その6 ティトゥ・ナカジマ
『お久しぶりです、ハヤテ殿。といってもあまり久しぶりには感じませんが。』
僕の居座るテントに訪ねて来たのは髭の立派な騎士団のおじさん。
前回の王都旅行でお世話になった、王都騎士団のアダム隊長だ。
ちなみに彼とセットでお世話になった残念美人のカトカ女史だが、彼女はすでに年内に結婚が決まっているため寿退社している。
随分とスピード結婚だな。おめでとうございます。
彼女は今、実家で花嫁修業中なんだそうだ。
ご祝儀を包もうにも手持ちのお金は無いし、結婚式にはお祝いに曲芸飛行でもしに来た方が良いのかな?
というか、日本からこの異世界に転生してそろそろ半年が経とうとしているのに、未だに無一文って人としてどうだろうか。
まあ、お金があっても使い道は何も無いんだけど。
『? どうかされたのですか?』
おっと、考え事をしていた僕にアダム隊長が訝しげな顔をしているな。
いけないいけない。
『サヨウデゴザイマスカ。』
『・・・。ハヤテ殿。あなた返事に困ったらとりあえずそう言っておけば良いと思っていませんか?』
アダム隊長にまでバレバレな件。
ここは割とつい最近までお世話になっていた、王都騎士団の壁外演習場である。
僕は戦勝式典の時のように荷車に揺られてこの場所までやって来た。
言うまでも無くティトゥの叙位の付き添いである。
正直、今回僕は来る必要は無いと思ったんだけど、ティトゥが僕を連れて行く事を頑として譲らなかったのだ。
ティトゥパパも前回の一件があるだけに、ティトゥに強く言えなかったみたいだ。
・・・あんなトラブルがそうそうあるとは思えないんだけど。
結局、王都から一度マチェイに戻ってから領地に行くのも手間だという話になって、王都で爵位を貰ったらその足で領地を目指す事になった。
何とも慌ただしい話だが効率的な判断でもある。
そのためドタバタと別れを済ませてティトゥは王都への旅に出たのである。
ティトゥはどんどん落ち着きが無くなっていくようで、僕は少しだけ心配だよ。
まあ別れがどうのこうの言っても僕に乗れば直ぐにでも里帰り出来るんだけどね。
なんならマチェイから毎日通っても良いくらいだ。
さすがに皆の手前、それは出来ないだろうけど。
さて、王都までやって来たので早速叙位をお願いします。では済まないのがこの世界。
ティトゥ達は、王家の準備が整うまで宿屋で絶賛待たされ中である。
そんな訳で僕は以前のようにこの壁外演習場にご厄介になっているのだ。
面倒なので証明書だけ後で領地に郵送してくれないかなあ。
『しかし、マチェイ嬢が叙位される事になるとはあの時は思いもしませんでしたなあ。おっと、今はナカジマ家のご当主様になられたのでしたな。』
『ソウダネ。』
アダム隊長の言葉に適当に相槌を打つ僕。
あ~、やっぱりあの時中島って名前を出したのは失敗だったなあ。
誰かがティトゥに話しかける度に『ナカジマ様』『ナカジマ様』って言われるんで、ついつい自分が呼ばれているみたいでムズムズするんだよね。
この世界の人の名前って日本人の僕には馴染がないから、聞き覚えのあるナカジマって言葉をつい耳が拾っちゃうんだろうな。
ティトゥのメイド少女カーチャは『そんなにイヤなら何でその名前を言ったんでしょう?』みたいな目でこっちを見る事があるけど、違うんだよホント。気の迷いというか、ほんの出来心というか、まさかこんな事になるなんてあの時は思ってもみなかったんだよ。
『そうそう、この度私は配置換えになりまして。今までの乙三班からカミル将軍直々の部隊に転属になりました。』
おおっ! それって栄転なんじゃないの?!
しがない万年平班長から抜け出してエリートコースに乗ったんだね。
これで大人の店にも行きたい放題になるね。
『オメデトウ!』
『・・・何でしょうね。今何か失礼なことを考えていませんでしたか? まあ、ありがとうございます。』
失礼な事なんてとんでもない。僕は心から祝福しているよ。いやあ、めでたい。
『それでですね。私の上司になった将軍から直々にハヤテ殿にお話があるそうなのです。今日はその事をお伝えするために来たのですよ。』
カミル将軍が? 一体何だろうね。まさか僕が心の中でいつも彼を将ちゃん呼ばわりしている事を知って、一言文句を言いに来たって訳じゃないよね。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここは王城の廊下。初老の男が供も連れずに一人で歩いている。
宰相ユリウスである。
彼はふとその場で足を止めた。
廊下の一角に彼の良く知る人物を認めたからである。
「カミル将軍。」
「・・・こうしてここで会うのはいつかの時以来だな。」
そこに立つのは長身の美丈夫。
この国の元第二王子であり、現王都騎士団の団長カミル将軍である。
カミル将軍は軽く辺りを見渡した。
少し前にカミル将軍は、王都に招聘された竜 騎 士の二人の面倒を自分達で見ると宰相に告げた事がある。
それがこの場所だったのだ。
「そんな事もあったな。で、本日は何の用かな?」
「知れた事。マチェイ嬢の叙位の件についてだ。」
カミル将軍の怒りを含んだ鋭い視線がユリウス宰相を射抜いた。
敵どころか味方からも恐れられる将軍の視線を受けて、しかし、ユリウス宰相は何の痛痒も感じていない様子だった。
「女に爵位を与えるだけでも例がない上、与える領地が弟の治めていたクズ領地とは悪ふざけにも度が過ぎるぞ。」
「陛下が決められた事だ。」
「貴様が兄をそそのかしたのだろうが!」
臣籍降下して臣下となった時から、カミル将軍は国王を兄と呼んだことはない。
自分の決めたルールをうっかり破ってしまうほど、今の将軍は怒りを抑えきれずにいた。
「こんな悪辣な陰謀、あの兄の頭で思い付くはずがないだろうが! 俺をたばかるのもいい加減にしろ!」
「・・・今の言葉は聞かなかった事にする。」
現国王は愚王ではないが暗君。これはこの国の中枢に携わる誰もが知る事実である。
ユリウス宰相は実の弟であるカミル将軍ですら、今回の件を画策したのが国王本人であるという事実を信じていない事に軽い驚きを覚えた。
「この件は正真正銘間違いなく、国王陛下ご自身がおっしゃられた事。私はそれを採択したに過ぎない。」
「それを証明する事は?」
「・・・出来んな。ならば陛下ご自身に直接お尋ねするか?」
カミル将軍は兄が王位についてから一度も直接口をきいていない。
二人が会話を交わしたというだけで、周囲に良からぬ憶測を生みかねないからだ。
それほどこの国には彼を王位に推す声が今でも根強く残っているのだ。
結局、カミル将軍はその一歩を踏み出す事が出来なかった。
将軍は自分が折れざるを得ない事を悟った。
「・・・マチェイ嬢、いや、ナカジマ家には俺が後ろ盾として付く。異論は無いだろうな。」
「ご自由に。」
将軍の最後の言葉は誰が聞いてもただの負け惜しみだ。
カミル将軍の権限は王都を守備する騎士団に限られているし、彼の臣籍降下先であるヨナターン家は清廉ではあっても大して発言力のある家ではない。かつてカミル将軍自身がそういう家を降下先に選んだのだ。
去っていくカミル将軍の背中を見ながらユリウス宰相は、実の弟である将軍にも愚鈍と思われている国王に対して僅かな哀れみを感じるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから五日後。王城に呼ばれたティトゥは正式に国王から小上士ナカジマ家の爵位を授かった。
ここにミロスラフ王国建国以来、初めての女領主が誕生したのである。
詳しい事情を何も知らない王都の民達は姫 竜 騎 士の賜った栄誉に歓喜の声を上げた。
王都の通りという通りはティトゥとドラゴンをモチーフにした絵や飾り付けで一色になった。
戦勝式典を終えて少し沈静化していた姫 竜 騎 士ブームの再燃である。
彼らは戦勝式典で王都の空を飛んだハヤテの姿を見ているはずなのに、似ても似つかないドラゴンの絵を描いているのはご愛敬だろう。
彼らがティトゥの領地を知って唖然とし、王家に対して不満と憤りを覚えるのはまだ少し先の事である。
次回「領地への旅」