求める世界
男は醜かった。自分の容姿が他人よりも格段に劣っているということを自覚していた。頭脳は世界でもトップクラスのものだったし身体能力も人並みであったが、容姿のみがどうしようもない有り様だった。そんな男だった。
「こんな人生、腐ってやがる」
十代の頃から、男はそんなことばかり胸の内で呟いていた。その頭脳によって社会的な地位を得ても、そんな思いを抱き続けた。そしてそれは次第に、
「こんな世の中、腐ってやがる」
という思いに変異していった。
自分はこのまま生きていても決して幸せになることなんてできない。自分の容姿を恨みながら惨めに老いさらばえていくだけだ。そんなことばかり思っていた。
そんな思いが募っていったある日、彼は思考におけるある一線を越えた。
「世の中が腐っているなら、俺がそれを正常にしてやる」
男は、世界を自分の都合のいいように変えようと決意したのだ。男は数年をかけてある装置を作り上げた。それは特殊な電波を飛ばすことで全人類の視力を失くさせてしまう装置だった。世の中の人間が視力を失ってしまえば、他人を容姿で判断しようなんて考えはなくなる。そう考えたのだ。
「これで俺が求める世界になる」
男は意気揚々と装置のスイッチを入れた。装置はつつがなく動きだし、その効力を発揮した。ただ、いきなり全人類の視力を完全に失わせることはできなかった。装置の数十キロ圏内にいる人間から順繰りに、視力が少しずつ落ちていって数か月かけて最終的にゼロになるという時間のかかるものだった。
それでも男に不満はなかった。一年もしないうちに自分の求める世界がやってくる。男はワクワクしながら日々をいままで通りに過ごした。
世の中では原因不明の視力低下が小さな騒ぎになり始め、発達した電子機器による副作用だとか機械文明に頼りすぎた人間に対する神からの罰だとか、様々な専門家による勝手な言説が飛び交っていた。そうやって世間が慌てる中、男は悠然といつも通りに過ごしていた。
そんなある日、男の元に一人の女が現れた。女は政府の組織に属する人間だと名乗り、
「いま話題になっている原因不明の視力低下事件について調査しております」
と言った。さすがに男は慌てた。もしかしたら自分が原因であることがばれたのかと。少しばかり青ざめた男の顔を見て、しかしその女は、
「その表情、あなたが首謀者なんですね。ですが心配なさらないでください。わたしはあなたを捕まえに来たわけではありません。むしろ、あなたを助けに来たのです」
そんなことを言った。
「あなたが目指すものにわたしも共感します。組織ではなく一個人としてですが、わたしはあなたに協力いたします」
女は男のことを政府に告げず、その追求から逃れる手助けをするというのだ。男はこれを素直に喜んだ。政府に捕まる危険を逃れたからだけではない。自分と考えを同じくする者がいたのが嬉しかったのだ。女の容姿は十人並みといったところで取り立てて美しくもないが、かといって特別醜いとも言えない。男は、その点は自分とは違うと思ったものの、女性の方が容姿の良し悪しで人生が左右される部分も大きいのかもしれないし、そう考えれば彼女の容姿でも自分と同じような考えに至ることもあるのだろうと納得した。
女の助けもあって、男は政府からの手を悠々と逃れることができた。なにせ政府側の情報は女から筒抜けなのだ。男は女と頻繁に会い、情報を得ていた。
世間では人々の視力が益々落ちていき、コンタクトレンズと眼鏡の着用率がうなぎ上りに上がっていって、眼科はいままでにないくらい儲かっていた。原因不明の現象に、人々からは不平不満が出たが、それに対処できる者はなかった。原因がわからないのだから仕方がない。
男はひとり愉快だった。もう数か月待てば、世の中は変わる。もうそろそろ完全に視力を失うものが出てくる頃だろう。男はひとり笑みを漏らす。
この装置を作ってからこっち、男の生活は晴れ晴れとしていた。男自身が何か変わったわけではない。いまも昔と変わらず醜いし、その顔を好きになったわけもない。世界の変革を実感とともに持つことができるのが幸せなのだ。
あとひとつ男が幸せな理由は、目的をともにする女の存在だった。容姿のせいで女性に恋心を抱くことさえ封じていた男だったが、彼女は別だった。同じ考えを持ち、手を差し伸べてくれる存在。男にとって、そんな人物に出会ったのは初めてのことだった。彼女となら、すっかり変わった世界で愛を紡いでいけるかもしれない。男は密かにそんなことを考えていた。女の方だって、自分の方を憎からず思っているからこそ手を貸してくれているはずなのだ。
そんな期待とともに、男は来たるべき時を待った。
さらに数日が過ぎたある日、男の元に女が来た。ドアを開け放って目の前に現れたその顔は、穏やかなものではなかった。
「目が見えなくなったって人がいるんだけど!」
怒声と言っていい声色だった。男は女のその声を不思議に思ったが、ともあれその内容に喜びを示した。
「とうとうそこまで来たのか」
「はあ? なんで目が見えなくなるの? それじゃ意味がないでしょう!」
女の声にはなおも怒りが混じっている。男は困惑した。女が怒る理由がなわからない。
二人の間には確実に齟齬があった。
「全人類から視力を失わせるのが目的なんだから、それが当然じゃないか。きみはなにを言ってるんだ?」
男の言葉に、女は目を見開いた。
「あなた、そんなことが目的だったの?」
「そうだよ。皆が視力を失えば、人々の間に容姿で優劣がつくことがなくなる。素晴らしい世界だ」
「そんなもの知らない!」
女は言い放った。
「わたしはメガネ男子が好きなだけ! だからあなたに協力してあげたのに!」
今度は男が驚く番だった。
「そんなことならあなたに用はない。協力は今日でお終い。いまから政府機関に連絡してあなたを捕まえてもらうから」
女は冷徹な判断を下した。
「ちょっと待ってくれ、それは困る。やっとここまで来たんだ。見逃してくれ」
「知らないわ。わたしはわたしの仕事をするだけ」
「メガネがいいっていうのなら俺がかけるから。それでいいだろ?」
「ふざけないで! あんたみたいなブ男が眼鏡をかけても価値なんてないのよ!」
同時に、女は渾身の力で男の醜い顔を殴りつけた。激烈な痛みののち、男の視界は真っ暗になった。




