閑話5-2 塗装
その朝、僕は昨夜から降り続く雨がテントを叩く音をぼんやりと聞いていた。
この国では日本と違ってあまり雨が降らないが、それでもこうしてたまには降ることがある。
ずっと単調な雨音を聞いていたせいだろうか。僕は何となく風邪をひいた時のような、意識がハッキリしないぼんやりとした状態でまどろんでいた。
こんな感覚は睡眠を必要としないこの体になって以来、初めてじゃないだろうか?
僕はうたた寝に似た感覚に身をゆだねていた。
『うっとおしい雨ですわ・・・ね? えっ! ハヤテあなたどうしたんですの?!』
僕のテントに入るなり傘替わりの防水布を脱いだティトゥが、目を丸くして大声で叫んだ。
ティトゥの後ろにいたメイド少女のカーチャも驚いて声を失くしている。
騒々しいね。僕がどうかしたのかな?
『あなた、灰色ですわよ?!』
うん? 灰色? あ、本当だ。
昨日まで緑色だった僕の体は薄いグレーに変わっていた。
『ちょっと、あなた大丈夫ですの?』
ティトゥが心配そうに聞いてくるけど、どうなんだろうね?
う~ん、どうもさっきから頭がボーッとして考えが纏まらない。
本来であれば僕も慌てている所なんだろうけど、全然実感が湧かないのだ。
弱ったなコレ。
ティトゥの大声を聞きつけてみんながテントの中に集まって来た。
とはいえ、みんな戸惑った顔を付き合わせるだけでやれる事は無い。
まあ本人にすら分かっていない現象なんだから仕方が無いよね。
『病気か何かでしょうか?』
カーチャが僕を見上げながら不安そうに呟いた。
『確かに元気が無さそうですね』
『・・・私にはハヤテ殿はいつもこんな感じに見えますが?』
代官のオットーの言葉に、頭をひねる騎士団のアダム隊長。
病気か・・・僕は病気なのかな?
航空機がかかる病気といえば、やっぱり航空病かな?
いや、違った。航空病は高高度を飛ぶ際に酸素不足で起こる症状の事だった。
ダメだな、どうも頭の中がフワフワして考えが纏まらない。
『全身灰色ですわ。緑の場所だけじゃなくて、黄色や赤色や黒かった場所も全部灰色になっていますわ』
僕の周りをぐるりと見て回っていたティトゥがみんなに報告した。
ティトゥは僕の尾翼を寂しそうに見上げた。
いつもであれば、そこにはナカジマ家の紋章にもなっている部隊マークが描かれている場所だ。
しかし今はそこも灰色一色に塗りつぶされていた。
『背中の透明な部分は変わらないんですね』
『! そうですわ! ひょっとしてあの中なら!』
ティトゥはヒラリと翼の上に乗ると、僕の操縦席を覗き込んだ。
『・・・なんて事かしら。中も全部灰色ですわ』
ガックリと肩を落とすティトゥ。
操縦席の中は計器盤に至るまで全て灰色になっていたのだ。
というか僕はこの少し明るい灰色に見覚えがある気がするんだよね。
でも何て言えば良いのかな。
ジャーマングレー程濃くは無いし、どっちかと言えばスカイグレー辺り?
TA〇IYAのアクリル塗料で言えばXF19番のスカイグレー。丁度そんな感じ。
いやあ、でも懐かしいな。色で塗料の番号を思い浮かべるこの感覚。
モデラーなら誰しもこうなっちゃうよね・・・
・・・・ん? プラモデル?
「ああっ! 分かった!」
『ど、どうしたんですの?!』
突然叫んだ僕にみんなが驚いた。急に大声出してゴメンね。
いやいやそんな事よりも、僕は今の自分の姿に見覚えがあったのだ。
これって「仮組み」をした時の四式戦闘機『疾風』の姿じゃん!
僕の今の体は、僕が生前作ったハ〇ガワのプラモデルが元になっている。
・・・改めて言うと何を言ってんだって感じだけど、今の所そうとしか思えないので取り合えずそういう事にしておいて欲しい。
で、現在の僕の色なんだけど、元々のハセガワのキットの成型色が丁度こんな色だったのだ。
ちなみにキットとはパーツと組み立て説明書を纏めたセットの事を言う。
モデラーはプラモデルと呼ぶよりキットと呼ぶ方を好む気がするけど何故だろう?
・・・まあそれはいいや。ともかく、今の僕の体は塗装前の全身成型色状態だという事だ。多分。
何が原因でこうなったのかは分からないが、取り合えず雨は止んで欲しい。
何故って?
エアブラシを使って色を塗るとかぶってしまうじゃないか。
雨の日は湿度が高い、つまり大気中の水分が多いという事だ。
そんな中エアブラシを使うと塗料が水分を含んで塗装面が白っぽくなってしまう。
それがかぶりと言われる現象だ。
要は、エアブラシを使って塗装するためには晴れた日じゃないと狙った通りの色に塗れないんだよ、という事だ。
『ハヤテ。あなたさっきから何を言っているんですの?』
ふと気が付くと、ティトゥが残念な子を見るような目で僕を見上げていた。
あれ? 何だかティトゥ以外のみんなも呆れ顔だね。
どうやら僕は、いつの間にか彼らに模型の塗装について熱弁を振るっていたみたいだ。もちろん日本語で。
・・・ダメだな。やっぱり今日の僕はどこかおかしくなってる。
『ま・・・まあ、それだけ喋れる元気があるのなら、一時的な変化かもしれませんよ?』
『・・・そうなのかしら?』
ティトゥは釈然としない様子だったが、この場はオットーのとりなしで、一先ず安静にして様子を見る事になった。
というか実際の所、こんな謎現象、他にどうしろって話だよね。
各々テントから出て行く中、ティトゥが最後まで心配そうに僕を見ていたのが心に残った。
明けて翌朝。相変わらず雨はシトシトと振り続いていた。
朝からティトゥが僕のテントに顔を出した。
『どうかしらハヤテ・・・ やっぱりまだ治っていないみたいですわね。』
ガックリと肩を落とすティトゥ。
ふむ。君の目には僕の姿が昨日と同じに見えるのかね?
『少し色つやが悪くなった気がします』
カーチャさんや、そんな言い方は無いだろうに。これは大きな変化なんだよ?
『色が少し変化していませんか? より白っぽい灰色になったような』
聖国の貴族メイドのモニカさんがポツリと呟いた。
そう、それ!
どうやら僕の体は「仮組み」から「サフ吹き」へと進んでいるみたいなのだ。
ちなみにサフとはサーフェイサーの略で、いわゆる溶きパテの事だ。
表面処理といって模型の表面を均一にする効果もある。
「サフ吹き」に関しては、必ずしもする必要はないと言ってる人もいるけど、僕は塗装の食いつきが良いような気がするのでいつもやることにしている。
『ハヤテ様、アタシ達に何かやって欲しい事とかありますか?』
料理人のベアータがテントの入り口から顔を覗かせて言った。
やって欲しい事ね・・・
ティトゥ達も僕の返事をジッと待っている。
そうだなあ。サーフェイサーで埋まってしまったモールドを掘り返して欲しいかな。
モールドとはパネルラインを表現するために、模型の表面に彫られているスジボリの事だ。
スケールモデルってモールドが細くて浅いので、このままにしておくと塗装した時に塗料で埋まって消えちゃうんだよね。
この日、みんなは僕の要望に応えて全身のモールドというモールドを針で掘り返してくれたのだった。
サイズがサイズなだけにみんな結構大変そうだった。大きな体でホントにゴメンなさい。
『ハヤテ・・・ あっ! 色が緑色に戻っていますわ!』
明けて翌日。ティトゥがテントに入って来た途端に喜びの声を上げた。
そう。どうやら僕の工程(状態?)は「サフ吹き」から「塗装」に移ったみたいだ。
雨が昨日のうちに止んでホントに良かったよ。色がかぶってしまったらどうしようかと心配していたんだよね。
そして色が戻ってきたせいだろうか? 僕の意識もこの二日間よりかなりハッキリしてきていた。
『背中の黄色は何なんでしょうか?』
『かさぶたみたいなモノかもしれませんね』
ああ、それはマスキングテープだね。必要ない場所に塗料が付かないように保護するためのテープだよ。
風防の塗装はもう終わっているから剥いでくれないかな?
僕の要請でバリバリとマスキングテープを剥がすティトゥ達。
1/1スケールだとこういった作業も豪快だなあ。
『でもまだ完全に元通りになったわけではないですわ』
ティトゥが僕の尾翼を見つめて呟いた。そこにはまだ本来あるべき部隊マークが描かれていなかった。
『紋章が戻っていますわ!』
翌日、ティトゥは僕の尾翼を確認した途端に喜びの声を上げた。
そこには見慣れた部隊マークが燦然と輝いている。
「塗装」から「細かい部分の塗装」と「デカール貼り」に進んだ事で、ようやく僕は本来の姿を取り戻す事が出来たのだ。
『今度は翼に昨日の黄色いかさぶたが出来ていますね』
『早速取ってしまいましょう』
ワクワクした表情でカーチャに答えるモニカさん。どうやら昨日テープを剥いだ時の感触が気に入ったみたいだ。
ちなみになぜマスキングテープが翼に貼られているかというと、主翼の前縁部に黄色く帯状の塗装――味方識別塗装が塗られたためだ。
味方識別塗装とは、当時の日本軍の戦闘機の主翼の前縁部を黄色に塗ったもので、”識別帯”とも呼ばれている。
識別、と呼ばれるだけあって、同士討ちを防ぐ目的で、良く目立つように黄色で塗られていた。
・・・という話だが、どの程度の効果があったのかは実は今でも謎なのだ。
なにせ、あんなもの役には立たなかった、と言う人もいるそうだし。
”大空のサムライ”として有名な零戦のエースに至っては、「何のために黄色に塗ってあるのか分からなかった」とまで言っていたんだそうだ。
『これで完全復活ですわ!』
バリバリとマスキングテープを剥ぎながらも笑顔の止まらないティトゥ。
そんなティトゥにつられて笑みを浮かべるカーチャ。
モニカさんは黙々とマスキングテープを剥がしている。
本当はこの後に「墨入れ」をして、最後に質感アップと表面保護用のトップコートを吹いてからようやく完成なんだけど、嬉しそうなティトゥにそんな野暮な事を言わないでもいいよね。
しかし本当に今回の一件は何だったんだろうね。
僕としてはプラモデル作りを思い出せて少し嬉しかったけど。
ああ、久しぶりにプラモデルを作りたいなあ。
『ハヤテ?』
おっと、今の僕はティトゥのドラゴンだった。プラモデル作りよりも彼女の期待に応える事の方が大事だよね。
翌朝、「墨入れ」が終わり、トップコートも無事に吹かれ、僕の頭脳も以前のような聡明さを取り戻したのだった。
元々ぼんやりしてただろうって? うるさいよ。
それにしても、今回はお騒がせしました。
いや~、我ながら本当に不思議な体をしてるよね、僕って。