その18 オルドラーチェク家の屋敷
ティトゥがオルドラーチェク家の家令、ネイティブ発音系セバスチャンことシェベスチアーンの馬車に乗るのと入れ替わりに、ティトゥのメイド少女カーチャが僕の所にやって来た。
『ハヤテ様、一体何があったんですか?』
ティトゥに絡んだ生意気少年はシェベスチアーンの使用人の前で借りて来た猫のように大人しくなっている。
僕はカーチャにざっくりと事情を説明した。
『それで馬車に襲い掛かろうとしていたんですか。』
呆れたようなカーチャの言葉に、僕達の話をこっそり聞いていたシェベスチアーンの使用人達がビクリと反応した。
いや、人聞きの悪い事を言わないで欲しいんだけど。
僕は一旦この場を収めるために、空に向かって前進しようとしていただけだから。
襲うとか逃げるとかそういう刺激的な言葉の使用は遠慮してもらえないかな。
ちなみに僕がカーチャに説明している間に、ティトゥを乗せた馬車は既に町に向かって出発していた。
カーチャは一緒に行かなくても良かったのかな?
『私にはこの場の後始末という仕事がありますから。』
後始末されるような事は何もないと思うんだけどなあ。
あ、いつの間にか生意気少年が新しいズボンに履き替えている。
さてはやっちゃったね君。
『先程は失礼なことを言って悪かった、ドラゴン殿。』
しおらしい態度で僕に謝る生意気少年。まあ、僕はともかく、ティトゥにはちゃんと謝っておいた方が良いと思うよ。
君のせいで実家がナカジマ家と険悪になったら君だって困るだろうしね。
そう、実はこの少年、オルドラーチェク家とは何も関係の無いただの寄子の家の子だった事がさっき判明したのだ。
どうやらオルドラーチェク家の馬車を借りて実家に帰る途中、ついつい気が大きくなって調子に乗って僕達に絡んでしまっただけだったらしい。なんてはた迷惑な少年だ。
寄子といえばつまりは下士位の家。小上士位とはいえティトゥは明らかに彼の実家よりも家の格が上なのだ。
この封建社会においてこの格の違いは正に命に関わる大問題。
君は僕よりもティトゥとの関係の修繕を急いだ方が良いだろうね・・・って、こうやって考えるとティトゥも随分と偉くなったもんだ。
やたらと手のかかるトンデモ領地の領主とはいえ、仮にも領主様なんだからね。思えば遠くに来たもんだ。
すっかりしょぼくれてしまった生意気少年改めそばかす少年は、馬車に揺られて町を去って行った。
後日彼の実家からティトゥに詫びの一つも入るだろうが、そういえば名前を聞いていなかったな。
まあどうでもいいや。僕には関係ないし。
さて、カーチャと共に置いてきぼりを食っているオルドラーチェク家の使用人達だが、さっきから僕の周りをソワソワとしていて非常に落ち着かない気分にさせてくれる。
彼らは一体何をしにこの場に残っているんだろうか?
『私は必要無いって言ったんですが、シェベスチアーン様が聞いてくれなくて。』
どうやら彼らは僕の世話をするために残ったらしい。
どうりで手持ち無沙汰にしていると思ったよ。
まあ普通に考えればティトゥ達は僕に乗ってナカジマ領から来た訳だ。馬だって水を飲ませたり体の汗を拭いてやったりと何かしらの世話が必要だよね。
でもほら僕って基本メンテナンスフリーだから。
自分達の話題が出たためか、使用人達も若干前のめりになって僕達の話に耳を傾けている。
う~ん。彼らにやる気があるだけに、何とも悪い気がするなあ。
『何かあの人達にして欲しい事は無いんですか?』
カーチャも僕と同じ気持ちだったみたいだ。彼らに聞こえないように声をひそめて僕に聞いて来た。
そんな事を言われてもなあ。タイヤの溝にはまった石ころでも取ってもらおうかな。でも、それだとすぐに終わっちゃいそうだよな。
ん? 待てよ。
『何か思い付きましたか?』
別にやって欲しい事って訳じゃないけど、どうせ人手があるなら確かめて欲しい事があったんだっけ。さっき空の上から見ていて少し気になっていた事なんだけど・・・
僕はカーチャに頼んで僕の言葉を彼らに伝えてもらった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはオルドラーチェク家の屋敷の中。豪華な一室でオルドラーチェク家の子供達がティトゥの語る物話を固唾をのんで聞き入っていた。
いや、そこにいるのは子供達だけではない。オルドラーチェク家の夫人達もティトゥの話にすっかり夢中になっている。
いや、夫人達だけではない。夫人達のそばに控えるメイド達も同様に、いや、さらに部屋に目を向けると、ドアの外には手の空いた使用人達が廊下を数珠つなぎになってティトゥの話に聞き入っていた。
「こうして私とハヤテは戦場を後にしたのですわ。」
ティトゥの話が終わると誰かが「ほう。」とため息を漏らした。
やがて拍手の音が部屋に響き渡る。
何気なくドアに目を向けた子供の一人が、廊下にひしめく興奮した使用人に怯えて母親に抱き着いた。
「ハヤテカッコいい!」「私もドラゴンが欲しい!」
子供達は目を輝かせて母親に縋り付いた。
「素晴らしいお話でしたわ。ドラゴンと人間との絆と神の試練。あの戦いには実家の父も参加していましたが、裏ではそんな事が起こっていたんですのね。」
絆はともかく神の試練とは一体何の事だろうか? どうやらティトゥはまたまた話を盛ってしまったようだ。
もしもハヤテが今日ティトゥがここで語った話を聞いたとしたら、声を上げて悶絶する事は間違いないだろう。
オルドラーチェク家の屋敷に招待されたティトゥだったが、客室でオルドラーチェク家の当主を待つ間に子供達に見つかって小ゾルタとの戦いの話をせがまれてしまったのだ。
ハヤテの話をせがまれて少し気分を良くしたティトゥは、子供達のリクエストに応える事にした。
こうしてこの屋敷でもティトゥの独演会が始ったのである。
最初はこの部屋に来た子供達だけが聞いていた。そこに子供達を捜しに来た夫人達も参加した。次に夫人達を捜しに来たメイドも参加した。さらにはそのメイドを捜しに来た別のメイドも参加した。さらには部屋の様子に何事かと足を止めた使用人が・・・と。
こうしてこの屋敷の人間は、芋づる式に次々とティトゥの話に捕まってしまったのだった。
「素敵な話だったわ。戦争って恐ろしい物だとばかり思っていたけど、ドラゴンの手にかかればケンカと変わらないのね。」
「人間とドラゴンがこれだけ魂で通じ合えるんですもの。人間同士ももっと分かり合えるはずだわ。」
どれだけ盛ったんだティトゥ。興奮に頬を染めながらティトゥの話の感想を語り合う夫人達。
その時、部屋の外から男の怒鳴り声が聞こえて来た。
「おい! 誰かいないのか! 屋敷に誰もいないなんて一体どうなってる・・・って、お前達そこで何をしているんだ?!」
男の声に慌ててこの場から走り出すメイドと使用人達。
「あら。ヴィクトルが来たみたいだわ。」「ではごきげんよう。素敵なお話で大変好ましゅうございましたわ。」
子供達を連れて部屋を出て行く夫人達。
「お話してくれてありがとうございました。」「ありがとう姫 竜 騎 士様。」「いつかハヤテに乗せて欲しいわ。」
子供達もそれぞれお礼と挨拶を残して母親に連れられて行く。
そんな家族と入れ替わるように、口ひげを生やしたガッチリとした体格の男が部屋に入って来た。
「ナカジマ領の領主殿、待たせて済まなかった。さっきは俺の家族が迷惑をかけやしなかったか? 俺がこの領の領主ヴィクトルだ。」
「始めましてオルドラーチェク領の領主様。私はティトゥ・ナカジマですわ。」
領主ヴィクトルはティトゥの正面のイスにドスンと音を立てて座った。
貴族というよりは、船の船長と言われた方がどことなく納得出来そうな男だ。
「そんなまどろこしい呼び方はいらん。ヴィクトルと呼んでくれ。王都でも名高い姫 竜 騎 士を屋敷に招けて光栄だよ。」
光栄だよ、と言う割にはヴィクトルはぞんざいな態度だ。ここまでティトゥを待たせた事からもそれは分かる。
ティトゥのナカジマ領ーーペツカ地方の酷さは上士位の貴族であれば当然誰でも知っている。
名誉や名声よりも実益を重視するヴィクトルは、ティトゥの訪問にさほど価値を見出していなかったのだ。
「今日はこの町の商人にナカジマ領に食糧を売って頂こうと思ってこの町に来ました。」
「なるほど。良かろう。俺の所の出入りの商人に紹介状を書こう。」
ヴィクトルが大きく分厚い手を打ち鳴らすと、家令のシェベスチアーンが慌てて走って来た。
ヴィクトルは「後はコイツに聞け。」と言うと立ち上がった。
彼はそのまま部屋を去るつもりだった。ーー散々ティトゥを待たせた挙句に挨拶程度で話を終える気だったのだ。
しかし、日頃あまり見せない家令のうろたえた表情を見てヴィクトルは眉間に皺を寄せた。
「どうした?」
「あの・・・そちらのドラゴンですが。」
「ハヤテがどうかしましたの?」
シェベスチアーンは少し言葉を探していた様子だったが、どうにか話を続けた。
「今、港の沖で海賊船を追い回しています。」
「「はあっ?!」」
シェベスチアーンは部下から聞いた話に理解が追い付いていない様子だ。
当然ヴィクトルは何の話だか全く分からない。
そしてティトゥだけが「カーチャが付いていて何をやっていますの?!」とメイド少女に対して呆れていた。
次回「運の悪い海賊達」