その34 ドラゴンと行く空の旅~ドキドキ絶叫ツアー再び
『特別ですからね。本来はハヤテは契約者以外を乗せて飛ぶ事はないのです。私がここで見ているから可能なのですわ。その事を忘れないで頂戴な』
『もちろん分かっていますとも、ご領主様』
ここはコノ村の僕のテントの前。
ティトゥの声に何事かとアノ村から出稼ぎに来た村人達が遠巻きにしている。
土木学者のベンジャミンの提案で、僕は彼を乗せて空から領地を見せてみる事になった。
それは良いのだが――いや、あまり良くも無いけど――、ティトゥが変に食い下がって僕は中々出発出来ずにいたのだった。
ティトゥは今も僕の翼の上に乗って操縦席のベンジャミンに、僕は契約者以外乗せないアピールをしている。
いや、それ君の脳内設定だからね。僕は必要なら別に誰だって乗せて飛ぶから。
代官のオットーとメイド少女カーチャは、この期に及んでもしつこく粘り続ける自分達の主人を何とも言えない表情で見つめていた。
あの顔は「いい加減に諦めたらいいのに」とか思っていそうだな。
『もうその辺にしてはどうでしょうか?』
あっと、ついにオットーが口に出しちゃったか。
まあいつまでもこうしていたって始まらないからね。
あ、ティトゥに「信じていたのに裏切られた」みたいな表情をされて慌てて目を逸らしているな。
ちなみにカーチャはさっきまで自分もオットーと同じ顔をしてたくせに、関わり合いにならないように微妙に距離を取っている。要領が良いね。
ベンジャミンはティトゥの説明に従って安全ベルトをしっかりと締めた。
『窮屈だがこれで良いかな? ではよろしく頼むよドラゴン君』
ベンジャミンの言葉に流石に諦めたのか、顔を歪めると断腸の思いで僕から降りるティトゥ。
その表情に彼女の中の激しい葛藤が見え隠れしている。
まあ、君にそこまで大事に思ってもらえれば僕もドラゴン冥利に尽きるよ。
『マエ、ハナレ!』
僕はエンジンをかけると疾走。翼を翻して大空へと舞い上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「何なのかしらハヤテは。契約者である私以外を乗せて飛ぶなんて、ちょっと最近人間に馴れすぎなんじゃありませんの? 高貴な存在なのですからあまり気安くしないで欲しいですわ」
空を見上げながらブツブツと呟くティトゥ。彼女の愚痴は今はハヤテに対する不満へとシフトしているようだ。
「おや? ハヤテ様が飛んでいるのにご当主様が乗っておられないのは珍しいですね」
ベンジャミンの姿が空に消えた途端、メイドのモニカがどこからともなく姿を現した。
チクリと言葉の針を刺すモニカに対してジロリと睨むティトゥ。
モニカはさほど気にした様子も無くティトゥの前を離れると、今度はオットーに話しかけた。
「例の報奨金の一部として馬車をそちらに贈らせてもらいます。ランピーニ聖国でも指折りの職人に作らせた馬車ですので、ナカジマ家で使って頂いても恥ずかしくない品だと思います。是非お受け取り下さい」
「それは助かります。まだ馬車にまで手が回っていませんでしたので」
ティトゥが現在使っている馬車は、少し前まで彼女の父親であるマチェイ家当主シモンが使っていた馬車だ。
シモンとしては娘に精一杯してやったつもりだが、所詮は下士位であるマチェイ家の馬車に過ぎない。
普段使いならともかく、正式な場に出向くには今の馬車では周囲に軽んじられかねない。
オットーは小上士位となったティトゥにはいずれは家の格に見合った馬車を作らせないといけないと思っていた。
しかし、今まで切れ目なくごたごたが続いた上に、コノ村に来て以来ティトゥが馬車を使う事が一度も無かったために、その予定はなんとなく後回しになっていたのだ。
ちなみにこの時は本気で有難いと思っていたオットーだったが、実物を自分の目で見て頭を抱える事になった。
その馬車はまるで王族が乗るような立派な馬車だったからだ。
「もしもこの馬車で王都に乗り付けたら、王家を軽んじていると思われたりしないだろうか?」
良い馬車があればあったでオットーの悩みは尽きないのだった。
ハヤテはしばらく村の周囲を飛び回っていたが、やがて機首を天に向けるとぐんぐん高度を上げていった。
「まだ高く飛ぶんでしょうか?」
興味深そうにハヤテの姿をずっと目で追っていた初老の商会主が不思議そうに呟いた。
彼のすぐ近くで見上げていたカーチャは今のハヤテの行動にどこか既視感を覚えた。
「「「「あっ」」」」
地上の人間が見守る中、ハヤテは速度を落とすとフラリと機首を下に向けーー速度を上げるとそのまま空に大きくループを描いた。
ハヤテの描くループは一回、二回、三回と続いた。
青い空を軽やかに舞うハヤテの美しい空 中 機 動に、空を見上げていたアノ村の村人達が大きな歓声を上げた。
初老の商会主も年甲斐もなく興奮している。
そんな中、かつてこの光景を見た事のあるティトゥとカーチャの二人だけは愕然としていた。
「どうしたんですか? ご当主様」
二人の様子に気が付いて不思議そうに尋ねるオットー。
しかし二人にはオットーの声が耳に入らない様子だ。
「一体何があったんですの? ハヤテ」
ティトゥはかつて王都に向かう途中でネライ卿を乗せた時のハヤテの行動を思い出していた。
あの時ハヤテは理不尽な理由でカーチャを鞭打ったネライ卿に怒りを燃やし、彼を懲らしめるためにあえて今日のような飛行をして見せた。
ティトゥはベンジャミンがネライ卿の時のようにハヤテの逆鱗に触れてしまったのではないかと心配したのだ。
結論から言うとティトゥの心配は杞憂であった。
ハヤテは何故か変なサービス精神を発揮しただけだったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『おほっ! 何だい今の感覚は! 凄いなこれが空を飛ぶという感覚か!』
一瞬足元がフワリとなる感覚にベンジャミンは奇声を上げた。
まあ気持ちは分かるよ。今までガタガタと振動を拾っていたのが、フッ、っと軽くなるあの感覚。アレを空を飛ぶ感覚と言うなら多分そうなんだろうね。
『おおおっ! もう村があんなに小さくなっているではないか! あの木を見たまえ、僕の指でつまめそうな感じじゃないかね! スゴイ! スゴイぞ君!』
どうやらベンジャミンはカーチャタイプじゃない――高所恐怖症ではない――みたいだ。
すっかり興奮してまるで子供のようにはしゃぎながらあちこち眺め回している。
『おおっ! これがペツカ湿地! ”大”湿原地帯とは何とも大袈裟な事を言うと思っていたけど、どうしてどうして、これはすごい規模じゃないか! ”大”湿原地帯とは良く言ったものだ!』
とはいえそこは流石に土木学者。興奮しながらも土地の観察は怠っていないみたいだ。
最初は胡散臭いやつだと思っていたけど、変わり者なだけで、実は本人が言うように研究者としては案外優秀な男なのかもしれないな。
そんな風に彼に気を許したからだろうか? 僕もベンジャミンにつられて段々とテンションが上がって来た。
男同士で気兼ねせずに飛んでいたのもあるかもしれない。
考えてみれば僕がティトゥを乗せずに男だけを乗せて飛ぶのは、パンチラ元王子を地獄の絶叫ツアーにご招待して以来だ。
いやあ懐かしいな。あの時は彼も涙を流して喜んで(?)いたっけ。
今日はティトゥも乗っていないし、久しぶりに曲芸飛行とかしてみたいなあ。
・・・後で思い返すとこの時僕はちょっと変なテンションになっていたみたいだ。
『良いね良いねドラゴン君! もっと高く飛んでくれたまえ! 今度は俯瞰で全体像を見てみたいぞ!』
もっと高く? 了解了解。お任せあれ。
僕はベンジャミンの希望に応えながら、何故かすっかり曲芸飛行をするつもりになっていた。
ハンマーヘッドターンからの~、急降下! そしてバレルロ~ル!
『ぎゃああああああ!!』
あははははは! ベンジャミンに楽しんでもらえて僕も嬉しいよ!
ほらほらもっと回るよ!
僕の操縦席で絶叫するベンジャミン。
そしてそんな彼を見てすっかり楽しくなる僕。
・・・え~と、さっきも言ったけど何故かこの時僕は曲芸飛行をするために飛んでるつもりになっていたんだよね。
自分でそういう変な勘違いをしちゃう時ってない? あれ? 無いの? 僕だけ?
まあ、僕も案外ストレスが溜まっていたのかもしれないね。
ベンジャミンは顔じゅうから体液――ベニー汁を垂れ流しながら喉も枯れよと絶叫している。
彼のナイス・リアクションに僕のテンションもアゲアゲになり、さらに彼の期待に応え(?)ようとフルスロットル!
僕は急降下しながらふとアノ村を見ると――
こっちを見ながら不安そうな顔をしているティトゥを見付けた。
その時、僕の中でサーッと血が下がった。いや、この四式戦ボディーに血なんて流れていないけど、慣用句的な表現ね。
あ、これやっちゃった。
僕は静かに水平飛行に移ると、操縦席で魂が抜かれたようになっているベンジャミンを見つめた。
どう見ても喜んでいるようには見えないね。
僕は今まで何をどう勘違いしていたんだか。
僕はゆるやかに旋回すると、そっと地面に着陸した。
この体に転生して以来、一番のソフトランディングだったと思う。
『全く、呆れてものも言えませんわ』
僕の操縦席にこぼれたベンジャミン生成のベニー汁を掃除しながらティトゥが呆れ顔で言った。
返す言葉もございません。
僕の操縦席から助け出されたベンジャミンは今は適当な家で横になっているはずだ。
メイドのモニカさんはイヤな顔一つせずベニー汁に溢れたベンジャミンを支えて家まで送っていた。
彼女の強い職業意識に僕は敬意を払わずにはいられなかった。
ベンジャミンも憧れのモニカさんに支えて貰えてさぞかし満足だっただろう。それだけが今回の一件の救いかもしれない。
どう見ても今の彼はそれどころではなさそうな点だけが残念だったが。
『やっぱりあなたには私が乗らないとダメなんですわ』
やれやれ、といった感じでありながらどこか嬉しそうなティトゥ。
あれですか。ダメな子ほど可愛い的な感じですか。
この空力特性に優れたビッグボディーを可愛いと言ってくれる女子がいるとは思えないけど。
この後僕はカーチャから例の臭い取り用のポプリを撒かれて外に放置される事になった。
テント内に匂いが残ると困るとの事だ。サーセン。
ちなみにベンジャミンは僕の事をすっかり苦手になってしまったようだ。
また、その僕を従えているためか何故かティトゥの事を尊敬するようにもなったみたいだ。
この日以降、ベンジャミンはティトゥの前では借りて来た猫のようにおとなしいらしい。
次回「王都に満ちる声」