その5 ネライ領ポルペツカ
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ナカジマ家の代官となったオットーが、赴任先であるペツカ地方唯一の町、ポルペツカに到着したのはマチェイを出て八日目の事だった。
「これは・・・少し意外でしたね。」
「・・・ああ。」
ここに来るまでに散々貧しい光景を見慣れていたオットー達一行は、ポルペツカもさぞ寂れた町だろうと内心覚悟を決めていた。
しかし彼らの目に入ったポルペツカの町は、人通りこそ少ないものの普通に整った町に見えた。
「いや、そうでもないか。」
オットーは町の通りをよく観察すると眉間に皺を寄せた。
一見整った普通の町に見えるポルペツカだったが、ひとたび路地裏に目を向けるとそこには飢えて横たわる人々の姿があった。
おそらく食い詰めて町に来た元村人だろう。
ポルペツカは大通りを一歩離れるとスラムが広がる、半ばスラム化した町だったのである。
「ようこそいらっしゃいました。当主からお話は伺っております。この度は爵位の授与、誠におめでとうございます。なんでも女性が爵位を受けるのは初めてとのこと。王都でも大変話題になっていると私めの耳にも入っております。」
「ありがとうございます。当主に成り代わりお礼を言わせて頂きます。」
代官の屋敷でオットーを出迎えたのは痩せた神経質そうな男だった。
彼がこのペツカの代官なのだという。
位の高い貴族の家臣にありがちなこちらを見下したような態度に、オットーは不快感を押し殺して頭を下げた。
「では私めはこれで。」
「は?」
挨拶を済ませた途端、引き上げようとする男にオットーは慌てて声を掛けた。
「お待ち下さい! 引継ぎの作業がまだ何もされていませんが?!」
オットーの言葉に男は足を止めると揶揄するような冷笑を浮かべた。
「知りませんね、私はネライ家の者ですから。ご心配さらずとも書類の類はキチンと整えております。後はご自由にどうぞ。」
「・・・。」
相手のあまりに不遜な態度にオットーの顔が怒りに朱に染まった。
男はそんなオットーを尻目に、もう会話をする価値も無いとばかりに歩き去って行った。
後日の話だが、彼はこのまま屋敷に戻り、翌日にはきれいさっぱり部下をまとめてこの町を後にしたのだった。
「オットー様。」
「・・・言うな。愚痴をこぼすだけ時間の無駄だ。」
心配そうな部下の男の言葉に対し、オットーは怒りを堪えたまま振り向きもせずに吐き捨てた。
悔しいがあちらは上士位でも名門のネライ家の家臣。
こちらは新興である上に小上士位と格も一つ下がるナカジマ家の家臣。
ここで揉め事を起こせば当主であるティトゥにまで迷惑がいく恐れがあった。
もちろんオットーにも部下達の言いたい事は分かる。
代官の仕事は書類仕事だけをしていれば良いというものではない。
どちらかと言えば日頃は、町の有力者や商工会の代表、村の代表である村名主等、そういった者達との折衝が主だった仕事となる。
それら有力者への面通しも行われていない現状のままでは、今後の領地運営にどんな支障が出るのか分かったものではないのだ。
「先ずは資料を調べてこの領地の内情を把握しよう。相手に会うにしろ、こちらが何も知らない状態では信用もされないだろう。」
「・・・分かりました。」
納得出来ない表情を浮かべながらもオットーの言葉に従って動き出す部下達。
そんな部下達の背中を見ながら、オットーはこの領地に着いた時からずっと感じている重苦しい不安がさらに高まるのを感じていた。
あの生意気な代官は確かに言った通りに書類を残しておいてくれた。書式といい、読みやすさといい、正に非の打ち所がない完璧な仕事だった。
あんな態度でも有能な男だったのだろう。こんな領地とはいえ、名門であるネライ家で代官を任されるほどの男なのだからそれも当然なのかもしれない。
ただし、資料の出来は良くとも、そこに書かれている内容は別だった。
「・・・何だこの土地は。領地として全く機能していないじゃないか・・・」
昨年の領内の出納書類をざっと読み進めていくうちに、オットーは思わず自分の目で見た数字を疑ってしまった。
「こちらはこの町の出納書類ですが・・・」
「なっ! これは――」
これは書かれている数字が逆じゃないのか?! オットーは思わずそう口走りそうになった自分を辛うじて抑えた。
部下達が不安そうに自分を見ていたからである。彼らの前で上司である自分がうろたえるわけにはいかない。
だが部下の気持ちも分かる。オットーも自分が代官でなければ、きっとそんな目をしていただろう。
それほどまでに書類に書かれた数字は衝撃的だったのだ。
「こちらは町から一番近い村の出納書類ですが、やはり・・・」
オットーは部下から差し出された書類に目を落とし、思わず目を覆いたくなる現実を直視させられた。
オットーは一つ大きく息を吐くと声を絞り出した。
「先ず分かった事は、”この領は完全に破綻している”、という事だ。」
ポルペツカの町は税収を維持管理費が大きく上回っていた。
「村に至ってはさらに絶望的です。」
部下の言葉にオットーは苦々しく頷いた。
ミロスラフ王国は農地の租税は基本、五公五民。つまり収穫の半分は領地を運営する貴族に税として納めなければならない。
まだ農業が未熟で単位面積当たりの生産量の少ないこの時代、それ以上の税率は農村にはとても耐えられないのだ。
とはいえ人頭税や戦の時の兵役等、農村は追加の出費に常に苦しめられていた。
貴族はそうやって集められた作物を金に換え、そのうちの何割かを王家に納める事でその庇護を受けている。その割合は家格と慣習によって定められているため一律ではない。
このペツカでも開発開始当初の10年間は免税されていたが、現在では五公五民の原則に従って半分を税として納めていた。
「しかし、村の総生産量では村の全人口を養っていけません。」
そう。もし税を全く取らなかったとしても、元々村には彼らが一年間食べていけるだけの収穫すら無いのである。
ならなぜ村が消滅してしまわないのか?
それはこの土地が、王家がネライ家に支給する支援金によって運営されているためである。
王家は毎年莫大な支援金をネライ家に支払っているのだ。
ネライ家はその金で物資と食料を購入し、街道を使ってこの領地まで運ぶ。
街道のあちこちにある村は、その食糧輸送隊から通行料として食糧を取って自分達の足りない食糧を補う。
そうやってあちこちの村に通行料を取られながら、食糧輸送隊は最終的にこの町にたどり着くのだ。
つまり、この町に来るまでにオットーが感じた”領地のほぼ唯一の産業が街道からの通行料”という感想は正にその言葉通りだったのである。
本来であれば開拓のために敷かれた街道こそが、村人達にとっての”第二の農地”に他ならなかったのだ。
あまりに絶望的な現状にオットーは目の前が暗くなるのを感じた。
(この領地を運営する? 不可能だ。ここは領地なんかじゃない!)
今までこの土地は王家が資金を出し、ネライ家が物資の買い付けを行う事で辛うじて生かされていた。
しかし、ナカジマ領としてネライ領から切り離された今、この土地はナカジマ家が独自に運営しなければならなくなった。
(王家が今まで通り資金を出したとしても、買い付けはどうする? マチェイ家を頼るか? 駄目だ。マチェイからでは運搬コストが跳ね上がる。現実的にはネライ家と取引をするしかない。しかしそれをやれば王家に加えてネライ家に我々の生殺与奪の権利を握られる事になる。だがしかし・・・)
「いくつか村を潰して、資金を集中させれば少しは開発が進むのでは・・・」
「いや、それを理由に国からの支援金を削られかねないぞ。」
「有り得るな。王家としてはこんな採算の取れない土地は手放したいだろうからな。こちらからそのための口実を与えるべきじゃない。」
部下達の話し合いも結論が見えないようだ。そもそも、自分達の力でどうにか出来るようなら、とっくにネライ家がどうにかしていたに決まっているのだ。
王家は何でこんな土地をティトゥ様に与えたのだろうか?
その疑問を覚えた時、オットーは突然、王家の考えを理解出来た気がした。
(王家はハヤテ様を――ドラゴンをティトゥ様から取り上げるためにこの叙位を仕組んだんだ! 王家はティトゥ様が領地運営で音を上げるのを待つ気でいるに違いない! やがて我々が運営に行き詰まって首が回らなくなった時、援助の見返りとしてティトゥ様からハヤテ様を差し出させるつもりなのだ!)
その考えはオットーの体を雷撃のように貫いた。
オットーは見た事も無い国王と国を預かる宰相のあまりの悪辣さに吐き気を催すほどの怒りを覚えた。
あの方達をそんなヤツらの好きにさせてたまるものか!
オットーは決意を新たにしたが、残念な事に具体的な手の打ちようは何も思い浮かばなかった。
ナカジマ家の領地運営は始まる前から暗礁に乗り上げてしまったかに思われた。
次回「ティトゥ・ナカジマ」