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わたしが貰う

 橋の欄干に腰掛けて、わたしは釣り竿を握る。

 町の外れにある、幅三メートルぐらいの小さな川。流れは真っ直ぐじゃなくて川岸が突きでているところも多く、そんな所では川幅も半分程度。架かっている橋も同じ様に小さなくて、水面からの高さは二、三メートルぐらい。山からは少し離れているけれど傍には雑木林が茂っていて、人影を見ることなんてほとんどない。

 そんな寂しい場所に、学校を出て家に帰りつくや否や釣り竿を握ってわたしは来た。制服を着替える時間すら惜しくて、走って来た。友達と遊んだり恋人とデートをしたり、そんなめくるめくような放課後という大事な時間を使ってまで、なぜわたしがここに来たのか。それは、この川で珍しい魚が釣れるからじゃあないし、わたしが無類の釣り好きだからでもない。

 ここは、特別な場所なのだ。

 くん、と竿先が動いた。水面に対してほぼ水平に倒していた竿を、素早く起こす。水面から、釣り針が顔を出した。

 そこには、ポータブルテレビが引っかかっていた。

「はっずれー」

 誰に言うともなく呟きながら、テレビを手元に引き寄せる。針を外し、手にしたテレビを真下に広がる水面へと無造作に落とす。着水の音を聞きながら、わたしはまた竿を構えた。

 いま釣れたテレビは、この川に捨てられたものじゃない。この川には、人から必要とされなくなったものが流れてくるのだ。人々が電化製品や粗大ゴミを不法投棄しているというわけじゃなく、いらなくなったものが自然とこの川に流れてきて、そのままどこかへ消えていくのである。

 知る人ぞ知る穴場スポット。わたしは魚釣りには興味がないけど、この川でする釣りは好きだ。何か欲しいものがあるわけじゃないし、ここで釣れたものを持ち帰ることも多くはない。キャッチアンドリリースがほとんどだ。わたしは、この川で釣れたもの、そして川面からうっすら覗けるものたちを眺めることが好きなのだ。それを見て、どんな人がどんな風に使っていたものなのか、どんな思いがあったのか、そんなことを考えるのが好きなのだ。

 わたしの放課後は、大体そうして過ぎていく。めくるめくなんて言ってみたが、友達づきあいはあっても深い関係になることを嫌うわたしにとっては、そんな放課後は縁遠い。顔を合わせるのは学校だけで間に合っている。

 そんなわたしにとって、家族以外で唯一心を開いていると言えるのは、幼馴染一人だけ。ただそんな幼馴染でも、高校生にもなると変化も出てきて、少しばかり距離ができる。同性じゃないなら尚更だ。

 この川での釣りという趣味は、孤独であるわたしにとって相応しいものなのだ。ここでの釣りには技術はいらないし、集中力もいらない。かかった獲物を逃がすことなんてまったくない。楽な趣味である。

 わたしはぼんやりと水面を眺める。僅かに濁った流れの中を、皆から不要とされたものたちがゆったりと過ぎ去っていく。履き古したスニーカー、カバーの取れた文庫本、錆びた包丁、片方だけの靴下、まだ真新しそうな猫の置物――ああ、本物の猫もいる。左耳の辺りが削れている、体を丸めた猫の姿があった。車に轢かれたのだろう。どこかの飼い猫か、餌を貰っていた野良猫か。生きている時に人と触れあっていて死んでから誰かに埋葬されていないものだったら、生き物だって流れてくる。

 水面から顔を上げ、空を仰ぐ。日が傾き始めている。じわじわと、空の色は暗く沈んでいく。

 わたしは、大きく深呼吸をした。

「そろそろかな」

 水面に顔を戻し、流れの中を注意深く見る。

 今日に限っては、わたしには目的があった。目当ての獲物があるのだ。

 しばらく流れの中を見ていると、竿先が動いた。手応えは軽い。素早く上げて見てみれば、釣り針は横長の白い封筒を貫いていた。封はすでに開けられている。

 わたしはそれを手に取り、よく確認した。水中を流れてきたものだが、紙は水滴を弾き、書かれている文字はそのまま読める。宛名は『小川百合香様』、裏に書かれた差出人は『大平啓太』。それを見た瞬間、どくん、と心臓が強く鳴った気がした。

 来た。

 中に入っているのは一枚の便箋。便箋に書かれているのは、時刻と場所。そこに書かれている内容には、わたしは驚かなかった。それはわかっていたことだ。

 これは、どっちかな。

 その封筒と便箋をポケットにしまい、わたしは竿を構えつづけた。水面を見る目には、今まで以上の力が籠もる。

 そうして空が赤く染まってきた頃に、それは流れてきた。ラフな服装をした、男の体。

 わたしは竿を橋の上に投げ捨てるように置いて、欄干から下りて駆けた。川沿いの緩やかな土手を下り、流れの先にある川岸に立つ。

 橋の方からやってくる男の体は、川岸にぶつかりながら流れ過ぎようとする。わたしは覆い被さるようにそれにしがみつき、体全体を使い力を振り絞って男の体を川から引き上げた。

 荒い息を吐きながら男を仰向けに転がし、その顔を確認する。

「啓太」

 物心つく前からずっと見ている、幼馴染のものだ。瞼を閉じ、眠っているような表情だが、その喉元からは血がだくだくと流れていた。血を拭えば、痛々しい傷が見えることだろう。

 わたしはポケットからハンカチを取りだした。その拍子に、先ほどの封筒と便箋が飛び出す。わたしはそれを一瞥し、川へと放った。

 ハンカチで、啓太の顔を拭く。水と汚れをふき取れば、そこにあるのはいつも通りの彼の顔だった。

 わたしの顔には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。ほっとしたからか。ただただ嬉しいのか。自分でもわからなかったが、ともかくよかった。

 わたしは啓太の頭を撫で、その顔をじっと見た。

 とにかくこれで終わった――いや、これで始まったのだ。

「わたしが愛してるよ、啓太」

 そう言って、わたしは初めてのキスをした。

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