その39 浪漫フライト
外はほぼ無風という絶好のコンディションの中、ティトゥ命名のハヤテ作戦がいよいよ始まった。
・・・と言っても入り江の近くの湿地帯の上空を飛び回って、増槽に空いた穴から燃料を垂れ流すだけの退屈なお仕事なんだけどね。
一応、ムラ無くまき散らす事が出来るように、ティトゥには僕の計器のチェックをお願いしている。
当然僕自身も計器の数値は把握しているが、ダブルチェックでミスを少なくするためである。
ティトゥもこの手の作業はランピーニ聖国の海上で散々やって来たためすでにお手の物である。
とはいえあの時と違って眼下の光景は風景の変化に乏しい湿地帯なので、ある意味でこれは中々キツイ作業となった。
『何だかずっと同じ所を飛んでいる気になりますわ』
だよね。
こんな事ならカーチャを連れてきておけば話し相手が出来て良かったかもしれない。
ジトニークが作ってくれた散布増槽は何のトラブルも無く、順調に燃料を眼下の湿地帯にまき散らしている。
とはいえ、上空から見下す景色には特に何の変化も無いので、本当に作戦が上手くいっているのかは僕達には分からない。
その事がまた僕達の精神に繰り返しの苦痛を強いる事になるのだ。
『ねえハヤテ、何でも良いからおしゃべりをして頂戴』
うわ出たよ、女の子特有の無茶ぶり。この世の男性の多くが一度はこれを言われて困った経験を持っているんじゃないだろうか。
言う方は特に何とも思っていないんだろうけど、言われた方は困っちゃうもんなんだよね。
というかティトゥは僕が君達の言葉を片言しか喋れない事を知っているよね?
『なら歌でも良いわ。あなた夜に一人でいる時に歌っている事があるでしょう?』
ぶはっ! ま、まさか誰かに聞かれていたとは!
歌っていたというかまあ鼻歌みたいなものだけど。
大抵は誰でも聞いた事のあるヒット曲で・・・ はっ! ま、まさか、オーバーでロードなアニソンをノリノリで歌っているのを聞いたわけじゃないよね? 英語の部分の歌詞はうろ覚えなのでかなり適当に歌っていたんだけどーーうわっ、ハズカシー! ア〇ンズ様万歳!
『ほら、早く歌って頂戴。私退屈ですわ』
くっ・・・仕方が無い。とはいえここであの主題歌を歌う勇気は僕には無いです。いや好きな歌なんだけどね。
う~ん。じゃあこれはどうかな。僕が生まれる前の曲だけど、空にちなんだ僕が好きな歌という事で。
米〇CLUBの浪〇飛行。
wow wo~
僕の歌声が小さくなって消えて行く。
歌のリズムに合わせて小さく体を揺らしていたティトゥの動きも止まった。
『何を歌っているのか言葉は分かりませんでしたが、心が踊る素敵なメロディーでしたわ』
意外と好評価?
伴奏も無いアカペラの下手クソな歌だったけど、それでもティトゥは喜んでくれたみたいだ。
あ、実際の歌に興味を持った方は自分で探して聞いてみて下さい。
昔、父さんが車で聞いてたこの歌にほれ込んで、大学時代にAm〇zonで楽曲を買ってスマホにダウンロードしたのを思い出すよ。
あの頃はカラオケでも良く歌ってたな。
歌詞も凄く良いのでティトゥにも出来ればこっちの言葉に訳したものを聞いて欲しい。
また違った新たな感動があると思うんだ。
『私も歌ってみたいですわ』
そう? じゃあ一緒に歌ってみようか。
こうして僕は空を飛びながらティトゥと浪〇飛行を歌った。
歌詞は、何というか適当? 雰囲気重視で。
まあ僕達以外に誰に聞かせる歌でもないからね。
嬉しそうに歌うティトゥとデュエットするのはたまらなく楽しい時間だった。
こうして僕がティトゥと楽しい時間を過ごしていた時、村に残ったオットー達はちょっと大変なことになっていたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥがハヤテに乗って飛び立ってしばらくしての事。
空のかなたにハヤテの姿が消え去ってから、ようやくコノ村にいつもの日常が戻って来た。
その時オットーはハヤテのテントの中で書類仕事を片付けていた。
ティトゥもいないのでわざわざここで仕事をする必要は無いのだが、何となく習慣になってしまったのだ。
ふと彼は、村の中が妙にざわついているのに気が付いた。
オットーはテントの前に立っているアノ村の漁師を捕まえて問いただした。
「おい、どうしたんだ?」
「あの、オットー様、何だか妙な匂いがしませんか?」
今まで仕事に集中していたせいで気が付かなかったが、そう言われると確かにオットーの鼻にも何かツンとくる異臭が感じられた。
アノ村の漁師にはなじみの薄い匂いかもしれないが、オットーは最近この匂いを嗅いだ事があった。
「これは確か散布増槽の匂い・・・ まさか!」
ハヤテに登録出来る追加の増槽は二つ。
そのためハヤテは昨日一日、残り二つの散布増槽にガソリンを補充するために翼の下に懸架したままでいた。
さらに念のため、ハヤテは村から少し離れた場所に移り、ティトゥすら近寄らせなかったのだ。
そして今朝、ハヤテはオットーに、この匂いがしたら危険なのでみんなに逃げるように、と告げていた。
その際、特に火の元には気を付けるようにと念を押していたのだった。
オットーは慌ててテントを飛び出した。
テントの中にいたので気が付かなかったが、いつの間にか湿地帯の方から村に風が強く吹き込んでいる。
ガソリンの匂いはその風に乗って漂って来ているようだ。
しまった! 風向きに注意するように指示を出しておくべきだった!
オットーは村の中心に立つとコノ村にいる全員に向かって大声で呼びかけた。
「みんな、荷物を纏めて村を出るんだ! 火を起こしている者は急いで水をかけて火を消せ! 種火を残すのも厳禁だ! 急げ!」
使用人達はハヤテから、ひょっとしたら村に不測の事態が起きるかもしれないため、念のためにいつでも逃げ出せる準備をしておくようにと言われていた。
しかしまさか本当にそんな事が起こるとは思ってもいなかったのか、急な事態にみんなすっかり浮足立ってしまった。
オットーは内心臍を嚙んだ。
こんな事ならアダム隊長達を外に出すんじゃなかった! 村に残ってもらっていれば、彼らに指揮を執ってもらえたものを!
オットーは激しい後悔と焦りを覚えながらも、どうする事も出来ない苛立ちを募らせていた。
村の混乱がピークを迎えたその時、腹に響く怒声が村中に響き渡った。
「皆の者落ち着くのだ! その場に立ち止まり先ずはオットー様の声を良く聞くのだ!」
その声はアノ村の村長、ロマの声だった。
ロマの声は老人が発したとは思えない程良く通り、浮足立っていたみんなはハッとしてその場に立ち止まった。
しんと静まり返った村の中、ロマはオットーに振り返った。
「オットー様、皆に指示をお願い致します」
「あ、ああ、助かる。みんな良く聞いてくれ。さっきは俺も慌てていて済まなかった。まだ時間はある、焦らずに行動するんだ。先ずは火の始末だ、家の中の火の元を確認してくれ。手の空いている者は馬車の準備をしろ。聖国から贈られた品を積んだ後、各々の私物を入れるんだ。かさばる物は置いて行くように。アノ村の者は我々の荷運びの手伝いをしてくれ。さあ、始めよう」
オットーの指示にそれぞれが自分の役目を見付けて動き出した。
オットーは彼らを見届けるとロマに礼を言った。
「助かったよ。礼を言う」
「なんのなんの。それよりも本当に時間の方は大丈夫なのでしょうか?」
「ああ。急な事でさっきは俺も焦ってしまったが、ハヤテ様の話では少し匂いがする程度ならまだ危険は無いらしい。だが念のために出来るだけ離れるようにとは言われている」
気化したガソリンに含まれるトルエンは非常に中毒性の高い有機溶剤として知られている。
頭痛やめまい、吐き気等を催し、深く吸い込むと脳に障害が残ったり、その場で呼吸停止に陥る場合もあるという。
さらにガソリンと空気との混合割合が、ある一定範囲を越えた状態で熱を加えると急激な燃焼が起こる。
火に触れると時には爆発すら起こすこの混合割合のことを燃焼範囲(爆発範囲)と言う。
流石に村の中の大気が燃焼範囲にまで達する心配は無いと思われるが、ガソリンの毒性が強い事には変わりはない。
彼らはハヤテの指示に従って南に向かって避難を開始する事にした。
十分に村から距離を取り、ガソリンの匂いもしなくなった所で彼らは休憩を取る事にした。
丁度その時、ガソリンをまき終わったハヤテが北の空に姿を現し、彼らを見付けて舞い降りて来た。
次回「業火」