その21 一夜明けて
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時間は王女が誘拐された当日の昼間。
エステベの町はモンタルボで一番大きく賑やかな町である。
しかし、周囲から多くの人間が集まる町には、どうしてもうらびれた区画が出来てしまうものでもある。
ここは町のそんな寂れた一角。
事情を知る地元の人間は決して近付かない危険な場所であった。
そんな物騒な区画に一台の馬車が乗り捨てられていた。
馬の姿は無い。馬車だけだ。
それはこんな場所に似合わない品の良い馬車であった。
知る人が見れば王家の紋章を見つけることが出来るだろう。
しかし、ここの住人がそれを知る事は無い。
どうせ一時間もしないうちに馬車は住人の手によって解体され、売り払われることになるのだ。
その区画のある建物の中に5人の男達がいた。
いずれも服を着崩した野卑な男達である。
男の一人、リーダー格と見られるひときわ体の大きな男が、大きなナイフを弄びながら目の前の男女に問いかけた。
男女はエニシダ荘の使用人アントニオとその妻ベロニカ。
「で? コイツがマリエッタ王女か?」
二人の前には汚い床に直接座らされた一人の少女。
第六王女パロマだ。
王女の手足は逃げ出さないないようにきつく縄で縛られている。
しかし、もし手足が自由でも王女はここから逃げ出す勇気は湧かなかっただろう。
彼女は真っ青になった唇をかみしめてひたすら恐怖に堪えていた。
「・・・いえ、この方はパロマ王女です」
アントニオが冷や汗をかきながらリーダーに答えた。
「ああん。俺はマリエッタ王女を攫って来いと言ったはずだよな?」
「けど、ホルヘさん! マリエッタ王女にはいつも騎士が護衛に付いているし、見知ったメイドしかそばに寄せないのよ! だから・・・」
ベロニカが夫の前に出て、リーダーの男、ホルヘに訴えた。
どうやら彼らの目的はマリエッタ王女の誘拐だったようだ。
しかし、メザメ伯爵関連の騒動の渦中にあるマリエッタ王女には、屋敷でも常に多くの護衛が付けられている。
そして護衛の騎士は、信用の低いベロニカを決してマリエッタ王女に近付けなかった。
このままでは男達の依頼を果たすことが出来ない。
ベロニカは勝手にターゲットを護衛の薄いパロマ王女に変更したのだった。
ホルヘは座っていたイスから立ち上がると、ベロニカの前に進む。
パーン!
大きな音を立てて頬を張り飛ばされたベロニカが勢い良く壁に激突した。
「お、おい! ベロニカ!」
ベロニカを心配するアントニオ。しかしその視線は目の前に立つホルヘによって遮られた。
「まあ正直、俺達は王女だろうが王妃だろうが、金にさえなりゃあ誰だっていいんだよ」
今の言葉のどこが可笑しかったのかゲラゲラと笑う男達。
王家に対するにはあまりに不敬な言葉に衝撃を受けるパロマ王女。
幼い頃から王城でしか生活したことのない彼女は、王家を敬いかしずく者しか見たことが無かったのである。
「そ・・・それなら何でこんなことを・・・」
ホルヘの圧力に目が泳ぐアントニオ。
それには答えず、ホルヘは手にしたナイフを利き腕に持ち替えると、流れるような動作でアントニオの胸に突き立てた。
顔面から床に倒れこむアントニオ。
ゴツン。
大きな音と共にうつ伏せに倒れたアントニオ。体の下からはじくじくと大量の血があふれ出した。
アントニオはピクリとも動かない。即死である。
夫の突然の死に息をのむベロニカ。
「仕事が果たせなかった以上約束の金は無しだ。おい、てめえら、そっちの女から借金のカタを好きに取り立てとけ! 後片付けだけは忘れんじゃねえぞ!」
元々、浪費家のベロニカが作った借金の証書を男達に押さえられたのが、アントニオ達が男達に協力することになった原因だった。
太っ腹なリーダーの言葉に口笛や歓声を上げながら一斉に立ち上がる男達。
気の早い男はすでにズボンを半分下ろしている。
ベロニカは慌てて逃げようとするが、腰が抜けてしまったのか床の上でもがくばかりで立ち上がることさえ出来ない。
「なんで! 私達は言う通りにしたじゃない!」
ベロニカは半狂乱になって悲鳴を上げるが、容赦なく男達に担ぎ上げられると別室へ運ばれて行った。
「アホが、そんなもん払うわけねえだろうが。後は俺達が夜まで時間を潰す相手にでもなってくれや。最もすぐにおっ死んじまったらその限りじゃねえがな」
薄い壁の向こうからは女の悲鳴と男達の嬌声が響いてくる。
ホルヘは気にした様子もなく、床で震えるパロマ王女の方へと振り返った。
王女は殺人鬼の目に射竦められ、恐怖のあまり頭の中が真っ白になる。
こぼれんばかりに目を見開き、歯の根が合わずカチカチと歯を鳴らした。
「お前も王女っていうくらいなら商品価値はあるんだろう? 期待してるぜ」
そう言うとホルヘはアントニオの血の付いたナイフを親指で拭った。
馬車の目撃者を追って騎士達がこの建物に踏み込んだ時には、すでにパロマ王女の姿はここには無かった。
残されていたのは胸をひと突きして殺されていた使用人のアントニオの死体と、複数の男達に乱暴された後で首を絞めて殺されたメイドのベロニカの死体だけだった。
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パロマ王女殿下がさらわれた翌日。
私はこの数日でもうすっかり馴染んだベッドで目を覚ましました。
ベッドの上で体を起こした私は、ぼんやりとした頭で自分のレッドピンクの髪を手ですきます。
屋敷の中は早朝であるにもかかわらず、どこかざわついて落ち着きがありません。
それもそのはず、屋敷の騎士達は寝ずにパロマ王女の捜索を続けているのです。
そんな彼らを支えるために、メイド長のマルデナさんの指揮の下、使用人達も交代で仮眠を取って一晩中食事の用意や連絡の受け渡し等、出来る限りの協力をしていたのでしょう。
しかし、屋敷中がこんなに大変な中、私が出来ることは何もありませんでした。
昨夜もマリエッタ王女から、気にせずどうか休んで欲しい、とお願いされて部屋へと追いやられたのです。
部屋で横になっていても頭の中に浮かぶのはパロマ王女殿下の事ばかり。心配で居ても立っても居られない気持ちでしたが・・・
昼間の疲れが出てしまったのでしょう。いつの間にか私は寝てしまっていました。
結局、一人だけぐっすりと眠った私は、申し訳ない気持ちとこんな時に何も出来ない無力感でいっぱいでした。
コンコン
「まだお休みでしょうか? お客様」
この声はモニカさんですね。
モニカさんはハヤテ付きのメイドとして働いてくれていますが、本名はモニカ・カシーヤスと言います。
カシーヤス家はランピーニ王家の遠縁で、彼女のお母様は元第四王女セラフィナ様の乳母をされていたそうです。
本来であれば王家にのみ仕える方に、いくら客とはいえ我々などがお世話をして頂くのは非常に心苦しいのですが、モニカさんは気さくな方で、今ではハヤテもカーチャも大変親しんでいる様子です。
「ハヤテ様が呼んでいらっしゃいます。お支度のお手伝いを致しますので、済みましたら中庭の方にお越しください」
ハヤテが? ハヤテの方から私を呼ぶなんて珍しいですわね。
私は急いで体を起こすと、モニカさんに手伝ってもらいながら身支度を整えました。
「皆様おはようございます」
「これは一体・・・」
私は呆然と立ち尽くします。
それくらい中庭には多くの人達が集まっていました。
屋敷に残った警備の騎士も可能な限り集められているようです。
みんな何故ここに集められたか知らされていないのでしょう。各々が不満げに周囲の人と話をしています。
そんな彼らを、モニカさんの指示でしょうか、カーチャがあたふたとしながら必死に取り纏めようとしていました。
「ハヤテ様。ご言いつけ通り、屋敷の者を集めました」
いつの間にかハヤテのテントのそばに立っていたモニカさんがテントの中に声を掛けました。
というか、この人達を集めたのはハヤテだったのですね。
一体彼は何をするつもりなんでしょうか?
ドルン! バババババ
唸り声を上げながらハヤテがテントの中から出て来ました。
ハヤテの巻き上げる風でモニカさんの髪がなびきます。
その割にはスカートの裾は乱れませんね。
なんだかどうでも良い事が気になってしまいました。
「ゴキゲンヨウ」
ハヤテの挨拶に中庭に集まった者達が各々挨拶を返しました。
「ハヤテ様から皆様にご協力を頂きたいことがあるとのことです」
モニカさんの言葉に周囲の人間がハッキリと殺気立つのを感じました。
それはそうでしょう。彼らは今、パロマ王女殿下が誘拐されてそれどころではないのです。
カッとなった騎士が一人前に進み出てハヤテを怒鳴りました――いえ、怒鳴ろうとしました。
ズドドドド!
突然ハヤテの翼から轟音と共に光の粒が発射され、屋敷の塀の上部に着弾しました。
パパッと土煙が舞い、石でできた塀が大きくえぐれ、塀の一部が崩れ落ちます。
メイド達から悲鳴が上がり、使用人の何人かが腰を抜かしました。
足を踏み出した騎士も青ざめて立ち尽くしています。
あの大人しいハヤテが、自分からみんなを脅すようなことをするなんて。
私は驚いて目を見張りました。
「最初に言っておきますが、これはパロマ王女殿下の救出に関わることです! 協力を拒む者は後日、処罰を覚悟して頂きます!」
モニカさんの宣言に周囲の戸惑いは頂点に達しました。
しんと静まり返った中庭にハヤテの声が響き渡ります。
『ここに海賊殲滅作戦の開始を宣言する!』
次回「海賊殲滅作戦」