その10 決裂
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ここは町の倉庫街。その一角のとある倉庫で、新領主となったティトゥとこの町の商工ギルドの役員達との話し合いが始まっていた。
「今後この土地はナカジマ領となります。近日中にその事をこの町の住人の方々にも通知する事になりますわ。ギルドの皆さんにはそのための協力をして頂きたいのですわ。」
「お待ち下さい、ご当主様。」
各々の自己紹介も終わり、ティトゥは早速役員達に自分達の要望を告げた。
しかし、その言葉は役員の男に遮られてしまった。
「我々ポルペツカの人間は長年ネライ家の領民でした。それが突然ナカジマ家の領民になったと言われても町の人間に余計な混乱を起こすだけかと思われます。」
「でも貴方達はもうナカジマ家の領民なのよ。」
ティトゥは理解出来ないといった顔で問いかけた。
「大変失礼な物言いになってしまいますが、それはそちらが決めた事。我々は犬猫ではありません。右から左に移されて、ハイそうですかと心を切り替えられるものではないのですよ。」
男の言葉に「そうだそうだ」と賛同の声が上がる。
益々困った顔になるティトゥ。
「この町がナカジマ家の領地になる事は王家が決めた決定事項ですのよ。」
「それが納得出来ないとこちらは言っているのです。」
話し合いはいきなり平行線をたどってしまった。
ティトゥの後ろに控えた代官のオットーは「やはり自分が出るべきだったか」と内心歯噛みをした。
しかし、当主であるティトゥが話している以上、ここで彼が横から入るわけにはいかない。
そのような当主の面子を潰すような行動は、貴族の家令として出来るはずがない。
しかし、このままではティトゥが役員達に舐められてしまう。今後の領地運営を考えるとそれだけは避ける必要がある。
オットーは顎が痺れて感覚が無くなるほど強く奥歯を噛みしめた。
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あ~、やっぱりこうなっちゃったか。
僕はすっかり困り果てているティトゥを後ろから眺めてため息をついた。
話し合いの席は険悪な空気が漂っている。
流石は相手は海千山千の権力者達だ。
最初は僕の威容に呑まれていたみたいだけど、ティトゥを攻撃する事ですっかり息を吹き返している。
今では若干ティトゥが吊し上げを食らっている感すらあるな。
基本、今までは貴族の相手ばかりで、一度もこういった相手と渡り合った事のないティトゥには荷が重かったみたいだ。
いや、ティトゥはその貴族の相手すらロクにした事が無かったんだっけか。
まあ偉そうに言っている僕はどうなのよって話でもあるのだが。
せめてオットーは助け船を出さないんだろうか?
ティトゥの後ろで聞いていて、とりあえずギルド役員達の言いたい事は分かった。
分かったが、彼らの言っている事はハッキリ言ってメチャクチャだ。
こんな文句をティトゥに言った所でどうしようもないからだ。
彼らは不平不満を口にしているだけで、何ら実のある話をしている訳ではないのだ。
それをティトゥが馬鹿正直に受け止める物だから話が前に進まなくなっている。
そもそも彼らはティトゥが怒って自分達を処断するとは考えていないんだろうか?
いないんだろうな。
彼らの態度からはそこはかとなくティトゥを軽く見ている様子がうかがえるからだ。
大方「長年名門ネライ家の領民だった自分達がポッと出の新人貴族に舐められてたまるか」とか考えているんだろうな。
ギルド役員の中でも一番若手の男だけは自分達のしている事が分かっているのか、一人だけ周りに賛同していない。
僕の見立てでは、町の人間の中でも太っちょはいわゆる「声の大きい少数派」。
そして若い男は、多分町の人間の大多数に近い位置にいる、いわゆる「物言わぬ多数派」だ。
ティトゥは彼を相手に話をするべきだろう。
しかしこういった場に不慣れな彼女は、一番声の大きい太っちょとばかり話している。
僕はじれったい思いを堪えて話し合いの席を見下ろしていた。
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この何ら実りの無い話し合いが始まってすでに半刻(約一時間)。
一歩も先に進まない話に全員が疲労感と軽い苛立ちを感じていた。
幸い会話が途切れた所を見計らって、オットーがティトゥに声を掛けた。
「お茶の準備をさせます。ここらで少し休憩を入れてはいかがでしょうか。」
「・・・そうね。お願いするわ。」
ティトゥの言葉で場に弛緩した空気が流れた。
ティトゥはテーブルで一人お茶を飲んでいる。
ギルドの役員達は少し離れた場所に移って彼らだけで何やら話し合いをしているようだ。
「どうしましょう。私が代わりましょうか?」
疲労しきった姿のティトゥにオットーが控え目に提案した。
ティトゥにお茶を淹れていたメイド少女カーチャも「それが良い」と彼女の主人に目で訴えかけた。
「・・・そうした方が良いのかしら。」
ティトゥは自分の無力感に打ちひしがれてポツンと呟いた。
「ねえハヤテ、貴方もそう思うかしら?」
ティトゥは自分の背後の大きな姿に問いかけた。
ハヤテはしばらく考えていた様子だったがやがて一言だけ言った。
「ティトゥ、トブ?」
ハヤテはこの話し合いが終わった後、気晴らしに空を飛ぼうかと言ったつもりだった。
しかしあまりに言葉足らずだったため、場の空気を全く読まない不真面目な発言のようになってしまった。
ハヤテの言葉を聞いたオットーは、怒りのあまり頭にカッと血が上がった。
ところが当のティトゥは、ハヤテの言葉にハッとした後、何か重い荷が下りたような晴れやかな笑みを浮かべたのだ。
「そうね。それが良いかもしれませんわ。陛下から突然身に余る爵位を頂いた事で私は大事な事を忘れていたようですわ。私は領主である以前に貴方のパートナー、竜 騎 士なんですわ。」
「中々にしぶとい女ですな、今度の領主様は。」
「我々の話が理解出来ていない様子ですからね。」
「いや、理解していてあの態度かもしれませんぞ。あの若さでも相手は貴族ですからな。面の皮の厚さだけは大したものですわ。」
恰幅の良いギルド長を中心に不満を漏らすギルド役員達。
そんな中、例の一番若い男だけは話の輪に加わらずに一人疲れた顔をしていた。
「我々の要求は既に告げた事だし、休憩後は今度はあちらの言い分を検討してみてはどうでしょうか?」
若い役員の提案に眉間に皺を寄せるギルド役員達。
「検討する価値などあるものか! そういう事は実際にこの領地の運営をしてから言うべきだ!」
「全くだ! 何の実績も示さずに協力だけを要求するなど我々の影響力を軽んじている証拠だ!」
「ネライ家の代官の時はそんな事は無かった!」
自分の意見が即座に叩き切られてうんざりする若い役員。
(実績も何も昨日来たばかりの領主様に何をどうしろというのやら。そもそも、その領地運営を邪魔しているのが他ならぬ自分達だという自覚は無いのかね。)
未だに議論という名の不満をぶつけ合う役員達を冷ややかに見つめる若い役員。
(二言目にはネライ領だった時の話をされるのもいい加減にうんざりだ。そんなにネライ家が良い領主様だったかね。大体我々がここで不満を述べていればネライ家がナカジマ家からこの町を取り返しに来てくれるというわけでもあるまい。ネライ家の時代はもう二度と帰って来ない、それは国王陛下が決められた決定事項だ。今後我々は否が応でもナカジマ家と一緒にやっていかなければならないんだ。そのナカジマ家を早速敵に回すような事をして、この人達は今後一体どうするつもりなんだ。)
ポルペツカ商工ギルドはいつから彼ら老害によって占められるようになったのだろうか。
・・・いや、きっと最初からか。
自分達はネライ家という虎の威光を笠に着ているうちに、自分達まで偉くなったと錯覚してしまった痩せ狐だ。
彼は町の将来に対する見通しの暗さに思わず頭を抱えたくなった。
「貴方達の話を私なりに考えさせてもらいました。」
話し合いの再開はティトゥの言葉から始まった。
「それほどナカジマ家の領民になる事を良しとしないと言うのなら、私がこの町を出ていきますわ。」
「「「「「『は?』」」」」」
その瞬間、ギルド役員達どころかオットー達からハヤテに至るまで、この場にいる誰もがティトゥが何を言ったのか理解出来ずに言葉を失ってしまった。
「オットー、町を出る支度をしなさい。カーチャ、貴方は屋敷の使用人達へこの事を伝えるのよ。」
オットー達に指示を出すと共に席を立つティトゥ。
全員呆気にとられる中、ギルド役員の若い男が血相を変えて立ち上がると正面に座るギルド長に叫んだ。
「いけない! ギルド長! 早く領主様をお止めするんです! 貴方が商工ギルドの現在の代表なんですよ、急いで!」
男の言葉に「え? いやしかし」と無意味な言葉を繰り返すギルド長。
事態の変化に付いて行けないギルド長に、若い役員は歯を食いしばって舌打ちを堪えた。
彼は頼りないギルド役員達に見切りをつけると自分でティトゥに訴えかけた。
「領主様、お考え直し下さい! まだ互いに話し合いの余地はあります! 私が彼らに言い聞かせますから時間を下さい!」
「もう結構ですわ。」
若い役員の必死の訴えをあっさりと遮るティトゥ。
「私はハヤテに言われてますの。私は国王陛下から爵位を頂きました。確かに名誉な事ですが、それはあくまでも人間の決めた地位や身分にすぎませんわ。私はそんな立場になるよりも先にドラゴンの契約者に選ばれていますの。どちらを選ぶかと聞かれれば私はドラゴンの契約者である方を選びますわ。私はナカジマ家当主である前にハヤテのパートナー。竜 騎 士なのですわ!」
ティトゥの後ろでフラリと倒れそうになるオットー。
『あれっ? 僕そんな事言ったっけ? いや確かに、いざとなったら放り出せば良いとは言ったけど。』とあたふたするハヤテ。
そんなハヤテを呆れたようにジト目で見つめるメイドのカーチャ。
「貴方達は自分達でやりたいようにやって頂戴。私達は私達でこの町の外でナカジマ領を治めていきますわ。」
そう言うとティトゥはさっさと倉庫の外へ出て行ってしまった。
慌てて彼女を追うナカジマ家の使用人達。
後にはポルペツカ商工ギルドの役員達が残された。
「ななな、なんて生意気な女だ! ペツカ唯一の町であるこのポルペツカを出て何が出来るというのか!」
「代官様の屋敷だってこの町にあるのに、湿地帯の真ん中で地べたに座って執務を行うつもりらしい。」
「呆れた方だ。もっと話の分かる方だと思っていたのに。」
ここぞとばかりにティトゥの文句を言い合う役員達。
ギルド長は目の前で力無く項垂れる若い役員をジロリと睨んだ。
「さっきは領主相手に我々を言い聞かせるなどと大口を叩いていたな。後で責任を追及される事にならねば良いがな。」
「・・・まだ分からないのか。この町が終わった事に。」
「?」
ギルド長は一瞬訝し気な表情を浮かべたが、男の負け惜しみとでも思ったのか直ぐに興味を失くしてしまった。
それよりも現在彼の周りで活発に交わされる会話の方が重要だと考えたからだ。
「勝手にやれと言われるなら勝手にやりましょう。」
「そうですな。私の知り合いにネライに顔の利く鍛冶師がいます。彼に連絡を取ってみましょう。」
「良いですね。でしたら私も知り合いのネライ商人に融資を持ち掛けてみますよ。」
「おいおい、勝手に話を進めてもらっては困るぞ。先ずはギルド長である私に話を通してもらわないと。」
若い役員はそんな彼らの会話を遠い世界の出来事のように聞いていた。
(融資? 馬鹿げている。ネライ家の後ろ盾のないポルペツカに融資するような商人なんているわけ無いだろう。人口の過半数がスラムの住人という町なんだぞ。犯罪組織ですらこの町に寄り付かないのがその証拠だ。この町は彼らのような人間にとってすら何の旨味も無いんだ。)
彼はこの町がネライ家からの支援なしには成り立たない構造である事をずっと危惧していた。
いや、この町では多くの者がその事に不安を覚えながらあえて直視することを避けて生活しているのだ。
人間は自分の足元がギリギリの崖っぷちであるのを知りながら、平気で日々の生活を送れるほど心が強くは出来ていないのだ。
彼はティトゥが今後一切ポルペツカに支援をしないと決めたのだろうと考えて絶望していた。
しかし実の所、ティトゥはそこまで割り切っている訳では無かった。
今後も出来る範囲でならポルペツカも支援するつもりではいた。
この町も国王陛下から下賜された彼女の治めるナカジマ領の一部だからだ。
若い役員は自分の妻と子供を思い浮かべた。自分がこの町を離れたいと言えば家族は付いてきてくれるだろうか?
(いや、無理か。妻の両親はこの町を離れないだろう。彼女が両親を置いていくという提案に頷くとは思えない。)
彼は立ち上がる気力も失い、この町の将来に苦悩するのであった。
そんな男達を見下ろす存在があった。
ハヤテである。
(え~と、みんな僕の事を忘れて町を出たりしないよね。)
最初の登場のインパクト以来、すっかり忘れられた存在になったハヤテは、一人だけ別の意味での不安を抱えながらティトゥ達が戻ってくるのを寂しく待ち続けるのだった。
次回「再出発」