その13 コノ村
朝日が昇ると共に村の漁師とその奥さん達が村の通りに姿を現した。
『おはようございます。ハヤテ様』
『オハヨー』
いつもなら日が昇る前から海に漁に出る彼らだが、今日はティトゥ達の手伝いをするために漁は休みにするらしい。
村の村長というか長老というかのロマ爺さんの指示で、村の中に一つだけ作られた井戸でめいめい顔を洗ったり髭を剃ったりと身だしなみを整えている。
ここは昨日海沿いで見付けた例の漁村である。
ティトゥはオットー達と合流すると直ぐに全員でこの村を訪ねた。
この村をナカジマ家の新たな拠点にするためである。
村長のロマ爺さんは急に訪れたナカジマ家の一行を快く迎えてくれた。
流石にこの大人数に眉間に皺を寄せる者もいたが、代官のオットーが手土産代わりの小麦の袋を渡すと途端にニコニコと顔をほころばせていた。
天然の漁港はあっても土地自体は痩せているようで、穀類、特に良質な小麦は慢性的に不足しているみたいだ。
ロマ爺さんは小麦のお礼に村の家をナカジマ家に提供してくれた。
だったら彼らは何処で寝るのかと思ったら、南の村に戻れば良いと言っていた。
大人の足で海岸線を南に歩いて一時(約2時間)ほどの距離にあるのだという。
案外近かったんだね。まあ年に二回も引っ越すんだから隣町程度の距離でもおかしくないのか。
『おっ? 流石に漁師は朝が早いね! お早う!』
割り当てられた村の家から小さな女の子が出て来て村人達に挨拶をした。
ナカジマ家唯一の料理人ベアータだ。
彼女はナカジマ家全員の朝食を作るために一番朝が早い。
その彼女より早く顔を出しているんだから、いかに漁師の朝が早いかという話だ。
しかも彼らは二時間も早く起きて隣の村から歩いて来ているんだからね。
ベアータは遅れて顔を出したメイド達にテキパキと指示を出している。
ついでにそこらで暇そうにしている村人にも手伝わせているな。要領の良い事で。
しばらくするとオットーが家から出て来た。昨晩はぐっすり寝られたのか心なしか昨日までよりも顔色が良いような気もする。
今までずっと死にそうな顔をしていたからね。
マチェイ家の屋敷の使用人達にとっては、粗末な村の小屋では寝苦しかったんじゃないかと思うけど、大抵の使用人がマチェイの村出身の村人なのでそこまで不便はしなかったようだ。
とはいえ、やはりマチェイの村から見てもこの村の建物は貧相だったらしい。
使用人の何人かはまだ眠そうに大あくびをしている。
『ロマ。この村に大工はいるか? いるなら少し話がしたい』
『貴族様のお屋敷を作れるような者はいませんが、この村の家を建てた者ならおります。彼でよろしければ』
『・・・まあ一先ずはそれで構わない。来客用の家が必要だ。どのくらいで出来そうか聞いておきたい』
オットーがロマ爺さんと打ち合わせをしている。
どうやらオットーは早急に家を増やすつもりのようだ。
確かに今後は領内の人間が訪れる機会も多くなるだろうから、家はいくつあっても足りないよね。
ちなみにこの村は、建物を含めてその全てをナカジマ家が借りるという事で話がついたんだそうだ。
もちろん借りるという以上、家賃は払う訳だから村人達にとっても悪い話じゃない。
それどころか、夏場は使わずに放置しているだけの村にお金が発生するんだから、文句が出るどころか大喜びだ。
今年の冬は村の近くの湾口を利用できなくなったけど、別に南の村では冬に漁が出来ない、なんて事は無いのだ。
ただやはりこちらの方が港としては優秀なので、冬になって湿地帯の毒虫が減るとこの村を利用していたという事らしい。
『ハヤテ様、おはようございます』
ティトゥのメイド少女カーチャが僕に挨拶をして来た。
手には大きな素焼きの壺を持っている。多分あれに水を汲みに来たんだな。
『ティトゥ様はまだ寝ていらっしゃいます。水汲みが終わったら起こしに行ってきますね』
カーチャは僕の考えを察してそう答えると井戸の方へと歩いて行った。
『先ずはこの村の名前を決めて下さい』
朝食が終わるといきなりオットーが僕に言った。
何故僕に? いや、僕の操縦席に座ってお茶を飲んでいるティトゥに言ったんだけど。
『ロマは二つの村を、北ペツカ村、南ペツカ村と言っていますが、領都にならともかく、ひとつの村にこの地方の名前であるペツカを使う訳にはいきません』
ふむ。オットーの言う事も最もだ。東京都東京村なんて村があったら、知らない人が聞いたら東京ってよっぽどの田舎なんじゃないかと勘違いしそうだよね。
『そうねえ。ハヤテ、何か良い名前はないかしら?』
この村の名前? 君が好きに決めればいいんじゃない?
『コノ村ですか。じゃあこの村の名前はコノ村にしますわ』
「『なっ?!』」
思わず絶句する僕とオットー。
『ええと・・・コノ村ですか? では南の村は南コノ村になるんでしょうか?』
『そうねえ。ハヤテ、どうしたら良いと思います?』
あの村ねえ。いや、だから何で君はいちいち僕に聞くのさ。
『アノ村ですか。南の村はアノ村にしますわ』
「『んなっ?!』」
再び絶句する僕とオットー。
結局二つの村の名前は正式にコノ村とアノ村に決定した。
『コノ村とアノ村ですか。大変覚え易くて良い名前だと思います』
オットーから村の名前を告げられて大きく頷くロマ爺さん。
ええ~っ。本当にこれでいいの? まあ確かに覚え易くはあるけどさ。
『そもそもワシらも自分達の村の事を、この村あの村と呼んでましたから』
なんたる偶然?! って、そりゃそうか。
元々ペツカ地方にはこの村しか無かったという話だ。
そんな中、他の村や町と交流の無いこの村の人達にとって、「村」と言えば自分達の住む村の事を指した訳だから、この村あの村、で通じたわけだ。
『ハヤテが名付けたんですわ!』
「今ここでそれを言っちゃうの?!」
ロマ爺さんの視線が僕に注がれる。そして微妙な表情になるオットー。
いや、決めたのはティトゥだからね? ていうかオットーはその場にいたよね?
さて、この村が正式にコノ村となったのは良いとして――あまり良くない気もするけど――、次はティトゥが新領主になった事を領民に公布するという仕事が待っている。
日本ならTVや新聞、インターネット等のニュースで知らせる方法があるが、この世界では全て人力で賄われる。
『つまりどうすればいいんですの?』
『そうですね・・・。先ずは各村に連絡を出します』
なるほど、そうなりますか。
時代劇で木の札に書かれた文面を皆が集まって読んでいるシーンを見た事がないだろうか? あれは高札と呼ばれる告知書で、日本でも明治時代まで使われた為政者による情報公布手段だ。
しかしあれは、当時世界有数の識字率を誇る日本だからこそ取れた方法で、この国の識字率の低さでは当然使用出来ない。
そこでこの国では、各村の村名主を集めて彼らから村人に告知して貰う、という方法を取っているようだ。
要は伝言ゲームだね。
『5日もあれば全ての村の村名主が集まると思います。問題はコノ村には彼らをもてなせるだけの家が無いという事ですが・・・』
『5日もかかるんですの? 面倒ですわね。私が直接行って話をしますわ』
『早速大工に見積もりをさせましたが――って、えっ?』
『私がハヤテに乗って直接出向けば、一日で全ての村を回る事が出来ますわ』
まあ確かにそうだけど。『あ、いや、でもそれは』とあたふたするオットー。
『カーチャ、ベアータを呼んで来て頂戴。今からハヤテと出かけるわ』
慌てて家に駆けこむカーチャ。ベアータを呼びに行ったんだろう。
『せめて誰かを護衛に付けませんと!』
『その辺はきっとベアータが上手くやってくれますわ』
ティトゥのベアータに対する信頼感は凄いな!
まあ僕も、あの元気っ子なら何とでもしてくれそうな気がするけどさ。
オットーがあたふたとしている間に、カーチャに連れられたベアータが走って来た。
『ご当主様、アタシをお呼びですか?!』
『今から各村を回ります。一緒においでなさい』
次回「開拓村」