表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/778

閑話4-1 マチェイ家の家令オットー

こっそり更新。

 これはハヤテ達が王都に招聘されていた時のマチェイ家の屋敷での話。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 マチェイ家の屋敷はその広い敷地の一角に何軒かの使用人の家が建てられている。

 屋敷の中に住み込みの使用人もいるが、家族を持つ者はこれらの家があてがわれていた。

 ここはそんな使用人の家の中でも特に立派な一軒の家。


「では行ってくる。」


 時刻は早朝。妻に見送られて家を出る一人の男性の姿があった。

 マチェイ家の家令のオットーである。


 若作りの彼も今年で三十歳。

 長年のデスクワークに最近は密かに体力の衰えを感じはじめていた。


「ほら、エリアス。お父さんがお仕事に行くわよ。」


 母親から声をかけられているのは、少し気の弱そうな息子、エリアス。

 しかし、エリアスは無言でチラリと両親を見ただけで自室に戻って行ってしまった。

 そんな息子に何も言えないオットー。

 彼の妻が非難がましい目を夫に向けた。


「行ってくる。」


 オットーは気まずい空気から逃げるように仕事に向かうのだった。




「おはよう、オットー。」


 屋敷の執務室にはすでにマチェイ家当主シモンの妻、エミーリエ・マチェイの姿があった。

 当主であるシモンは、現在娘のティトゥを伴って、来月開かれる予定の戦勝式典に出席するために王都へと旅立っていた。

 そのためマチェイ家の屋敷は現在閑散としていた。使用人の約半数は当主であるシモンと共に王都へと赴いていたからだ。


「おはようございます、エミーリエ様。急ぎの連絡は入っていますか?」

「ありませんわ。そうそう、司祭様から祭りの予算の話が来ていました。」

「では、先ずはその件から済ませましょう。」


 マチェイ家の治める土地は小さい。日頃は当主であるシモンがほとんどの仕事を一人でこなしているほどだ。

 そのため、いつものオットーの仕事はシモンの雑用や、マチェイ家の後継ぎであるミロシュ(7歳)の教育係を務める事が多い。

 しかし、こうして当主が留守の時には当主の妻であるエミーリエを交えて代官としての仕事をこなすのである。

 とはいうものの、代官の仕事自体はオットーが一人いれば済む。

 エミーリエがいるのはあくまでも念のため。代官の専横を許さないための慣習としてこの場にいるだけで、滅多なことがなければ彼の仕事に口を挟む事は無かった。


「本当にオットーがいてくれて助かるわ。シモンも、オットーにはマチェイの代官はもったいない、経験を積めばもっと大きな仕事が出来るのに、と言っているのよ。」

「ありがとうございます。」


 エミーリエの言葉に深々と頭を下げるオットー。

 しかし、エミーリエは今朝はオットーの表情がどこか冴えない事に気が付いていた。




 主な書類仕事は昼過ぎには終わる。この後は用事があれば視察に出るし、村から急な相談事があれば村名主に会ったりもする。

 とはいえマチェイは基本的にはのどかな農村だ。

 大抵は急ぎの用事もなく仕事は終わってしまう。


「今日はここまでにしましょう、ミラダにお茶を淹れてもらう事にしますわ。あなたもご一緒にどうぞ。」

「・・・頂きます。」


 エミーリエが仕事を切り上げるとしながらお茶に誘うということは、これから仕事ではなくプライベートな相談があるということだろう。

 貴族の屋敷で仕事をする以上、こういった機微に疎くてはやっていけない。

 オットーは気持ちを切り替えると、几帳面に机の上を全て片付けてから来客用のソファーに向かうのだった。



「オットー、あなた悩みがあるんじゃないかしら?」


 オットーの予想に反してエミーリエの話はオットー本人の事だった。

 てっきり王都に行っているマチェイ家の当主達の話だとばかり思っていたオットーは、エミーリエの意外な言葉に目を見開いた。


「悩みですか? いえ、大変良くして頂いておりますが。」


 悩みといえばいの一番にティトゥお嬢様のドラゴン、ハヤテの事が挙げられるが、そのハヤテも今は王都に行っていて屋敷にいない。

 オットーは何も悩まされる事なく仕事に集中できていた。


「体の事? あるいは家族の事で何かあるんじゃないの?」


 エミーリエの言葉にハッと胸を突かれるオットー。

 彼は屋敷で家族の話をした事がない。とはいえ、他の使用人にとってみれば同じ敷地内に住む同僚の一家だ。妻が彼らに相談してそこからエミーリエの耳に入ったのかもしれない。


 実の所、エミーリエは今朝のオットーの態度から察したのだが、オットー本人はそんなに自分の考えが顔に出やすいタイプだとは思っていなかったのだ。



「・・・実は、妻に聞いた話ですが、最近私の息子が家を出たいと言ったらしくて。若者のかかるはしか(・・・)だと思うのですが・・・」


 オットーの息子エリアスは今年で12歳。オットーは息子が少し早い反抗期に入ったと考えているようだ。


「妻には息子を説得するように言われていますが・・・ ご存じの通り私も若い頃は跳ね返りでしたし、自分の事を顧みるとあまり強くも言えず悩んでいた所です。」


 オットーの言葉に眉間に皺を寄せるエミーリエ。


「貴方は問題の本質から目を逸らしています。本当に子供の事を考えるのなら、奥さんに言われて説得するのではなく、貴方自身が彼に向き合う事が必要なんじゃないのかしら?」

「それは・・・そうかもしれません。しかし、私が若い頃何をしていたかエミーリエ様もご存じでしょう? そんな私がどうして説得すれば良いのか・・・」


 言い辛そうに眼を反らすオットー。

 しかしエミーリエは彼が逃げることを許してくれなかった。


「説得しようと考えるからダメなのですよ。大事なのは一対一で向き合う事です。貴方は行動で示す事にかけてはこの屋敷で右に出る者はいないではないですか。それは私が良く知っていますよ。」

「行動で示す・・・ですか。」


 オットーはしばらくの間顔を伏せて考え込んでいた。

 エミーリエは結論を急がず、黙ってお茶から立ち昇る香気をくゆらせる。

 やがてオットーは顔を上げると「少し息子に会ってきます」と言って部屋を立ち去って行った。

 一人部屋に残されたエミーリエは、メイド長のミラダを呼ぶと自室までお茶を運ばせるのだった。




 オットーの息子エリアスは自分の部屋に入って来た父親の姿に目を丸くして驚いた。


「どうしたのパパ、その恰好は?」

「お前には仕事にかまけて父親らしい事をしてやれなかったからな。外に出ろ、今から俺が鍛えてやる。」


 彼の父親は今まで家で見た事も無い、古びた革の鎧に身を包んでいた。

 所々金属に錆が浮いているものの、細かい傷の多い、良く使い込まれた防具だ。

 あくまで無骨で実用性重視なそのデザインは、このような貴族の屋敷にあるよりは、場末の酒場か物騒な路地裏に似合いそうな品だった。


 いつもと違う父親に怯えながらも、基本的に育ちの良いエリアスは言われるがままに父に続いて家の外に出た。

 オットーは腰に佩いた剣を抜くと目の前の地面に突き立てた。


「お前はこれを使え。俺はこいつを使う。」


 オットーは薪につかう木から適当なサイズのものを見繕って手に握った。

 丁度こん棒のような太さの薪である。


「でも・・・パパ。」

「剣を取るんだエリアス!」


 父親の剣幕に思わず目の前の剣を抜くエリアス。

 生まれて初めて持つ剣の重さに、思わず彼は剣を取り落としそうになった。


「剣が下がっているぞ!」


 オットーは手にしたこん棒でエリアスの胸を突いた。

 エリアスは痛みにしゃがみ込みながら派手に咳き込んだ。


「さあ、切りかかって来い!」

「や・・・やあああっ!」


 胸の痛みにカッと頭に血が上ったエリアスはオットーめがけて剣で切りかかって行った。

 オットーはこん棒で息子の攻撃を受け止める。

 剣の刃筋も立っていないへっぴり腰の攻撃は、こん棒に刃が少し食い込んだだけであっさりと止められてしまった。

 逆に手が痺れてエリアスは再び剣を取り落としそうになる。


「まだまだ!」


 オットーの体当たりを受けて無様に地面を転がるエリアス。

 大人と子供のような・・・というか実際に大人の子供の体格差があるのだ。この結果も致し方ないだろう。


「む・・・無理だよパパ。」

「泣き言を言うな! 敵は待ってくれないぞ!」


 こん棒を薙ぎ払い、エリアスの尻を叩くオットー。

 尻の痛みに悲鳴を上げながら這う這うの体で剣を手に立ち上がるエリアス。


「僕は剣なんて一度も振った事無いんだ! 無茶だよ!」

「なら何で母さんに家を出るなんて言ったんだ?」


 エリアスは突然父親の話が変わった事に意表を突かれ、黙り込んだ。


「外で生きるという事は自分の身は自分で守らなきゃいけないという事だ。お前はさっき、一度も剣を振った事が無いから無理だと言ったな? では逆に聞くがお前は家を出るために何か準備をしたのか? 家を出てどこで暮らす。仕事はどうする? 誰もお前の事を待ってくれないぞ。これは剣だけじゃない、全てにおいてだ。それともお前はその時になっても、まだ自分の準備が整っていないから待ってくれ、とでも言うつもりか?」


 痛む体を押さえて返す言葉も無いエリアス。


「俺も若い頃に父さんに反発して家を出た事がある。」

「ええっ! パパが?!」


 エリアスのイメージする彼の父親は、屋敷の家令であり、多くの使用人を従える厳しい堅物だった。

 親に逆らう父の姿など彼には想像も出来なかった。


「うちは代々マチェイ家に仕えていたからな。そんな決められた人生に若い頃の俺は息が詰まってしまったんだよ。」


 思いもかけない父の打ち明け話にエリアスは強く興味を引かれた。

 オットーは着ている鎧を指で叩いた。


「この鎧はその頃の物だ。自分で言うのも何だが、俺は体格も良いし度胸もあった。あの頃は今より隣国ゾルタとの国境あたりは紛争が絶えなかったからな。流れの傭兵として十分食って行けたんだよ。」


 ミロスラフ王国側に要塞が出来る前は、隣国ゾルタとの国境は常に小競り合いが絶えなかった。

 というよりも、要塞工事を妨害するためにゾルタが仕掛けてきていた。

 最も、ゾルタ側も内心では要塞が出来る事で国境が安定する事を歓迎していた節がある。

 とはいえ、相手の軍備増強を何もせずに見ていては国内のタカ派の声が大きくなりすぎるため、いわばそのガス抜きとして戦力を小出しにしての小競り合いを繰り返していたと思われる。


「そこで俺は母さんに出会った。そして母さんのお腹にお前が出来た。俺は悩んだ末、実家に頭を下げてマチェイに戻る事にしたんだよ。」


 あの時、オットーが流れの傭兵ではなく、どこかの傭兵団なりに所属していたなら事情は変わっていたかもしれない。

 しかし、当時の粋がっていたオットーは、実家という組織を飛び出して別の組織の下っ端に収まることに耐えられなかったのだ。

 マチェイに戻ったオットーは長年をかけて自らの行動で失ってしまった信頼を取り戻した。

 こうして現在は家令として当主からも信頼を寄せられる立場になったのだった。


「俺がそんな生き方をしてきたんだ。お前に何か言う資格があるとは思えない。だから出て行くなとは言わない。だが父親としてお前の手伝いをさせてくれ。」


 そう言うとオットーはこん棒を放り投げ、息子に手を差し伸べた。

 エリアスは少しためらった後、剣を地面に置くと父の手を握った。

 久しぶりに握った父の手は大きく温かかった。




 翌日からオットーは屋敷にエリアスを連れて行く事になった。

 妻も交えた家族全員で話し合った結果、エリアスに代官としての仕事を教える事にしたのである。

 丁度オットーの助手であるルジェックが当主について王都に行っているので、オットーとしても雑用を任せる人間が欲しかったのだ。

 エリアスは日中は屋敷の仕事を学び、仕事が終わると夕食まで父親と剣術の鍛錬をする。

 エリアスは忙しく、充実した日々を過ごしていた。



 ここは屋敷の執務室。

 エリアスが用事で部屋を出たタイミングで、オットーがエミーリエに頭を下げた。


「申し訳ありません、息子を見習いにしたいという私のわがままを聞いて頂いて。」

「いいのよ。そもそも私が貴方をたきつけた結果ですもの。それに一生懸命で可愛いじゃない。」

「しかし、ご当主様のいない間に・・・」


 オットーはエリアスがいずれ家を出た時に、マチェイの内情を流出させる事態になるのではないかと憂慮していた。

 そのため、息子にはなるべく当たり障りのない内容だけに触れさせるつもりだったが、エミーリエは気にせずいつも通りのやり方で仕事を行うように彼に言いつけていたのだ。


「大丈夫よ。あの子の表情を見ていれば分かります。仮にここを離れる事があっても悪いようにはならないでしょう。」

「・・・そうだと良いのですが。」


 エミーリエの言葉にどこか不安そうに返すオットー。

 その時、執務室のドアが開いてエリアスが戻って来た。

 エリアスは二人の様子がおかしい事に気が付き、少しだけ訝しげな顔をしたが、すぐに切り替えて机に着くと中断していた作業の続きに取り掛かった。

 そんなエリアスの姿にエミーリエは小さな笑みを浮かべるのだった。


 やがてエリアスはエミーリエの言葉通り、オットーの後を継いで家令としてマチェイ家を支える事になる。


 しかし、まだこの時点ではまだ誰もその未来を知らないのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ