その8 我復讐を完遂せり~ミッションコンプリート~
『お嬢様、おやめください! 私がやりますから!』
『カーチャ。お嬢様って呼ばないでっていつもあなたに言ってるわよね』
『きゃああ! 冷たい!』
さて、今何が起こっているかというと、ティトゥがドラゴン(僕のことね)の身体をブラッシングすると言いだしたのだ。
まあ飼い主がペットにブラッシングするのはスキンシップも目的だったりするらしいからね。
体に触ることで僕との心理的距離を詰めようとしているのだろう。
いや、そこまで考えていない可能性もある。
単に実家で飼ってる馬が厩でブラッシングしてもらってるのを見て、そういうものかと思ってマネしているだけかもしれない。ティトゥは結構なお嬢様らしいからね。
かなり危なかしい手つきで池から水を汲もうとするところを、見かねたカーチャが取り上げようとして、足元に水をかけられて騒いでいる。
というか、今はまだ水が冷たい季節なのか。
周囲に雪も無く、木々は生い茂っていることからも、春、ないしは初夏といったところか?
この土地の四季も標高も分からないから何とも言えないけど。
この身体、どうやら随分と気温に鈍いようだ。
まあ飛行機というのは何千メートルも上空を風を切って飛ぶのだ。いちいち寒がっていてはやってられないだろう。
便利な身体と喜ぶべきか、飛行機なんだから当たり前だと思うべきか。
ティトゥは最初、桶に汲んだ水を両手ですくって僕の身体にかけていたが、さすがにそれではキリがないと思ったのか、僕が無反応なのを良いことに、今では桶で直接豪快にぶちまけている。
さっきも言ったが、別に冷たくはないのでこちらはそれでかまわない。
ある程度機体が濡れると次はモップで表面を拭きだした。
最初は見るからにへっぴり腰だったものの、元々運動神経が良いのかすぐにコツを掴んだようだ。今は一心不乱に僕の身体にモップをかけている。
正直かなり意外だ。
見るからに良いトコのお嬢様なのに、キツい作業を他人を使わずに自ら一生懸命するなんて。
恐らく今まで彼女は一度も水を吸ったモップなんて重量物は持ったことはないんじゃないかと思う。
ついさっきまでへっぴり腰だったし間違いないだろう。
なのにカーチャが手を貸そうとすると、それを断り自ら手を動かす。
ちなみにカーチャは身の置き所がなくソワソワしっぱなしで、これはこれで気の毒だ。
胃に穴でも開けなきゃいいけど。
再会したら木につながれたことの仕返しをしてやるつもりだったが、こんな姿を見せられてはとてもそんな気になれない。
なにせこの身体の元になっているプラモデルは、自分が丹精込めて作り上げた傑作品だ。
それをこんなに一生懸命洗ってくれているんだから、なんだかこの美少女が僕の作品の価値を認めてくれたみたいに感じて嬉しくなってしまう。
我ながらチョロい気もするが、一生懸命な女の子を悪く思うことのできる男はいないだろう。
僕がチョロいんじゃない、男という生き物がチョロいんだ。
手の届く範囲で胴体を洗い終わったティトゥが大きく汗を拭った。
すかさずカーチャが大きなハンカチ(汗ふき用のタオル代わりだろう)と水筒を渡す。
ようやく仕事ができたことでメイドも心の重荷が下りたようだ。
だが彼女の主は僕の翼を見つめている。
どうやら次は翼の上を拭くつもりのようだ。
どうやって翼の上に上がろうかと考えているのだろう。
メイドの受難は続く。
翼の位置は地面から1m以上もの高さにあるし、翼は斜めになっているから上に乗るのは正直危ない。
そもそも人が乗っても支えられるだけの強度があるのかも分からない。
前輪の付近には、落下増槽ないしは爆弾を取り付けられるハードポイントがあるので、その辺りまでなら女の子の体重くらいではびくともしないと思うが、あまり端の方になるとさすがに支え切れるかどうか、自分の身体のことながら自信は無い。
もちろん洗ってくれるのは嬉しいが、できれば危険なことはしてほしくない。
どうやら僕はすっかりこの子にほだされてしまったようだ。
ブラッシングの力恐るべし。
僕の無言の思いも届かず、ティトゥはカーチャに支えられながら、何とか翼の上に乗ろうとしている。
無言の思いじゃ届くわけないって? 声に出したって言語が違うからどうせ届かないし。
僕が喋るとそのたびにカーチャがビクつくから、凄く悪いことをした気になるんだよ。
『ティトゥ様、やはり翼の上は私がやります。危ないですよ』
『ダメよ。私自らが世話をすることで主従の絆が深まるのですわ』
思っていたより高かったようで、老婆のように中腰になりながらも、ティトゥはそれだけは譲らない。
正直見ていてとってもハラハラするので、できれば無理をせずに降りて欲しい。
いつまでも老婆の姿では作業にならない、と思ったのだろう。
ティトゥは気合を入れると、えいやっ、とばかり体を伸ばした。
四式戦の翼の上にピンク髪の異世界美少女が降り立った瞬間である。
『ほら、大丈夫でしょう。さあ、モップを頂戴。』
どこかやり遂げた感を感じさせるティトゥの姿に、それでも心配そうにカーチャは主の要求に従ってモップを手渡した。
ティトゥは意外としっかりとした足取りで翼にモップ掛けを始めた。
一度覚悟を決めたら恐怖心も無くなったのだろう。
本当にこの子って可憐な見た目に似合わず行動力もあるしスペックが高いな。
家も大金持ちみたいだし、もし彼女が地球に生まれていたら、僕なんかが話しもできないほどの大物だったに違いない。
そう考えると異世界転生後、最初に彼女に出会えたことは実は幸運だったのかもしれない。
ドラゴンと思われているというのもあるが、美人実力者が自ら食事を持ってきたり身体を拭いてくれたりと、僕に好意的に接してくれているのだ。
他の人に見つかっていた場合、ドラゴンだからと危険視されて、追い回されていた可能性だってある。
そう考えると仕返しなんてしなくて良かったかもしれない。
彼女以上に僕に好意的な人間を見つけることは難しいだろうからね。
僕がそんなことを考えている間に、ティトゥは翼の掃除を終えたようだ。
流石に端の方は怖かったのか、しゃがみこんだ状態で限界まで手を伸ばして拭いていた。
そして今度は反対側の翼に向かおうと、僕の胴体をよじ登り始めた。
『ティトゥ様、一度降りて下さい! 危ないですよ!』
『そんなの面倒だわ。このまま・・・ゴブッ!』
丸みを帯びた四式戦の胴体を掴み損ねて滑ったティトゥはバランスを崩し腹部を強打。
そのまま翼のフチを越え、下へと落っこちた。
『きゃああああっ!』
ドボーン!
カーチャの悲鳴とティトゥが池に落ちた音が重なる。
『つ・・・冷たい』
『ティ・・・ティトゥ様、大丈夫ですか?!』
幸い最後まで胴体にしがみ付こうとしていたためか、機体の真下ではなく斜め前方に落ちたらしい。ティトゥの身体は地面に打ち付けられることなく、目の前の池に落下。ケガをしないで済んだみたいだ。
さらに不幸中の幸いで池の水は膝上までの深さで、服を着ていても溺れるようなことにはならかったのだ。
まあ、気温は暖かくてもまだ水温は冷たい季節のようだから、かなりへこんではいるが。
カーチャが慌ててティトゥに手を差し伸べる。
彼女の主は献身的なメイドの手を取りーー
池に引きずり込んだ。
もつれるように一緒に池に倒れこむ二人。
大きな水しぶきが上がる。
ええ~っ、ちょっと、何やってんの。
『何するんですか!!』
カーチャが主人への敬意を忘れてマジギレする。
『私だけ濡れるのが納得出来なかったのですわ』
なんつー理屈だ。子供か。
『もう~!!』
バシャバシャと水面にやり場のない怒りを叩きつけるメイド。
子供のように頬を膨らまし、プイっと明後日の方向を向くその主人。
取り敢えず君たち池から上がろう。カゼをひくよ。
突然だがエドゥアール・マネの「草上の昼食」という絵画をご存じだろうか?
森の中でネクタイを締めた2人の男と、なぜかすっぽんぽんの女性が一緒にくつろいでいるという、どうしてこうなった的謎シチュエーションの絵画だ。
そのあまりに不自然な状況の絵は発表当初から「この絵エロすぎ」論争を巻き起こし、パロディやオマージュの作品を数多く生み出したという。
つまり僕が何を言いたいのかというとーー
森の中にくつろぐ裸の女性というシチュエーションはエロすぎる。
という真理だ。
少女二人はしばらく池の中で戯れていたが、すぐに寒さに耐え兼ね水から上がり、ためらいながらも濡れた服を脱いで裸になりはじめた。
お嬢様が濡れたまま屋敷に戻れば大問題になるのだろう。
今、カーチャは”全裸で”自分のメイド服を絞って、僕を木に繋いていたロープに引っかけて乾かしている。
ほっそりとしているが痩せすぎというわけではない。ティトゥの家は使用人にも十分な食事を与えているのだろう。
ティトゥは”全裸で”陽だまりでくつろぎながら、大き目のハンカチで濡れたレッド・ピンクの長い髪についた水気を取っている。
”全裸”大事なんで強調させてもらいました。
率直に言おう、エロい! エロすぎる!!
この光景、例えるなら完成された芸術品。
そこにあるのは生の魅力あふれるエロス。
自分にこの芸術を余すところ無く、伝えることのできる表現力が無いのが惜しまれる。
ーーいや、少女のエロスの描写は社会的に問題があるだろうけど。
ああ、なぜ僕には録画機能がついていないのだ。何のためのこの機械の身体なのだ。なぜ昔の帝国陸軍は四式戦に4K対応録画機能を搭載しなかったのだ。そんなだから戦争に負けるんだ。戦争に負けたのは四式戦に録画機能が無かったせいだ。なぜ僕は四式戦のプラモデルにカメラを搭載しなかったのだ。そんなだから頭を打って死んじゃうんだ。死んだのは四式戦のプラモデルにカメラを搭載しなかったせいだ。四式戦をバカにするな。四式戦の身体は素晴らしい。人間じゃないから女の子は無防備に裸になる。目が付いていないからガン見してもバレない。あああああっ。この身体ならガン見してもバレないのにこの光景を録画する機能が無いなんてヒドすぎる。あああああっ。あああああああっ。
・・・ふう、いかんいかん。我を忘れてしまっていたようだ。
って、あれ? 考えてみれば今朝僕が考えていた仕返しって「池に落とす」とか「スカートをめくり上げる」とかだったよね。
もうどっちも叶ってんじゃね?
しかも今の状況ってスカートめくるどころじゃなくなってるし。
これにてミッションコンプリート。
次回「色々と分かったこと」