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閑話4-2 当主シモンの苦悩

またこっそり更新。

 これはハヤテがマチェイの屋敷に来た当初の話。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 ここマチェイの村ではこの数日、とある奇妙な存在が村人達の話題の中心になっていた。

 それはおとぎ話の中の存在。誰もが知っているものの、誰も実際には見た事の無い、この世あらざる存在。


 そう、ドラゴンである。


 マチェイ家の令嬢がどこからともなく連れて来た巨大な緑色の怪物に、村は一時騒然となった。

 噂が噂を呼び、村人達は怯えて疑心暗鬼に駆られた。

 それでも彼らがむやみにパニックに陥らなかったのは、マチェイ家が代々村人に厚く信頼されていたためだろう。

 マチェイ家の令嬢、ティトゥが率先して村を訪れ、直接安全を訴えたのも効果が大きかったものと思われる。


 とはいえ、それだけではやはり村人達の不安を払しょくすることは出来なかった。

 折しも隣国ゾルタの兵に国内に攻め込まれている最中という状況も相まって、村にはいつになく不穏な空気が漂っていた。

 そんな中、戦場からマチェイ家の当主シモンが戻って来た。

 シモンは話を聞くと、早速行動を起こした。

 村人達の疑念を晴らすべく、屋敷の裏庭を解放することにしたのだ。



 庭の中だけとはいえ、村人の多くにとっては初めて入る貴族のお屋敷である。屋敷の裏庭に案内された彼らは、おっかなびっくりといった様子で顔を出した。

 そんな彼らの視線の先に、緑色の大きなドラゴンがその身を横たえていた――かのように村人達には見えた。


 しかしもし、ここに日本人がいれば「昔の戦闘機が止まっている」と、思った事だろう。

 そしてより詳しい人間なら、そこに駐機していたのが旧日本陸軍機”四式戦闘機「疾風」”だという事が分かったであろう。


 機体のかたわらに立つのはピンク色の髪の美しい少女。

 マチェイ家の令嬢ティトゥである。

 恐る恐る遠巻きにする村人達だったが、ドラゴンはピクリとも動かない。

 やがて一人の村人が疑問を押さえきれずに当主のシモンに尋ねた。


「あの・・・ ドラゴンは寝ているんでしょうか?」

「いや、あのドラゴン――ハヤテは多分起きているだろうね。今もこっちを見ているよ。」


 シモンの言葉に村人達の間にざわめきが広がった。

 村人達にはどこにドラゴンの目が付いているのかすら分からなかったのだ。

 いや、実はシモンにも分かっていなかった。

 ただ娘の言葉と、ハヤテの態度からそれと察しているだけなのだ。

 なにせ、実際にシモンがハヤテを見たのは戦場と今日で二度目なのである。


 シモンは屋敷に戻ると早々に家の者にハヤテの事を尋ねた。

 その結果、村で大きな問題になっていると知ったシモンは、その日のうちに急遽この場を設けさせたのである。

 それほどまでにシモンはハヤテの事を重視していたのだ。



 別の村人がティトゥの方を見て言った。


「柵も無い庭でお嬢様は大丈夫なんでしょうか?」

「ハヤテは空を飛ぶので、柵は意味がないからね。」


 それもそうだ。馬鹿な事を言った村人の頭に隣の男が拳骨を入れる。


「そもそもハヤテはあの場所に下りてから一度も動いた事はありませんよ。ずっとああして止まったままなんです。」


 驚く村人達。

 ドラゴンが村にやってきたのは五日ほど前の事だ。何とあのドラゴンはその後ずっと身動きすらしていないのだと言うのだ。

 その間の食事や水はどうしているのだろうか?


「夜、領主様が寝ている間に、こう、空を飛んでどこかで餌を取ったりしているんじゃないんですか?」

「あり得ません。毎晩ちゃんと屋敷の者が交代で見ていますから。それにハヤテが飛ぶ時には大きな音を立てます。屋敷の者が気付かないはずはありませんよ。」


 シモンにそう言われた事で村人の何人かが納得した表情を見せた。

 彼らは五日前、ドラゴンが村の上を飛んでいるのを見た者達である。

 確かにドラゴンは空を飛ぶ時にヴーンという唸るような大きな音をたてていたのだ。


「そうは言っても心配でしょう。数日は屋敷の庭に通れるようにしておくので、気になる人はいつでも見に来てもらってかまいませんよ。」


 シモンの提案に村人達から「ほおっ」という声が上がった。

 いくらマチェイ家が下士位とはいえ、貴族が領民を屋敷の敷地内に入れるのは破格の扱いだ。

 これはシモンの英断である。

 ここで下手にハヤテと村人との間にしこり(・・・)を残せば将来の禍根になる。そう考え、それを防ぐためにもここで融通を利かせる事にしたのである。


 納得した様子の村人達。

 シモンは村人達に漂う緩んだ空気に、この件も峠を越えた事を知り、ホッと胸をなでおろすのだった。

 実の所シモンはハヤテの事をほとんど知らない。さっきまで自信満々に話していた内容も家族や屋敷の人間からのまた聞きにすぎない。

 だがここで彼が僅かでもハヤテに対して不安な態度や警戒心を見せれば、村人は決してハヤテの事を受け入れないだろう。

 それが分かっていたからこそ、あえてシモンは何でも無さそうに振る舞ったのである。

 シモンはコッソリと痛む胃を押さえた。




 翌日、図々しい村人の何人かが本当にお屋敷の庭を訪ねた。

 ドラゴンは本当にずっと庭でうずくまったままで、ティトゥにブラッシングされているだけであった。

 村に戻った彼らは、自分達が見てきた事を村人達に語った。

 彼らから話を聞いた多くの村人は、ここ数日の不安からひとまず解放されたのだった。

 こうして、平和な村を騒がせたドラゴン騒動は沈静化する、かに思われた。


 ――シモンに遅れて、兵役に出ていた村の若者達が帰って来るまでは。



 無事に戻って来た若者達に、村の誰しもが話を聞きたがった。

 新聞もラジオも未だ存在しないこの世界では、情報は人からの口伝えでしか知る事は出来ない。彼らは生の情報を欲していた。


 そんな彼らの聞いた話は想像を絶するものであった。


 王都の将軍様が率いる軍でも手を出しあぐねていた敵軍を、ドラゴンは圧倒的な力でまたたく間に壊滅させたというのだ。


 若者達は口々に戦場で見たドラゴンの武勇を称えた。

 彼らの熱っぽい語りに次第に村人達も感化されていった。

 なにせ今までずっと不安を抱えて生活していたのだ。その憂鬱な気持ちから解放された村人達は、ティトゥとドラゴンの大活躍を喝采をもって迎えた。

 この後、今度は逆の方向で村は再びドラゴンの話題で持ちきりになるのだった。




 さて、なぜシモンはこれほどまでにハヤテに肩入れしたのであろうか?

 全ては戦場で彼の兵を預かったカミル将軍の命によるものだった。


 シモンは戦場でハヤテの圧倒的な戦闘力を目の当たりにした。

 それは自分の目で見ていても信じられない光景だった。

 カミル将軍率いる騎士団が苦戦していた敵を、ハヤテは戦場に駆け付けて僅か半刻(1時間)ほどであっという間に片付けてしまったのだ。


 その上、何がどうしてこうなったのか、そんな化け物を自分の娘が従えていたのだ。

 シモンはあの場で自分がひっくり返らなかった事が今でも不思議でならないほどだった。


 今も戦場跡地ではミロスラフ軍による戦後処理が行われている。

 シモンがこんなに早く領地に戻って来たのは、ひとえにドラゴンの能力を警戒したカミル将軍の命令によるものだ。

 カミル将軍はシモンに、大至急ドラゴンに関する情報を報告するように、と命じたのだ。


「俺はまだこの場から動けん。もしあのドラゴンが暴れでもしたらこの国はどうなる? どんな手を使っても絶対にそれだけは阻止しろ。いざという時には俺の名前を使う事も許可する。責任は全て俺が持つ。」


 カミル将軍にそう命じられ、シモンはわが身にのしかかる重圧に痛む胃を押さえながら、悲壮な覚悟で屋敷に戻って来たのだった。



 しかし、屋敷に到着早々、シモンは自分の覚悟が盛大に空回りしている事を思い知らされた。

 ドラゴン――ハヤテは馬鹿みたいに大人しかったのだ。

 それどころか、屋敷の者の話ではあの日以来、屋敷の庭にうずくまって身じろぎすらしていないというのだ。


「食事は何を与えているんだ?」


 シモンの質問にマチェイ家の家令のオットーは申し訳なさそうに答えた。


「いえ、何も。」

「何も・・・何も?!」


 思わず二度聞きしてしまうシモンだった。

 シモンはカミル将軍に命じられると、兵に先行して馬をとばして帰ってきた。

 とはいうものの、あの日からゆうに五日は経っている。

 その間、ドラゴンは水も食事もとっていないというのだ。


 ティトゥ付きのメイド少女カーチャに聞いた話では、最初に森でティトゥが発見してから一月あまり、ドラゴンは一度も何かを食べた事は無いのだそうだ。

 動かないし、食べないし、排せつもしない。もちろん病気な訳でもケガをしている訳でもない。

 一日中、ずっとあのまま繋がれている訳でもないのに庭でじっとしているのだそうだ。


 信じ難い話に、シモンは思わず叫んでしまった。


「じゃあ何であのドラゴンはこの屋敷にいるんだ?!」

「さあ・・・? ティトゥ様の事を気に入られたからじゃないでしょうか?」


 実のところオットーのこの言葉は真実を捉えていた。

 しかし、それを言った当の本人も自分の言葉が正しいと思って口にしたわけではなかった。


 あれほどの能力を持つ存在が、無償で娘に従う? そんな事があり得るのだろうか?

 シモンの頭は混乱した。


「いや・・・ 実際にそれ以外考えられないのだから、そう判断するしかない――のか?」


 人間では理解の及ばないドラゴンの行動に頭痛をこらえるシモンだった。



 ティトゥが言うには、ハヤテは高い知能を持っているのだそうだ。

 ハヤテ自体は聖龍真言語(シモンは後に娘が命名と知る事になる)という人間が理解出来ない言語で話す。

 しかし、どうやらハヤテ自身は人間の言葉を理解している様子なのだと言う。

 確かに娘が話しかけた時には、何かしらの返事を返していた。

 その様子は確かに高い知能を窺わせた。


「その聖龍真言語とやらを何とか解読する事は出来ないだろうか?」


 シモンはオットーに尋ねてみた。

 会話が成り立てばハヤテの目的なり望みなりも分かるに違いない。


「どうでしょうか・・・ ハヤテ様はほとんど言葉を話されませんから。僅かな会話から全く未知の言葉を理解するのは余程の言語の専門家でもなければ難しいのではないでしょうか?」


 はるか昔、大ゾルタ帝国がこの大陸を統一した時に、全ての言語は一度標準語に統一された。

 現在はゾルタ帝国は滅び、多くの国に分裂している状態だが、それでもほとんどの国では標準語をそのまま使用している。

 そういった歴史的な理由もあって、この世界では異なる言語に対するアプローチの仕方は発達していなかった。


「ティトゥ様以外で一番ハヤテ様と接しているのはテオドルです。わずかながら意思の疎通もしている様子ですし、彼の話を聞いてみてはどうでしょうか?」

「テオドルが? また何で。いや、分かった。話をしてみよう。」


 テオドルは長年屋敷に勤める初老の料理人だ。

 最近は精力的に新しい料理作りに励んでいる。

 すでに屋敷の食事にはその成果がいくつか出ていた。

 食道楽にはまるで興味の無い実直な性格のシモンだったが、今では新しいメニューが食卓に上るのを密かに心待ちにするようになっていた。



「若旦那様。ワシに何か御用で?」


 先代の頃に雇われたテオドルは、今でも他に人目のない時にはたまにシモンの事を若旦那と呼ぶ事がある。

 シモンは「もうこの年齢で若旦那は無いだろう」と内心苦笑していたが、その事をテオドルに対して特に言う事は無かった。

 それだけシモンはテオドルの事を職人として認めているのである。


「ハヤテの事だが、お前の意見を聞きたいと思ってね。」

「ティトゥ嬢のドラゴンですか! あれはすごいヤツですぞ!」


 テオドルの思わぬ食い付きに、若干引き気味になるシモン。

 テオドルの方はそんな当主の様子に気が付いていないようだ。年甲斐もなく興奮して今にもシモンに掴みかかりそうになっている。


「あやつの頭にはワシらの知らない料理が山ほど詰まっておるのです! ああ、あやつの言葉が分からないワシの馬鹿な頭がもどかしい!」

「テオドルでもハヤテの言葉が分からないのか?」


 テオドルは若い頃に他国からこの国に出兵してきた兵士だ。

 撤退の時に本隊に置いていかれ、その後、親切な料理人の下で修行を積んだ。色々とあって先代の時にこの屋敷に料理人として仕える事になった。

 テオドルの祖国は珍しく標準語を使わない国で、彼はこの国で苦労して標準語を学んだのだと聞いていた。


「ワシの祖国が使っていた言葉も、単語が違うだけで文法自体は標準語と大きな変わりはなかったんじゃ。じゃから最初こそ苦労はしたが、こうして言葉を覚える事もできとる。けど、ティトゥ嬢のドラゴン、あやつの言葉はそんな上辺の単語だけでなく何から何まで根本的に全く異質なんじゃ。まあドラゴンはワシらと異なる存在なんだからそれも当たり前なのかもしれんがの。」


 余程興奮しているのか、珍しく饒舌なテオドル。

 シモンは、日頃は無口な料理人の意外な一面に驚きを隠せなかった。


「テオドルがそこまで興奮するのは初めて見るな。」

「当たり前じゃよ! そんな事より、どうにかあやつの言葉がワシらに分かるようにならんか?! まだまだ聞きたい事はいくらでもあるんじゃよ!」


 テオドルは拝み倒すようにシモンに懇願した。

 シモンは、「それはこっちが聞きたい事だったんだが」と、愚痴をこぼしたい思いを飲み込むのだった。




 結局シモンは、カミル将軍には今まで分かった事だけを簡潔に報告する事にした。

 正直言って、自分で読んでも果てしなく疑わしい内容になってしまったが、嘘偽りなく事実のみを書いてこうなったのだから、彼にはどうする事も出来ない。


「・・・これを読んで将軍は一体どう思うんだろうね。」


 この報告書を手に不機嫌そうに眉間に皺を寄せるカミル将軍の姿を思い浮かべて、シモンは痛む胃を押さえた。

 こうしてシモンの報告書はすでに王都に戻っていたカミル将軍の下へと届けられた。


 シモンのあずかり知らぬ事だが、この時の報告書の写しが巡り廻って後に国王の手にまで渡り、興味を持った国王がハヤテ達を王都に招聘する遠因となるのだが、それはまた別の話。

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