その4 シモンの決断
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マチェイ家の当主、シモンが屋敷に戻って来たのはティトゥがランピーニ聖国から帰って五日目の事だった。
「お帰りなさい」
「ああ。ティトゥも帰って来ているようだね」
妻のエミーリエと息子のミロシュに出迎えられたシモンは、挨拶もそこそこにそう答えた。
先程屋敷に戻って来た時に、馬上から庭にハヤテの姿を見つけたのだ。
「五日ほど前に無事カーチャと戻って来ました。今はオットーと叙位のための手続きをしています。」
「そうか・・・ ルジェック、至急オットーを私の所に」
シモンの指示を受けて大柄な青年が速足で屋敷の奥に向かった。
シモンは外に用事がある時は大抵この青年――ルジェックを伴って行動する。
ルジェックは大柄なその見た目に似合わず、細かい所まで行き届いた青年で、シモンは何かと彼を重宝していた。
シモンの様子に不穏なものを感じて表情を曇らせるエミーリエ。
「良くないんでしょうか?」
「・・・そうだね。私の聞いた話が大袈裟なものである事を願うよ」
シモンはそう言うと、両親の間に漂う重い空気を感じて不安そうな表情を見せる息子を抱きしめた。
「領地替えはやはり受け入れられなかったよ」
「・・・さようでございますか」
ルジェックに呼ばれて執務室までやって来た家令のオットーに対し、シモンは開口一番そう告げた。
実の所、二人共あまり期待はしていなかったが、やはり現実に無理と分かると厳しいものがある。
オットーは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
「それよりも、娘の領地として与えられる事になったペツカについての噂を集めて来た。先ずはそれをお前に聞いておいて欲しい」
シモンはそう言うと机の上に端切れの束を置いた。
シモンが集めて来た情報はオットーには信じられない内容だった。
「・・・何でそんな土地がこの国にあるんでしょうか?」
「先代の国王陛下の政策の負債だね。私も耳を疑ったよ」
この国の先代の国王は色々としでかした事で有名だが、そのうちの一つがペツカ大湿原の開発事業である。
元々ペツカ大湿原は国内にあって、全く手つかずの誰からも見向きもされない土地だった。
その広大なペツカ大湿原を農地に変える事が出来れば当然国庫は大いに潤うだろう。
しかし、その困難な事業は成果を残せぬままズルズルと続き、今では負債だけが国に重くのしかかっていた。
「それにしても馬鹿げている。切り上げる事は出来なかったんでしょうか?」
「王家の威信にかかわる問題になっているのかもね。ネライ家が引き取ってくれていなければ今頃王家が傾いていたかもしれないね」
当時、ペツカ大湿原の周りには誰も住む者はいなかった。土壌も痩せている上に、夏には毒虫が湧くような土地には何の価値も無かったのだ。
そこに目を付けたのが当時の国王だった。
国王は周囲の反対する勢力を押し切り、莫大な予算を投じていくつもの開拓村を作らせた。
開拓村には毎年の開発予算の支給と10年間の完全免税が約束された。
国王は、彼らが土地を開拓すれば国土が広がり、国が潤うと考えたのだ。
そしてこの計画は見事に失敗した。
現在では10年の免税期間も過ぎ、開拓村は大沼を開拓するどころか、毎年の予算を食いつぶすだけの負債だらけの貧乏領地となっていた。
「それにしても酷い・・・ ティトゥ様がお可哀そう過ぎます。ネライ卿の時といい、今回の事といい、なぜあの方ばかりがいつも酷い目に遭われなければならないのですか。この国はティトゥ様に辛く当たらねばならない理由でもあるのですか」
歯を食いしばり、怒りの感情に、目に薄っすらと涙すら浮かべるオットー。
誰よりも娘の境遇に胸を痛めていたのは、父親であるシモン自身である。
シモンは、ティトゥに降りかかる理不尽に対して怒りを抑えきれない家令の姿に、少しだけだが娘が救われたような気がした。
しかし、シモンはそんなオットーに辛い宣告をしなくてはならない。
シモンは一つ息を吐いて呼吸を整えると、オットーに非情な宣告をした。
「オットー。私はお前にこの難しい領地の代官を頼みたいと思っている」
シモンの言葉にハッとするオットー。
自分が? この破綻した領地の運営を? 無理に決まっている。いや、可能な人間がいるとは思えない。この国の宰相でも不可能だったのだ。仮に有能で鳴らしたミュッリュニエミ帝国の宰相をもってしても不可能なのではないだろうか?
オットーの怯みを感じたのだろう。シモンは黙って頭を下げた。
突然の出来事に慌てふためくオットー。
「ご・・・ご当主様! 一体何を?!」
「こんな頼み方は卑怯だと思う。でも僕は娘のために出来る事は全てしたいと考えているんだ。お前は僕が娘に与えられる最高の切り札だ。絶対に外す訳にはいかないんだよ」
シモンの言葉を聞いて、オットーは自分の心に生じた弱気を恥じた。
オットーは深々と頭を下げた。
部屋の中に二人の男が互いに頭を下げ合う光景が生まれた。
「自分のような人間に過分なご評価を頂き、感謝の言葉もありません。その役目、謹んで受けさせて頂きます」
「・・・本当に、本当にすまない」
間違いなくこの人事は貧乏くじだ。王家が押し付けた負債を今度はシモンがオットーに押し付けたに過ぎない。
シモンはその事を十分に良く分かっていた。
しかし、娘の苦労を極僅かでも減らすため、彼は自分がいくら恨まれようと打てる手は全て打つつもりでいたのである。
「お前の息子、エリアスはこの屋敷の家令として大事にする事を約束する」
「ありがとうございます。案外アレもうるさい父親がいない方がのびのびとやれるでしょう。そちらで良いように使ってやって下さい」
同時に頭を上げて顔を合わせる二人。
オットーは万感の思いを込めて今の主人、じきにかつての主人となる者の顔を見つめた。
シモンは自分の決断によって、厳しく不幸な人生を歩む事が決まってしまった人間の顔をじっと見つめた。
二人はこの日の互いの顔を死ぬまで絶対に忘れないだろう。
「準備が出来次第、お前にはペツカへと向かって欲しい」
「ティトゥ様の――新領主様の受け入れ準備のためですね? かしこまりました。現在の作業がひと段落付いたら直ぐに支度に入ります」
オットーの言葉にシモンは少し興味を引かれた。
「そういえば娘の家名はどうなったんだ? あの時点ではまだペツカに赴くと決まった訳じゃなかっただろうに」
「ティトゥ様の希望で、王家には”ナカジマ家”として申請しています。特に不具合のある名前とも思えないため、このまま受理されると思われます」
かつて王家によって罪に問われて取り潰された家の名前や、外国の貴族の家の名前を付けようとしても、当然王家によって却下される。
ナカジマという不思議な響きの名前は誰も聞いた事がないが、多分問題無く受理されるだろう。
「ナカジマ・・・ハヤテが付けた名前かな?」
「そうおっしゃっていました」
シモンはさっき庭で見かけたハヤテの姿を思い出した。
ハヤテと名乗る不思議なドラゴン。思えばネライ卿に目を付けられた娘が今こうして幸せそうにしているのは、間違いなく彼と出会った事が発端だろう。
もし娘がハヤテと出会っていなければ、今頃自分達はどうなっていただろうか?
その事を考えるとシモンは、ひょっとしてハヤテと娘ならこの状況も案外何とかしてしまうのではないか、と淡い期待を抱いてしまった。
「ご当主様?」
「・・・いや、何でもない」
シモンは頭を振って自分の妄想を追い払った。
領地経営は一足飛びにどうこう出来るものじゃない。必要なのは堅実な事務能力と資本金だ。
ハヤテの圧倒的な武力も、一日で国を往復出来る出鱈目な飛行速度も、領地を運営していく上では何の力にもならない。
「エミーリエを呼んでくれ、僕が留守の間の報告を聞きたい」
「それでしたら自分が――」
「いや、お前は娘の所に戻って欲しい。あまり待たせるとしびれを切らしてハヤテの所にでも行きかねないからな」
それは大いに有り得ると思ったのだろう。オットーは頭を下げると急いで部屋を後にした。
ドアが閉まる音を聞きながら、シモンは娘の領地の事を妻にどう説明すればショックを与えずに済むか頭を悩ませていた。
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数日後、オットーはティトゥより一足早く馬車で街道を任地へと向かっていた。
若い頃に家を飛び出して傭兵の真似事をやっていたオットーだったが、マチェイの家令になってからはマチェイの村から外に出た事は無かった。
久しぶりの遠出に、しかし彼の心は重く沈んでいた。
(まさかこれほど酷い土地だとは・・・)
マチェイから離れてすでに六日。ペツカに入った途端に荒地が増え、目に見えて土地が痩せている事がうかがわれた。
オットーは今後の事を考えて胃が痛くなる思いがした。
その時、彼を乗せた馬車が止まった。
「オットー様」
「・・・またか」
御者に声をかけられて前方を見ると、粗末な装備を身に着けた4~5人の男達が、道を塞ぐように立ちはだかっていた。
一見山賊か何かのように見えるが、彼らはれっきとしたこの近くに住む村人である。
そんな彼らが何をやっているのかと言えば――
「この道を通るなら通行料を置いて行け!」
オットーは、ここに来るまでに何度も繰り返したやり取りを始めるために、馬車から降りた。
「何て土地だ。”領地のほぼ唯一の産業が街道の通行料”だとは。貧しい土地だとは聞いていたがこれは想像を遥かに超えているぞ」
次回「ネライ領ポルペツカ」