その37 モニカの告白
このナカジマ領に広がるペツカ大湿原。その干拓工事に関する事前調査をティトゥは土木学者ベンジャミンに任せた。
しかし、その調査結果は芳しいものではなかった。
『仮に毒虫の対策が出来たとしても、瘴気の問題もあります』
ベンジャミンの指摘は続いた。
ロマ爺さんの話によると、湿地帯は夏場になると腐敗した水から毒性の強いガスが出て危険なので誰も入れないのだそうだ。
『ガスの発生する場所は特定されていないそうです。風向きによっては街道近辺にまでガスが漂って来る事もあるそうで、その際には気分が悪くなるものや、体調を崩す者が出る事もあるそうです。これから冬にかけては大丈夫ですが、念のために来年の夏までにはみなさんもコノ村を出て別の場所に移る事を考慮しておいた方が良いかと思われます』
手も足も出ないとはまさにこの事だろう。
少なくとも真夏に関しては湿地帯に入る事自体が危険だというのだ。
ティトゥ達は眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
こうして沈鬱な空気の中、ベンジャミンの第一回目の調査報告は終わりを告げた。
彼には今後は他の開拓村を回ってもらって、湿地干拓に適した場所が無いか調査してもらう事になっている。
しかし、大本命であった入り江近辺の干拓が困難だと判明した事で、ティトゥ達の落ち込みは激しかった。
そんな中、何故かモニカさんが僕の事をジッと見ていたのが不思議だった。
翌日。僕達はボハーチェクの港町まで追加の資材の注文に出かける事になった。
実は最近ボハーチェクからコノ村までやって来る商人が増えて、ちょっとした注文なら彼らに頼めば事足りるようにはなっていた。
とはいえ流石に大口の注文は直接ジトニーク商会に頼む必要があるのだ。
『領主が直接出向かなくても、誰かを注文にやれば済む事ですが・・・』
『私がハヤテで行った方が早いですわ』
まあそうだよね。
領主としての仕事が忙しい時ならともかく、時間がある時には息抜きも兼ねて僕に乗って飛んで行くのも良いんじゃないかな。
ましてや昨日のベンジャミンの話には大分ショックを受けていたみたいだしね。
オットーも文句を言いつつもその事を理解しているらしく、ティトゥを強く引き留める事は無かった。
という訳でやって来ましたボハーチェクの港町。
早速カーチャが僕から降りると門番の所まで走って行った。
僕達はいつものように街道の真ん中で待機中である。
そしていつものように道行く馬車が迷惑そうに僕を避けて行く。
というか、これだけ頻繁にお邪魔するならジトニークにでも頼んで、どこか適当な場所を整地しておいてもらおうかな。
・・・いや、必ず僕がそこを利用するとなったら、良からぬ事を考える輩がそれを利用しないとも限らない。
開拓村ならそういった事にも王都騎士団が目を光らせてくれているけど、この町を治める領主をどこまで信用出来るかは未知数だ。
今となってはティトゥも立派なVIPだからね。安全面には十分気を遣うべきだろう。
『気を落とされているご様子ですね』
僕の翼の下に座り込んで日を避けているティトゥに、メイドのモニカさんが話しかけた。
『そんな事ありませんわ』
『昨日のベネドナジーク様のお話ですね』
あ、ベネドナジークはベンジャミンの苗字ね。
しかし、ティトゥはやっぱり気にしていたのか。
今のティトゥの態度はどう見ても強がっているようにしか見えないし。
まあ湿地帯の干拓さえ進めばすぐにでも港町を作るつもりでいただろうからね。
その計画を実行に移す前に頓挫してしまったんだから、今は挫折感を味わっていても仕方が無いんじゃないかな。
モニカさんは僕の方をチラリと見ると、何故か軽いため息をついた。
? 僕がどうかしましたか?
モニカさんは、仕方が無い、とでも言いたげな表情をした後、ティトゥに向き直ると話を続けた。
『私はこの夏に初めてあなたを見た時、世間知らずで特に才能も無い、どこにでもいる平凡な貴族のお嬢さんだと感じました』
おおう・・・ サラッと強烈な毒を吐きますな。
面と向かってそこまで言われては流石にティトゥも少し傷付いた様子だ。不満そうな表情を浮かべてモニカさんの方を睨んだ。
『でもこのお嬢さんは世間知らず過ぎて、逆に私達の常識を覆す行動をしでかす事に気が付いたのです。そしてあなたにはハヤテ様という今まで誰も見た事のない力を手にしていた』
モニカさんはティトゥの目を真っ向から見返した。
彼女の瞳の奥に何を見たのか、思わず腰が引けるティトゥ。
『その事に気が付いて以来、私はすっかりあなた達のファンになってしまったんですよ。そうやっていつまでも落ち込んでいないで、どうか私の期待を裏切らないで下さいな』
そう言ってモニカさんはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
突然の彼女の変化にキョトンとするティトゥ。
あれ? これってひょっとしてモニカさんはティトゥを慰めてくれたのかな?
『さあ、どうでしょうか』
う~ん。まあいいや。
モニカさんの言葉でティトゥにも少しだけ元気が戻ったみたいだ。
そして再びこちらをチラリと見るモニカさん。心なしか少し頬が赤くなっているようにも見えた。
ここまで来ればいくら鈍い僕だって気が付くってもんだ。
モニカさんは僕がティトゥの落ち込みに気が付いて、彼女のお尻を叩いてくれないかと思っていたんだ。
でも僕が何もしないので、仕方無く自分でやる事にしたんだろうね。
モニカさんってもっと冷めた人かと思ってたよ。意外と良い人じゃん。
とはいえちょっと赤面しているし、本人も自分のキャラじゃないとは思ったんだろう。
よし。ここは我が身を削ってティトゥを励ましてくれたモニカさんに、素直に感謝しておくことにしよう。
『ヨロシクッテヨ』
『言いたい事があるならハッキリ言っても良いんですよ、ハヤテさん』
そう言うといつもの笑みを僕に向けるモニカさんだった。
・・・どうしよう。何だかスゴイ威圧感なんですけど。
僕達がそんな話をしていると、町の方からジトニーク商会の馬車がやって来た。
馬車が停まると、中から嬉しそうな顔をしたジトニークが勢い良く転がり出た。
慌ててカーチャが馬車を降りてジトニークを助け起こした。
危ないな。余程嬉しい事でもあったわけ?
ジトニークはカーチャに助け起こされながら、鼻息も荒く僕に言った。
『出来ましたぞ、ハヤテ様! ご注文を受けていた”散布増槽”が遂に完成致しました!』
おおっ! 例の秘密兵器が完成したのか!
『サヨウデゴザイマスカ』
『ええ! 確認して頂いて問題が無ければ、直ぐにでも残り3つの製作に取り掛かりたいと思います』
嬉しそうな僕とジトニークの様子に付いて来れずにキョトンとするティトゥ。後カーチャも。
あー、そういえばこれをジトニークに頼んだのは、カーチャじゃなくてベアータが一緒に来ていた時だったか。
まあいいや。それよりも早く現物を。プリーズ。
ジトニーク商会の人達が重たそうに持って来たのは一見いつもの通りの樽増槽だった。
『前に見たのと同じですわね』
『これ以上はもう持てないって言ってませんでしたっけ?』
ティトゥとカーチャが不思議そうな顔をした。
まあこのままだと違いが分からないのも当然だ。丁度立てられた樽の底になっているからね。
ジトニークが部下に命じて樽の蓋を開けさせると、中には透明な液体がいっぱいに詰め込まれていた。
『使用感をお知りになりたいのではないかと思い、先にこちらで水を入れておきました。油とは少々勝手が違うでしょうがそこはご容赦を』
良いねグッド! 流石は大手商会の店主。仕事に無駄がない。
ジトニークは部下に命じて樽の蓋を閉めさせると、僕のハードポイントに取り付けさせた。
樽が僕に取り付けられると、あの時のように何かがカチリとはまったような感覚があり、コイツが僕の体の一部になった手ごたえを感じた。
そう! 正にこれだよ! 僕が望んでいたのは!
『・・・どうでしょうか?』
ゴクリと喉を鳴らすと、不安そうに僕を見上げるジトニークと商会の店員達。
『タイヘン、コノマシュウゾンジマス』
『『『『おおっ!』』』』
僕が満足そうに返事をすると、嬉しそうに顔を見合わせるジトニーク商会の面々。
彼らは笑い声を上げながら握手を交わしたり、互いの肩を叩き合った。
いいね。僕も君達の笑いの輪に加えてよ。
アッハッハッハ!
この場のノリについていけないティトゥ達は、何だか冷めた目で僕達を見ているのだった。
『で、結局これは何なんですの?』
僕達の馬鹿騒ぎがひと段落付くと、ティトゥが何故か疲れた顔をしながら聞いてきた。
『これはハヤテ様に言われて作ったものでして――』
『もう! それはさっき聞きましたわ!』
膨れっ面のティトゥを置いて、モニカさんとカーチャは僕の懸架装置に取り付けられた樽の周りを調べている。
ちなみにこの散布増槽を登録したためか、樽増槽の登録が一つ解除されている。
やはり種類が違っても2つ以上の登録は出来ないみたいだ。
『樽の底に小さな穴がいくつも開いていますね』
『今は塞がっているんですね。中の水が漏れていませんから』
そう、そこがジトニークが苦労した所なんだよ。多分。
僕は二人に下がってもらうと、早速僕の中に新たに生まれた機能を試してみた。
『きゃっ! 穴から水が出てきました!』
『おおっ! 上手くいきましたか!』
『ハヤテが操作したんですの?』
もちろんそうだよ。
そして実験が成功した事で再び喜び出すジトニーク商会の面々。
ティトゥは横目で彼らを見ながら僕に問いかけた。
『それでこれから何が起きるんですの?』
何がって、これで終わりだけど?
『ええっ?! たったこれだけなんですか?!』
ちょっとカーチャ、たったこれだけって何だよ。ほら、さっきまで大騒ぎしていたジトニーク商会の方々が微妙な表情になっちゃってるじゃないか。
『あ、いや、でもそのこれはその・・・』
カーチャも彼らの反応に気が付いたのか、途端にしどろもどろになった。
モニカさんは黙って何か考えていた様子だったけど、やがて僕の方を真っ直ぐに見た。
一体何でしょうか?
『ハヤテ様。ひょっとしてこれは、湿地帯の干拓のために用意した秘密兵器だったりするのでしょうか?』
流石モニカさん。ていうか何で分かったの?
まあ上手くいくかどうかは分からないけど、僕としては一応そのつもりで用意してもらったものなんだけど。
『えっ?! どういうことですのハヤテ!』
モニカさんの言葉に、ずっと訝しげな表情をしていたティトゥが驚きの表情を浮かべた。
あ、カーチャも目を丸くして驚いているね。
モニカさんは苦笑している。
『全く。さっきの私の話は何だったんでしょうね。こんな準備をしていたのなら先に言っておいて下さい。やはりあなた達は見ていて飽きません。これからも私に期待させて下さいね』
ティトゥはモニカさんの言葉に少し驚いた様子だったが、すぐに僕に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
次回「ハヤテ作戦」