その40 業火
『村の様子がおかしいですわ』
ハヤテ作戦――散布増槽を使って湿地帯に航空燃料をばら撒く作戦――中の僕達は、空になった増槽を切り替えるためにコノ村に戻って来た所だった。
確かにティトゥの言う通り、上空から見た村は人っ子一人いない閑散とした様子だった。
『ミナミ。トブ』
『りょーかいですわ』
飛行中に僕が事あるごとに「了解」と言っていたら、すっかりティトゥが覚えてしまった。
それはさておき、事前にオットーには何かあれば今日は南に逃げるように言ってある。
何があったか知らないが、南に向かって飛べばきっと彼らを見付ける事が出来るだろう。
『みんないますわ』
ナカジマ家の馬車の群れを見付けてティトゥがホッとした様子を見せた。
どうやらあの場所で休憩をしているみたいだ。
僕を見付けてのんきに手を振っているから、何か悪い事が起こったという訳ではなさそうだ。
『ハヤテ、降りて頂戴』
了解了解。僕はいつものように旋回しながら高度を下げて、彼らの近くに着陸した。
こちらに駆け寄って来たオットーに話を聞くと、どうやら村の中でガソリンの匂いがし出したのでここまで避難して来たんだそうだ。
そう言われてみれば朝は無風に近かったのに、今は北からの風が――湿地帯の方からの風が吹いている。
ずっと空を飛んでたので全然気が付かなかった。
歌に夢中になってたからじゃないよ?
僕の様子に何かを感じ取ったのか、メイド少女カーチャが僕の方をジト目で見ているんだけど。
いや、本当に今回は僕は無実だからね。
『ここまでは匂って来ないみたいですわね』
『ええ。風向きが変わるまでしばらくここで待機していようと思っています』
ティトゥが可愛らしく鼻をスンスンさせて空気の匂いを嗅いでいる。
オットーは慎重すぎる気もするけど、気分が悪くなって倒れる人が出ても困るからね。
ここは慎重すぎるくらい慎重で丁度良いかもしれない。
『街道を回っているアダム隊長にはすでに知らせの者を送っています。村に戻らずにこちらに合流する予定になっています』
おおっ! さすがはオットー。確かにガソリンの匂いが充満する村にアダム隊長達が戻ったら危ないもんね。
ちなみにアダム隊長にはついでに土木学者のベンジャミンを回収する予定になっている。
ベンジャミンは今、隣の開拓村で湿地帯の事前調査を行っている所なのだ。
ベンジャミンには今日の作戦が無事に終わったら作戦の効果を調べてもらう事になっている。
彼の調査で良い結果が出れば今後も続けて何度か行う予定だ。
『ではもう一度行って来ますわ』
おっと、ティトゥとオットーの話が終わったみたいだ。
僕は空になった散布増槽を落とすと、燃料で満タンになった散布増槽を取り出して懸架した。
空のタンクは火気厳禁な場所で保管しておいてもらう事になっている。
幸いここは開けた空き地なので保管場所には困らないだろう。
『やっぱりこうして消えたり出たりするのって不思議ですよね』
『カーチャ、そんなところで覗き込んでいたら危ないですわよ』
ティトゥが僕の操縦席に乗り込みながらカーチャを窘めた。
驚いたカーチャは慌てて僕の翼の下から飛びのいた。
まあ僕はちゃんと全周囲見えているから、気付かずに轢いちゃったりする事は無いんだけどね。
そうやって考えるとやっぱり僕の体って不思議だよね。
『ハヤテ?』
おっといけない。確かに不思議な体だけど、この体のおかげでみんなの役に立てるんだ。
今は自分に与えられた仕事に集中しないとね。
『マエ、ハナレ!』
僕はエンジン音を響かせて疾走。ハヤテ作戦を続行するべく大空へと舞い上がった。
ていうかベンジャミンの調査で効果ありとお墨付きが出たらこの作戦って続けるんだよね。
その間ずっとこの作戦名で行くの? 地味に僕の精神にくるんだけど。
もう一度あの長く退屈な作業を終え、僕達はオットー達の待つ休憩地点に戻って来た。
作業が順調な事に文句を言うつもりはないけど、代わり映えのしないフライトっていうのはやっぱりキツイ。
僕達が到着した時、オットー達は軽い食事を摂っていた。
丁度お昼時だしね。
ティトゥも早速参加して休憩がてら軽くつまんでいる。
『へえ! これが噂の”おにぎり”ですか!』
せっかくなので僕もおにぎりを差し入れさせてもらった。
料理人のベアータは悪魔料理人テオドルからおにぎりの事を聞いていたらしく、興味津々で覗き込んでいる。
『一つ食べてみればどうかしら?』
『いいんですか?! ありがとうございます! では早速』
遠慮のないベアータの態度にオットーが渋い顔をしているが、彼女は気にした様子も無くおにぎりを手にするとぱくついた。
『ん? これは塩味だけなんですね。モチモチした食感にしっとりした味わい。薄味のパンといった所かな』
流石は料理人。中々鋭いね。
実際にアジア圏ではパンの代わりにご飯を主食として来た訳だからね。
ご飯をパンに例えるのは言い得て妙といった所だろう。
そんな感じで食事を済ませてまったりとお茶をした後、いよいよ作戦の仕上げに入る事になった。
湿地帯にばら撒いたガソリンに火を付けるのである。
ところがここでベアータから待ったがかかった。
『火を扱うなら料理人であるアタシが本職だ。ここは譲る訳にはいかないよ』
『ベアータ、あなた・・・』
ベアータの屁理屈にティトゥも呆れ顔だ。
どうやら元気娘のベアータは、何もない空き地でずっと待機している事に午前中ですっかり飽きてしまったらしい。
『まあ良いですわ。どうせ火を付けに行くだけですし』
『やったあ! ありがとうございます、ご当主様!』
『でしたら私もご一緒させて頂けませんか?』
柔らかな笑みを浮かべて頼んで来たのは、カーチャの頼れる先輩メイドのモニカさんだ。
『そろそろアダム隊長がこちらに合流しそうですから』
『? ああ、そうでしたわね』
アダム隊長はベンジャミンを連れて来る予定になっている。
モニカさんは今もベンジャミンに付きまとわれているからね。
ちなみに相手に失礼にならないようにしながらも、軽くあしらうモニカさんの手管にカーチャは衝撃を受けていた。
現在カーチャはモニカさんを観察しながら、熱心にその技術を学んでいる最中だ。
僕は将来カーチャが悪女にならないか心配だよ。
結局モニカさんも乗せた三人乗りで僕は湿地帯に火を付けに向かう事になった。
これが終われば一旦ベンジャミンの調査待ちとなる。
さてさて一体どういう結果が出るのだろうか。
『この辺で良いんじゃないかしら?』
『では落としますね!』
ティトゥの膝の上に座ったベアータが抱えているのは小さな素焼きの壺だ。
この中には炭になった火の付いた薪が入っている。
実の所これで火が付くかどうかは分からないが、まさかこの狭い操縦席に、メラメラと燃えさかる松明を持ち込む訳にもいかないだろう。
これでダメなら他の方法を考えるだけの事だ。
僕はベアータが投げやすいように少し機体を斜めに傾けた。
『いきますよ。えい!』
ティトゥが少し風防を開けると、ベアータが勢いよく壺を真下に投げ落とした。
炭の入った壺はみるみるうちに小さくなり、やがて姿を消してしまった。
『・・・』
『・・・』
『失敗でしょうか?』
モニカさんはティトゥの肩口の辺りから見ているので真下は良く見えないみたいだ。
どうだろうね。流石にこの高さから落として壺が割れなかったとは考えられないけど、落ちた場所が水の上なら、気化したガソリンに火が付く前に火種が水に浸かって消えてしまったという事も考えられる。
大袈裟になると思って今回は使わなかったけど、250kg爆弾を落とした方が確実だったかもしれないな。
『火種をもういくつか用意しておくべきでしたわ』
『そうですね。アタシも次は火――あっ!』
『! あれは?!』
地面の一部にチロチロと赤いモノが見えたと思ったら――ドカンと大きな爆発が起こった。
『『キャアアアアッ!』』
僕は上空まで届いた爆風にあおられて機体を大きく揺らしてしまった。
しまった! モニカさんには安全ベルトを締めていてもらえば良かった!
僕は何とか機体のコントロールを取り戻すと、なるべく水平飛行を保ちながら爆心地から距離を取った。
『モニカさん、大丈夫ですの?!』
『・・・大丈夫、少し体を打っただけです。ご心配をおかけしました』
必死に背後に呼びかけるティトゥに対し、痛みを堪えながら答えるモニカさん。
良かった。どうやら一先ずは無事みたいだ。
モニカさんは痛そうに顔を歪めながらも特に出血等はしていないみたいだ。
腰を気にしている様子から、どうやら腰かお尻を強く打ち付けたみたいだ。頭を打たなかったのは幸いだ。
彼女の無事を確認できた僕は、ホッとすると共に改めて周囲を見渡した。
『・・・何だかすごい事になってますよ』
『・・・大火事ですわね』
『この煙は遠くからでも目に入りそうです』
そう。湿地帯は広範囲に炎が上がり、黒煙がもうもうと空に立ち昇っていた。
どうやら最初の大爆発で辺り一面に一気に火が燃え広がったようだ。
不注意に高度を下げていたら、さっきの爆発に巻き込まれて墜落していたかもしれない。
僕は内心で冷や汗を流した。
今までどこにいたのか、大量の鳥が一斉に飛び上がると煙の中を右往左往している。
太陽を覆わんばかりに立ち込める黒煙と、その中を雲霞のごとく飛び回る鳥達、そして大地を一面赤く染める灼熱の業火。
正にザ・大災害とでも言っても良い光景がそこには広がっていた。
少女達は魂を抜かれたように眼下の惨状に見入っていた。三人共すっかり顔色を失っている。
『と、とにかく作戦は成功ですわ』
『アタシ達・・・とんでもない事をしてしまったんじゃ・・・』
『これを突然敵国の真ん中でやればどれほどの被害が出るか・・・歴史上類を見ないほどの地獄絵図が展開される事でしょうね』
若干一名、何やら物騒な事を呟いている人がいるみたいなんですけど。
あ、こっちを見ないで下さい。怖いです。あなたの笑顔が怖いんですけど。
とにかく、こうしてハヤテ作戦は無事?に幕を閉じた。
後はこの火災が自然鎮火するのを待ってベンジャミンに調査してもらうだけである。
山の火事と違って、水気の豊富な湿地帯の火事なので、乾燥した草木が燃え尽きればじきに火も収まるだろう。
そう考えていた時が僕にもありました。
僕の予想を超えて、炎の勢いは留まる所を知らずにますます荒れ狂った。
やがて日が落ち、夜になっても、何故か炎は収まらなかったのだ。
『ハヤテ様、あなた一体何をしたんですか?』
オットーにそんな事を言われてしまったが、僕に言われても何が何だか分からないんだけど。
家具職人のオレクに至ってはすっかり怯えてしまい、まるで悪魔でも見るような目で僕の事を見ている。
ハヤテ作戦によって生じた大火事はいつまでも赤く天を焦がし続けた。
その炎は驚くべき事に、なんと三日三晩燃え続けたのだった。
ホントどうしてこうなったし。
のーじま 様からアプリで作ったティトゥとカーチャのイラストを頂きました。
活動報告で公開させてもらっていますので、よろしければ是非ご覧ください。
次回「西の空に立ち上る煙」