その36 事前調査
僕はいつものようにティトゥとメイド二人を連れて開拓村の近くの街道に着陸した。
僕を見かけた騎士団員達が走って来る。
ティトゥは風防を開けて立ち上がると彼らに挨拶をした。
こうしていつも街道に着陸していて気が付いたけど、実は最近街道をポツポツと旅人が歩いたりしてるんだよね。
今までは全然見た覚えが無いけど、街道が整備されて道が広くなったのでどこからか湧いてきたのかな?
実際に僅かではあるが、このナカジマ領に入植を希望する人達も出始めているらしい。
その中には事務能力を持った――読み書きや計算の出来る――人もいて、この前代官のオットーはそんな彼らの面接をしていた。
あ、今も旅人が僕を見て手を振っているね。
手を振り返してあげたいけど、残念ながら僕の四式戦ボディーには手がないからなあ。
代わりにカーチャ、手を振り返しておいてくれない?
『何で私がそんな事をしなくちゃいけないんですか?』
イヤそうな顔を僕に向けるカーチャ。
そんな事言ってていいの? 君の憧れの先輩はホラ、ああして手を振り返しているよ?
僕の言葉に驚いて振り返ったカーチャの目に映ったのは、いつもの柔かな笑みを浮かべて旅人に手を振り返しているモニカさんの姿だった。
慌てて手をちぎらんばかりに振るカーチャ。
『あなた達何をやっているんですの?』
呆れたティトゥにそう声を掛けられるまでカーチャは手を振り続けたのだった。
以前はこうやって空から開拓村を訪ねると、目ざとく僕を見付けた開拓兵達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出していたものだけど、流石に最近は慣れて来たのか――
『やっぱり近寄って来ませんわね』
騎士団員達の制止を振り切って逃げ出した挙句、遠くから僕達の事を見つめている。
『申し訳ありません。後で厳しく――』
『言わなくてもよろしいですわ』
ティトゥもこればかりは仕方が無いと諦めているみたいだ。
実際に彼らは僕が来た時以外は従順で、割と素直に農地開発のために汗水たらして働いているらしい。
騎士団員達が言うには、どうやら彼らのほとんどが不作のために土地を逃げ出した元農民で、小作人として雇ってもらえるのならむしろ有難いと言っているのだそうだ。
もちろんそれでも本心は祖国に帰りたいって人も沢山いるんだろうけど、捕虜になっている現状ではその希望が叶う事は無いのだから、我慢してもらう他無いだろう。
『現在は土地を耕して農地を確保している所ですが・・・』
土地は掘り返すだけで畑になる訳じゃない。草ぼうぼうで痩せたこの土地に作物を実らせるためには水と肥料が必要だ。
現在そのための用水路を急ピッチで作っている最中である。
いずれはどこからかお米を手に入れて田んぼを作ってもらえないだろうか。
僕自身はご飯を食べる事の出来ない体だけど、やはり日本人の原風景といえば水田に稲だろう。
そんな事を考えている間にも騎士団員とティトゥの話は終わり、彼女は僕の操縦席に乗り込んで来た。
『あ。子供が手を振ってますよ』
確かに。村の子供が僕達に向かって元気に手を振っている。
カーチャの言葉を聞いてティトゥが手を振り返した。
カーチャはティトゥの膝の上で少し恥ずかしそうに小さく手を振っている。
自分のような大きなお姉さんがティトゥに抱っこされているみたいに見えるんじゃないか、とか思っているのだろう。
『サヨウニ、ゾンジマス』
『ちょ、ハヤテ様それどういう意味ですか!』
僕の心からの慰めに真っ赤になって怒るカーチャ。
『慰めになっていません!』
『はいはい、ハヤテ、もう出して頂戴』
僕はエンジンを掛けると疾走、空へと飛び立った。
僕はこちらを見上げて手を振っているちびっ子達に翼を振って応えると、次の開拓村へと向かった。
僕達が開拓村を巡ってコノ村に帰り付くと、そこには土木学者のベンジャミンが待っていた。
『調査結果をお届けに参りました』
ベンジャミンは報告書を見ながらも、僕の方をチラチラと気にしている。
相変わらず僕に対しての苦手意識が残っているようだ。
ティトゥはベンジャミンにペツカ湿地の干拓事業に向けての事前調査を依頼していた。
干拓に向けて本格的な調査にどう移るか。場所・期間・規模、その他具体的な計画は彼の調査結果にかかっている。
最悪結果次第では、干拓事業そのものの見直しも検討しなくてはいけなくなるのだ。
ティトゥ達の間にも緊張が漂った。
『先ず今回の報告は、あくまでも僕が自分でこの周囲を回って得た結果と、アノ村の長老のロマから聞いた話が中心である事を知っておいて頂きたい』
まあ確かに。このナカジマ領に広がるペツカ湿地は、たった数日ベンジャミン一人が調べてどうこうなる広さではないのは誰もが知っている。
そのためティトゥも、先ず彼にはコノ村の近くに広がる入り江近辺を最優先で調べてもらっていたのだ。
『ペツカ湿原における干拓作業に関して、技術的に可能かどうかと問われれば、僕は可能だと考えます』
ベンジャミンの言葉に一様にホッとした表情を浮かべるティトゥ達。
とはいえ、”技術的に”という但し書き付きか・・・ 何だか嫌な予感がするな。
『もちろん人手と資金はかかりますし、開拓地のその後の利用方法にもよるでしょう。例えば農地として利用しようと考えているのであれば当然長い時間と多くの困難が予想されます。』
『港町を作るのであれば問題はないのでしょう?』
『可能だと私は考えます』
ティトゥはパッと笑みを浮かべた。
『しかし』
そう、しかしそれはあくまでも技術的な問題だ。
ベンジャミンの説明は続いた。
それはある意味予想通りでもあり、ティトゥ達に厳しい現実を突き付ける事にもなったのだ。
『しかし。実際の作業に移る事はほぼ不可能でしょう。私はアノ村の漁師達、特に長老であるロマから詳しく話を聞きました。彼らの話を信じるのであれば、作業における湿地帯の毒虫の被害を私は無視出来ません』
ベンジャミンは机の上に12枚の木の板を並べた。
『彼らが言うには雪解け後、春先から夏にかけてが一番毒虫の被害が多いそうです。毒虫の被害が少なくなるのは丁度今の季節から。つまり湿地帯に入って長時間作業を行えるのは今月以降になるということです』
そう言うとベンジャミンは木の板を指差しながら半分に分けた。どうやら片方は毒虫が原因で作業が出来ない月という事みたいだ。ちなみにこの世界でも一年は12ケ月となっている。
『仮に冬場に限って作業を行う場合、夏場で傷んでしまった施工用の木材の取り換えや修復も必要となるでしょう。これにかかる期間を私は一月と見ます』
そう言うとベンジャミンは片側の板から一枚を抜き出した。残りの枚数は5枚。
『実質この5ヶ月の間に限って作業を進めなくてはいけません。もちろんこの場合、作業に携わる者は極寒の真冬に一日中膝上までの水に浸かって働き続ける必要があります』
『そんな・・・ そんな酷い事はさせられませんわ!』
ティトゥは眉間に皺を寄せている。
どうやらその光景を想像してしまったようだ。
『聖国では毒虫の対策というのは無いのだろうか?』
オットーの指摘は最もだ。それが可能なら夏場も作業が出来る事になり、今までの仮定を根底からひっくり返す事が出来る。
でも期待は薄いと思うよ。
『その毒虫とやらを実際にこの目で見ていないので何とも言えませんが、おそらくは無いですね。少なくとも私は知らない』
そう。聖国にそんな便利な技術があるのなら、今まで王国が使っていない訳が無いのだ。
長年湯水のごとくこのペツカ地方に予算を突っ込んでいた王家は、当然様々な方法を模索し続けて来ただろう。
その中で毒虫に対する対策だって何度も取られたはずなのだ。
しかし、未だにその結果が実を結んでいないということは、少なくとも既存の技術では不可能だと考えておいた方が良いだろう。
難しい顔をして黙り込むオットー。
ティトゥ達も複雑な思いを込めて机の上の5枚の木の板を見つめている。
ベンジャミンの悪い話はなおも続いた。
次回「モニカの告白」