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宿貸し

 週に一度しかない休日の朝。僕が自分の部屋で闖入者を発見したのは、洗濯物を干すためベランダへ出ようとした時だった。

 なんだこれ?

 視線の先にあるのは、閉まった状態の鍵。なんの変哲もないクレセント錠である。

 しかしいまそこには、いままで見たこともないものが存在していた。

 錠のてっぺん、上を向いた先端部分に、茶色い埃のようなものが乗っかっている。否、それは埃ではない。

 巣だ。

 それは僕の指の先ほどの大きさしかない鳥の巣だった。木の枝を組み合わせたような作りの、ポピュラーな形の巣。目を凝らしてみれば、巣の中には一羽の鳥がちょこんと丸まっていた。薄い緑色をした、さして特徴のない鳥だ。

 なんだこれ? と再度思い、まじまじと見てみる。鍵の先端に乗っかった、ミニチュアのような鳥の巣。それ以外に表現のしようもない。

 この至近距離だから僕の存在に気づいてないわけもないのだが、鳥はそっぽを向いたまま、数度鳩のような鳴き声を出しただけだった。

 そのままじっと見ていても、たまに鳴き、たまに体を揺らすように僅かに動かすだけ。慌てふためいて巣から飛びだすなんてこともない。

 あれ?

 そんな調子で見ていると、僕はふと巣の中のあるものに気づいた。鳥が体を動かした時、その下に白くつるりとしたものが見えたのだ。

 卵だ。

 ピンときた。ちらりと見えただけだが、確実にそうだ。そして合点がいった。鳥は卵を温めているからまったく動く気配がないのだ。

 なるほどなあ。

 そこまでわかって、僕は自然と頷いた。そして回れ右をした。

 いま突然目の前に現れたこの巣がなんなのかはわからないが、僕はこれ以上それを追求する気はなかった。妖精か、はたまた妖怪カ。なにがなんだかわからないが、僕にはそれを突きとめる力はない。それなら、あとはなるようになれだ。解決策を提示できないなら、放置して流れに身を任せるのが吉である。

 自分の人生哲学に則ってそう判断した僕は、大人しく洗濯物を持って近所のコインランドリーに向かった。


 発見から一週間以上が経過しても、鳥は一向に動きを見せなかった。あれから、鳥はずっとそこにいる。僕が仕事に行っている間や眠っている間は知らないが、そうでない時に鳥が巣を離れることは一度もなかった。巣の中でただじっとしているのだ。

 それに、卵の方も変化はなかった。一般的にどれぐらいの期間で鳥の卵が孵化するのかは知らないが、一週間経っても親鳥同様に卵もじっとしたままだった。

 鍵が開けられないためベランダに出ることが不可能になってしまった僕の部屋だが、それ以外に鳥の存在が得や損につながることはなかった。癒されるわけもなく、騒音に悩まされるわけもなく、僕は僕でなんの変哲もない生活を送り続ける。


 そんな調子で二週間が過ぎ、鳥の方は相変わらず変化がない。僕はというと、残念なことに熱を出して寝込んでしまった。風邪である。

 仕事を休み布団にもぐり、これはきっと鳥の巣のせいで鍵が開けられず部屋の換気が十分でなかったからだ、なんて適当なことを考えてみたりする。しかし鳥の方はそんな僕のことなど眼中になく、マスクを跳ね飛ばす勢いでげほごほと勢いよく咳をしても熱に浮かされ意味をなさない唸り声をあげても、変わらず大人しいものだった。

 そんな調子で布団の中で咳をしたり唸ったり寝たり起きたりを繰り返してどれぐらいが過ぎただろう。電気も着けず真っ暗な部屋の中、僕は息苦しさでマスクを外し、ぼんやりとした意識のまま天井を見上げた。するとそこに、見えるはずのないものが見えたのだ。

「飛んでる」

 と、声に出た。僕の視界に、鳥がいた。あの指先ほどの大きさの巣の中にいた小さな小さな鳥が、部屋の中を飛んでいた。いや、正確には寝ている僕の上を飛んでいた。虚ろな頭では距離感もよくわからないが、確かに僕の上を飛んでいる。

 なぜいまこのタイミングなんだろう。驚きとともに、疑問が浮かぶ。だが、熱で不明瞭な頭では答えなんて出やしない。僕はただただ視界の中を飛んでいる鳥の姿を目で追っていた。

 そうしているうち、僕は気づいた。鳥が、その足になにかを持っていることを。緑色をした鳥の体が、見上げてわかる腹の辺りの部分だけ真っ白になっているのだ。最初はそういう模様なのだと思ったが、違う。

 卵だ。

 鳥は卵を抱えて飛んでいた。

 ますます鳥の行動のわけのわからなさが際立ってきたけども、僕はそれをじっと眺めるほかない。

 いや、これはもしかしたら初めから熱による幻覚かもしれない。などとここにきてようやく常人らしい思考を始めた頃、

「あッ」

 卵が、落下した。僕に向かって落ちてきた。

 あっ、と開いた僕の口目掛け、卵は落ちてきて、そして入っていった。

 舌の上をころりと転がり、喉をつるりと過ぎていった。てんてんててんと胃の中へ落ちていく。

 その感触とともに、僕の意識はうっすらと揺らいでいった。


 一晩寝たら、熱は引き風邪はすっかり治っていた。

 これはあの卵のおかげだろうか、と件の巣の方を見れば、そこにはなんの変哲もないクレセント錠があるのみだった。

 なるほどなあ。

 なにもわかっちゃいないのだが、原因究明が不可能と判断し、僕は考えることを放棄した。鳥はなぜだかいなくなった。それでいい。それが事実である。

 因果関係は不明だが、僕は鳥に一応の感謝を捧げつつ、寝床から起き上がった。


 それからの僕の生活は特にいままでと変わりなかった。

 鳥に限らず妙なものを見ることもなかったし、人生に喜びが増えることも悲しみが増えることもなかった。

 ただ、どういうわけか食欲だけが増えていた。昔から食は細い方だったのに、毎日やけに腹が減る。別段悪いことでもないしこれまた原因もわからないから、僕は食欲に任せるままものを食べた。

 それは良かったのか悪かったのか。


 また半月が過ぎた。

 僕はこれまで通りの生活を繰り返し、相変わらずよくものを食べる。

 けれどそんな生活にも少しばかりの異変が起きた。

 時折、あの鳴き声が聞こえてくるのだ。鳩にそっくりな、あの鳴き声。

 そしてそれは、僕の口から聞こえる。僕の、腹の奥底から響いてくる。

 これはいったいどういうことだろう。

 僕にはよくわからない。

 あの鳥が僕に卵を呑ませたのはなんだったのだろう。

 僕にはまったくわからない。

 だから僕は考えず、放っておく。

 いまはただ本能の赴くまま、ものをよく食べていればいい。そしたらきっと、なるようになるのだろう。

 僕は自分の体の中から響く鳴き声をBGMに、今日もまたよく食べ、よく眠る。

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