同類項
「ノエ。お前の名はノエだ。これからしっかり役目を果たすのだぞ」
ノエが生まれた時、目の前には灰色の体をしたひとの群れがあった。群れといっても全部で二十人程。皆まるっきり同じような背格好で、頭には短くて黒い髪が生えそろっていた。おまけに顔まで一様に同じだった。
ただひとりだけ、体型は同じだけれども体が一回り大きく、顔に少しばかり皺が入った者がいた。自分のことをオサと名乗り、ノエにノエという名をつけたのが彼だった。
ノエが生まれた場所はつるりとした真っ白な素材でできたドーム状の空間だった。広間のようになっているその空間の中央に、長方形の大型の机のようなベッドのようなものが床から生えるように突きだしていて、ノエはそこに寝ていた。
ノエの意識ははっきりとしていた。生まれたばかりではあったが、視界に入るものはしっかりと捉えられていたし、耳に入ってくる声は明瞭に聞き取れていた。周囲の人たちが呟く言葉も、一部知らない単語があったもののほぼすべてを理解できた。
「お前の役目は星母様のお世話だ。わかっているな?」
オサが、確認するようにそう言った。
「はい、わたし頑張ります」
ノエの第一声は、はきはきとしたものだった。
ノエにはすでに知識があった。役目のために最低限必要な知識を持って生まれてきたのだ。
「では、まずはご挨拶に行こうか」
オサはノエを目で促してから、歩き始めた。ノエは立ち上がり、その後に続く。広間の端の方に、戸も何もついていない出入り口がぽっかりと開いていた。広間同様に真っ白な廊下が延びている。
廊下をまっすぐ進み、十字路を一つ過ぎてしばらく行くと、開けた場所に出た。いままでと一転して、そこはいっぱいの緑に覆われていた。
床には背の低い草が生え、辺りには茂みがいくつもあり、木々も何本となく伸びている。壁にも蔦が這っているようで、その広間には小さな林が構成されていた。
そんな林の中、中央には先ほどの広間同様に床から突き出るものがあった。こちらは大きな円形をしたもので、その上に寝そべっているひとの姿があった。
オサとノエはその目の前まで進んでいった。
「こちらにおられるのが星母様だ」
それは、オサや他のひとびととはまったく違う見た目をしていた。体はオサよりもさらに一回り大きく、全体的に丸々としていた。胸も腹も大きく張るように突き出ていて、腕も足も太い。顔の方はそれほど丸くもなかったが、作り自体はやはり違っていた。目と口が一際大きく、おまけに髪は銀色に輝いており、それが肩のあたりまで伸びていた。体の色も真っ白で、何も身に纏っていないその体からは微かに光が発せられているようにさえ感じられた。
ノエは思わず息を飲んだ。圧倒されていた。感動していた。目の前の存在に、目を奪われる。そこには神々しさがあった。
「ノエ、よろしくね」
「星母様はその腹に星を宿している。宇宙において新たな星を産むのが星母様のお役目。そしてそれをお助けするのが我々の役目だ」
星母は、笑みを湛えながら自分の腹をゆっくりとさすっていた。その瞳は、やさしくノエを見つめている。
「我々と違い、お前は星母様と同じ女だ。だからどうということも無いが、粗相のないようにな」
ノエは、自分の体を見た。肌はオサや他の者たちと同様に灰色をしているが、見比べてみれば確かに造形は違っている。オサの股には妙な塊がぶら下がっているし、胸も膨らんではいない。ノエの髪は肩まで伸びた黒色のものだが、部分的に見ればノエの体は聖母に似通っていると言えた。
「わたし、頑張ります」
ノエは星母の目を見てそう言った。
星母のお世話というのは、さして難しいものでもなかった。星母は一日のうちに、三度の食事と二度のマッサージを必要とする。ノエたちは三人で一組の班を作って、食事を持っていったり食事と食事の間にマッサージをしたり、好き勝手に枝を伸ばす木々を整えたり、そんなことをした。星母はノエが一日かけても食べきれないほどの量を一度の食事で食べるが、それを準備するのは別の者たちでノエたちはそれを運ぶだけだった。
それ以外の時間は、ノエが生まれたあの広間で星の様子を眺めて過ごした。ノエの生まれた長方形の出っ張りの上に、薄い板状のものが何十枚と浮かんでいて、それの表面には荒れた大地やどこまでも広がる海、そこらの木々よりも高い爬虫類だったり、同じように背の高い長方形の建物だったり、とにかく様々な景色が映っていた。ついでに音も聞こえてくる。それは宇宙のどこかにある、聖母が産んだ星たちの今現在の姿なのだ。空から全体を眺めることもできるし、生物ひとつに着目してみることもできた。ノエたちはそれを自由に眺めて過ごし、食事やマッサージの時にそこで見た星たちの様子を聖母に伝えなければならなかった。
ノエは、星母のお世話をそつなくこなしていた。それは他の者も同様で、誰かが何か失敗をしているところを目にすることなどなかった。ノエたちには食事はいらなかったし、星母が眠っている時に同じように眠り、目を覚ましたら同じように目を覚ますだけだった。特別に達成感や充実感を得ることはなかったが、それと同様に倦怠感や不快感を得ることも無かった。そもそも、感情というものを知識としては備えていたものの、自らの心の内には申し訳程度にしか持っていないようにも思えた。
ノエが女であるというオサたちとの違いについても、役目を果たすうえで有利にも不利にもならなかった。働きぶりは何も変わらなかったし、星母と接する時にも違いはなかった。
日々は変化なく過ぎていき、それは星母も同じだった。いつも穏やかな笑みを浮かべ、緑の広間で寝そべっていた。ノエたちと言葉を交わす時も星たちの様子を聞くときも、どんなことを耳にしても眉を顰めたりため息を吐いたりといったことをしなかった。まるで、負の感情をまったく持ち合わせていないような様子だった。
ただ、そんな星母も表情を変えることが二つだけあった。
ひとつは、星を産みだす時である。星を産むとき、緑の広間にはオサと適当に選ばれた他数名が待機する。やることは特になくその場に立っているだけだ。念のためにいるに過ぎない(念のため、というのがどういう状況を想定しているのかノエは知らない)。その時ばかりは星母も顔を歪め、苦しみに満ちた声を出す。ただ、大声を出すことはなく、唸るような喉の奥から振り絞るような、そんな声を出すのである。産み落とされた星はそのまま広間の天井へ昇り、一度大きく発光したのち、その場から消え失せる。宇宙のどこかへ行ってしまうのだ。
もうひとつは、そんな風にして星母が星を産んだ二、三日あとに起こる。星母が星の種を体に植えつける時だ。ノエはこれまでに二度それを見たことがある。
星母はいつも通りに体を横たえている状態だが、そのままの形で手を動かす。自分の胸や股をまさぐるのである。さらに、その銀の髪がうねうねと伸びていきノエの腕ほどもある棒状の塊を形作る。それは星母の股へと向かっていき、そこから体の中へと一息に侵入する。その瞬間、星母は微かに叫び声のようなものを出す。髪はそのまま勢いよく前後運動を繰り返し、星母の両手も絶え間なく動くままである。星母は口をだらしなく開けて吐息のような声を断続的に発し、時折体を震えさせる。瞳は潤み、体は上気している。そんなものが数分間続き、しばらくすると星母が大きく痙攣をする。同時に髪も痙攣したような振動を繰り返し、そののちに股からすっぽりと顔を出す。荒い息をする星母の股からは、白くて粘っこい汁がどくどくと垂れ落ちてくる。
こんな調子で、星母の腹に新たな星の種が宿るのである。これを産み出すまでにはおよそ一か月かかる。一か月に二度ほど、星母のいつもとは異なる表情を見ることのできる機会が訪れるということだ。
星母は繰り返し星を産む。ノエたちはそのためにお世話をする。ただそれだけの生活が静かに過ぎていった。
ある日、あれを見るまでは。
ノエがそれを見たことに、何ら必然性はなかった。広間でいつものように星の様子を適当に眺めていた時、偶々目にしたのだ。
それは、とある星のとある宗教に関わる者たちの姿を映していた。宗教というものは文字を持っているような者たちであれば往々にして備えている文化であり、その宗教には大勢の信者がいるようだった。丈の長い衣を身に纏った一人の人間が、密集している人々に向かって何かを言っている。ノエはそれをぼんやりと見た。
マッサージの時間になると、ノエは見たままのことを星母に話した。星母の相槌を聞く限りその宗教は星母の既知のものだったようだが、話を止められることはなかったのでそのまま終いまで続けた。
話し終えると、何故か星母がノエの頭を撫でた。それは初めてのことだった。一言礼を言うことはあるが、そんなことをすることはなかった。ノエは星たちの、そこで生きる者たちの様子を見てきた結果、撫でるという身体接触が対象への好意を示すものであると認識していた。ノエはそれをただ受け入れた。星母は満面の笑みでノエに礼を言ったが、ノエはそれに何かを返すことはしなかった。適当な動作の見当がつかなかったのだ。だから、ノエはそのままマッサージを終え、広間へと戻った。
それから、ノエは広間で星たちの様子を見る時に、自然とそのとある宗教が映っているものを見るようになった。そこで見て聞いたものを星母に話すと、星母はノエの頭を撫でた。他の話では、そうしてもらえることはなかった。ただ他の星であっても、やはり宗教に関するものであると星母は頭を撫でた。それが何故であるのかはわからない。他の者が話しているのを聞いてみたこともあったが、皆が宗教の話をしても星母が頭を撫でることはない。何故かノエだけが撫でられるのである。
撫でられたからといって、ノエは特段嬉しいというわけでもなかった。星母に好意をもって接せられることを求めているわけはなく、それによる具体的なメリットもなかった。だが、どうしてだかノエは宗教に関するものを見ることを続けた。ぼんやりと、自分でも何故だかわからないままに眺め続ける。そんな日々が過ぎていった。
そんなある日、ノエは板から聞こえてきたとある言葉が気になった。それは、罪に関する七つの言葉だった。怠惰、暴食、色欲、強欲、傲慢、憤怒、嫉妬。感情の乏しいノエにとって、それらは自分自身に縁遠いものだったが、不思議と気になったのだ。頭の片隅をちくちくと刺激されているような、そんな気がした。
星の様子を見るのを終えてからも、その言葉はノエの頭にこびりついていた。普段見聞きしたものは星母に話し終えたら記憶の底の方にひっそりとしまわれたままになるのだが、それはノエの頭にはっきりと残り続けた。それは何日も続いた。何をしている時でも、七つの言葉がノエの頭の中をぐるぐると回っている感じがした。そしてそれはどういうことだか、緑の広間で星母を前にしている時に余計強烈に感じられたのだ。一語一語が何かを訴えかけるように響いた。ノエはそのことを誰にも話しはしなかったし、顔に出すことも無かった。
表面上は何も変化のない日々が、またそうやって過ぎていった。しかし、それはすぐに終わりが来た。
星母が星の種を植えつける場に、ノエはまた立っていた。四度目だった。いつも通りの光景を漫然と見ていると、不意に頭の中で衝撃が走った。脳内で雷が落ち、一瞬にしてぱっと光で満たされた感覚がした。
「あ……」
微かに漏れ出た声は、星母の嬌声にかき消された。ノエはその瞬間、発見した。正確に言えば、確信したのだ。いつもと変わらぬ容貌のノエのその内に、芽生えたものがあったのだ。
それから数日間、ノエは考えていた。星母のお世話はいままで通りしっかりとこなしながら、件の宗教の様子を眺め続け、ひたすらに思考を巡らせていた。
そうして、自分のうちに芽生えたものに、無自覚に水と栄養を与え続けていたのだ。
さらに日が過ぎ、先日植えつけた星を産み出す日も近づいていたころ、ノエは三人一組で木々や草を整えに緑の広間に来た。伸びた草を抜き、枝を折るのである。中には実をつける木もあるので、食べられる実は採っておく。三人はばらばらに広間に散った。星母は円形の出っ張りの上に寝そべったままだ。
ノエは実を取ると言って木々の並ぶ中に入った。そうして、ひとつの実をちぎった。それは食べられるものでなく、拳よりも一回り大きいぐらいのまるで石のように固い表皮を持った実だった。ノエはそれをしっかりと持ち、一度星母の方を見てから他の二人の様子を窺った。どちらも作業に熱中しており、星母の方には背を向けていた。
それを確認すると、息を潜めてゆっくりと星母に近づいた。そして、実をぎゅっと握って、一気に距離を詰めた。
「待て!」
突然、真横からの衝撃を受けた。何かが勢いよくぶつかってきて、その場に倒された。見れば、仰向けに倒れるノエの上に、オサが馬乗りになっていた。他の二人が駆け寄ってくる気配もあった。
「お前、何をしようとした!」
「放せ!」
ノエはオサから逃れようと体を捩ったが、オサの大きな体はぴくりとも動かなかった。喚き散らし、手に持ったままだった実をオサの腰の辺り目掛けて叩きつけようとした。だが、その腕はオサの腕に容易く掴まれてしまった。
「これで何をしようとしたんだ! おい!」
「は殺す! 殺さなきゃならないんだ! こいつは罪人だ! 寝転がるだけで無為に時間を過ごし、飽きるまで物を喰らう! 果ては淫乱な享楽にふけっている!」
ノエは声を張り上げた。
「怠惰に暴食に色欲! こいつは罪人なんだ! 生かしてはおけない!」
ノエはオサに片腕を掴まれながらも、じたばたと手足を動かし続けた。
オサはそんなノエの顔を真っ直ぐ見下ろして、一度ゆっくりと瞬きをした。そして、ノエの手にしていた実を奪い取った。
喚くノエの頭に、その実を思い切り振り下ろした。鈍い音がして、ノエの口からは何の言葉も発せられなくなった。
「オサ……」
星母が声をかける。その目には、深い悲しみの色があった。
「駄目だったのね」
「そのようです」
オサも、悲壮な顔つきをしていた。立ち上がり、手にしていた実を地面に放って、すでに事切れたノエを見下ろした。
「欲に駆られ、身の程もわきまえずに高慢な姿勢に出て、そうして憤怒の情に任せて襲いかかるか……」
続けて、オサは力なく呟いた。
「やはりお前も、嫉妬の思いを抱かずにはいられなかったのだな」




