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天に召される道すがら

 自販機から吐き出されるようにして出てきた缶コーヒーを取り、無造作にプルタブを開ける。顔を反らし、勢いよく嚥下した。

「ぷはっ」

 あっという間に飲み干し、一息つく。

 緊張している。いや正確には不安だ。

 点検の予約を取る度にこんな気持ちを抱いている。あの日からすっかりこうだ。床下で猫の群れに纏わりつかれてから、床下に潜るのが怖くなってしまった。

 あの時に何か実害があったわけじゃない。今日までの間に特別恐ろしい目にあったということもない。だが、それでも恐怖は拭えなかった。

「しっかりやらんとな」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、俺は首をほぐした。

 ふと、視界の端に映る男に目がいった。歩道のど真ん中で、呆けた顔をして立ち止まっている。

 大学生ぐらいだろうか。こざっぱりとした印象で、顔のつくり自体は良さそうだ。

 だが、一つ問題があった。

「げっ……」

 男は、透けていた。よく見なければわからなかったが、体が半透明になっていて、向こう側の景色が透けて見えるのだ。

 幽霊に関わるのはもう御免だ。

 俺は声を上げないようにして、すぐにその場を立ち去った。点検の前に、幸先が悪いことこの上なかった。



 ぼんやりとする。意識がはっきりとしない感覚。まるで頭の中身をどこかにぶちまけてしまったような、そんな感じだ。脳がうまく働いてくれない。

 すぐそばでぱたぱたと足音がした。顔を巡らせれば、作業着姿のおっさんの後ろ姿が見えた。

 男か。

 意識するでもなくため息が出た。男に用はない。オレは女が好きなんだ。なぜだかそれははっきりとわかった。オレは女が好きだ。確信を持って断言できる。

 しかし、他のことはわからない。とりあえずオレは歩き出した。ここにいてもおっさんにしか会えないからだ。

 そうやってしばらく歩くと、視線の先に女子高生の姿が見えた。最高だ。オレは女子高生が好きだ。これもまた断言できる。

 そうとなればすることは決まっている。オレはその女子高生に声をかけた。臆することはない。オレはいつもそうしていた気がする。それが普通のことなんだ。

 だからオレは、いつも通りのやり方で声をかけた。しかし、

「あたし暇じゃないんで。すみません」

 にべもなく断られた。

 おかしい。こんなはずじゃない。オレが声をかければ、女は笑って心を開くんだ。そうだった。そうなるはずだ。

 オレは食い下がった。しかしそれでも女子高生はのってこない。終いには、

「嫌ですって! もう! そんなに言うんなら……」

 女子高生は両手をオレの顔の前に突き出した。そして、それを素早く擦り合わせる。

 その瞬間、オレの眼前で炎が弾けた。

 オレは間抜けな悲鳴を上げ、尻もちをついた。

「これで温まりますか? なんか青白い顔してるし」

 その手に宿っている炎とは正反対の冷たい目で見下ろしてくる女子高生。

 オレは慌てて立ち上がり、急いで女子高生の前から逃げだした。



 逃げた先で、オレは荒くなった呼吸を整える。

 いまのは相手が悪かった。手から火を出すなんて普通じゃない。あれはオレがいままで見てきたような女じゃない。別の何かだ。

 そうやって気を取り直し、周囲に視線を向ける。今度は普通の女を探そう。

 すると、再び女子高生がいた。最高だ。オレは女子高生が好きだ。しかも今度は二人だった。随分と仲が良さそうに歩いている。

 オレは少女たちに声をかけた。いままで通り。当たり前のやり方だ。

 しかし、

「いや、まったく興味ないんで!」

「他あたってくれませんか?」

 きっぱりと断られた。

 おかしい。今度はうまくいくはずだったのに。これは変だ。

 オレは食い下がった。

「エロいこと考えてるってバレバレですよ。顔も青ざめてて怖いし」

「あれ?」

「ん? どしたの?」

「なんでもない。――じゃあわたしたちもう行くんで」

 そう言って、少女たちはオレに背中を向けた。気の利いた言葉をかけることもできず、オレはあわあわと口を動かしながらその背中を見送る。

 二人は顔を寄せ合い言葉を交わす。

「雪歩、猫かぶってなかったね」

「あ! ホントだ! なんでだろ? 初めてだよね?」

「もしかしたら……」

 一方が、こちらをちらりと振り返る。

「人間限定ってことかも」

「え? どういうこと?」

「まあ気にしないことだね。言ったら雪歩が怖がって泣いちゃうかもしれないし」

「泣かないってば、もぉー!」

 きゃっきゃと声を弾ませる少女たち。

 その会話の内容は、ナンパを断られたショックで半分ぐらいオレの耳には入っていなかった。おまけに、これもショックのせいか、一方の少女の頭の上に猫のようなものが乗っているように見えた。



 それから、オレは街を彷徨った。しかし成果はない。女に声をかけても、誰もついてこない。まるでオレが見えていないように無視をしたり、オレの顔を見るや否や悲鳴を上げて逃げたり、いままで経験したこともない反応が返ってくる。

 オレのおぼろげな記憶では、こんなことはなかった。オレは女に不自由したことなんてなかったはずだ。どんな女も思いのままだった。

 望む結果が得られないまま、遂には日没を迎え、あっという間に辺りは真っ暗になった。

 それでもオレは歩き続けた。しかし、女は誘いにのってこなかった。



「おい、もう日付代わってだいぶ経つぞ?」

「それがどうかしました?」

「どうかじゃねえよ。お前と飯田が前回あんなだったから今回は組み合わせ変えたってのに、やっぱり徹夜コースじゃねえか」

「それは、別に俺だけのせいじゃないと思うんですけど」

「だりーよー」

 詩の合作。我らが文芸部で部長より定期的に出される課題に、今回は後輩と組んで当たっているのだが、まったく出来上がる気がしない。提出日を明日、いや最早今日に控え、すっかり徹夜も辞さない構えだ。

 俺の部屋で二人そろってうんうん唸っているが、一向に完成には近づかない。

「大体、先輩の感性がおかしいんすよ。なんですか間接キスって。そこにこだわるのおかしいでしょ。小学生かよ」

 おっとこれは聞き捨てならない。

「おいおい馬鹿野郎。間接キス素晴らしいだろうがよ。これこそ真の恋の始まりだろうが」

「いやなに言ってんすか。気持ち悪いっすよ」

「んだとコラ! これは我らが結社――っとと、いや違う! 違うからな!」

「いまなにか言いかけましたよね? ケッシャとかなんとか……」

「聞き間違いだ。疲れて意識が朦朧としているんだろう。きっとそうだ」

 いかんいかん。結社のことをべらべらと喋るわけにはいかない。これは最重要機密事項だ。

 幸い、目の前の馬鹿はそれ以上結社という単語を気にする様子はなく、

「あ、そうだ」

 呆けた顔で口を開く。

「キスで思い出したんですけど、先輩、俺とキスしましょうか」

「なに言ってんだお前」

「キスって言っても、ディープですよ? 舌を絡めるやつ」

「余計ドン引きだよこの野郎」

「え?」

 なんだか目も虚ろになっている気がする。

「お前やっぱり朦朧としてんな。トイレにでも言って気分を切り替えて来い」

「うーん…………そうっすかね?」

「先輩命令だ。行け」

 トイレの方向を指差すと、渋々といった様子で立ち上がった。部屋を出てトイレへ向かう。

 トイレの扉の開閉音を聞いて、俺はため息を吐いた。あいつは疲れで頭がおかしくなっている。もしくは、疲れで本音がポロリと出たか。思い返せば、あいつは普段から飯田のことを稀に見る美少年だと言ってはばからないし、もしかしたら男が好きなのかもしれない。残念ながら俺は異性愛者なので、今晩は性欲の発散はなしで創作意欲だけをフルに発揮してもらいたい。

 ひとりそんなことを考えていると、不意にトイレから声が上がった。大の大人には似合わない叫び声だった。

「あ……」

 しまった。いまトイレに行かすのはまずかった。

 俺は時計を見て時刻を確認した。午前二時。丑三つ時だ。なんというタイミングだろうか。

 トイレの方から、がちゃがちゃとノブを動かす音が聞こえてきた。残念ながらそれは無駄なあがきだ。

 俺は声を少し張り上げて、

「しばらくの辛抱だ。我慢しろー」

 気休めにもならないことを言ってやった。

 しかし、これで詩作の方は滞ってしまった。

 部屋に霊堂が通っているというのは、やはり困りものかもしれない。



 ふと見上げると、空をふよふよとなにかが動いていた。それは、幽霊だった。そして妖怪だった。

 子供のころに妖怪事典とかそういう類の本を読んだ記憶が思い出される。あの本に載っていたようなものや、落ち武者やら芸者やらサラリーマンやら見た目に統一性のない幽霊たちが、空を浮かび、不揃いな列をなしてどこかへ向かっていた。

 いままでそんなものを目にしたことは一度もなかったが、オレは全く驚かなかった。恐ろしいとも思わなかった。普通なら悲鳴を上げて逃げ出すような光景を前に、オレはむしろ落ち着いていた。どこかほっとした気さえする。まるで旧知の友人か気の合う仲間にでもあった気分だった。

 自然と、足が動いた。ぶらぶらと歩き回って女に声をかけても、なにもいいことはない。ここはひとつ、こいつらについて行ってみようか。なぜだかそんなことを考えたのだ。

 オレはふらふらとした足取りで、その霊と妖怪の織り成す列を見上げながら歩き続けた。

 夜通しずっと、歩き続けた。



「風鈴で呼ばれた女の化物ねえ……」

「やばいだろ? 絶対やばいやつだよな?」

「別に俺はそんなものに詳しいわけじゃないし、知らねえよ。しかも一か月以上前のことだろ?」

「でもそれからずっと気配を感じるし。夢にも出るし」

「はあ」

「やる気出してくれよ。兄貴だろ?」

「兄貴ってもんは別に全知全能じゃねえよ」

 俺がつっけんどんに言うと、弟は眉根を寄せて抗議の視線を送ってくる。

「まあひとつ助言するなら……」

「するなら?」

 弟は真剣な目で俺を見た。藁にもすがる思いってやつか。

「女なんだったら、性欲に任せるが吉」

「は?」

「体まさぐられたんだろ? 相手もその気じゃねえか。やっちまえやっちまえ。体が動かねえんだったら、平気な顔してすべてを受け入れろ」

「なんだよそれ! 死んだらどうすんだよ!」

 弟は先ほど同様の真剣な顔のまま怒りをあらわにする。思春期は感情豊かなもんだ。

「死なねえよ。これは俺の実体験から言えることだ」

「実体験?」

「その通り、なにを隠そう俺も人外とあれやこれやして、その後もこうして生きてるからな」

「マジで?」

「おう。信じられねえなら取りあえずアイス買ってこい。お勧めはカップの高いやつだ。ただし、箱にいくつも入ってるやつは駄目だぞ。あれはお前にはまだ早い。搾りつくされちまう」

「どういうことだよ?」

 困惑する弟に、

「まあ詳しくはやってみてからのお楽しみだ。アイスでもよし。風鈴でもよし。目くるめく世界が待ってるぜ」

 俺は笑みを浮かべて言ってやった。



 夜も明け、すっかり日が高く昇っている。空をいく列もいつの間にやら散り散りになり、オレは何の当てもなく歩いていた。

 女に相手にもされず、自然と顔を俯かせてしまう。気落ちしているからだろうか、なんだか自分の足が半透明になっているような気がした。足取りどころじゃなく、足そのものがおぼろげになっている。

 なんだこれは。オレはどうしてしまったんだ。声をかけても女には逃げられ、頭はぼんやりして、終いには体が透けている。

 どうすりゃいいんだ。

 オレは顔を上げた。どうすればいいか教えてくれる何かを探すように、顔を上げた。

 すぐ傍の民家から、話し声が聞こえてきた。デカい一軒家だ。男のものらしい話し声が聞こえてくるが、内容までは聞き取れないし、家の周りをぐるりと塀が囲っているので外から中を見ることもできない。

 それでもきょろきょろと辺りを見ていると、敷地の入り口の辺りに人影があった。白い人影だ。

 オレはそれに誘われるように近づいていった。自分でも不思議だった。なぜ近寄ったのかわからない。しかし、すぐ傍まで行ったらよくわかった。その人影は女だったのだ。オレは本能的に女に近づいていったのだ。

 女は細く、背が高かった。年齢はわからないが、制服を着ていないし女子高生ではないだろう。だか、この際なんでもいい。そこそこ若い女だったら文句はない。

 女は敷地の中を窺うような様子だったが、オレは構わず声をかけた。いつも通り。記憶にあるとおりに声をかけた。

 すると、女は無視しなかった。

 逃げもしなかった。断りの言葉を告げることもなかった。ただ、オレに視線を向けた。

 冷たく、射竦められるような視線だ。あの発火女の比じゃなかった。面と向かうだけで恐ろしい。

 しかし俺はめげなかった。食い下がった。しつこく話を続けた。

 すると、女の目に変化があった。

 殺意が浮かんだ。

 オレにはすぐにわかった。

 オレは知っている。そんな目を知っているんだ。記憶にこびりついている。相手を殺してやろうという目。

 オレは、そんな目を向けられたことがある。

 いつの間にか、女の手がオレに伸びていた。片手で首を絞められる。逃げられない。手を振り剥がせない。女の細腕が万力のような力で首を絞めてくる。

 冷たい。体温が奪われる。首の感覚がなくなる。まるで凍りついてしまったように。

 すぐに、骨がへし折れる音がした。

 死んだ。

 直感した。

 その瞬間、体が軽くなった。女の手が緩む。オレは解放された。

 同時に、オレの体が、意識が、ふわりと浮いた。頭がますますぼんやりしてくる。

 死んだ。オレは死んだんだ。

 わかった。それがわかったから、オレは消えてなくなる。

 それだけだ。

 オレの頭の中はすっからかんになっていた。次第に意識も薄れていく。死だ。無になるんだ。わかってるんだ。

「…………っ」

 もう声も出なかった。

 おぼろげな記憶の中、友人たちがよく言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。

 お前は、女難の相がある。きっといつか痛い目を見る。

 それがこれなんだろうか。こうやって女に殺されることなんだろうか。もうオレにはわからなかった。

 頭の中身をトマトみたいにぶちまけたオレには、もうなにもかもわからなかった。

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