その28 王女の帰還
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ハヤテが心の中でパッ〇マン島と呼ぶ海賊島に騎士団が上陸したのは、ホルヘがお頭を殺して島を出てから三日後。パロマ第六王女が海賊に攫われて丁度一週間目のことであった。
海賊達は手に手に竜 騎 士が落とした板を持ち、騎士団に首謀者の死と王女の無事を告げた。
暑い季節に放置されていた海賊のお頭の死体はすでに蛆が湧き、腐敗が進んでいたが、騎士団は気丈にも証拠として首を切り落として持ち帰った。
体の方はその場で海に捨てられた。今頃は魚の餌になっていることだろう。
こうして海賊島はメイドのモニカの目論見通り、戦わずして騎士団の管理下に置かれることとなったのである。
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「パロマ姉上が戻っていらっしゃったんですか!」
騎士からの報告にマリエッタ王女が立ち上がる。
すぐにでも駆け出そうとする王女を慌てて周囲の騎士が止める。
彼らは元第一王女カサンドラ宰相婦人から、決してマリエッタ王女を危険にさらさないよう厳命されていた。
もっともそんな命令が無くとも、パロマ王女を海賊に攫われるという失態をおかした彼らが、今度はマリエッタ王女の身を危険に晒すような真似はしなかっただろう。
「パロマ・・・姉上。」
メイドに連れられて室内に入って来たパロマ第六王女は、消耗しきっているのか怯えたように顔を伏せ、全くの無反応であった。
しかし、マリエッタ王女は目に涙を浮かべて駆け寄るとそんな姉に抱き着いた。
思えば彼女がこうして姉に抱き着いたのはいつ以来の事だろう。
「もう大丈夫ですよ。先にエニシダ荘で待っていて下さい。この作戦が終わったら私もすぐに戻ります。みんなで一緒に王城へ帰りましょう。」
マリエッタ王女の心からの労いに、しかし、パロマ王女が答えることは無かった。
「パロマ!」
ここはエニシダ荘。
屋敷中の人間が出迎える中、厳重に騎士に護衛された馬車からメイドに手を引かれた少女が降りて来た。
駆け出して少女の手を取るラミラ第七王女。
「パロマ・・・無事で良かった・・・私・・・私・・・」
後は言葉にならなかった。
感極まってグズグズと泣き出すラミラ王女。
思わずもらい泣きをする周囲のメイド達。
メイド長マルデナが歩み出ると、そっとラミラ王女の肩を抱く。
「パロマ王女殿下は大変なご苦労をなされて今はお疲れでしょう。先ずは屋敷に入って頂き、お休みになってもらいましょう。」
泣きながらも頷くラミラ王女。
だが、そんな二人の姿を尻目に、パロマ王女はじっと自分の足元を見つめるだけであった。
「何だか妙な雰囲気でしたね。」
屋敷が王女の帰還という慶事に沸く中、メイドの少女カーチャが彼女の主人ティトゥに話しかける。
どうやら先程のパロマ王女の様子が気になるようだ。
「きっとお辛い目に遭われたんですわ。」
心の傷は自分で解決するしかない。
ティトゥは元第四王子ネライ卿の影に怯えていたころのかつての自分を思い出しているのかもしれない。
そんな気分になったからだろうか、彼女は無性にハヤテの姿が見たくなった。
「ハヤテの様子を見に行ってきますわ。」
「私もお供します。」
少女二人は連れ立って中庭へと去って行った。
こうして無事に助け出されたパロマ王女だったが、喜びに沸く周囲に反して、王女は自室に引きこもると人前に姿を見せなくなったのだった。
パロマ王女が引きこもって数日。
海賊退治をいち段落つけたマリエッタ王女が時間を作って一度エニシダ荘に戻って来た。
「パロマ姉上はまだ部屋に引きこもっていらっしゃるのね。」
パロマ王女の様子はマリエッタ王女にも知らされていた。
姉の無事な帰還に一度は喜んだラミラ王女も今ではすっかり元気を失くしているという。
沈み込む二人の王女に屋敷は重い空気に包まれていた。
「姉上・・・。」
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『という訳なのですわ。何とかしてあげられませんこと?』
ティトゥが2~3日ぶりに会ったマリエッタ王女と連れ立って僕のところへやって来たかと思えばこの無茶振りである。
『ハヤテさん。どうにか出来ませんか?』
いや、僕にそんなことを言われても困るんだけど。
悲しそうなマリエッタ王女を見ていると、僕も力になりたいと思うよ?
けど、いくら何でも僕にも出来る事と出来ない事があってだね・・・
『ハヤテ、契約者のマリエッタ様がこれほどお心を痛めていらっしゃるのに、貴方は平気なんですの?』
『ハヤテ様、私からもお願いします。このままではラミラ王女殿下がお可哀そうです。』
ティトゥとカーチャが僕に詰め寄る。
いや君らね、僕を何だと思っているわけ?
・・・あ~もう、分かったよ。やるだけやってみるよ。それでいいんだろ。
僕はマリエッタ王女にラミラ王女に来てもらうようにお願いした。
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夜もふけた頃。
パロマ王女は部屋の片隅で膝を抱えて震えていた。
時々発作のように殴られた時のホルヘのあの目――人殺しの目の恐怖がぶり返し、その度に彼女はこうして小さくなってひたすら恐怖に耐えているのだ。
コンコン
ノックの音にビクリと反応して怯えた目を向けるパロマ王女。
「パロマ・・・」
少し開いたドアの隙間から覗くのは彼女の一つ下の妹、ラミラ王女だった。
パロマ王女はラミラ王女に手を引かれるまま屋敷の中庭に出て来た。
ラミラ王女が目指すのは庭の片隅に立てられたテント。
竜 騎 士ティトゥの騎乗するドラゴン・ハヤテのいるテントである。
「ハヤテ、パロマを連れて来たわ。」
ラミラ王女は彼の事をハヤテと呼び、例のお嬢様喋りも彼の前ではしなくなっていた。
しかし、パロマ王女はそんな妹の変化にも気付かないのか、目を伏せたまま全くの無反応だった。
テントの中はカンテラの灯りで薄ぼんやりと照らされていた。
ハヤテの翼の下には小さな敷物が敷かれてある。ここに座れということだろうか?
不意にハヤテの左胴体の扉が開いた。
「ラミラ、中、取ル。」
ハヤテの片言の言葉に苦労しながら、ラミラ王女はハヤテの中から小さな壺を取り出した。
「ミズアメ。」
「これがティトゥお姉様のお話にあった龍甘露なんですか?!」
目を丸くして驚くラミラ王女。
龍甘露はティトゥの語る物語の中に登場するドラゴンの食べ物だ。ほんのりと甘く、癖になる味だそうだ。
ラミラ王女はパロマ王女と二人で一体どんな食べ物だろうと想像を膨らませていた。
憧れの食べ物の登場にテンションの上がるラミラ王女。
ふと振り返ると、パロマ王女も今まで伏せていた目を上げて、じっと彼女の手の中の壺を見つめている。
流石にパロマ王女もこればかりは気になるようだ。
今まで何を話しかけても無反応だった姉の変化に嬉しくなるラミラ王女。
「そこに座って一緒に頂きましょう、パロマ。」
ラミラ王女は姉の手を引くと、ハヤテの翼の下にひかれた敷物の上に肩を寄せ合うようにして腰掛ける。
憧れの龍甘露はドロリとした変わった見た目だった。
指で掬ってねぶってみると、確かにほんのりと甘い味がする。
「何でしょうか・・・思ったより地味? かしら・・・」
聖国は海洋貿易国家でもある。その聖国の王女である彼女達は、南方から輸入された大変高価な砂糖も食べたことがあった。
糖蜜も分離されていないいわゆる黒砂糖だったが、ガツンとくる甘さのとても美味しい物だった。
龍甘露はそれに比べると微妙な甘さで、二人が想像していたよりイマイチな物だった。
とはいえ、不思議と後引く甘さに、ついつい王女達の指は壺の中に伸びていた。
ちなみにこの水飴は、カーチャがぐずった時に使うようにと、マチェイ家の料理人テオドルがハヤテにこっそり持たせた物だった。
もしカーチャが後でこの事を知れば逆にぐずり出しそうである。
「・・・無くなってしまいました。」
「・・・・・・。」
互いの額をくっつけるようにして、一つの壺の水飴を一心不乱に舐めていた二人だったが、気が付くと壺の中身は空っぽになっていた。
名残惜しそうに空の壺を見つめる王女達。
「もうないんですか?」
「ナイヨ。」
バッサリ切られてこの世の終わりのような表情を浮かべる二人。
ポロリ
パロマ王女の目から涙がこぼれる。
「えっ・・・。」「エッ?」
ポロポロと涙をこぼすパロマ王女。
まさか泣くほど悲しむとは思わずに焦るハヤテとラミラ王女。
「だ、大丈夫よパロマ! ハヤテがきっとまた持ってきてくれるから!」
「ア・・・エト・・・サヨウデゴザイマスカ・・・ジャナイ・・・アレ・・・」
懸命に姉をあやすラミラ王女と、慌てて咄嗟に言葉が出てこないハヤテ。
パロマ王女は悲しくて泣いていたのではない。
その逆である。
感情が昂ってどうにもならずに涙が出たのだ。
どっしりとしたハヤテの存在の安心感、息のかかる距離で共に小さな壺を囲む妹から伝わる体温の温かさ、口の中の甘い食べ物の幸せさ。
それら諸々が、あの日からずっと恐怖に緊張していたパロマ王女の心を優しく解きほぐしていったのだ。
パロマ王女は「ホッとした」のである。
そしてずっと恐怖で緊張していた王女の心が緩んだ途端、ため込んでいた様々な感情が一気に流れ込んだのだ。
その激しい感情を処理しきれずに王女は泣き出したのである。
もちろんハヤテはそこまで計算していたわけではない。そもそも計算していたのなら、こんなに焦っているはずがない。
女の子は甘い物好きだから甘い物を食べれば元気が出るかもしれない。
その程度の思い付きだったのだ。
ついには大きな声を上げてわんわんと泣きだすパロマ王女。
もうどうすれば良いか分からずあたふたするだけの彼女の妹とドラゴン。
こうして、ある意味今夜ようやくパロマ王女は帰還したのだった。
次回「エピローグ 夏の終わりと次の旅の始まり」