その35 王都に満ちる声
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ミロスラフ王国王城、その中にあるユリウス宰相の執務室で、彼は部下からの報告を受け取っていた。
「これは?」
「カミル将軍からの騎士団の派遣要請です」
そんなものは見れば分かる。どういった意図で出されたものか聞いているのだ。
上司のそんな不機嫌な態度に自分の失敗に気付いた部下が慌てて言葉を続けた。
「近々追加の隣国ゾルタの捕虜がナカジマ領に送られます。その監視のための増援です」
ユリウス宰相は難しい顔をして言った。
「既に十分な数の騎士団員を派遣しているはずだろう」
「追加で捕虜が送られる以上、監視の騎士団員も増やす必要があるのでは?」
ユリウス宰相の言う「十分な数の騎士団員」に明確な根拠は無い。常に他人を自分達のコントロール下に置くのが――もっと悪く言うと他人の足を引っ張って自由にさせないのが、ユリウス宰相の基本方針なのである。
宰相は少し考えると部下に問いただした。
「ナカジマ家から来年度の援助金の申請はあったか?」
「いえ。届いたという話は聞いていません。知らないんじゃないでしょうか?」
ナカジマ領のあるペツカ地方は王家からの支援金が無ければ成り立たないクズ領地だ。
支援金は年の初めに渡されるが、その申請は最低でも3ケ月前にはしないといけない。
そのために必要な書類がナカジマ家からはまだ出されていなかった。
実の所ナカジマ家代官のオットーはその書類の事を知ってはいた。知ってはいたが、王家からのティトゥとハヤテへの介入を避けたい彼はギリギリまでその判断を保留していたのだ。
正直何かあてがあって取った行動では無かった。
ただ単に相手の思惑に乗るのが嫌だっただけなのだが、結果として莫大な報奨金を得た今となってはオットーの判断は正しかったという事になる。
「分かった。認めよう」
部下の男はホッとした。
ユリウス宰相は支援金も得られないナカジマ家の財源を、騎士団員を増員させる事でさらに圧迫したつもりだった。
しかし現実にはナカジマ家は、すでにミロスラフ王家からの支援金などというはした金を必要としなくなっていた。
当然ユリウス宰相はその事を知らない。情報の欠落が宰相の判断を誤らせたのだ。
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「驚くほどすんなり通ったな。宰相ならゴネてくるかと思ったんだが」
カミル将軍は宰相からの許可証を前に意外そうな表情を浮かべた。
「こちらとしては助かりました。何しろものすごい突き上げで。私なんて次の増援はいつになるのか、と、誰かと顔を合わせる度にまるで挨拶のように聞かれていますから。ベテランからも自分達の枠も作って欲しいとの要望が強くて、そちらも対応しているために仕事が手につかないくらいです」
目の前の副官のぼやきを聞かされてため息を漏らすカミル将軍。
王都騎士団は良く言えば勇猛果敢、悪く言えば脳筋共の集まりだ。
理屈や道理よりも武力や忠誠心を重視する傾向にある。
不思議な事に、どんな人間でも騎士団に入って鍛え上げられていると、一人前になった頃には全員こういった騎士団のカラーに染まってしまうのだ。
これは常々カミル将軍の頭を悩ませている問題でもあった。
この副官はそんな王都騎士団において珍しく話の通じる相手だ。
しかしそのせいか姫 竜 騎 士熱の高まる現在の騎士団では少々居場所が無い様子だ。
少し前から騎士団では若手の騎士団員をゾルタ兵捕虜の監視役としてナカジマ領に派遣していた。
そのため今度は王都の騎士団員が人員不足に陥るという問題を起こしていた。
「追加でまた入団希望者を募るか」
カミル将軍の言葉にげんなりする副官の男。
先日も彼らは騎士団の人員不足に対応するために、急遽入団希望者のテストを行っていた。
ところが戦勝式典のハヤテが行ったデモンストレーションが効きすぎたのか、彼らの予想を大幅に超えた人数が殺到し、その対応だけでも想定外の人数を必要としたのだ。
人気があり過ぎるのも痛し痒しといった所だ。
現在騎士団では、若手が抜けた穴を新人が埋め、その新人をベテランが鍛え上げる、といった流れを急ピッチで進めている最中であった。
「しかし、これ以上増やすと現在ナカジマ領に行っている者達が引き上げて来た時に困りませんか?」
「・・・お前はあいつらが素直に戻って来るとでも思っているのか?」
ホクホク顔でナカジマ領に赴く部下達と、そんな彼らを心底妬ましそうに見送る部下達の姿を思い出して副官の男は顔を歪めた。
「俺はあいつらが全員騎士団を辞めてナカジマ領の領民になっても全く驚かないぞ」
そして彼らはナカジマ領で騎士団を募集する機会を虎視眈々と狙うのだ。
そんな部下の姿をありありと脳裏に思い浮かべてため息をつく副官の男。
「騎士に憧れて騎士団に入るような者達ですからね。今の王家を守る騎士よりもドラゴンを駆る姫君の騎士でありたいと思うのも仕方がありませんか」
「おい、よせ。どこに宰相の耳があるか分からないんだぞ」
副官の王家に対する不敬な発言を窘めるカミル将軍だったが、奇しくも今自分が言った言葉そのものが、彼の言葉を肯定している事に気が付いてその男らしい端正な顔を歪めた。
騎士団に入るような者なら誰だって、自分を信用せずに見張るような者達のためより、姫君を守って戦うナイトになる事に憧れを抱くだろう。
カミル将軍はナカジマ家当主と顔を合わせる機会もあった。彼女の美しさの中に芯のある姿は、そんな彼らの忠誠心を刺激して止まないだろうと容易に想像する事が出来た。
(これは本気で次を最後にしないと王都騎士団がナカジマ領に丸ごと引っ越す羽目になりかねんぞ)
その想像は、王城からの圧力に日々鬱々としているカミル将軍を少しだけ痛快な気分にさせたが、流石に彼の立場がそれ以上想像の翼を広げる事を許さなかった。
今は将軍でも彼も元は王家の人間なのだ。流石に王家を否定するような考えまでは心情的にも容認することが出来なかったのだ。
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ティトゥが小上士となったその日。王都はあの戦勝式典の時のような喜びの歓声に包まれた。
誰しもがティトゥが爵位を得た事を喜び、またかつてない女領主の誕生に驚きと胸の高まりを覚えていた。
彼らにとって、王国に姫 竜 騎 士が誕生した事が、この国の未来への希望を感じさせる出来事であり、姫 竜 騎 士は希望のシンボルでもあったのだ。
そんな一般大衆を一部の富裕層は冷ややかに眺めていた。
彼らはティトゥの受領したペツカ地方が最悪のクズ領地である事を良く知っていたからだ。
ナカジマ家は王家に睨まれている。領地経営ですりつぶされて近いうちに取り潰されるだろう。
それが彼らの中での共通認識であった。
最初は無条件に喜んでいた王都の民だったが、じきにそうした富裕層からの情報が降りて来ると、次第にその表情も曇っていった。
「ペツカ地方は商人も避けて通るクズ領地らしい」
「街道を通るだけで素寒貧にされるらしい」
「痩せた土地でまともに麦も採れないそうだ」
すでに王都のアイドルとなっていた姫 竜 騎 士に関する噂が広がるのは早かった。
さらに悪い事に情報が広がると共に、加速度的に王家に対する潜在的な不満が高まっていった。
その速度と不満の強さはユリウス宰相の想像を遥かに上回っていた。
常に王城にあって市井の声を聞かない宰相は、平民の持つ力を感じ取る能力が決定的に不足していたのである。
おそらくこの時期一番民衆に近い位置にいたのは王都騎士団を統べるカミル将軍だろう。
しかし将軍は騎士団の補充に忙殺されていたため、残念ながらこの流れを察することが出来なかった。
「よし! そこまで言うのなら一丁俺が見てきてやるか!」
あまりに広がった噂に、中にはそんなお調子者も出てくる。
彼らは旅支度を整えると早速ナカジマ領へと足を運んだ。
それからしばらくたち、そんな彼らがポツポツと王都へ戻って来た。
彼らは口々にナカジマ領で見聞きした事を周囲に吹聴して回った。
「街道で通行料を取られるなんて噂はありゃ嘘だ。俺はポルペツカって町まで行ったけど、一度だって通行料を取られた事は無かったぜ」
「村に王都の騎士団がいて驚いたのなんの。俺の知り合いがいたんだから間違いないって。そいつに聞いたんだけど隣国ゾルタの捕虜を使って農地を開発している所なんだってさ。広げた農地の分だけいずれは捕虜を小作人として雇ってくれる事になっているんだそうだ」
「村の奴らが総出で街道を広げてたぜ。そのうち王都の周辺にだってないくらいの立派な街道になるんじゃねえかな」
「領主様が毎日のようにドラゴンに乗って村を回っているんだ。この国であそこほど安全な領地は無いだろうな。俺も見たかって? 残念ながら直接見る機会は無かったが、ドラゴンが空を飛んでいるのは見たぜ。きっと村を巡回している最中だったんだろうなぁ」
彼らの言葉には若干の誇張もあったが、全く根も葉もないデタラメという訳でも無かった。
その事は何人もが同じような話をしている事からも分かった。
そんな噂話を聞きつけて、また何人かが興味本位でナカジマ領を目指した。
こうして彼らからどんどんと情報が王都に流れてくると、誰の目にもナカジマ領が大掛かりに開発されている事が分かって来た。
そうなってくると今度は実益を求める商人や、入植を希望する者達がナカジマ領へと足を運んだ。
こうして民衆の王家に対する不満はそのままに、ナカジマ領に対する期待感とそれに協力する騎士団――カミル将軍への期待感が次第に大きくなって行った。
誰が企んだわけでも無いにも拘わらず、ユリウス宰相の一番避けたかった方向へと世論は傾き始めていたのだった。
次回「事前調査」