その25 伝単(でんたん)
僕は海賊島の襲撃を終え、エニシダ荘へと戻って来た。
襲撃は成功したと言えるが、海賊を根絶やしにしたわけでも施設を完全に破壊したわけでもない。
大型の船はなるべく重点的に攻撃したつもりだが、案外、修理すればすぐに使える状態かもしれない。
戦況はまだまだ予断を許さない状態だと言えた。
しかし、ここまでは僕達の想定の範囲内なのだ。
『出発した時と屋敷の様子が違いますわ』
いつものように中庭に着陸した僕の操縦席の中でティトゥが呟いた。
ティトゥの言葉に改めて屋敷を見渡すと、確かに、どこか閑散としている気がする。
『騎士の姿が見えませんわ』
ああ、なるほど。
言われてみれば、あれほど屋敷中にいた騎士の姿が見えない。
これは多分・・・
『マリエッタ王女殿下が港に行かれましたから』
いつの間にか僕のそばに立っていたメイドのモニカさんが、僕の代わりにティトゥの疑問に答えてくれた。
彼女の足元には大きな風呂敷包みが置いてある。中身はおそらく例のモノだろう。
『こちらの作戦は第二段階に入っています。そちらの首尾はいかがでしょうか?』
第二段階――聖都から来た騎士団がマリエッタ王女の指揮下に入ったということか。
なるほど。屋敷の騎士達はマリエッタ王女の護衛に付いて行ったんだな。
作戦ではマリエッタ王女は港のあるエステベの町で、聖都騎士団による海賊退治の指揮を執ることになっている。
僕は事前に決めてあった符丁を口にした。
『トラ・トラ・トラ』
『”ワレ奇襲ニ成功セリ”ですか。そちらも順調なご様子、大変喜ばしい事です』
ニコリといつもの微笑みを浮かべるモニカさん。
その笑顔にうさん臭さを感じるのは僕が彼女を警戒しているからだろうか?
『少し屋敷で休まれてから出かけられますか?』
ティトゥは操縦席に座ったまま小さく首を振った。
『すぐに出ますわ』
『かしこまりました』
二人が話している間にも、屋敷からカーチャをはじめとするメイド達が大きく膨らんだ袋を抱えて来た。
カーチャがよいしょと僕の翼に乗ると、手にした大きな袋をティトゥに渡した。
『ハイ、どうぞ。お腹が空いていらっしゃるなら、好きに頂いてください』
突然抱えるほど大きな袋を渡されて慌てるティトゥ。
しかし、手にした袋から伝わる温かさと漂う良い匂いにその中身を察したようだ。
『これは・・・パンですわね?』
そう。中身は焼きたてのパンである。
『こちらは食べられませんが』
モニカさんからカーチャを経由して渡されたのはズッシリと重い例の風呂敷包み。
中身はティトゥがメモ帳代わりに使っている木の板である。
全て同じ文章が書かれているはずである。
座ったまま苦労して受け取るティトゥ。
今や僕の操縦席は荷物でパンパンである。
普通の飛行機だったら視界不良で操縦不能に陥っているに違いない。
『では、ご武運を』
モニカさんの言葉に一斉に頭を下げるメイド達。
『良い報告を持って帰りますわ!』
ティトゥの言葉と共に風防が閉められ、僕はエンジンをふかすと再び海賊島へと飛び立つのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それは一方的な蹂躙だった。
海賊達は魂を奪われたように襲撃者の去った空をぼんやりと眺めていた。
突如空から襲い掛かって来た恐るべき死の使いは、散々彼らをなぶり殺しにした挙句、まるでもう飽きたとでもいうようにあっさりと空のかなたへと姿を消したのだった。
何度も執拗に繰り返された襲撃によって生じた火災はまだ全てが消えたわけではない。
だが、ついさっきまで不運と踊っていた彼らに、それを消し止める気力は無かった。
「くそがっ! ありゃあ一体何だったんだよ」
彼らがぶつくさ言いながら動き始めたのはそれから30分はたったころだった。
幹部は厄払いだとばかりに昼間から酒をあおり、下っ端は命令されてキツい後片付けの作業に追われていた。
しかし、彼らの長い一日はまだ始まったばかりだったのだ。
「おおい! また来たぞ! ヤツが来たんだ!」
悲鳴のような声に空を見上げ、そこにヤツの姿を見つける海賊達。
彼らの顔に一様に絶望の表情が浮かんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『”我ハ竜 騎 士ナリ。我ノ目的ハ攫ワレタ王女殿下ノ救出ニアリ。妨ゲル者ハ一切ノ容赦ナク死ヲ以ッテ償ワセルナリ。協力スル者ニハ我ノ名ニオイテ命ヲ奪ワヌト誓ウナリ。協力者タラントスル者ハ、コノ札ヲ持ッテ騎士ニ告ゲヨ”――何ですのこれ?』
ティトゥはお行儀悪くパンにかぶり付きながら手にした板に書かれた文字を読み上げた。
風呂敷にビッシリ詰められた板には全て同じ文言が記されているはずである。
これは伝単と呼ばれる宣伝ビラだ。
日本人であれば、太平洋戦争時に米軍が投降を呼びかけるビラを空から大量に撒いたという話を聞いたことがあるだろう。
あれは米軍の発案ではなく、西洋の方では昔から度々行われていた策略なのだ。
これは敵の戦意喪失を狙うもので、一定の効果が期待出来るとされている。
まだ印刷技術が未熟で識字率の低いこの世界で、この作戦にどれくらいの効果があるかはやや疑問だ。
けど、僕から説明を聞いたモニカさんは、この作戦に確かな手ごたえを感じているみたいだった。
『海賊の中にも、元々裕福な家に生まれながら身を持ち崩して海賊になった者もいます。更にはそういった者から読み書きを教わる目端の利いた海賊もいるでしょう。この作戦はきっと効果がありますよ』
とはモニカさんの言葉である。
日本でも大卒の暴力団組員もいるという話だし、案外アウトローの世界も学歴がものを言うのかもしれない。
そういった訳で、作戦の第二段階は伝単によって相手に揺さぶりを掛ける作戦となった。
ちなみに文章の内容はモニカさんにお任せした。
彼女は『そうですね、私ならこう書きます』と、その場でサラサラと草案を練ってくれた。
そのあまりに悪辣な内容に僕は思わず絶句してしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「逃げろー! ヤツだ! ヤツがまた来たぞー!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出す海賊達。
しかし、どこにも逃げる場所は無い。
彼らは混乱して無駄に走り回っているだけなのである。
やがて死を呼ぶ翼が・・・何かをボロボロと落としながら彼らの上空を通過していった。
そしてそのまま空の彼方へと去っていった。
必死になっていた海賊達は、何も被害が無かった事で思わず拍子抜けしてしまった。
「あの化け物、一体何をしに戻って来やがったんだ?」
「おい、これはパンだぜ!」
誰かの声に周りを見てみれば、確かに自分の近くにも丸いパンが落ちている。
一人がおそるおそるパンを拾った。
「まだ温けえ!」
「う・・・美味い!」
漂う良い匂いに我慢しきれずに、かじりついた者がいるようである。
あちこちで奪い合うようにパンを拾い、貪る海賊達。
そういえば今朝からの襲撃騒ぎで誰も食事を口にしていなかった。
久しぶりの娑婆の味に海賊達は舌鼓をうった。
「なあ、この板は何なんだ? パンと一緒に降ってきたモンだが、何か文字が書いてあるんだが」
一人が拾った板を手に頭をひねった。
どうやらパンを拾う過程で何人かが彼と同様に板を拾っていた様子だ。
中には学のある者もいて、一心に文字を読みふけっている。
「おい! 一人で読んでないで俺達にも教えろよ!」
「あ・・・ああ、すまねえ。この板には全て同じ文章が書いてあるな。読むぞ。え~、『我ハ竜 騎 士ナリ。我ノ目的ハ攫ワレタ王女殿下ノ救出ニアリ。妨ゲル者ハ一切ノ容赦ナク死ヲ以ッテ償ワセルナリ。協力スル者ニハ我ノ名ニオイテ命ヲ奪ワヌト誓ウナリ。協力者タラントスル者ハ、コノ札ヲ持ッテ騎士ニ告ゲヨ』」
頭の悪い海賊の中には、書かれてある内容が良く分からない者もいるようだ。
男は内容をかみ砕いて仲間に説明した。
「つまり、さっき俺達を襲ったのは”竜 騎 士”ってヤツらしいな。で、”竜 騎 士”は攫われたお姫様を捜しているらしい。どうやらお姫様が海賊に攫われたみてえだな」
自分達が仲間の仕事のとばっちりで襲われた事を知り、怒りの声を上げる海賊達。
――実は自分達のボスこそがその主犯なのだが、下っ端の彼らには当然そのことは知らされていなかった。
「でだ。”竜 騎 士”は邪魔するヤツは容赦無くぶっ殺すと言っている。更には、協力する者は命を助けてやる。とも言っている」
いきなり襲っておいての勝手な言い草に、海賊達の間に怒気がみなぎった。
男は手にした板をヒラヒラと振った。
「協力するヤツはこの板を持って騎士に告げろ。とのことだ。後でこの島に騎士団がやってくるって事だろうな。その時この板を持ってないヤツは敵ってことで竜 騎 士にぶっ殺されるんじゃねえかな」
その言葉にこの場の怒気は一瞬で霧散した。
海賊達はあたふたと落ちた板を探し始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『こう書いておけば、海賊は勝手に仲間割れを始めますよ。なにせこの板を持っていなければ、いずれ騎士団がやって来た時に貴方に殺されるというんですからね』
にこやかな顔で結構酷い話をするモニカさん。
でも、もし板を持っている海賊が今回の事件の首謀者だったらどうするわけ?
宣言通りに助けるの?
『板を持っている者は、自分だけは助かると思ってのこのこ投降して来るでしょうね。そこを一網打尽にしてしまえばこっちの被害はゼロで済みます。助命? 彼らの命を約束したのは竜 騎 士のお二人ですよね? 貴方達は約束通り彼らの命を奪いませんよ。奪うのは私達聖国の人間ですから』
それに彼らが目を皿のようにして証拠の板を集めてくれます。後はそれを燃やしてしまえばどこにも証拠は無くなります。海賊の証言なんて何の証拠にもなりませんよ。
あっさりと言い放つモニカさんに僕は空恐ろしいものを感じた。
それがモニカさん個人の恐ろしさではなく、聖国王家に連なる者の持つ恐ろしさであることに、この時の僕は気が付かなかった。
次回「港町の指揮所にて」