性質はネコ
仙堂雪歩は軽薄な人間だ。
脳と体が直結していて、ひとまず考えてから行動に移すということができない。思ったままを口にするし、感情がすぐに表に出る。手も口も反射的に動いてしまう性質なのだ。
そんな風だから、時には反感を買うこともある。わたしなんかは小学校からかれこれ十年近い付き合いだから平気で傍にいられるが、人によってはそうもいかない。
とはいえ、なかには彼女のあけすけな態度がかえって好ましいなんて人もいるし、基本的に明朗快活な雪歩は、みんなから特別嫌われているというわけではない。ただ雪歩の性格上、その言動と行動が人をむっとさせることがままあるというだけだ。
その日その時わたしの目の前で彼女がしたことは、そういった不快感を与えるものではなかったけれど、やはり軽薄なものではあった。
二人連れ立って歩いていた学校からの帰り道。わたしが何気なく見つけたのは猫の死体だった。沿道の植え込み、ツツジの根元に横たえる死体。道路で轢かれていたのを誰かが土の上まで運んだのだろう。
隣を歩く雪歩もそれに気づき、足を止めた。憐憫の表情で死体を見る。そして、彼女は目を瞑り静かに手を合わせた。
わたしはそれを黙って見ていた。
雪歩は瞼を開け、手を下ろした。
「……かわいそうだね」
いつも通りに思うまま口をついて出たであろうその言葉に、
「そんなことしたら霊がついてきちゃうんじゃない?」
わたしは何気ない調子で言葉を返した。
雪歩はぽかんとした顔をする。
「どういうこと?」
「墓地に行った時に知らない人の墓に手を合わせたら駄目って話、聞いたことない? 長いこと墓参りをされていなかった墓だと、寂しがっていた霊が手を合わせた人間についてきちゃうとかいう話」
「……あるかも」
「その理屈が正しいなら、弔ってくれる人間がいない動物なんてさぞ寂しがってることでしょうよ」
「……えぇー」
不平と落胆の入り混じった声。
「まあ、単なる迷信だから思い悩むものでもないけどね」
「じゃあ言わないでよぉ」
顔をしかめながらもっともな文句を言う。
そうやって沈んだ雪歩の心は、しかしその場を離れて数分も経てばあっという間に元通りになった。そう思いつめるような事でもないから当然と言えば当然だ。
わたしたちはその日、いつも通りに笑顔で別れた。
翌朝、通学路で待ち合わせた雪歩の頭の上には猫がいた。
正確には、猫らしきものがいた。雪歩の頭の上に顔を乗せ、しがみつく形で両前足が伸び、後ろ足は肩に乗っていた。体全体が扁平な形に潰れていて、一見すればなにかマスコットをかたどったフードのようである。
「なにそれ」
「起きたらしょってた」
簡潔な答えだった。
よくよく見れば猫はうっすら透けている。どう考えても昨日の猫の霊だ。
「特に困ることはないんだけどさ」
話を聞けば、この猫は雪歩の両親の目には見えておらず、ここに来るまでに他の通行人からの視線を感じることもなかったらしい。見えているのは雪歩本人とわたしのみ。頭を動かしても邪魔に感じることはなく、猫は鳴いたり動いたりする様子もない。何も不便はないらしい。
「どうするの?」
「とりあえずこのままかな」
雪歩は普段通りの顔でそう言ってのける。鈍いのか豪胆なのかはわからない。
「困ったらどうするか考える」
そう決めて学校へと向かった雪歩の姿は、猫をかぶっている状態というのが字面だけは的を射ていた。
しかし、的を射ているのは単に字面だけではなかった。言葉の意味としても彼女はまさにその状態になっていたのだ。
その日の雪歩はいつもと違っていた。軽薄さは鳴りを潜め、慎み深く誠実な振舞いを見せた。
クラスメイト達はみな驚いた。
気が利いて、配慮ができて、器用で、ユーモアがあって、聞き上手で、空気が読めて、真面目で、手際が良くて、誰からも好かれるようなそんな人間になっていた。
明るさはそのままに、彼女の性格上の欠点と言える箇所が消えていた。それはまさに猫をかぶっているような姿だった。
わたしは雪歩にこっそり訊いてみた。
「急にどうしたの?」
「なんか自然とこうなっちゃう」
無意識に言葉が出て、無意識に体が動いているらしい。
頭の上の猫は瞼を閉じて穏やかな顔をしていて、まるで眠っているようだった。雪歩が猫に操られているような様子はなく、単に猫をかぶった状態になっているだけらしかった。
それ以外に特に変化はなかった。困ることがないので、猫をどうこうしようという話にもならない。
次の日もその次の日も、猫かぶりはそのままだった。そうなってくると周囲の驚きも落ち着いていく。雪歩の変化にすっかり慣れてしまう。
猫の死体に手を合わせた時に一緒にいたからか、わたしと二人の時だけは雪歩はいままで通りの雪歩のままだった。しかし、みんなの前では、仙堂雪歩はすっかり〝良い子″になった。
日々はそのまま過ぎていく。
そうなると、男女を問わず彼女に好意を持つ人間が多くなる。勉強ができるようになったわけでもスポーツが得意になったわけでもないのだが、雪歩は人気になった。それだけ人間関係において人柄というものが大事だということだろう。
なかには恋愛感情を抱くものもいた。別に顔やスタイルが変わったわけでもないのに、彼女に恋い焦がれるのだ。これも人柄の為せる技。わたしは傍観者のような気分で、雪歩とそれを取り巻くみんなの姿を見ていた。
「すごいじゃん」
「猫かぶってるだけなんだけどなー」
一か月以上が経ち、雪歩を取り巻く環境は変わった。正確には、周囲の人々からの評価が変わり見る目が変わった。
それはもちろん悪いことではなかったし、
雪歩自身も喜んでいた。肉体的にも精神的にも疲れることはなかったし、なにか代償があったわけでもない。猫は相変わらず頭の上にいて、離れる気配はない。
いつも通りの帰り道をわたしたちは歩いていた。学校にいる時は雪歩の周りには他の子たちもたくさんいるが、帰り道だけは前と変わらず二人である。
「でも、いなくなった時を考えると怖くない?」
「その時はその時でしょ。いつも通りのあたしに戻るだけだもん」
わたしの問いに、雪歩はあっけらかんと答える。
「でも祟られたりしなくてホントによかったよ」
「めっちゃ怖がってたもんね」
「怖がらせたのは自分じゃーん」
口を尖らせる雪歩に、わたしは笑ってごまかした。
「ホント、ラッキーだったなぁ」
雪歩の顔には笑みが浮かぶ。
それを見てわたしは、
「でも……」
顔を俯かせ、呟く。
「わたしはそうじゃなかったかも」
「え?」
「雪歩はすっかり人気者でみんなに囲まれて、なんか遠くに行っちゃったような――」
「そんなことないよ」
突然、雪歩の腕がわたしを包んだ。
彼女の息が頬にかかる。
足が止まった。彼女の腕はわたしの体を抱き、頭を撫でた。
「よーしよし」
「息、くすぐったい」
「あら、冷たい反応」
わたしの平坦な声に、雪歩は笑いながら体を離した。
「冗談なのに、ここまでされるとは思わなかった」
わたしは口元に笑みを浮かべて言った。完全に見抜かれて適当にあしらわれると思っていたのに、予想外だった。
「だって本当に寂しそうな顔してたもん」
雪歩は得意満面な様子でそう言う。
「実は泣きたかったんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ」
わたしはわざとらしく呆れ顔をしてみせる。
「みんながどう思っていても、本当の雪歩を知ってるのはわたしだけなんだから」
雪歩の顔に手を伸ばし、優しく頬を撫でた。彼女はくすぐったそうに可愛い声を上げる。
「なくのは雪歩の方じゃない?」
「そんなことないもん」
わたしの手の下で赤く染まる頬。
そう。これだ。わたししか知らない彼女の顔。なにをしたって引き出せないわたしだけのもの。
雪歩が猫をかぶってみんなの見る目が変わっても、わたしはさらに幸せを感じるだけ。
わたしにとっても、雪歩は愛しい愛しいねこなのだから。




