まで強くなった訳じゃない。
でもーー
「でも、僕は君の立ち向かう気持ちを助けたい。君は誰のせいにもしない。運命でもなんでも逃げずに受け止め、それを覆すため自ら行動に移す。その顔は下を向かず常に前だけを向いて歩く。君は僕のなりたい理想の僕なんだ。」
これは僕の決意の宣言だ。
「だから僕は君の力になりたい。」
◇◇◇◇◇◇◇◇
ドラゴンが私に話しかけてきました。
話しかけて来た・・・のよね?
言葉が分からないので多分ですが。
一ヶ月以上彼を世話して来ましたが、彼がこんなに喋ったのは初めての事です。
いつもはせいぜい二言三言話すだけで、それすらも一日に何度もありませんでした。
実のところ、今日なぜこの場所に来たのか自分でもよく分かりません。
屋敷に居たくないと思った時、ついいつもの習慣でここに足が向かってしまったのでしょうね。
あの恐ろしい手紙を読み、一晩中悩み考え・・・ちょっとだけ泣き、心の整理はついたつもりでした。
貴族の娘として生まれた以上、家のためどこかに嫁ぐことは当たり前のこと。
ただかなうならまともな嫁ぎ先にまともな形で嫁ぎたかったですが。
この後、生涯貴族の身でありながら妾という日陰者として生きていかねばならない事だけが残念です。
考え事をしている間に彼の話は終わったようです。
本当に何が言いたかったんでしょうね?
彼の言葉”聖龍真言語”が我々に理解できないことが残念です。
去って行く前に世話の礼に人類が未だ届かぬ英知を授けてくれていたのかもしれないのに。
それとも一ヶ月以上も木に縛り付けていたことについて長々と文句を言ったのかしら。
本当にどっち?
一応お礼を返しておくことにします。
『ありがとうございます。ごきげんよう』
その時森にドラゴンのたてる爆音が響きました。
彼の首のあたりから煙と何かが焼けた匂いが漂います。
突然そこから火が噴き出しました。
怒らせちゃったのかしら?
今までに一度もなかった彼の行動に慌ててしまいます。
どうやらさっきのは文句だったようです。
選択を間違えましたわ。どうしましょう?
「乗れ! ティトゥ!」
彼が爆音に負けじと叫びます。
「いや」とか「いいよ」とかが否定と肯定であることくらいならこの一ヶ月で知りましたが、「のれ」が何を意味するのかは分かりません。私の名前を呼んだのは分かりますが、私に何かしてほしいのでしょうか? それとも罵倒したのでしょうか?
その時、彼の背中のガラスに似た透明な部分がスライドしました。
あれは! もしや?!
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕はエンジンをかけた。
久しぶりにエンジンをかけた上、ここでエンストさせると格好がつかないと思って変に気合を入れたせいか、混合気に燃料が入りすぎたみたいだ。
不完全燃焼を起こした生ガスが盛大にアフターファイヤーを起こした。
驚くティトゥ。
・・・ちょっと恥ずかしい。
これは景気づけ。そういうことにしておこう。
僕は気恥ずかしさを誤魔化すためにあえて大声で叫んだ。
「乗れ! ティトゥ!」
そのまま気が付いてもらえるように勢いよく風防を開いた。
これで言葉は分からなくとも僕の意図は伝わるだろう。
実はティトゥが四式戦の機体で一番気にしていたのが風防なのである。
(ちなみに一番お気に入りの箇所は垂直尾翼の部隊マーク。ここの再現度にはこだわったのでかなり嬉しい)
こっちの世界ではこれだけ大きな、しかも湾曲したガラスというのは存在しないみたいで、最初から目をつけていたようだ。
コクピットをのぞき込んではあれこれと僕に尋ねていた。
どうやら彼女は、コクピットのシートを以前誰かが僕を騎乗していた時、その人が僕に乗るために積んだ鞍だと思ったようだ。
シートに座らせて欲しいと何度も鼻息荒くお願いされた。
もちろん乗せませんでしたよ。
だってこんなテンションの彼女をコクピットに入れたら、計器板をどういじられるか分かったもんじゃないですか。
計器板はこの機体で唯一僕の身体の感覚に直結している場所だからね。
ジャイロとか壊されたら真っ直ぐ飛べる自信ないから。
ちなみにそんな理由で実は今もハラハラしている。
「触るな」って言っても言葉が通じないからね。
日頃からもっと対話の努力をしておけば良かった。
ティトゥは目を丸くして僕を見ていた。
その姿はエサを前に「待て」と言われた犬のように落ち着きがない。
だがさっきのバックファイヤーにビビっているのか、すぐに飛び乗ったりはしないようだ。
『あの・・・。 私が乗って良いのかしら?』
そのもじもじとする可愛い姿にちょっとしたいたずら心が生じ「ダメだ」と言ってみたくなったけど、さすがにここは空気を読もう。
「いいよ」
この一ヶ月、何度も僕の身体によじ登っていた彼女は、もはやベテランパイロットのようにヒラリと翼の付け根に飛び乗りーー
四式戦の操縦席に飛び乗った。
この時の僕は知らなかったが、この瞬間、この世界に初めて竜 騎 士が誕生したのである。
次回「ドラゴンは飛ぶ」