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その31 ボハーチェクの商人

◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日、ボハーチェクの港町のとある商会の前に一台の馬車が停まった。

 中から降りて来たのは、品の良い、人当りの良さそうな若いメイドだった。

 メイドは店先の丁稚の少年に自分の名前を告げ、至急店主を呼んで来るようにと言った。この時少年は、てっきりメイドがこの町の領主の使いだとばかり思っていた。

 だから店主が慌ててやって来て、下にも置かない扱いでメイドをもてなし始めた時には目を剥いて驚いたものである。

 少年はメイドがモニカ・カシーヤス、普段は王城の外には出ないランピーニ聖国の王家の遠縁に連なる、カシーヤス伯爵家の令嬢である事を知らなかったのだ。



「この国にいらしていたんですね。こちらから挨拶にも行かずに申し訳ございませんでした」


 人の良さそうな初老の店主は、孫ほど年の離れたメイドに対して深々と腰を折った。

 来客用の部屋に通されたメイドーーモニカは、出された紅茶を手に香気をくゆらせている。

 この商会はミロスラフ王国におけるランピーニ聖国の窓口となる商会だった。


「あなたが知らなくても当たり前ですよ。今回私はこの港を使いませんでしたから」


 含みを持たせた笑みを浮かべるモニカ。

 店主は訝し気な顔になった。彼女の言葉が何を意味したものか分からなかったからだ。


「ナカジマ家のご当主様に送って頂いたのですよ」

「ナカジマ家のーーああ、噂の姫 竜 騎 士プリンセス・ドラゴンライダー様ですな」


 店主も当然ナカジマ家のドラゴンの噂は聞いていた。

 というか、最近このボハーチェクの港町は毎日のようにその噂で持ち切りであった。

 気の早い物好きな商人は早速ナカジマ家に関心を持っているようだが、店主はそんな彼らを懐疑的な目で見ていた。

 いや、大半の商人が店主と同じような反応をしていたのだ。

 それほどナカジマ家の領地であるペツカ地方の酷さは有名だったからだ。


「この手紙を次の便で聖国まで送って頂戴。それとその便で王家からナカジマ家に差し上げた馬車が届くからその受け取りもお願い」


 手紙を受け取った店主は『王家からナカジマ家に差し上げた馬車』のくだりで目を剥いて驚いた。


「聖国はナカジマ家とご縁を結ぶおつもりでーーあっ、いや、これは出すぎた事を申しました」


 慌てて詫びながらも冷や汗を浮かべる店主。

 うかつに王家の腹を探るようなマネをすれば、どんな災いがわが身に降りかかるか分かったものではないからだ。


 モニカはそんな店主を前に少し考えていた様子だったが、すぐに例の人当りの良い笑みを浮かべた。


「良いですよ。いえ、あなたにもこの件に噛んでもらいましょうか」


 店主はトラブルの予感とーーそして儲けの予感にギラリとその目を輝かせた。

 モニカの前では忠実な好々爺のように振る舞う店主だが、この歳になるまで海千山千の商人達と渡り合ってここまで商会を育て上げてきた古強者である。

 そんな彼の嗅覚が見逃せない儲け話の匂いを敏感にかぎ取ったのだ。




「まず前提として現在聖国はこの国に新たなパートナーを探しています」


 長年この国における聖国のパートナーといえば上士位のマコフスキー家だった。

 しかしマコフスキー家は、先日のマリエッタ王女絡みの事件で王国におけるその影響力を大きく落としてしまった。

 聖国としても、マリエッタ王女を策に掛けようとした相手を今まで通りパートナーとするわけにはいかない。

 というか、王家が許しても某宰相夫人が許さない。

 聖国は現在次のパートナーを模索している最中だった。


「私はその候補者としてナカジマ家のご当主様を推薦する(おす)つもりです」

「しかし・・・ ナカジマ家は()上士家。聖国の期待に応えられるとは思えませんが?」


 店主はガッカリした気持ちを隠してモニカに尋ねた。

 彼の感覚ではナカジマ家は格落ちの()上士家。さらにナカジマ家の領地は農地もろくに取れない上に産業も無いクズ領地で、彼の目から見ても何の旨味も無かったからである。

 モニカも店主の言わんとする事に気が付いたのだろう。薄ら笑いを隠そうともしなかった。


「ここからは部外秘。決して漏らす事を許しません」


 そう前置きしてからモニカが話した内容は店主の想像を超えたものだった。


「私はナカジマ領が今の当主一代のうちに、この国で最も豊かな領地になる可能性が非常に高いと見ています」

「なっ・・・それは」


 そんな事が有り得るのか?

 ペツカ地方は先代国王の時に国家の威信をかけてまで手を付けたものの、未だに全く開発が進まない問題だらけの土地だ。

 事情を知る者はみな、いっそ潰してしまった方がマシだと考えていた。

 そんな土地が僅か一代の間に王国で一番豊かになる事などあり得るのだろうか?


「ナカジマ家の後ろ盾にはカミル将軍がついています」

「カミル将軍が?!」


 この国の識者にとってカミル将軍の名前は一種の麻薬だ。

 その名前を聞くだけで正常な判断力が失われてしまう。

 それほど彼にかける期待は大きい。そんな声を警戒して将軍は若くして早々に臣籍降下したのだが、彼を惜しむ声は未だにこの国にくすぶり続けていた。


「ハッキリと言質を取った訳ではないですが、状況的に見ておそらく間違いないでしょう。将軍は宰相と事を構えてまでナカジマ家を後押ししている様子がみられます」


 若干モニカの買い被りではあるが、おおよその流れは彼女の推測通りである。

 僅かな情報を元に、たった2日ほどの間でそこまで正確に推測してのけた彼女の観察眼には恐れ入るしかない。


「そして財政面でも聖国から豊富な援助があります」

「聖国からでございますか?!」


 実際は開発援助ではなく、海賊退治に協力してくれた事への報奨金なのだが、開発に使われる以上同じようなものだろう。

 モニカはその辺の詳しい事情ははぶいて説明した。


 カサンドラ宰相夫人としては、この報奨金で竜 騎 士(ドラゴンライダー)が聖国に恩義を感じてくれれば良し。また、王国が聖国から莫大な金銭を受け取っている竜 騎 士(ドラゴンライダー)を警戒してくれればなおの事良し、さらにそれが原因で竜 騎 士(ドラゴンライダー)が王国にいられなくなれば喜んで聖国に迎え入れよう、と考えていた。


 結局、ティトゥが領地持ちの貴族になった事で、報奨金は領地開発に回される事になったのだが、それはそれで悪い状況では無い。

 王国の中に新たに親聖国派の領主が誕生したという事になるからだ。


「それに今後湿地帯の開発が進めばナカジマ領は港町としても発展する事になります」

「! それは本当でございますか?!」


 思わず前のめりになる店主に対して、鷹揚に頷くモニカ。


 実は昨日ナカジマ領の上を飛んだ時、モニカは無理を言って領地を上空から見せてもらっていたのだ。

 ハヤテとしても、離着陸時でもなければ乱気流の中を飛んでいるわけでもないのに、ずっと彼女をイスに縛り付けておくのが気の毒に思っていた所だったので、モニカの希望を二つ返事で了承した。


 若干狭くて視界が取り辛かったが、モニカはすぐにハヤテ達が目を付けていた入り江の可能性に気が付いた。

 そして彼らがそのすぐそばに本拠地を構えている事から、港町として将来開発する事を見越しているという事にも気が付いたのだ。

 聞けば村人を動員してすでに街道の拡張と整備も進めているという。


 モニカには彼らの計画がーー大きな港町と、そこから揚がった荷を拡張された街道を使って国中に運ぶ物流の流れがーー見えた気がした。


 まあ、どれもたまたまそうなってしまっただけで、決してハヤテ達が最初から意図した結果ではないのだが、そこまで彼女に察しろというのは無理が過ぎる話だろう。

 

「そんな動きが・・・」

「信じられなくても無理はないわ。私だってあの方達のやっている事でなければ笑い飛ばしていたでしょうし」


 この夏、ハヤテ達を間近で見ていたモニカは、彼らのデタラメさをイヤと言う程目の当たりにした。

 そんな馬鹿な、と思う事を彼らは大胆に、そしていとも容易くやってのけるのだ。

 しかも彼らは自分達のした事に対する自覚がまるで無い。出来る事をやった。その程度の感覚でしかないのだ。


 そんな彼らは心底恐ろしい存在だ。でもその恐ろしさがたまらなく面白い。


 今やモニカはハヤテ達竜 騎 士(ドラゴンライダー)のファンになってしまっていた。

 彼らの去って行った後のランピーニ聖国の王城勤務のなんと味気なく刺激が足りなかった事か。

 策謀に満ちた王城も竜 騎 士(ドラゴンライダー)のダイナミックで馬鹿げたしでかし(・・・・)に比べれば、随分と小さくせせこましく感じられた。

 モニカはいつしかまた彼らと会える日を心待ちにするようになっていた。


「さすが竜 騎 士(ドラゴンライダー)のお二人。再会して僅か数日で私はこの一ヶ月の何十倍も濃密な時間を楽しませてもらっているわ」


 興奮に頬を染めるモニカ。彼女のあまり他人に見せない表情である。

 どうやら喜びのあまり若干タガが外れてしまっているみたいだ。

 モニカは彼女の話を聞いて考え込む店主の方へと視線を向けた。


「今は到底信じられないでしょうね。しかし、あの方達を私達の常識で捉えていては絶対に付いて行けないわ。むしろあの方達の先を読んでそこを目指すべきね」

「先・・・ですか。なら私達に出来る事は何でしょうか?」


 モニカは少し考えると言った。


「今後、あの方達が湿地帯の開拓を進めるのなら、いずれ絶対にその道の専門家が必要になるはずだわ」

「なるほど。知り合いの学者先生からどなたか紹介してもらえるかもしれません」

「良いわね。至急あたらせて頂戴」


 その後、モニカはいくつか打ち合わせをすると店を後にした。

 店主はしばらくの間熱に浮かされたようにボウッとしていたが、念のために店の者を使っていくつかの情報屋をあたらせた。

 彼がこの港町でも最大手の商会であるジトニーク商会がナカジマ家に入れ込んでいるという情報を得るのにさほど時間はかからなかった。


「なぜ今まで気が付かなかったんだ!」

「いえ、ご主人様が必要無いとおっしゃられていたので」


 そういえばそうだった。

 今まで店主はナカジマ領の事を歯牙にもかけていなかったため、ナカジマ領に関する情報を無視していたのだ。


 俺は出遅れている!


 その焦りは彼を駆り立て、ナカジマ家に猛烈なアピールを始める事になる。

 そして彼のなりふり構わない動きを見た多くの商人がナカジマ領に関心を持ち、やがてそれは大きな動きになるのだがこれは大分後の話。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日僕はティトゥを乗せて開拓村の視察に赴いていた。

 ちなみに同行者はカーチャとモニカさんのメイド師弟コンビだ。カーチャは今まで通りティトゥの膝の上、モニカさんは胴体内補助席に座って(横になって?)いる。


『何か騒ぎでも起きているんでしょうか?』


 カーチャが村を見下ろして訝しげに言った。

 確かに、村の一部に人だかりが出来ているね。何かあったんだろうか。


『ハヤテ』


 了解了解。

 ティトゥ達の背後から顔を出しているモニカさん、イスに座ってベルトを締めて下さいね。

 転げて頭を打ってもしりませんよ?


 僕はモニカさんの準備が出来たのを確認してから村のすぐそばの街道に着陸した。



 やはり村で何かあったのか、いつもと違った緊張感に包まれている様子だ。


『何がありましたの?!』


 ティトゥの声に答えたのはこの村に駐留している騎士団の一人だった。


『物資の倉庫に泥棒が入りました。犯人はすでに取り押さえています』


 騎士団の言葉にカーチャとティトゥがハッと息をのんだ。


『みなさん無事でしたの?』

『はい。盗みに入ったのはまだ幼い少女でしたので』

次回「棒打ち」

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