その11 再出発
丸一日倉庫に放置された僕は、今はここに来た時のように台車に載せられて移動していた。
いやあ、メチャクチャ不安だったよ。
この世界に転生して以来、ここまで心細かったのは初めてだったんじゃないかな。
家に置いて行かれたペットが、帰って来た飼い主にじゃれつく気持ちが少し分かったかもしれない。
まあ流石にティトゥにじゃれつくような事はしなかったけどね。
ちなみに僕の前には四台の馬車が並んで走っている。
町に来た時よりも一台増えているのはオットーの分だ。
彼もティトゥに言われた通りこの町を出る事になったらしい。
馬車の中には大量の書類が詰め込まれていて人が乗るスペースも無いのか、オットーは馬車の外を歩いている。
今にも死にそうな顔色をしているので非常に心配だ。
この半月ばかりの間に彼に何があったのだろうか。途中で倒れたりしないよね?
こうして僕達は、町の人達の好奇心一杯の視線を浴びながら、足かけ三日間しか過ごしていないポルペツカの町を後にしたのだった。
町を出てしばらく行くと馬車は停まり、小休止となった。
オットーが馬車の中から丸めた大きな紙を取り出すと、僕の(ティトゥの?)所までやって来た。
『これがペツカ地方の地図になります。』
何でもこの地図は、ネライ領の代官がわざわざ残していってくれた物なんだそうだ。
どうりで隣接するネライ領の部分が不自然に真っ白だと思った。
まあそれでも僕達が使う分には問題は無い。そもそもネライ領の地図なんてあっても仕方が無いからね。
『今後我々はどこを拠点にするかという話ですが――』
オットーはそう言うと地図上に記された八ケ所を順に指し示した。
『この八ケ所が村の位置になります。昨日ご説明した通り、我々はこのどこかに向かう事になります。』
『ハヤテは何処が良いと思いますの?』
カーチャの淹れてくれたお茶を飲みながらティトゥが言った。
ていうかまだ何処に向かうか決めて無かったの?
『パートナーの意見を尊重したいのですわ。』
いや、それ絶対聞こえの良い言葉でごまかしているだけだよね。
まあいいや。正直昨日のティトゥは見ていられない程張り詰めていた。
今のティトゥは良い感じにリラックスしていつもの元気を取り戻している様子だ。
オットーもそれを感じているのか、ティトゥの決定に不満そうな態度を見せていない。
カーチャはいつも通りだ。
『決められませんの?』
おっといけない。少し考え込んでいたようだ。
でもティトゥの言う通りだ。地図上の位置だけじゃ何も分からないからね。
『ミル。イク。』
『そうですわね。実際に見てみない事には分かりませんわね。』
『しかし全部の村を見て回っていては・・・あ~、確かに。我々にはハヤテ様がいるのでしたね。』
そういう事。僕ならこんな距離ひとっ飛びだからね。
『あの! だったらアタシも乗せて行って欲しいんですが!』
さっきからさり気なく僕達の会話を聞いていた料理人のベアータが元気良くアピールをしてきた。
『おい! ベアータ!』
『良いですわよ。カーチャを乗せるようなものですし、私も女性の話し相手がいた方が良いですわ。』
『やったぜ! ありがとうございますご当主様! お婆ちゃんに良い土産話が出来ますよ!』
小さな体で飛び跳ねるベアータ。
部下の出しゃばりを咎めたオットーだったが、ティトゥにこう言われては引っ込まざるを得ない。
何だろうね。彼の苦労人体質は代官になっても変わらないみたいだ。
僕は思わずホロリと来た。
『あの、オットーさん。ハヤテ様が何だか生暖かい目でこっちを見てますけど。』
『・・・分かっている。』
そしてカーチャに心配されるオットー。
実の親子ほど年の離れた少女に気遣われて立つ瀬がないのか、オットーは憮然とした表情をしていた。
『へへへっ、ハヤテ様よろしく頼むよ。』
ティトゥに手を引かれて操縦席に乗り込むと、ベアータはそう言って僕の計器盤を軽く叩いた。
『サワル。ダメ。』
『あっと、ごめんな。』
僕に叱られてしゅんとするベアータ。小さな子供を叱った時のような罪悪感が湧くが、僕の計器は精密機械だ。あまり触って欲しくはない。
ティトゥはそんなベアータの姿に苦笑いをしている。
『ほら、ハヤテ。早く行かないとオットーが焦れて機嫌を損ねてしまいますわ。準備よーしですわ!』
『マエ、ハナレ!』
僕の声で様子をうかがっていた使用人達が一斉に距離を取った。
「発動機始動準備完了! エナーシャ回せ! 点火!」(あ、ココは日本語ね。)
グオン! バババババ!
勢いよくエンジンがかかり、プロペラが回転を始める。
「試運転異常なし! 離陸準備よーし!」
僕はプロペラの回転数を上げた。プロペラの風に流された燃料の匂いに僕の心は浮き立ってくる。
「離陸!」
僕はブーストをかけると草原を疾走。
タイヤが地面を切ると僕の体はふわりと空に浮かんだ。
『おおおおおおっ!』
ベアータが興奮して風防に張り付いた。
『スゲー! アタシ飛んでるよ! もう馬車があんなに小さくなってるし! あっ! ポルペツカの町が見える! うわっ、鳥は人間の町をこんな風に見てるんだ! ひゃああああ、こんな経験した料理人なんて世界でアタシだけだろうね!』
確かに料理人では君だけだと思うよ。
王女やメイドや当主夫人も含めればもっといるけど。
僕はいつものように旋回しながら高度を上げると先ずは近くの村に向かう事にした。
『う~ん。どこも似たような村だねぇ。』
『そうですわね。オットーはどの村も同じような時期に作られたと言っていたので、同じ人が村の設計を担当したのかもしれないですわ。』
村の設計か。そんな仕事があるのかどうかは分からないが、自然発生的に出来た村じゃなくて王家が造らせた村なんだから担当した人がいたのかもしれない。
それはさておき。僕達は上空からざっと八つの村を見て来たが、規模といい寂れた感じといいどの村も割と似たり寄ったりであった。
『もうポルベツカの町に一番近い村で良いんじゃないでしょうか?』
『最初に見た村ですわね。一先ずそうしましょうか。』
二人の間では結論が出たようだ。それはそれで良いが、僕は少し気になる所があるんだけど。
『チズ。ミル。』
『領地の地図が見たいんですの?』
『よそ見飛行なんてして大丈夫かい?』
こんな上空で何にぶつかるって言うのさ。
僕は広げられた地図を確認した。さっきチラリと見ただけだったけどやっぱりそうだ。
『ウミ。イク。』
『あら? そういえば海の近くに書いてあるコレって村なのかしら?』
『オットー様は村は八つって言ってましたよ。』
どうせ僕ならあっという間だ。気になる事があるなら今のうちに調べておいた方が良い。
僕は海岸線の方角に機首を向けた。
『村ですわね。』
『漁村だね。海沿いではこういった漁村を良く見るよ。』
二人の言葉が同時に出た。
湿地帯は海岸線まで続いているみたいで、その漁村はそんな湿地帯の縁に沿うように作られていた。
多分この村は開拓村が出来る前からこの土地に存在していたため、オットーの説明からは抜けていたんだろう。
まあそれはいいや。それよりも僕が気になっていたのは海岸線のこの地形だ。
『ウミ。ミナト。』
『どういう事だいハヤテ様。確かに漁村なんで船は浮かんでいるけど、港って言うには大袈裟過ぎやしないかい?』
僕の言葉に訝し気な表情を浮かべるベアータ。
ティトゥも最初は同じ様な反応をしていたが、ジッと海を見つめるとハッと息をのんだ。
『違いますわ。ベアータ、見て頂戴。ほら、あそこの海面と外海の海面、波の大きさが全然違いますわ。』
ティトゥの指摘を受けて目を凝らすベアータ。確かにティトゥの言う通りだとは思ったのだろう。しかし、僕達が何を言いたいのかまでは分からなかったようだ。
『あそこにせり出した半島が丁度良い感じに波を遮っているのですわ。』
『あの、それが一体どうしたっていうんですか?』
ティトゥは不思議そうな顔をしたベアータに言った。
『ハヤテはこの土地は”天然の良港”だと言っているんですのよ。』
実の所僕は”天然の良港”がどういった場所なのかその条件を詳しくは知らない。
しかし、僕は地図でこの場所の地形を見た時、何となくピンと来たのだ。
この夏僕は、マリエッタ王女の招待を受けてランピーニ聖国に飛んだ際、上空からレブロンの港町やエステベの港町を見た事で何となく共通点に気が付いた。
それは突き出した半島に挟まれた遠浅の海という所だ。
そういう場所は決まって湾内の波が小さい。
つまり波の小さい場所に港は造られているのだ。
オットーから預かった地図はあまり正確な物とは言えなかったが、突き出した半島は良い目印になるのかその地図にもちゃんと描かれていた。
それがどうにも気になって、僕は一度この場所を確認しておきたかったのだ。
『湾の広さで言えばレブロンの港町ほどでしょうか。』
『それってどのくらいの大きさの港町なんですか?』
どのくらいねえ。ランピーニ聖国だといくつかある港町の一つだと聞いているけど・・・
『この国の最大の港町に匹敵しますわ。』
『えええっ!』
ありゃあ。そうなるのか。
まあ仕方が無いか。ミロスラフ王国ってこの世界でも小国らしいからね。
『漁村の人から話が聞きたいですわ。ハヤテ、降りて頂戴。』
う~ん、それって危なくないかな?
ティトゥが襲われたりしないよね。
僕の不安が伝わったのだろうか。ベアータが小さな胸を叩いた。
『大丈夫。ご当主様はハヤテ様といて下さい。アタシがひとっ走りして話を聞いて来ますから。』
何でもベアータは家を飛び出して最近まで一人旅を続けていたのだそうだ。
こんなに小さな子供なのに凄いな。
あ、そう見えるだけで実はティトゥと同い年だったっけ。
まあそれでも、若い女の子が一人で旅を続けていたのには違いない。
ここは彼女の自信満々な態度を信じてみる事にしよう。
次回「新たな拠点」