その10 隣国ゾルタ
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ミロスラフ王国王都・ミロスラフ
その王城の執務室。
愚鈍な国王に代わって実質ミロスラフ王国の全てを取り仕切っていると言われる宰相ユリウスは、にわかには信じられない知らせを受けて混乱していた。
「バカな、もう国内に入り込まれているだと?! 国境の砦は何をやっていたのだ!」
それはあまりに衝撃的な報告だった。
隣国ゾルタが突然攻め込んできたばかりか、あろうことかすでにミロスラフ王国の内部にまで入り込んでいるというのだ。
「どういうことだ? それこそ魔法でも使わねば不可能ではないか?」
もちろんこの世界に魔法は存在しない。
胡散臭い香具師やペテン師の類で魔法を使うと謳う者はいても、魔法はあくまでおとぎ話の中の存在であり、まともに取り合うようなものではない。
昔から幽霊やドラゴンと同様、それを騙った詐欺が後を絶たないオカルトの代表的な存在であった。
やがて次々と情報がもたらされるにつれ、今回の事件の全貌が明らかになった。
「船・・・だと。まさか隣国ゾルタがそこまで投機的な手段を取るとは・・・」
そう、隣国ゾルタは船を使い国境の砦を迂回、まんまと兵をミロスラフ王国本土に上陸させることに成功したのだ。
今回攻め込んできた隣国ゾルタだが、正式名は「神に導かれし白銀の地ゾルタ王朝」という。
なぜこんな長い名前が付いているかというと、この地には現在ゾルタ王朝を名乗る国が他にもあるからである。
王国民は大抵の者が隣国のゾルタ、ないしは隣国ゾルタと呼んでいる。
国力比はゾルタを10とすればミロスラフ王国は8~9。
ほぼ等しい国力といえる。
何もなければ守る方が有利になる状況でありながら、隣国ゾルタがわざわざ戦いに踏み出したのは、ここ数年の農作物の不作が原因であろう。
持ってなければ持っている他の国から奪えばよい、というのはこの世界の支配者の常識である。
むしろ他の国を攻めなければ、自国内で奪い合いが始まってしまう。
なぜなら土地を治める領主にとって優先すべきは自領の領民であり、他の領の領民のことなど知ったことではないからである。
どんな手を使ってでも領民を食わせられる領主が偉いのであって、正しく清らかでも領民が飢えれば悪なのである。
今回隣国ゾルタが使った手段は、大型船に可能な限り兵士を詰め込んでミロスラフ王国内に送り込む、という乱暴な方法だった。
これは一歩間違えば国の戦力が全て海の藻屑になりかねない危険な作戦だ。
この世界はまだ操船技術も拙い上、急な悪天候による船の転覆の恐れもある。
ましてや目的地は知らない土地の海岸線だ。隠れた暗礁や急な潮流による座礁など、考えられる危険があまりに多すぎる。
だが隣国ゾルタはその賭けに勝った。
こうなれば彼らの前に立ちふさがるのは、堅牢な国境線の砦とそこにつめる鍛え抜かれた守備隊ではない。
国内で治安を守る仕事に就く、戦力も装備も格落ちでしかない二軍の軍隊だ。
現代の地球の感覚でいえば、警察官と軍隊が戦うようなものである。
散発的な戦いにより、現在それら国内兵力は蹴散らされ、王国は今や侵略軍にされるがままの状態になっていた。
しかし幸いなことに、土地勘のない他国の懐深くに入りこんでしまったがためか、侵略軍は現在あまり大きな動きは見せていない。
線で攻めたのではなく点で攻めたことにより、本国と補給線の繋がりが持てない状態なのだ。
そのため敵は上陸地点の周囲を駆逐し安全を確保した後、そこを中心に橋頭堡を築こうとしている最中であった。
もしもこの地に橋頭堡が確保されたなら、すみやかに船で本国からの補給が行われ、今度は国境の砦に向かい逆侵攻が行われることだろう。
砦というものは味方から攻められることは考慮されていない。少なくともミロスラフ王国の砦はそうだ。
砦が墜ち、拠点化された上陸地点と補給が繋がってしまえば、隣国ゾルタはミロスラフ王国に自由に兵力を送り込めることになる。
こうなってしまえば攻めたい放題だ。
王国としては国土全てを守らなければならないが、そのためには兵力が足りない。仮に各地に分散させても、それをすれば各個撃破されるだけとなる。
攻める方は攻めたい場所に戦力を集中させれば良いのだから。
結局、王国は王都を守るために首都の周りに兵力を集中させるしかない。それ以外の選択は取れないのだから当然だ。
だが隣国ゾルタにとっては無理に王国を滅ぼす必要はないのだ。
今回の戦争の目的は言ってしまえば「押し込み強盗」なのだから、取るものさえ取ってしまえば後は国に帰ってしまえば良いのである。
どうせ国境の砦も失った王国には今後いつでも好きな時に攻め込むことが出来るのだから、無理をして今攻め滅ぼす必要はないのだ。
逆に王国は国民を養う食料も、敵から身を守る砦という盾も失い、厳しい立場に立たされることになるだろう。
「つまり侵略軍が今築きつつある橋頭堡を完成させなければ良いわけだな」
火急の相談がある、と宰相の執務室に呼び出されたカミル将軍が、開口一番口にした言葉である。
(やはりこの方は頭が回る)
宰相の前に立つカミル将軍は金髪を短く刈り込んだ20代後半の美丈夫、この国で一番若い将軍である。
国一番の剣士の呼び声もあり、その容姿と相まって国民の人気も非常に高い。
(今の王ではなく、この方が王になるべきだったのだ)
カミル将軍の旧姓はカミルバルト・ミロスラフ。この国の第二王子だった。
その武勇と聡明さから凡庸な第一王子よりも彼を推す声が多く、そのことで国を割ることを恐れたカミルは、第一王子が成人すると早々に父王に願い出てヨナターン家に臣籍降下してしまったのだ。
本来その家柄と実力から国境の砦の司令官となるべきところが、流石に降下したとはいえ元王室の人間を危険な最前線に送るわけにもいかず、現在は王都騎士団の将軍職に任じられている。
「すぐに動けるのは王都騎士団くらいだが、私が出向くことを国王が許すかどうか・・・」
カミル将軍が王都付きの王都騎士団に任じられているのは、自分より優秀な弟が自分の目の届かない場所で派閥を作ることを恐れた現国王の横やりによるものだ、というのがもっぱらの噂である。
だがそれがただの噂ではないことを、ここにいる二人は知っている。
「国家存亡の危機だ。なんとしてでも聞き入れてもらう」
「敵兵力は約2千か・・・」
2千人もの兵力を船に乗せて送り込んできたとは驚きだ。
隣国ゾルタは本気で、というよりなりふり構っていられない状況なのだろう。
「王都守備隊だけで予備兵も含め3百。戦場に着くまでにあちこちからかき集めても千を超えるくらいだろうな」
「倍の兵力差か・・・」
「しかもこちらは寄せ集めの烏合の衆でしかない。もっとも相手の方も同様だと思うが」
確かに、2千もの精鋭をこのような投機的な作戦に投入するとは考え辛い。
希望的観測かもしれないが、宰相もその可能性は高いと考えていた。
「各地の領主には戦場に兵を送るよう通達を出した。後は国王陛下に出兵の宣言をして頂くだけだ」
「王都に集めないのか? なんだってそんな危険なことを」
「・・・現在王都に千の兵を養う兵糧の蓄えがないのだ。現地の物資集積場に直接集めている最中だ」
口惜しそうに宰相がこぼした。
泥縄的な無様な処理に優秀な官僚としてのプライドが傷つけられているのだろう。
「幸い侵略軍は今は閉じこもって橋頭堡を築いておる。危険はないと判断した」
「・・・分かった、一部の部隊だけでも先に現地に送り守備に就かせる」
今回の戦いは厳しくなりそうだ。
カミル将軍はその凛々しい眉をひそめた。
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「戦争ですか?」
「ああ、どうも良くないようだ。私も領主様と共に前線に出なければならないだろう」
マチェイ家の穏やかな食卓の空気が緊張に包まれた。
心配そうな母親の姿にまだ7歳の長男は今にも涙をこぼしそうだ。
ティトゥがそっと彼を引き寄せ、胸に抱いた。
「前線ですか? いつぞやのように後方の予備部隊ではなくて?」
この世界ではわりと頻繁に国同士の小競り合いが起こる。
しかし、国境に接した領地はともかく、王都にほど近いマチェイ家はその騒乱から無縁であった。
数年前に他国の侵略があった時にも、戦闘自体は国境線の周囲で行われたため、ティトゥの父は後方での治安維持や糧秣の輸送が主な任務であった。
「ミラダ、私の装具を。オットーは村名主に兵役の通達を。後、誰か司祭様を呼んでくるように」
メイド長と家令が指示を受け立ち去る。司祭を呼ぶのは自分が離れている間、民に不安が広がらないよう伝えておくこと。それと・・・
「あなた・・・」
「あくまでも念のため」
もし自分に何かがあった時のために遺言書の更新をしておくためだ。
次回「不安」