その20 御用商人ジトニーク
第五章もこの時点で本編のみで20話・・・やはり少々長くなりそうな気がします。
みなさん付いて来てくれていますか?
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ティトゥがオルドラーチェク家の家令シェベスチアーンに案内されたのは港に近い大きな商会だった。
店の前に停まった領主の馬車を見付けた店の丁稚が慌てて店の奥に駆け込んだ。
「これはこれはシェベスチアーン様。わざわざ私めの店まで出向いて頂かなくとも、連絡を頂ければすぐにお屋敷に参りましたものを」
やがて店の奥から小太りな男が出て来ると、チラリとティトゥを見た後シェベスチアーンを歓迎した。
シェベスチアーンは鷹揚に頷くとティトゥの方に振り返った。
「この男が我が家の御用商人のジトニークです。このボハーチェクの港町で物を調達させればこの男の右に出る者はいないでしょう」
「過分な評価、商人冥利に尽きます」
「私はナカジマ家当主ティトゥ・ナカジマ。今日はヴィクトル様のご紹介でここに参りましたわ」
「これはナカジマ家のご当主様。本日は我が商会にいかような御用で? おっとこれは気が付かずに、申し訳ございません。店の前で立ち話も何です。奥に席を用意させますので是非そちらでおくつろぎ下さい」
ティトゥの自己紹介に、ジトニークはニコニコと笑みを浮かべながら挨拶を返したが、その細めた目の奥がギラリと光ったようにティトゥには感じた。
「私は馬車で待っております。お話が終わりましたらハヤテ様の所までお送り致しますので」
「ありがとうございますわ」
「ではシェベスチアーン様、失礼致します」
ジトニークはシェベスチアーンに挨拶をしてティトゥを連れて店の奥に入ろうとした。
その時、シェベスチアーンはジトニークに声を掛けた。
「ジトニーク。領主様はナカジマ様を”俺の客”だとおっしゃっておられた。くれぐれも失礼の無いように」
ジトニークはシェベスチアーンの言葉を聞いて驚きに目を見開いた。
しかしティトゥは「ああ、そういえばさっきそんな事もおっしゃっていたわね。」としか思わなかった。
むしろシェベスチアーンは良くそんな言葉まで覚えていたものだと感心したくらいである。
「・・・かしこまりました」
こうしてティトゥは、色々と回り道をした挙句、ようやく本来の目的である食糧の買い付けに来る事が出来たのである。
ジトニークが出してくれたお茶は、ティトゥがランピーニ聖国のエニシダ荘にいた時に良く出されていた銘柄であった。
ランピーニ聖国の王族も嗜む高級茶の香りにティトゥは少し懐かしさを感じた。
あれからまだ一月も経っていないのだ。環境の変化のせいかもう何カ月も経っているような気持ちになっていた。
「在庫の確認と見積もりが終わりました」
メモ書きを手にジトニークが部屋に入って来た。
ナカジマ領の代官であるオットーが事前にティトゥに渡していた、必要な食糧と資材の数を記したメモである。
「幸いこちらの倉庫に全て揃っておりましたので、すぐにでもそちらの領地に送る事が可能です。輸送費も含めて全部でこのお値段になります」
「! これは・・・本当ですの?」
ジトニークが示した金額にティトゥは大きく目を見開いた。
ティトゥはオットーに、今回の取引での希望予算と最大限払う事が可能な予算を前もって聞かされていた。
ジトニークの提示した見積もりはその希望予算をも大きく下回っていた。
ティトゥの驚きに、ジトニークはいたずらが成功した時のような表情を浮かべた。
慇懃で落ち着きがあるため、若干年齢不詳気味なジトニークだが、こういう表情をすると意外とまだ若い事が分かる。
「あの・・・ そちらで何か見落としているんじゃないかしら?」
「私の信頼できる者に用意させましたのでご心配ありません。領主様のお客様にはいつもこのお値段で取引させて頂いております」
ジトニークの言葉に訝しげな表情を浮かべるティトゥ。
「いわゆる”お友達価格”というものでございます」
ティトゥには”お友達価格”の意味は分からなかったが、ジトニークが領主に卸す金額で自分と取引してくれている事は分かった。
そしてそれを命じたのが、さっきヴィクトルの言った「ナカジマ殿は俺の客だ。」という言葉だったという事にも。
思いもよらない展開に頭の整理の付かないティトゥに対して、ジトニークはふと居住まいを正した。
その顔からは先程までの顔に張り付けたような笑みが消え、真剣な表情になっている。
「私も商人ですからね。国内外の情報には目を光らせています。この度は爵位と領地を賜った事、誠におめでとうございます。しかし、不躾な物言いですが、そちらは領地運営が上手くいっていないんじゃないでしょうか?」
ジトニークの指摘に図星を刺されてティトゥは体を固くした。
「ペツカ地方の酷さは行商をする商人なら知らない者はおりません。街道を通るだけで各村々から通行料を取られて身ぐるみはがされるんですからね。あれじゃあペツカを利用する商人はいなくても当然でしょう」
ティトゥも通行料の話は最初にオットーの部下から聞いている。
幸いオットーの部下が事前に村々に告知していたため、自分達は被害に遭う事は無かったが、この件に関してはオットーも頭を悩ませていた。
「先日王都でカミル将軍とお話させて頂きました。近々農地の開拓にも取り掛かる事になっています。私は通行料を禁止するつもりですので、今後は商人も安心して街道を利用して頂けるはずですわ」
カミル将軍という思わぬ大物の登場に目を見開くジトニーク。
元王族でもあり優秀と名高いカミル将軍の名前が出た事で安心したのか、ジトニークはこの話題はこれで切り上げる事にしたようだ。
「なるほど、その話を伺い安心致しました。知り合いの商人に聞かれた際にはそのように伝えておきましょう。さて、これからはこちらの希望、というか私の願望に関わる話なのですが、ナカジマ様の所には貴方のパートナーとして名高いドラゴンがいらっしゃいますよね? 少しそのドラゴンについて、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
名うての商人から、突然ハヤテの話題が出た事に警戒を露わにするティトゥだった。
「ハヤテの何を聞きたいんですの?」
「ハヤテ様とおっしゃるのですか。少し失礼な話を致しますが、ハヤテ様に荷物を積んで運んでいただく事は可能なのでしょうか?」
あちこちに飛ぶ話題にティトゥは混乱を隠せなかった。
「それは・・・ ロバの背に荷物を載せるみたいにハヤテの体に荷物を載せるという意味でしょうか」
「そうですね、可能でしたら。いえ、より可能ならば馬に荷車を引かせるように、ハヤテ様に荷台を運んでもらう事は出来ないのでしょうか?」
ティトゥはジトニークの言葉を少し考えた。
山ほどの荷物を背負ったハヤテ。
その姿はティトゥの美意識からはかけ離れたものだった。
それにーー
「それに無理じゃないかしら。ハヤテはゆっくりと飛ぶ事が出来ないもの。荷物を括り付けてもきっと全部吹き飛んでしまうに違いないわ」
「そうですか・・・ あの、一度ハヤテ様を見せて頂く事は出来ませんか? 実際に自分の目で見ればひょっとして何か別の方法が浮かぶかもしれません」
妙にこの話題に食い付くジトニークにティトゥはますます困惑する。
この男は一体何を狙っているのだろうか?
ティトゥが身構えている事を察したジトニークは、少し落ち着くと腹を割って話す事にした。
「先程も言いましたが、私も貿易を営む商人として国外の情報にも通じているつもりでおります。ナカジマ様は最近では聖国で第八王女殿下をお助けしてたいそうご活躍されたご様子で」
暗に海賊退治の功績を言っているのだろう。あれからまだ一月程しか経っていない。
ジトニークの情報収集能力の高さにティトゥは驚きを隠せなかった。
「ナカジマ様は聖国でレブロンの港をご覧になったはずです。率直なお考えをお聞かせ願いたいのですが、レブロンとこのボハーチェクを見比べてどんな感想を持たれましたか?」
「それは・・・ どちらも大変賑わっていますわ」
ティトゥは正直に言えばこの町は、レブロンの港町に比べて雑然としていてあか抜けないと思っていた。しかし、その事をバカ正直に言う程ティトゥは世の中が分かっていない訳では無かった。
ティトゥが途中で言葉を濁した事から大体察したのだろう。ジトニークは大きく頷くと話を続けた。
「私も商談で年に一度はレブロンを訪れています。その度にレブロンの活気と華やかさに目を奪われているのです。そしてなぜボハーチェクはレブロンのようになれないのだろうとも考えるのですよ」
ジトニークはそこで言葉を切るとティトゥの目を覗き込んだ。
ティトゥはジトニークは自分を信頼してーー正確には領主が信頼した自分を信頼してーー踏み込んだ話をしようとしているのを感じた。
「それはこの国にはボハーチェクしかないからです。聖国にはレブロンの他にもアラーニャやレンドン、リコベラと、そうそうたる港町が名を連ねています。それらが互いに切磋琢磨し、あるいは自分の町の長所を伸ばし、他の町の短所を補い、共に発展しているのです」
ジトニークは説明を続けた。
もちろん競争が全て良い事ばかりでないのは確かだ。しかし、競争の全くないこの国でオンリーワンのボハーチェクは、町の開発も港のキャパシティーもとっくの昔に飽和状態になっていた。
町には老舗の商会が軒を連ねて、もう何十年も同じ商品で同じ商売を続けている。
ジトニークは、この国には最低もう一つボハーチェクの港町が必要と考えるようになっていた。
その上でボハーチェクの流通のいくらかをそちらに移す事で、開いた土地に新たな産業を興し、町の活性化を促すことが出来るのではないかと考えているのだ。
既得権益を持つ層からは強い反発が予想される考えだが、実はこの考え自体は領主であるヴィクトルも積極的に賛同していた。
彼も長年の飽和状態から来る町の産業の停滞感、ひいては将来の産業の衰退を憂慮していたのである。
しかし、そう簡単に代替地は見つからない。
そこでジトニークは前々からハヤテの空輸能力に目を付けていたのであった。
「ナカジマ様のドラゴンを商売に使うような事を申し上げて、大変失礼かとは思います。しかし、それによって領地に新しい産業が生まれれば、必ず領地の産業全体が活性化します。是非ご検討頂きたいと思います」
「それは・・・ 分かりましたわ。そうまでおっしゃるのでしたら、今からハヤテをご覧になりますか?」
「おおっ! それは是非!」
買い出しも終わった以上、後は領地に帰るだけである。その際についでにジトニークにハヤテを紹介するくらい別に大した手間ではないだろう。ティトゥはそう判断した。
ティトゥはジトニークの熱意を甘く見ていたのだ。
次回「初めてのおつかい」