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その41 西の空に立ち上る煙

◇◇◇◇◇◇◇◇


 開拓兵にとって開拓村の作業は楽なものではなかったが、かといって過酷な労働とは決して言えなかった。

 常に騎士団員の監視付きではあったが、自分達が敵国の捕虜である以上それは仕方が無いと、彼らも良く分かっていたのだ。


「おい、旅人から差し入れを貰ったぞ」

「有難い。少し休憩するか」


 おとなしく仕事のノルマさえこなしていれば、騎士団員達は驚くほど彼らに対して不干渉だった。

 そのためか旅人の中には彼らを地元の村人だと勘違いするものも多く、この辺りの話をする事でこうしたちょっとした差し入れを貰える事すらあった。


 実は最初期には捕虜に対して高圧的にふるまう騎士団員も何人かはいたのだ。

 しかし、ナカジマ領の女性領主はそんな彼らに良い顔をしなかった。

 それどころか捕虜を開拓兵と呼ぶように命じ、将来は彼らをこの領地の小作として雇うと宣言したのだ。

 これに慌てたのは騎士団員達である。

 将来ナカジマ家の騎士団が設立された際には入団させてもらう気満々だった彼らは、とにかく今は問題を起こさないように、横柄な態度を改めて品行方正な行いを心掛けるようになったのである。

 こうして現在の開拓村は、細かな問題こそあるものの概ね治安の良い穏やかなバランスを保っていた。



「そういえば今日は領主様が用事で来られないと聞いて、騎士団の奴らがガッカリしていたな」


 誰かの言葉に別の男が答えた。


「俺達としては領主様に来てもらった方が奴らの機嫌がいいから助かるんだけどな」

「よく言うぜ。領主様のドラゴンを見付けたら真っ先に逃げ出すくせによ」


 男を揶揄する声に仲間の笑い声が上がった。


「最初はそうだったが、最近はすっかり慣れたっての。いつまでも昔の事でからかってんじゃねえよ」

「まあ確かにあれはおっかないよな。俺だって最初はてっきり俺達を食いに来たのかと思ったしな」


 実際最初の頃は全員が真っ青になって必死に逃げだす始末だった。

 ハヤテは未だに怖がられていると思っていたが、実の所彼らは未だに警戒はしているものの、すでに最初の頃ほど彼を恐れてはいなかった。


 その時、仲間の一人が異常に気が付いた。


「おい、西の空を見てみろ。煙が上がっているぞ」


 男の声に全員が振り返ると、青い空に黒い煙が一筋立ち昇っているのが見えた。


「隣の村で火事でもあったのか?」

「村の間は結構な距離があるって聞いたぜ。なのにここまで煙が見えるって事は・・・」


 男はその先を続けられなかった。村が全焼しているのではないか、などという異常事態を口にする勇気が無かったのだ。

 騎士団員達もその異常に気が付いて騒ぎ始めた。

 まるで戦場が近付いてきているような不穏な気配に、開拓兵達の間にも緊張が漂った。

 やがて騎士団員がやって来ると彼らに命令した。


「今日の作業はここまでにする。全員村に戻って小屋で待機しておくこと!」


 別の騎士団は村に駆け戻っている。村に何か連絡が入っていないか確認に向かったのだろう。


 その日開拓村はかつてない緊張感に包まれた。異常に気が付いた村人達も声をひそめて噂をし合っていた。

 その翌日、領主の使いから何も心配はいらないとの連絡が入った。

 彼らは釈然としない気持ちを抱えながらも日常生活へと戻った。


 しかし、西の空に立ち昇る不気味な黒い煙は、その後三日三晩消える事は無かったのである。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ドドーン


 遠くで腹に響く低い音が響き渡った。

 ナカジマ家の使用人達は一斉に立ち上がると、不安げに音の発生した方向を見つめた。


「オットー様、北の空に!」

「おおっ・・・」


 北の空――ハヤテがティトゥを乗せて飛んだ方角からもうもうと黒い煙が立ち上っている。

 丁度そばに立っていたメイド少女カーチャがオットーの方へ振り返った。


「あの爆発はハヤテ様がやったんでしょうか?」

「恐らくそうだろう」


 というかそれ以外に考えられない。

 彼らはハヤテが250kg爆弾を使用した所を見た事は無かったが、ティトゥから話だけは聞いていたのだ。

 実はガソリンの混合気が燃焼範囲に達したための爆発だったのだが、今の彼らにそれを知る術は無かった。


 

 燃え上がった炎は大きく広がり、瞬く間に地平線に見える範囲全てを覆いつくした。


「まるで炎の壁だ・・・」


 誰かの呟きが、現在彼らの目の前で起こっている事実を物語っていた。

 北に見える大地は炎で覆われ、もうもうと立ち込める煙は天を黒く焦がした。

 それはあまりにダイナミックな光景すぎて、奇妙な美しさすら感じる光景であった。


「あっ! コノ村から煙が!」


 誰かの言葉に目を凝らすと、コノ村のあった方向から僅かに煙が立ち上っている。

 どうやら上空に大きく舞い上がった火の粉がコノ村にまで達して、村の木造建築に火を付けてしまったようだ。


 慌てて村に向かって駆け出す者達をオットーが大声で止めた。


「馬鹿! 止せ! 今から村に向かっても、たどり着く前に煙に巻かれて死ぬだけだ!」


 驚いて立ち止まる使用人達。

 オットーは彼らに命じた。


「今は村の事は忘れろ! それよりも煙がこちらまで流れて来ないとも限らない、様子を見ながら南に移動するぞ! 馬車を出す支度をしろ!」


 実際の所本当にここまで煙が来るかは分からない。しかし、空を一面黒く染める煙にはそう思わせるだけの威圧感があった。

 使用人達は顔を見合わせると急いで馬車に取り付いた。


 忙しく動き回る使用人達の間を抜けて髭の騎士団長アダム隊長がやって来た。


「本当にここまで来ると思いますか?」

「・・・分かりません。しかし、この現象は私達の常識を当てはめて考えない方が良いでしょう。原因を作ったのはハヤテ様ですから」


 酷い風評被害もあったものである。

 しかし、自慢の髭をしごくアダム隊長は何故か納得した様子である。

 もしこの場にハヤテがいたら当分落ち込んだ事だろう。


「あれほどの煙だ。他の開拓村からも見えるでしょうな」

「・・・でしょうね。連絡を飛ばした方が良いかもしれません。いえ、急いで飛ばすべきでしょう。もし確認するためにコノ村を目指す者がいた場合、事故を起こす危険があります」


 オットーは、事情を知らない騎士団員がこの惨状を見て暴走する可能性を危惧したのだ。

 アダム隊長も確かにオットーの言う通り、ティトゥを助けるために煙の中をコノ村目指して突き進む者が出てもおかしくないと考えた。当然彼らには煙に巻かれて犬死にする結末が待っているだけだ。


「マズイですな。分かりました。我々が連絡に走りましょう」

「お願いします。煙の範囲は思ったよりも広いかもしれません。風向きには重々気を付けて」


 こうしてオットー達は南に逃れ、結局この日はアノ村に宿泊する事になった。

 アダム隊長達は街道を大きく迂回しながら各村を回り、再び海岸線まで戻って来た時には流石に湿地帯の火も消えていたのであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「くそっ! どうすれば良いのだ!」


 恰幅の良い中年男性がテーブルを叩いて怒鳴った。

 彼はナカジマ領唯一の町、ポルペツカの商工ギルドの長であった。


「ネライ領の取引先はどこも、こちらからの連絡にはなしのつぶてだ! 中には明らかに居留守を使っていると思われる者までいるとか! 今までの付き合いのあった我々の事を一体何だと思っているんだ!」


 ティトゥと決別してから早一月以上。

 かつての取引先に送った連絡で彼らのもとに帰って来た返事はゼロ。

 直接送った使者も全て門前払いを食わされていた。


 事ここに至って彼らもようやく焦りというものが芽生え始めていたのだ。


(だが全てがもう遅い。どうせ焦るなら最低でも一カ月以上前にこうなるべきだった。そう、今の領主様に会ったあの日が我々に残された最後のチャンスだったのだ。)


 ポルペツカ商工ギルドの役員の中でも一番の若手になる30歳前後の男は、荒れ狂うギルド長を冷めた目で見つめていた。


(ポルペツカはもうお仕舞だ。われわれギルド役員はその私財を投げうって、ギルド会員達がこの町を去る際の資金の足しにしてもらう他には、彼らに詫びる術を持たない。例え自己満足と言われようとも、我々のしでかした過ちを少しでも償うためにはそれより他に方法は無い)


 彼はこの一ヶ月でそこまで考えるようになっていた。

 彼は家の机にしまい込んでいる離婚届の事を思い出した。

 財産を投げうつと言っても妻の実家にまで類を及ぼすわけにはいかない。

 すでに妻には事情を説明をして実家に戻ってもらっている。後は書類を然るべき場所に提出するだけとなっていた。


「ギルド役員の皆さん、町の者が騒いでいます! 町の外を、西の空を見て下さい!」


 突然ギルドの事務員が血相を変えて飛び込んで来た。


「何だ?! 一体何があった?!」


 太ったギルド長は慌てた事務員に背中を押されながら建物の外に出た。

 あちこちで町の人間が西の空を見上げながら何か騒いでいる。


「なっ・・・ あれは何だ?!」


 ギルド長は驚きに目を見張った。

 西の空には黒々とした禍々しい煙が立ち上っていた。


「あの方角はご領主様のおられる漁師村しかありません。町の人間は領主様のドラゴンが怒って村を焼き払っているのだと騒いでいます」

「んなっ!」


 ギルド長が慌てて周囲に目をやると、町の人間の中にはドラゴンに怒りを鎮めてもらおうと西の空を見上げて拝んでいる者達もいる。

 ギルド長は大きな声で吐き捨てた。


「馬鹿な! そんなわけがあるか! 何がドラゴンの怒りだ馬鹿馬鹿しい!」

「しかし、もし漁師村がドラゴンの怒りに触れたのだとしたら、次にドラゴンの怒りの矛先が向くのは領主様を追い出したこの町の者達に対してではないでしょうか?」

「! ば・・・馬鹿な事を言うな! ただの火事か何かに決まっておるわ! 仮にお前の言う通りだとしてももう一ヶ月以上も前の事だ! ドラゴンごとき畜生が覚えていられるはずがないわ!」


 ギルド長は事務員の男を突き飛ばすと足音も荒く建物の中に入って行った。

 事務員の男もしばらく不安げに西の空を眺めていたが、やがて仕事を片付けるために建物の中に戻って行った。


 西の空に昇った黒い煙はしかし、翌日になっても消える事は無かった。

 こうなるとただの漁村の火事などでは到底あり得ない。ポルペツカの町の者達はドラゴンの怒りを恐れてみんな家の中に引きこもってしまった。

 そしてさらに翌日も西の空の煙は消える事は無かった。

 煙が完全に消えたのはさらにその翌日。

 ポルペツカの住人達はいつもの姿を取り戻した西の空を見上げてドラゴンの怒りが鎮まった事にホッと胸をなでおろしたのだった。



 その後町の住人は、この三日間の間にギルド役員が一人を残して全員自分の財産を纏めて町を逃げ出した事に気が付くのである。

次回「死の大地」

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[良い点] 邪魔者は一掃出来たな! さすがハヤテ作戦。狙い通りだぜ [一言] 昨日今日と周囲の反応を読む回は楽しい みんな良いリアクション!
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