その26 港町の指揮所にて
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メイドのモニカさんの指示通り、焼きたてのパンと伝単と呼ばれる木の板をばらまいた私はハヤテの風防を閉じました。
本当にこれだけで上手く行くでしょうか?
一仕事終えてホッとしたせいでしょうか。体にズキズキと痛みが走りました。
多分、明日には体のあちこちに青あざが出来ているでしょうね。
心配するカーチャをなだめる方法を、今から考えておいた方が良いかもしれません。
さっき、お屋敷に戻った時に、モニカさんに誘われるままに休憩を挟まなかったのは怖かったからです。
もしあの時ハヤテから降りていたら、私は二度とハヤテに乗れなかったかもしれません。
それが怖くて私は立ち上がることができませんでした。
私がそう思うほどあの時のハヤテの飛び方は激しいものだったのです。
私は体をあちこちにぶつけ、痛みと恐怖の悲鳴をかみ殺すだけで精一杯でした。
心優しいハヤテは自分の力が他人を傷つけることを酷く恐れています。
あの時、もし、自分の力で私まで傷付けた事を知れば、ショックのあまり二度と人間を受け入れてくれなくなっていたかもしれません。
私は自分のせいでハヤテがそんなふうになってしまうなんて御免です。
それなら私の手足がボキボキに折れても黙って耐える方がまだましというものです。
・・・本当にそんなことになったら、流石に黙って耐え切れる自信はありませんが。
ハヤテが軽く翼を振りました。
私は思考の深みから現実に引き戻されました。
下を景色を見ると、何隻もの船が港に停泊しているのが見えます。
私はここでマリエッタ様に報告をすることになっています。
今の動作は、こちらを見上げておられるマリエッタ様に気付いたハヤテが挨拶をしたのでしょう。
やがてハヤテは港を抜け、大きく旋回すると着陸の体勢に入りました。
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僕は多くの騎士が見守る中、いつものように海軍式三点着陸を決めた。
途端に騎士達の間からどよめきが上がった。
ふふん。分かる人にはこの凄さが分かるのですよ。
いや、単に僕の姿と大きさにどよめいただけなんだろうけど。
『ティトゥさん、こちらに。マリエッタ様がお待ちです』
停止した僕が風防を開けると、お供の騎士を連れて駆け寄ったマリエッタ王女の侍女のビビアナさんがティトゥに声を掛けて来た。
ティトゥは立ち上がると・・・少し痛みをこらえる様子を見せた。
やっぱりどこか打ち付けていたんだな・・・
申し訳なく思う僕に、ティトゥは優しく手を触れた。
『何でもありませんわ。急に立ち上がったから少し立ちくらみをしただけです。ちょっと行ってきますわね』
そう言うとヒラリと僕の上から降りるティトゥ。
僕に気を使わせまいと無理に元気に振る舞ったんだろうけど、その颯爽とした仕草に周囲の騎士から、ほう、というため息が漏れた。
おう、お前ら誰に許可を得てティトゥを見てんねん。
弾丸が無いからって僕をナメんなよ。
タイヤでゴロゴロ轢いちまうぞコラァ。
などと心の中でオラつく僕を尻目に、ビビアナさんに連れられて行くティトゥ。
取り敢えず作戦の第二段階における僕の役目はここまでである。
一応モニカさんと僕とで作った作戦は第三段階――最終段階までは考えられているが、そこでの僕の役割は決められていない。
最終段階は大雑把に言えば、「追い詰められた海賊を相手に臨機応変に対処する」というものだからである。
ここまでは全てこちらが先手を取ったが、王女も王女を攫った海賊の居場所も分からない現状では、流石にこれ以上先の作戦を立てようが無かったのだ。
『ここまで全てこちらの思惑通りに進めば、この時点で相手はかなり追い詰められているはずです。この状況で相手が打てる手はそう多くないと予想されます。後は出たとこ勝負ですね』
とは昨夜一緒に作戦を考えた時のモニカさんの言葉である。
彼女の言う通りにいけばいいんだけど・・・
人事を尽くして天命を待つ。
とは言うものの、僕は小さな不安を抱えたままぼんやりとティトゥの帰りを待つのだった。
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ティトゥが案内されたのは港に近い大手商人の商会だった。
今、この建物は王家によって徴発されて臨時の指揮所になっている。
こうした港に近い大きな建物は、有事の際には国家が利用できるように日頃から土地の一定額の税金が免除されていることが多い。
贈賄と既得権益の温床にもなりうる――というか、実際になっている制度だが、こうして役立つ事もあるため一概に排除することも出来なかった。
「ティトゥお姉様お疲れ様でした」
「マリエッタ王女殿下のご指示通り、万事滞りなく致しましたわ」
ここに来るまでにビビアナから、この作戦の指揮権は全てマリエッタ王女にあることになっている、と、こっそり教わったティトゥはマリエッタ王女の命令で行動したていで報告を済ませた。
「込み入った話もあるので、しばらくの間みなさんは席を外して下さい」
マリエッタ王女の言葉に、ティトゥを睨み付けながら部屋から出て行く騎士団の隊長達。
彼らは事前にミロスラフ王国の竜 騎 士がこの作戦の要であるとマリエッタ王女から聞かされていた。
余所者が重要な役割を任されたことに納得いかない思いを抱えつつも、王族の命令には逆らえない。
彼らは、そのせめてもの反抗として自らの不満をティトゥにぶつけているのだ。
困った顔をするマリエッタ王女と、いかつい騎士達に睨まれたことで委縮するティトゥ。
「それで、本当の所はどうなのですか?」
「ハヤテが言うには今の所は全て計画通りに進んでいるそうですわ。これからどうなるかは相手次第とのことですが」
そうですか・・・。と、考えにふけるマリエッタ王女。
少し考えたマリエッタ王女は顔を上げるとティトゥに尋ねた。
「ハヤテさんの様子はどうでしょう? こちらの作戦にも参加出来そうですか?」
「明日一日休めばハヤテは飛べると言ってましたわ。その時なら攻撃にも参加できると思います」
マリエッタ王女の表情がパッと明るくなった。
「それは助かります。聖王都から来た騎士の数が思いの外少なくて困っていたところなんです。
追加の人員の要請はしていますが、向こうで人数を纏めてこの港に到着するのは明日以降になるでしょう。
連絡に出した者には書き写した地図を持たせているので、あちらから直接船を出すかもしれません。
ですがその場合、こちらの船と現場が重複するなどの齟齬が生じる可能性があります」
騎士団の者達は出来る限りの事をしてくれている。そんな彼らには決して言えない弱みを打ち明けるマリエッタ王女。
「分かりました。何か緊急の要請があればお屋敷の方へ連絡をして下さい。多少の距離であればハヤテも飛べると思いますわ」
「ありがとうございます。その時には頼らせてもらいます」
立ち上がり、ティトゥの手を取るマリエッタ王女。
「でも、それよりもお姉様にはラミラ姉上を勇気付けて頂きたいのです。本当なら私がやらなければいけないことですが、今はここから動く事が出来ません。勝手なお願いだと思いますが、引き受けて頂けないでしょうか」
かつてないほどのマリエッタ王女の真剣な眼差しに少し驚くティトゥ。
やがてティトゥは大きく頷くのだった。
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コンコン
ノックの音が響くと、部屋の中にいた金髪の少女がパッと顔を上げた。
「マリエッタ! 貴方私を置いてどこに行っていたの?!」
ドアまで駆け寄り自分の手でドアを開ける第七王女ラミラ。
しかし、ドアの向こうにいたのは彼女の妹ではなかった。
「ティトゥ・・・お姉様・・・」
少し困った顔をした彼女のアイドルはおずおずと用件を切り出した。
「少し外でお話しませんこと?」
すっかり人数の減ってしまった屋敷の中を二人は歩いていた。
少し後ろに護衛の騎士が付いている。
何しろ王女が攫われるという非常事態が起こったのだ。屋敷の中は今も厳戒態勢が敷かれていた。
中庭が見える場所でラミラ王女は立ち止まった。
そこには彼女が苦手とするハヤテがいるのだ。
そんな王女にティトゥが振り返った。
「ラミラ王女殿下・・・ 王女殿下はハヤテを避けておられるみたいですが、どうか仲直りして頂けませんか?」
ティトゥの言葉にハッと目を見開くラミラ王女。
「どうして?」
「何も悪い事をしていないハヤテが王女殿下に嫌われたままでいるのは可哀そうですわ」
自分の部屋に尋ねてきたティトゥの目的がそんなことだと知り、思わず頭にカッと血が上るラミラ王女。
ラミラ王女の怒気を感じて反射的に手を伸ばすティトゥ。
その手をラミラ王女は強く払いのけた。
「私が誰を嫌ったっていいじゃない! お姉様には関係ないでしょ! 大体あのドラゴン・・・が・・・」
王女のヒステリックな叫び声はいきなり力を失った。払いのけたティトゥの袖が捲れて赤く腫れあがった痛々しいケガが覗いたからだ。
「お姉様! そのケガは?!」
ティトゥは苦笑いをすると少しスカートをまくった。
二人に付いていた騎士は慌てて体ごと明後日の方向に向いた。
ティトゥのすらりと伸びた白い足は、まだらに腫れと擦り傷で覆われていた。
その痛ましさに思わず息をのむラミラ王女。
「私とハヤテは、今日、パロマ王女殿下を攫った海賊達と戦ってきたんですわ。これはその時に負った名誉の負傷ですの。
マリエッタ様は今も港で騎士団の指揮を執っていらっしゃいます。みんなパロマ王女殿下を助けるために戦っているんですわ」
ティトゥの言葉に虚をつかれ、呼吸が止まるラミラ王女。
ティトゥは再びラミラ王女に手を伸ばした。
今度は振り払われることは無かった。
「さあ、一緒にハヤテの所に参りましょう。ハヤテは今日は良く戦いましたわ。王女殿下から直接お褒めの言葉を頂ければ、きっとハヤテも喜びますわ」
ラミラ王女を励ますためにティトゥが知恵を絞って考えたのが、一緒にハヤテと過ごすというものだった。
自分の一番大切な時間を共に過ごすことで相手にも喜んでもらいたい。
握った手から伝わってくるそんな気持ちに、ラミラ王女はティトゥの年上の女性らしからぬ不器用さを少し意外に感じた。
しかし、初めてティトゥと心の距離が僅かに近付いたようにも感じ、寂しさと不安にぽっかり空いた胸に小さな温かい光が灯ったのだった。
次回「お頭の最後」