その25 オットーの覚悟
ブックマークが400件を記念して、本日2本目の更新をしています。
前の話の読み飛ばしにご注意下さい。
明日も2本更新をしたいと思います。
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彼が自分の上司である代官のオットーに呼ばれて家に入った時、珍しくオットーは一人で書類作業をしていた。
最近はティトゥも領主としての自覚が芽生えて来たのか、この部屋でオットーと一緒に作業をする姿が増えていた。しかしたまたま今日は席を外しているようだった。
「この手紙をマチェイの当主様へ届けろ」
「・・・中身を確認しても?」
オットーの思い詰めた表情に部下は反射的にそう問いかけてしまった。
大事な手紙の場合、紛失や破損を考慮して届ける者に予め中身を伝えておく場合が有る。
そもそもマチェイに手紙を送るならハヤテに頼めば良いのだ。彼なら二つ返事で引き受けて、その日のうちに届けて帰ってくるだろう。
オットーは無言で頷いた。
手紙を広げる部下の男。
「これは・・・ 借金の申し込み書ですか」
「そうだ」
それはナカジマ領からマチェイ家に宛てた借金の証文だった。
領地を担保に借りられるだけ借りたい。そこにはそんな乱暴な文言が書かれてあった。
「しかし、これには領主であるご当主様のサインがありませんが?」
「私が個人的に借りる金だからそれで問題無い」
部下の男は驚いて目を見張った。
オットーの言った言葉がでたらめだったからである。
「しかし、この証文ではナカジマ領がマチェイ家から借りる事になっています! そもそもいち代官が領地を担保に他家からお金を借りる事は出来ませんよ!」
「書類に不備がある。お前はそう言いたいんだな。それでいいんだ」
オットーの作った借金の証文は証文としての条件を満たしていなかった。
そうと知っていながら問題が無いと言い切るオットーに混乱する部下の男。
「わざとそうしたんだ。そしてマチェイのご当主様なら、間違いなくこの証文で金を用立ててくれる」
「・・・理由をお聞きしても?」
「この金は返さない。つまり俺はこの借用書を抱いて心中するという事だ。そしてマチェイのご当主様も俺の考えを理解してくれた上で金を出す。これはそういう証文なんだ」
オットーの苛烈な言葉に声を失う部下の男。
オットーは部下に向かって話を続けた。
「今、このナカジマ領はまともな領地に生まれ変わるために大きく舵を切ろうとしている。だがそのためには当座の資金が足りないのだ。王都からの騎士団の増員が俺の見通しよりも早すぎた。新しくやって来る騎士団のために建てる家屋、彼らに払う給与、追加の食糧、街道整備で村人に支払う給与、コノ村の整備にかかる経費。早ければ今年中にもナカジマ家の運営資金は尽きるだろう」
そう、王家からの支度金とマチェイ家から持ち出した資金程度ではこれらの経費を払い続けることが出来ないのである。
「だったら資金に合わせた予算を組み直せばーー」
「ダメだ。今のままでも成功するかどうか危うい領地開発を、予算を絞ってさらに危険にさらす訳にはいかない」
こういう事業は中途半端に手を出すのが一番良くない事をオットーは知っていた。
投資した金額を無駄にしないためには最後までやりきるしかないのだ。そして自分達にはそのための資金が足りなかった。
「だがナカジマ家には金を工面するための伝手がマチェイ家以外に存在しない。他家はどこも相手にしてくれないだろうからな」
悪名高いペツカ地方の開発に金を貸す家があるはずがない。ティトゥに信用が無いというのもあるが、貸し倒れになる事が最初から分かり切っている領地に金を出す者はいないからだ。
「ですがご当主様に相談をされた後でも――」
「それも出来ない。さっきも言ったが俺はこの借金を踏み倒すからだ。この借金はご当主様の知らない所で行われなければならない。それでこそご当主様はマチェイ家から追加で資金を借りる事が出来るのだ」
もちろんマチェイ家当主シモンは娘のために金を出すだろう。
しかし、借金を返さないうちに次の借金を要求されては、親としての気持ちはともかく、当主としての立場がそれを許さない。
他家の他領の開発のために家を傾ける事は、マチェイの民を預かる当主としては決して許される事ではないからだ。
オットーはその抜け穴として自分が泥を被る事にしたのである。
つまりこの金は、領主であるティトゥがあずかり知らない金であり、代官であるオットーが今の立場を利用してかつての主人からだまし取った金。ティトゥもマチェイ家の当主もオットーに騙された被害者だった。
そういう事にするのである。
当然詭弁だ。だがそうする事でティトゥの父は娘の要請に応えて金を出す名分を得るのである。
「ですが! それではオットー様が罪人になってしまいます!」
「借金を返すあてがあれば俺だってこんな無茶はせん。しかしこの領地の開発が軌道に乗るのは何年後だ? 5年後? 10年後? その間に一度でも領地に何かあればどうする? もうマチェイ家から追加の金は借りられないんだぞ」
「それは・・・ですが・・・」
結局、部下の男はこれ以上何も言い返せなかった。
自分の言葉では上司の覚悟を覆すだけの説得力が無いと悟ったからである
部下の男はオットーの手紙を持ってマチェイへと向かった。
マチェイ家の当主シモンは手紙を読むと、何も言わずにあちこち駆け回って金を工面した。
男はその金と苦い思いを抱きながらナカジマ領へと戻った。
しかし、彼が領地を離れていた僅か数日の間に、事態は彼とオットーの予想もつかない方向へと大きく動いていたのである。
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「またオットーからの使いの者が来たって?」
マチェイ家の当主シモンは、執務室でオットーの息子エリアスと共に使用人から報告を受けていた。
オットーにはつい先日まとまった金を貸したばかりである。
その資金を集めるため、シモンは寄り親であるヴラーベル家にまで足を運んでいた。
オットーの予想通り、シモンはオットーの考えを正確に理解していた。
彼はオットーの覚悟を最大限に生かすために自分の用意できる限界まで金を集めた。
それが彼に出来るオットーの忠義に報いる唯一の方法だったからである。
(まさか、あれでは足りなくなる程の事態が起こったのか?)
最悪の事態を想定してシモンの表情が一層厳しくなった。
シモンと同じ事を考えたのだろうか、エリアスも不安そうな表情を浮かべている。
もっとも、流石に彼も自分の父親が死を覚悟しているとまでは予想出来なかったようだ。
単純に離れた領地で苦労している父親の事を心配しているのだろう。
「とにかく話を聞こう。ここに通してくれ」
「かしこまりました」
「ご無沙汰しております、シモン様」
部屋に通されて来たのは、先日オットーがよこした部下の男だった。
シモンは拍子抜けする思いだった。
男の態度が実に自然だったからである。
これなら先日訪れた時の方がもっと悲壮感を漂わせていた。
「早速用件を聞きたいんだがね」
「オットーからの手紙です」
ざっと手紙に目を通したシモンは――
「ん?」
自分の目で見た事が信じられないのか、もう一度良く目を通した。
「・・・ここには金の工面が出来たので、借りた金を約束の利子と共に返すと書いてあるが?」
「はい、こちらに」
オットーの部下はテーブルの上に布の袋を置いた。ジャラリと重そうな音がした事からも、中には金が入っているのだろう。
シモンに目配せされたエリアスは、袋を手にすると部屋の外に出て行った。
別の部屋で証文と突き合わせて金額の確認をするためだ。
エリアスの姿が部屋の外に消えると、シモンは深刻な面持ちでオットーの部下に尋ねた。
「一体そっちで何が起きているんだ? 常識的に考えてこれだけの金が右から左に工面出来る訳がない」
シモンの問いかけに男は少しだけ考えを纏めていた様子だった。
娘の領地でただ事ではない事態が起こっているのは間違いない。
シモンはかたずを飲んで男の言葉を待った。
やがて男は重い口を開いた。
「実はご当主様とハヤテ様が突然とんでもない大金を持って来まして――」
「待った。その話を聞く前にお茶を用意させよう」
男の言葉はシモンの予想の遥か斜め上だった。
聞けば絶対に頭が痛くなる話の予感に、シモンは少しでも先送りにする事で精一杯の抵抗を示したのだった。
次回「胴体内補助席」