その32 棒打ち
僕がティトゥ達を乗せて開拓村の視察に赴いていた時。
僕達の向かう村で何か騒ぎが起きているのが見えた。
慌てて着陸した僕達だったが、駐留している騎士団員から告げられた言葉は予想外のものだった。
『はい。盗みに入ったのはまだ幼い少女でしたので』
『子供が?』
つい先ほど騎士団が管理している物資の倉庫に、村の少女が入って食糧を盗み出そうとしたんだそうだ。
『何かそうしなければいけない理由でもあったんですの?』
『いえ。それが・・・』
ティトゥは、少女の両親が病気で働けない、とかそういった事情を想像をしたみたいだけど、詳しく話を聞くとどうもそういうわけではないようだ。
『特に理由は無かったようです。いままでそうしていたからやったみたいですね』
『どういう意味ですの?』
彼が言うにはこの村ーーというか割とどこの開拓村でもそうらしいんだけど、村の共同倉庫から食糧をくすねるという行為が慢性的に行われていたのだそうだ。
大人たちは悪い事だと知ってはいるものの、自分がやらなくてもどうせ他の誰かがやるので、「やらないと損」というか「正直者が馬鹿を見る」といった風潮がいつの間にか出来上がっていたらしい。
そんな中、村に騎士団がやって来て物資が山積みの倉庫を作った。
大人達はもちろん騎士団が怖いので横目で見ているだけだったが、その少女は恐れ知らずにも村の倉庫と同じ感覚で騎士団の管理する物資に手を出してしまったのだそうだ。
『どうしてそんな事を・・・』
『端的に言えばその子にとってはそれが当たり前だったんでしょう。真面目な人間が損をするという風潮があるようですから』
騎士団の彼は村人から詳しい話を聞いて嫌悪感を抱いているみたいだ。
村に入った途端に感じた騎士団に漂う険悪な空気はそういうわけだったんだな。
ティトゥもまさか開拓兵ではなく村人が問題を起こすとは思わなかったみたいだ。
『とにかく話を聞きますわ』
ティトゥは僕から降りると騎士団の彼を率いて村人が集まる場所へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
村人は作業に出ている者を除き、ほぼ全員がこの場に集まっている様子だった。
全員心配そうな顔をしている。
ティトゥを領主だと知っている村人達は、彼女の姿に気が付くと一斉に下がって道を作った。
「まだほんの子供じゃないの」
騎士団の前に座らされているのは7~8歳の幼い女の子だった。
女の子は泣きそうな顔で不安そうに辺りを見渡していた。
「領主様、ご苦労様です」
「彼女が倉庫に入って物を盗んだんですの?」
彼女は倉庫の中に忍び込み、干し果物を盗んで逃げ出そうとした所を騎士団員に見付かって捕えられたのだという。
「本人も罪を認めています」
「そんな・・・」
ティトゥは目の前の騎士団員が50cm程の棒を持っている事に気が付いた。
彼女の視線を受けて騎士団の男は少し言い辛そうに説明した。
「軍の食糧を盗んだ者は棒打ち20回と決まっていますので」
「でも! ・・・子供・・・ですわ」
ティトゥの言葉は力無くしぼんでいった。
罪には罰。今、ティトゥがダメだと言えば当然騎士団の彼は少女に罰を下さないだろう。
しかし、次に別の誰かが盗んだ時にはどうだろうか? 少女は許されたのにお前は棒打ちをすると言われて納得するだろうか?
少女だったから許された。だったら少年だったら? 少女の親が盗んで来いと命じていたら? ケガで働けずに飢えた者が盗んだ場合は?
ひょっとしたら、村で倉庫からの窃盗が恒常的に行われていたのも、元をただせばそんな馴れ合いによるルールの形骸化が原因だったのかもしれない。
棒打ち20回と聞いてついに少女の目から涙がこぼれ落ちた。
村人達の間にもざわめきが広がった。
ティトゥはまるで自分が棒打ちを宣告されたかのように俯いて歯を食いしばっている。
騎士団の男はそんな彼女を見ていられなくなったらしく、村人達の方へ大声で呼びかけた。
「だが、子供に20回の棒打ちは耐えられないだろう! 誰かこの子の親を呼んで来い! 親が代わりに受けるならその回数分この子の棒打ちは免除する!」
男の言葉にハッと顔を上げるティトゥ。
男は少し照れた様子で彼女の視線から顔を反らした。
村人から知らせを受けたのだろう。一組の夫婦が慌ててこの場に駆け込んで来た。
夫は自分が20回全ての棒打ちを受けると言い、子供の罪を許してもらえるように懇願した。
「ではこれより軍の管理する食糧を損ねた罪でこの者に20回の棒打ち刑を行う! かず数えぃ! イチ!」
ベシィ!
「ぐわっ!」
想像以上に大きな音が鳴り、村人達の間から悲鳴が上がった。
背中を打たれた男は最初の一打ですでに体を震わせて脂汗を浮かべている。
「ニイ!」
ベシィ!
「かっ・・・」
父親の見せる苦悶の表情を見ていられなくなった女の子は、自分の母親に強く抱き着くとポロポロと涙を流した。
「サン!」
ベシィ!
村人が青ざめた表情で見守る中、男に対する棒打ちは続いた。
元々この罰は軍の糧秣を盗んだ兵士に対して行われる物であり、見せしめの要素が強い。
体の弱い者は打たれた傷が元で衰弱死する事すらある。
少女の父親もどちらかといえば体が強そうには見えない。彼はこの罰を耐えきる事が出来るだろうか?
「ジュウイチ!」
「待って頂戴!」
棒を振り上げた騎士団員の前にティトゥが立った。
すでに女の子の父親の背中の皮膚は裂け、棒には真っ赤な血がこびりついている。
「残りの棒打ちは私が受けます!」
「「「「なっ!」」」」
ティトゥの言葉に、心配そうに刑の執行を見つめていたカーチャの顔色が真っ青になった。
この棒打ちを指揮している騎士団の男が慌ててティトゥを止めた。
「何を言っているんですか領主様! そんな事出来る訳がないじゃないですか!」
「あなたは彼らに倉庫から盗めば棒打ち20回の罪になると事前に言っていましたか?!」
ティトゥは村人達に向かって言った。
「この中に事前に聞いていた人は?! いないようですね。 だったらそれは通達を怠ったこの領地を治める私の不手際です!」
「だが物を盗むのは罪です! それは棒打ちとか罰とか関係のない話です!」
「だからこの人には棒打ちを受けて頂きました! 次は私の不手際を償う番ですわ!」
そう言うとティトゥは少女の父親の隣に座った。
「さあ、私も棒で打ちなさい! 領主として罪から逃げる訳にはいきませんわ!」
棒打ちの騎士団員は助けを求めるように指揮を執っている騎士団員を見たが、彼も困った顔でどうすれば良いか分からない様子だ。
ティトゥは驚きざわめく村人達の声を聞きながらも、自分を冷やかな目で見下すモニカの視線を感じていた。
ティトゥはかぶりを振ると後ろに立つ棒打ちの騎士団員を睨んだ。
「さあ! 打ちなさい!」
棒打ちの騎士団員は仕方無く棒を振り上げるとティトゥの背に振り下ろした。
ビシッ!
「くっ。」
思ったよりも強く振り下ろしてしまった事に慌てる男だったが、ティトゥは痛みを堪えて背後を振り返った。
「後9回残っていますわ!」
「!」
男は泣きそうな表情を浮かべながら残り9回、ティトゥの背に血の付いた棒を振り下ろし続けたのだった。
ティトゥは痛みを堪えながら気力だけで背後の男を振り返った。
しかし棒打ちの騎士団員はすでに手にした棒を足元に投げ捨てていた。
「今ので丁度10回になります」
「・・・そう・・・でしたのね」
指揮を執っていた騎士団員に言われてティトゥはよろめきながら立ち上がった。
慌てて駆け込んでティトゥを支えるカーチャ。
その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。
ティトゥはまだざわめきの止まない村人達の方へ向かって声を掛けた。
「私はこの土地がネライ領からナカジマ領へと変わったと、以前あなた達に言いました。しかしそれだけではダメという事が今日分かりました。これから私は代官と相談してこの領地における刑罰をきちんと定めますわ。なるべく早く村々に伝える事が出来るようにしますが、それまでの間は騎士団の方達に全てお任せします。みなさんも今後はそのつもりでいて頂戴」
それだけ言うとティトゥはカーチャに支えられながらハヤテの方へと歩き出した。
そんなティトゥにモニカがいつもは見せない冷ややかな表情を浮かべて近付いて行った。
「甘いですね。為政者が最も避けなければならない事をご存じないのですか?」
「民に苦労を強いる事ですわ」
「違います。支配する民に舐められない事です。あなたは村人を見せしめにして綱紀を正すべきでした」
ティトゥの返事をバッサリと切り捨てるモニカ。
カーチャは日頃は頼れる先輩として慕っているモニカの姿からは想像も出来ない冷徹な言葉にショックを受けていた。
ティトゥは振り向きもせず前を見つめたままモニカに答えた。
「私は領地を治めるに相応しい為政者になるつもりはありません。私が望むのはハヤテに相応しいパートナーになること。ただそれだけですわ」
モニカはティトゥの言葉に不意を突かれたような表情を浮かべ――すぐにいつもの人好きのする柔らかい雰囲気へと戻った。
「あなたはそれでよろしいのでしょうね。差し出口を申しました」
ティトゥが歩き去った後、村人達は未だにざわめきに包まれていた。
その中でも斜に構えた若者が、力無く項垂れる棒打ちの騎士団員を見てつまらなさそうに吐き捨てた。
「同じ10回打たれたっていってもどう見たって俺達の時より軽かったじゃないか。それであんな事を言われたって――ぐふっ!」
若者は不意に荒々しく胸倉を掴まれ息を詰まらせた。
彼の胸倉を掴んだ騎士団員は憎悪の表情で若者の事を睨み付けていた。
「お前の顔は覚えたぞ。今度はお前が薄汚い泥棒を働いてみろ。その時は俺が直々にお前に棒をくれてやるから覚悟しておけ」
「んなっ・・・」
屈強な騎士団員に真っ向から怒りの感情をぶつけられて真っ青になる若者。
「俺達が今日どれだけの怒りを堪えているかお前には分からんだろうな。いいか、お前は知らないだろうが、お前達のご領主様は王都に行けば誰しもが憧れてやまない姫 竜 騎 士として知られているお方なんだぞ。騎士団だってほとんどの者があの人の下で働く事を希望しているんだ。俺達はその中からチャンスを得てこの村に来ているんだ。その俺達によくもあの人に棒を打つようなマネをさせやがって」
ふと気が付くと周囲の騎士団員達も怒りに燃える目で若者の事を睨み付けていた。
若者は恐怖のあまりガクガクと震えると、もつれた舌で意味不明な言葉を発する事しか出来なかった。
騎士団の男はそんな若者を突き飛ばすと仲間達の方へと歩き去って行った。
しかしこの後、さきほどの騎士団員がこの若者を棒で打つような事は起こらなかった。
そもそもこれ以降、騎士団の倉庫に盗みに入る村人が出なかったためだ。
リスクを冒してわずかばかりの食糧を盗むより、真面目に街道整備の仕事を手伝って給与を貰った方がずっと割が良い事に村人全員が気が付いたからである。
今回の件はあくまで一つの例だが、こうして少しずつ開拓村にも意識の変化が見られるようになっていったのだった。
いつもよりも少し長くなってしまいましたが、楽しい話でもないので途中で引きにしても良くないだろうと考えて最後まで書きました。
次回「土木学者ベンジャミン」