その19 ティトゥと幽霊船
『やれやれ、随分待たされた気がしますわ』
僕とティトゥは、5日ぶりに洋上索敵飛行のために空を飛んでいた。
昨日ようやく、聖都に行っていたメイドのモニカさんが帰って来たのだ。
早速マリエッタ王女の侍女のビビアナさんにも手伝ってもらって、モニカさんが持って帰った資料の整理を済ませ、今日から無事に調査が再開されることになったのである。
とはいえ、この索敵飛行もかれこれ7回目。ティトゥも僕もすっかり慣れたものである。
というか、有史以来、これほど洋上飛行を行った陸軍機は僕くらいではないだろうか?
四式戦の新たな可能性が開けた瞬間なのかもしれない。
これはもう誇っても良いのではないだろうか?
『考えてみればずっと屋敷にいる必要は無かったんですわ。調査は出来なくてもハヤテで飛ぶことはできたんですから』
あ、それ気が付いちゃったか。
実は、いつティトゥがそのことに気が付いてゴネだすか、心配していたんだよね。
でも僕はともかく、それをやっちゃうと、せっかくティトゥと一緒にいる時間が増えて喜んでいたマリエッタ王女達が可哀そう過ぎるじゃない?
ティトゥは自分のファンの少女達に一日中付きまとわれて大変そうにしてたけどね。
僕がその船に気が付いたのは、索敵線を折り返してしばらくしたころだった。
定期航路から外れた海にポツンと浮かぶ一隻の船。
何故か僕はその船から目が離せなくなった。
何だろう、どこかがおかしい気がするんだけど、どこが変なのか分からない・・・
僕の様子がおかしい事に気が付いたのか、ティトゥも辺りを見渡してその船を見つけた。
『こんなに外洋を走っているのに、速度が出ていない船なんておかしいですわね』
それだ!
この船は船尾に伸びているはずの航跡がほとんど見当たらないのだ。
それもそのはず、この船は風を受けるための帆を一枚も張っていない。
これじゃ速度が出ないのも当たり前だ。
しかし、台風の中を航行しているわけじゃあるまいし、一体何故こんな事をしているのだろうか?
・・・まさか。僕は一つの可能性に思い当たった。
『まさか海賊に襲われたのでは?』
どうやらティトゥも僕と同じ事を考えたようだ。
『イク』
『ええ。よろしくてよ』
僕は翼を翻すと謎の船へと近付いて行った。
『海賊に襲われたにしてはおかしな気がしますわ・・・』
ティトゥもそう思うかい?
僕は謎の船を掠めるように何度か上空を旋回した。
もちろん僕は海賊に襲われた船を見たことは一度もない。多分ティトゥも無いんじゃないかな?
でも、そんな僕の目から見てもこの船はあまりにも不自然だった。
まず甲板の上に何も無さすぎる。
僕は今回の索敵飛行で何度か船の上を飛んだけど、こんなに何もない甲板を見たのは初めてだ。
水夫の姿も無ければ、積まれた荷物すら見えない。
大体船の上にはロープだの木箱だのがゴチャゴチャと積まれているものなのだが、この船にはそれらが一切見当たらないのだ。
人の姿が無いのは全員海賊に攫われたから、と考えることも出来なくは無いけど、死体どころか争いの跡すら無いのはどう考えたって不自然だ。
そもそも帆を張っていない以上、甲板の上にはどんな形であれ、帆が置いてないとおかしいだろう。
まさか船の中に片付けているなんてことはないだろうし。
『船首像がありませんわ』
ティトゥの言葉に船首を見れば、確かにそこにはあるべき物が付いていない。
船首像とは、船首に取り付けられる船名などにちなんだ動物や人物の像のことだ。
必ず付けられる物ではないそうだが、このくらい大きな船には普通は付けられているそうだ。
そうだ、こんなに大きな船なのにカッターも積んでいないじゃないか!
カッターボートは船に乗せられている小型の手漕ぎボートだ。桟橋の無い島に船員を上陸させたり、救命ボートとして使ったりと、船の便利屋とも言える存在だ。
一隻も見当たらないということは、それに乗ってみんな船を捨てて逃げ出したということなんだろうか?
『何だか不気味ですわ・・・』
得体の知れない船に薄気味悪さを感じたのだろう。ティトゥが眉間に皺を寄せた。
・・・この船はまるで幽霊船・メアリー・セレスト号だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
有名な幽霊船の逸話として「メアリー・セレスト号事件」がある。
1872年12月5日、ブリッグズ船長と妻と娘と数名の乗務員を乗せてニューヨークを出航したメアリー・セレスト号が、ポルトガル沖を漂流しているところを発見された。
救助に乗り込んだ者が見たのは、今まさにそこで朝食を食べていた、と言わんばかりの光景だった。
まだ湯気のあがるコーヒー、半分殻の割られたゆで卵、調理室でグツグツと煮える鍋、テーブルに置かれたままの食器類。
さらには船室には食べかけのチキンとシチューが残され、洗面所にはひげを剃った痕跡まであったという。
そんな状態であったにもかかわらず船に乗員の姿は無かったのだ。
そして船に載っているはずの救命ボートは失われていた。
船に破壊された形跡もないことからボートは乗員の手で降ろされたものと思われる。
朝食を食べていた乗員たちが突如、救命ボートで船を棄てたというのだろうか?
だとすれば、その時船に一体何が起きたのだろう・・・
◇◇◇◇◇◇◇◇
とにかくいつまでもこうしていても仕方がない。
僕はティトゥにお願いして、この幽霊船の特徴をメモしてもらった。
少しでもこの幽霊船の身元を探るヒントにでもなれば良いんだけど・・・。
僕達はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、帰路についたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはレブロンの港町。代官のメルガルは部下からの連絡に、たまっていた書類から顔を上げた。
「竜 騎 士のお二人が来てるって? また何かあったのか?」
先日、レブロンの港町は危うく火事で大きな被害を出す所をドラゴン・ハヤテに救われた。何か困ったことがあったのなら、是非この機会に恩を返しておきたいものだ。
メルガルは手早く身だしなみを整えながら立ち上がった。
「何だかしょっちゅうこの砦に来ている気がしますわ」
メルガル代官がレブロン伯爵領砦にたどり着くと、そこにはハヤテに話しかけるティトゥの姿があった。
そんな二人を、何人かの手の空いた騎士が遠巻きに見ている。
メルガルは愛想良く微笑みながらティトゥに声を掛けた。
「これはこれは、本日は一体どういったご用向きで?」
「ええ。実は少し相談したいことがあって・・・」
ティトゥは先ほど見かけた幽霊船の話をした。
帰り道、やはりどうにもさっきの船が気になって仕方のない二人は、こういう事を相談するなら港のある町の人間が良いのではないか、と思い付き、急遽レブロンの港町まで足を延ばしたのであった。
「その特徴を記したメモを少し見せて頂いても?」
顎に手を当てながらティトゥに渡された木切れを眺めるメルガル。
ティトゥが見守る中、彼はメモにざっと目を通すとひとつ頷いた。
「ふむ。おそらくこれは造りかけの新造船でしょうな。どこかの造船施設から何かの拍子に漂流してしまったものでしょう」
「は?」
事も無げに言い切るメルガル代官。
ハヤテと二人で散々悩んだ謎をあっさりと答えられて、ティトゥは驚きに声も出なかった。
「どこにも帆が見あたらなかったんでしょう? 普通の船でそんなことはあり得ません。この規模の船で船首像や救命ボートが無いのも、これが完成前の船だからでしょうな」
その後、矢継ぎ早に質問をしてくるメルガル。それに答えるティトゥ。
しばらくそうしたやり取りが続いたが、やがてメルガルは満足そうに顎鬚をしごいた。
「大体の場所も分かりました。ちょっとこっちで心当たりを当たってみますね。何、私に預けて頂ければ悪いようにはしませんって。お二人にはこの間の恩もありますからね。是非お任せください」
「はあ。ではそちらにお任せしますわ」
何故かやたらと張り切るメルガルと、何だか狐につままれたような顔になるティトゥだった。
ハヤテの翼が空のかなたに消えると、メルガルはそばに立っている部下に命令した。
「おい、大型船用の曳航船と乗員の手配だ! いくら金がかかっても構わん、大至急用意しろ! それとアラーニャとレンドン、それとリコベラの代官に連絡の準備だ! さあ、忙しくなるぞ!」
メルガルの予想はピタリと当たり、後に幽霊船はアラーニャで建造中だった大型船であることが分かった。
聖国でも有数の大型ドックを持つアラーニャでは、国外の貴族の依頼で大型船を建造中であった。
ところが船の完成の目途がようやくたったその日の夜半、誰もいないはずのドックに誤って浸水があり、ほとんど完成していた船は浮かび上がると柵を破って漂流を始めた。
翌日、作業員が気が付いた時には、すでに船はアラーニャの沖合から姿を消していた。
潮の流れに乗った船は定期航路から外れた外洋を誰にも見つからないまま漂流。たまたまその上空を飛んだハヤテによってこの日発見されたのだった。
アラーニャの代官は、船の建造費と貴族に払う莫大な違約金の調達に今もまさに金策に奔走している真っ最中であった。
そんな中、ほぼ無傷の状態で船がレブロンの港町で確保されたと聞き、代官は取るものも取り敢えず大急ぎでレブロンまですっ飛んで行った。
聖国有数の大型ドックを持つアラーニャの代官と、聖国ではいくつかある港町の一つに過ぎないレブロンの代官。
どちらが上でどちらが下かなどあえて言うまでもないだろう。
快く船の返却を約束され、感謝のあまり拝み倒さんばかりのアラーニャの代官。
――その彼に微笑みかけるメルガルの顔は本当に悪い顔だったよ。
とは、現場に同行したラダ・レブロン伯爵夫人の言葉である。
こうして、レブロンの港町はアラーニャからたんまり分捕った謝礼金で、先日の失火で被った損失を補うことができたのである。
もちろんこの謝礼金の一部はティトゥにも送られ、当時とある事情で物入りだったティトゥは大変助かることになるのだが、それはまた後日の話。
◇◇◇◇◇◇◇◇
幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは言うが、幽霊船の正体も分かってしまえばなんてことのない物だったんだな。
僕は何とも肩すかしな気分でエニシダ荘への帰路をとった。
ティトゥも僕と同じ気持ちだったのか、帰りの道中は会話らしい会話も無かった。
色々と寄り道をしたため、僕達はいつもより遅い時間に屋敷へと到着した。
『あらっ? あれはラミラ王女殿下・・・かしら?』
屋敷の庭にはいつものようにマリエッタ王女と、何故か金髪縦ロールの少女の姿があった。
金髪縦ロールか、久しぶりに見たよ。
こうやって空の上からたまに見ることはあっても、僕を苦手とする彼女が庭に出て来たのは最初の日以来なんじゃないだろうか?
て言うかティトゥはよくあの二人の見分けがつくね。
『いつもお二人一緒でいらっしゃるのに、お一人でいるなんて珍しいわ』
ああ、そういえばいつも二人でワンセットだったね。
う~ん・・・。
どうもあの二人は最初にカーチャをいじめたこともあって、僕は未だに良い印象を持てない。
もっとも、カーチャはもう気にしていないみたいなんで、僕がいつまでも引っ張るのは良くないとは思うんだけど。
というか、見た目がまんま意地悪令嬢みたいなのがいけないんじゃないだろうか?
二人同じ格好だし、縦ロールだしで、喋り方も含めてキャラを作ってる感じがイラッとするんだよね。
・・・まあ、喋り方に関してはティトゥとキャラ被りしてる気もするけど。
そんなことを考えながら着陸すると、待ちかねたようにマリエッタ王女と金髪縦ロールが僕に駆け寄って来た。
さっきまで泣いていたのか、真っ赤に目をはらした縦ロールの悲壮な表情にティトゥが驚いて息を吞む。
『お願いします! パロマを助けて下さい!』
顔色の悪いマリエッタ王女と必死に訴える縦ロール。
一体何があったんだ?
次回「王女誘拐」




