その38 ハヤテ作戦
ペツカ地方に広がる大湿原。
ここを干拓する際に問題となっている毒虫とやらだが、僕は蚊やダニ、あるいはアメーバ症等の寄生虫関係が怪しいと睨んでいた。
そして虫を殺すと言えば思い浮かぶのは農薬に代表されるいわゆる殺虫剤だ。
とはいえ僕は殺虫剤の作り方も知らなければ成分も知らない。戦後良く使われていたDDTは今は使われていないんだっけ? まあその程度の知識だ。
しかし、実はガソリンも毒性が強く、虫を殺す事が知られている。
ガソリンは昆虫の腹についている気門を塞いで窒息死させてしまうのだが、そうでなくてもその毒性で小さな虫なんかは普通に死んでしまうのだそうだ。
さっき言った蚊の幼虫であるボウフラなんかにはてきめんだ。油は水よりも比重が軽いため水の表面に油膜を作り、水の中のボウフラは呼吸のために水の外に尻が出せずに(ボウフラは尻から呼吸をするらしい)死んでしまうのだ。
そこで僕は入り江付近の湿地帯に航空燃料をばら撒けば良いんじゃないかと考えたのだ。
環境破壊? まあそうなんだけど、現代日本ならいざ知らずここは環境団体も生まれていない異世界だからね。
どのみちここの環境を根こそぎ破壊して人の住める土地にしようとしているんだから何を今更だろ?
最後に充満したガソリンに火を付ければ葉っぱの陰に隠れたダニや浅瀬のヒルも一網打尽じゃないかな。
上手く行けば、枯れ朽ちた植物が焼けて無くなることで、夏場の瘴気とやらの発生を防ぐ効果も期待出来るかもしれない。
一度じゃ効果が薄くてもこの冬の間に何回か繰り返せば、いずれは卵の状態の虫も死滅して、春に孵化する毒虫の数もグッと減るんじゃないかと考えたのだ。
ここはコノ村の僕のテントの中。
僕の説明を聞いてみんなは一様に狐につままれたような表情を浮かべた。
『何とも・・・ 大胆な発想ですな』
感心したような呆れたような顔をしているのは騎士団のアダム隊長だ。
そう? 上手くいくかどうかは分からないけど、やってみる価値はあるんじゃない?
僕の燃料は大体一日あればフルタンクまで回復する訳だし、何も損しないし別に問題は無いと思うけど?
『そのための”散布増槽”ですのね』
ティトゥが僕が懸架した秘密兵器を見て言った。
そう。後はこの中に航空燃料をしこたま詰め込んでペツカ湿地の上空からばら撒くだけだ。
今はまだこれ一つしか無いけど、ジトニークにはすでに追加の散布増槽を発注済みだ。
散布増槽を登録すると、樽増槽の登録がキャンセルされるけど、樽増槽自体が無くなった訳じゃないから、この作業が終わればまた登録し直せば良いだけだしね。
ちなみに、やはりジトニークが散布増槽作りで苦労したのは穴からの水漏れ対策だったらしい。
ここに関しては僕もかなり念を押したからね。
僕の能力上、エンジンを切った状態じゃないと増槽を懸架出来ない。つまり一旦地上に降りないといけないのだ。その際に懸架した途端に足元にチョロチョロガソリンが洩れ出すようなら危なくてとても使えたものじゃないからね。
飛行中に切り替えられたら便利なんだけど、そこまで望むのは贅沢なんだろうね。
気密性を保ちつつ、開け閉めの容易な仕組みを作るのに、ジトニークはかなり苦労したみたいだ。
実際ティトゥが
『どうやったんですの?』
と聞いた時にも、困った顔をして
『それだけはご勘弁を』
って口を濁していたからね。
まあ、すでに体の一部になった僕には丸分かりなんだけど。
あ、もちろん僕は黙っていたよ。せっかく頑張ってくれたジトニークを裏切るようなマネは出来ないよね。
『それで、ハヤテの言った通りにして上手くいきそうですの?』
ティトゥが土木学者のベンジャミンに尋ねた。
ベンジャミンはとんでもない、といった表情でかぶりを振った。
『私に分かる訳がないでしょう。こんな乱暴な方法は聞いた事もない。やってみないと誰にもわかりませんよ』
残念ながらベンジャミンからのお墨付きは貰えなかったか。
しかしティトゥは満足そうに頷いた。
『ならやってみましょう! ジトニークから追加の散布増槽が届き次第、ハヤテ作戦を実行に移しますわ!』
こうしてこの会議は幕を閉じた。
ちなみに最後のティトゥの発言のせいか、この後この計画はみんなから、ハヤテ作戦、ハヤテ様作戦、等と呼ばれるようになってしまった。
なんだかすごく責任重大っぽくてイヤなんだけど。
ジトニークからは散布増槽は一週間あれば3つ作って届けられると言われていた。
案外かかる気もするけど職人の手作りだと考えればそんなものかもしれない。ここまで運ぶのにも3日かかるしね。
僕が受け取りに行ってもいいけど、計画の実行のために少しでも燃料を温存しておきたい。
とはいえ別の容器に出して保管するのも火事が怖いので、結局自分で持てる以上の量は置いておけないんだけどね。
そんなわけでしばらく開拓村を巡回する頻度も落とす事にした。
騎士団の人達は元気よく『分かりました!』と返事をしていたけど、意気消沈しているのがはたから見ていても丸分かりだった。
あまりの分かり易さにカーチャが笑いをこらえるのに苦労していたくらいだ。
ベンジャミンとは事前に簡単な打ち合わせをした。
彼が心配しているのは、あまり海の近くでガソリンを撒くと海に流れ出たガソリンで湾内の生態系が破壊される恐れだ。
『湾内は海流が小さく、水の入れ替えにも時間がかかるのです。海の近くにばら撒く際には風向きには十分なご注意を』
彼はそれだけ言うとそそくさと僕の前から逃げ出して行った。
どうやらまだ僕の事を若干苦手にしているみたいだ。
残念だな。僕はまた彼を乗せて空を飛んでも良いと思っているのに。
ちなみにカーチャから僕の言葉を聞いたベンジャミンは、ますます僕を避けるようになってしまったのだがそれは後日の話。
さらに僕は、何度か湿地帯の上空で散布増槽から水を撒く事でシミュレーションを重ねた。
『水だと途中で見えなくなって上手く撒けているのかどうか分かりませんわ』
ティトゥが言うにはどうやら僕の速度が速すぎる事と高度が高すぎる事で、途中で水の流れが消えてしまっているらしい。
とはいえそれはそれで広範囲に上手く散布出来ているって事なんじゃないかな?
一応は高度や速度を変えた上で水量も調整してみて、最後はそれっぽい方法を確立する事が出来た。
ちなみに急降下からの散布はかなり狙った位置に命中させられるようになった。
『でも今回は使えませんわね』
そうだね。無意味な燃料の浪費をしてしまった。
この数日飛ぶ機会が減っていたので、ちょっと悪ノリが過ぎたみたいだ。反省。
こうして着々と準備を整える中、ついにジトニーク商会から荷物が届いた。
もちろん頼んでいた散布増槽である。
こうして後は燃料を溜めて計画を実行に移すだけとなったのだ。
作戦決行日は無風に近い絶好の散布日和?だった。
あまり風が強いと空から撒いた燃料がどう流れるか分からないからね。
その場合は後日の天気の都合が良い日にずらす事になっていた。
『では行って来ますわ』
現在この場には代官のオットーを筆頭に、ナカジマ領の使用人が全員集まってティトゥを見送っている。
『わざわざ湿原地帯に入る者などいないとは思いますが、一応街道を回って呼びかけておきます』
アダム隊長はすでに部下と一緒に馬に乗っている。この後彼らは街道の見回りをしてくれる事になっているのだ。
『お気を付けて』
『大丈夫ですわ』
心配そうなオットーの言葉にティトゥは気軽に安請け合いする。しかし、今までは水ばかりで実際に燃料を散布増槽から撒いた事は無いのだ。
何が起こってもおかしくないので一応注意は怠らないようにしないとね。
ティトゥは操縦席のイスに座ると風防を閉めた。
『ハヤテ!』
『マエ、ハナレ!』
僕はみんなに手を振られながら村の中を疾走。タイヤが地面を切ると大空へと舞い上がった。
目指すはペツカ湿地。
こうして僕とティトゥのハヤテ作戦が幕を開けたのだ。
・・・この作戦名どうにかならないかな?
次回「浪漫フライト」