聖夜とレシプロと刻の鎖
こういう季節に乗じた話を書くの一度やってみたかったので、今回どうにか間に合ったのは良かったです。
気づけば、普段書いてる長編の一話分より多くなってました……。
街はライトアップされたホログラムの光で一層盛り上がっていた。髭の白いサンタクロースのホログラムが客寄せをして、針葉樹は煌びやかなホログラムに彩られ、時代遅れのビラ配りをしている赤と白のサンタ服のマルチロイド。
師がせわしなく走るのを感じる中、厚手のジャンパーを着た楠木秋は針葉樹の下で、明るく彩られた景色を眺めていた。
秋は勢いに少し圧倒されながらも、PGを頭上に構え、内蔵カメラのシャッターを切る。何回か撮って視線を下ろすと、そこに初太刀カオリの姿があった。
ジーンズに大きめの白いセーターを着込んでマフラーを巻いた姿の彼女に、秋は口をほころばせた。
「ごめんね! 少し待たせちゃったみたいで!」
「いや、初太刀が時間通りなんだよ。僕が勝手に早く来ただけで」
「まあ、そうだけど……ところで、なーに撮ってたの?」
「空だよ。なんの変哲もない空。特に何も見えないけど」
秋はPG窓に写真を見せるように映し出す。闇一色の空にドローンの光とホログラムの景色が数枚も続き、彼女が苦笑していた。
「ねえ秋、これ何も見えないよ?」
「だから言ったじゃないか。こんだけ街が明るいと本当見えないんだよ」
「はあ……いつも思うけど、なんでこんな意味のないものを……」
苦笑するカオリを横目にPG窓を閉じて、
「意味のないことほど夢中にさせるんだ。都会の夜ならイルミネーションを撮ればいいことなんて誰だって思うことだよ」
「なーにそれ。こんな日にも辛気臭いことが好きなのね」
「辛気臭い、か……まあ、そうだよなぁ……」
「っまあ、わかったならいいけど。んじゃ、急いで!」
彼に向けて、カオリは笑顔を見せた。
——筈だった。
「——カオリさーん! おーい!」
背の高い針葉樹が中央にそびえる広場で、ナツミが顔を覗き込むように見ていた。
「あっ、うん? どうかした? ナツミちゃん」
「どうかしてんのはそっちですよまったく。ただでさえ寒いのに、さっきからヌボーってばかりして」
「えっ……あぁ、気にしないで」
ナツミは通り過ぎる幸せそうな人混みを不服そうに眺めながら、両手を息で温める。クリスマス仕様にリースの縁を彩ったアナログ時計のホログラムは、六時五○分を指していた。
そろそろだ。カオリは表情を戻し、トレンチコートの中に忍ばせた縁なしの眼鏡型端末と無線内蔵のインカムを取り出す。両方を装着して動作を確認。異常はなかった。
カオリは苦々しく言った。
「……いやな日ね」
「そうですか? 時々ある祭り事とか嫌いだったり?」
「好きではないわ。だってこの国とこの祭り事、全く関係ないじゃない」
「なんですかその偏屈思想……カオリさんに何あったか知りませんけど、わたし用事あったってのにこれですよ。というかここ寒すぎでしょう」
「こんな祭りに三年越しの特殊犯罪がまた起こるってのに随分呑気で羨ましいわ」
「……あの、今日なんか異常に冷たくないですか? 正直、今日のカオリさんは怖いですーなんて——」
ナツミが言いながらカオリを見る。眉尻の下がった顔をして、どこか寒さとは違う震えに耐えていた。吐く息が小刻みになって、手を入れたトレンチコートのポケットがわずかにぎゅっと張っていた。
隣で見ていたナツミは目を伏せ、
「なんか、ごめんなさい」とかすかに呟く。
「こっちも、ごめん。少し酷くあたっちゃったかも」
「いえ……そういえばあの事件、すぐ話題にならなくなってよく分からないんですよね……」
「でしょうね。あんな悲惨な事件でも、大体の人はすぐに忘れてしまう。たとえ遺族でさえ、ね……」
カオリは目の前の喧騒を前に、薄く自嘲を見せた。
三年前、聖夜の空に現れた謎の機影が、各所に爆弾を落としていった。現場はほぼ跡形もなく、被害者の大半は死亡。それは後に『血染めの男事件』と呼ばれ、どこから現れたのか、なぜ撃墜出来なかったのか、搭乗者は何者なのかなど、一部では怪奇事件として扱われている。
だがカオリは知っていた。土埃と煙と湧き上がる鮮血の味、太腿にのしかかる重み、そして赤い機体の姿を。
「あの予告状、なんなんでしょうね。なんで今回から、わざわざ予告するんでしょう?」
「犯罪者の目的なんて知ったこっちゃないわ。私はただ、空飛ぶ鉄臭い橇から引きずり下ろして一発食わせてやりたいだけ」
「なんでそこまで——」
「あっ、やっと来たみたい」
背後の車道にトレーラーが到着した。六時五十五分。
服の内側にしまい込んでいたネックレスを取り出す。一部の錆びを見てあの日が刻一刻と差し迫っているのを感じる。ネックレスを外してトレンチコートに入れ、中に入っていった。
デパート一階の出入り口の横付近にある、奥で紙袋がぎっしり詰まった店舗の前、茶色いボディに赤鼻とツノのアクセサリーを付けたマルチロイドが厚紙製の看板を掲げていた。看板には〈いくら買っても安心! 持ちきれない荷物全て! ドローンがお届けします!〉と、活気あふれる字で書かれている。隣には飾りのついた針路樹とソリを牽くサンタのイラストが添えるようにあった。
カオリは束なった紙袋を床を擦りかけ、前かがみの体勢のまま店の前に着く。後から追いかける秋を待たずにかさばった荷物をいったん下ろし、息を吐いて肩を回した。
「疲れた……」
「だから少し持つって言ったのに」
「いやですー。わたしがか弱いみたいでシャクに障るし、実際荷物持たせてもさらに大きなお荷物が増えるだけだもの」
「お荷物とはひどい言われようだなぁ。僕が来なきゃ初太刀は家でずっと暇してたじゃないか。もうちょい感謝してもらいたいもんだね」
秋は紙袋を大小一つずつ提げている。大きな紙袋には、シリンダーがゴテゴテ付いて角ばった黄色い人型メカとツナギを着て軍手をはめた美少女のイラストがプリントされていた。
「なーにが感謝よ。秋はおもちゃ買いに来ただけじゃない」
「プラモデルですぅー! 『機動油圧少女 超力処鈴』の八番目のトワ・ループの専用機動油圧重戦獣、猛汰愚麗蛇がクリスマス商戦でたまたま発売日被ったんですぅー!」
「あーはいはい。そういうの好きなの知ってるけど、服買ってる時に勝手に行くのはわたし流石に殴りたくなったからね。大体、なーんで人類の文明が終わった遠未来の日本で、重機が超古代古墳のカラクリ歩兵軍団倒してるのよ。全くもって意味がわからない」
「かっこいいからいいじゃないか! 基本戦闘が掘削や突進や罠作り、合体すればミサイルやロマン砲をブッパする! ほら、理屈なんていらないはずだ!」
「ごめん。もういい……」
悠々と語る秋に辟易して言い放つ。秋は物足りない様子で大きな紙袋の中身を見て口元を緩ませていると、荷物を再び持ったカオリが鋭く見つめていた。
「何かな……?」
「それも運搬屋に預けて。その紙袋すごく目立って恥ずかしいから」
「えー……まあ構わないけどさ」
急いで列に並ぶ。意外に長く続いていて、前に五〜六組はいるであるように見える。大半が家族連れか恋人同士の二種類だった。
五歳ほどの男の子と楽しそうに会話する母親と父親。その光景が、カオリを強く惹きつけた。リュックサックに小さな紙袋を丁寧に押し込む秋の隣で、見つめて惚けたままふと呟く。
「ねえ。ああいう家族ってどう思う?」
「え? どうって言われてもな……まあ、幸せそうでいいんじゃないの?」
「わたしもあんな風になれるかな?」
「どうかな……お腹の中で辛辣な言葉を聞き続けるとビビって腹から出てこなくなるって——」
「えっ……」
「僕が適当に考えた。」
秋のキメ顔にカオリが微笑み返す。そのままそっと、右足のブーツの踵で彼のつま先を勢いつけて踏みつけた。
時間が差し迫っている。カオリはトレンチコートを脱ぎ、ずしりと置かれた赤い機械の足場に飛び乗る。
ヴェール駆動式ジェットパック、MW1『朱雀』。固定ベルトを装着して翼部のグリップを強く握りしめ、オペレーターの一人が操作して、朱雀を発射台に固定させた。準備が終わり、グリップから離した右手で親指を立てて合図を送る。オペレーターが何度か指でキーを叩き、トレーラーの天井と後部が展開した。
朱雀の武器スロットを左グリップで操作して確認していると、背後からしつこいほどのエキゾーストノートが室内を震わせ唸った。
『今日も快調!』
「言っておくけどそれ特例だからね。仕事だから許可してるけど、本来年齢的にダメね」
『わかってますって! 運転には気をつけさせていただきます!』
「うわ、心配しかない……」
カオリが苦笑した。そこに他方からの通信が入る。
『カオリさん! いざとなったらこちらも止めますんで!』
「アキラちゃん! 一応嬉しいけど心配だから、スズナちゃんもサクラちゃんも頼むわね!」
『了解!』
『酷くないですか⁉︎ なんですかそれ!』
「……返事は?」
『ハ、ハイ!』
騒がしさから一息ついて、ヘッドマウントグラスを確認。四人が準備完了を告げて、緑の表示を灯火した。
「作戦開始は七時丁度! カウント、五、四、三、二 ……作戦開始!」
バイクの発進とともに、朱雀のジェットが発射された。燃料を用いての点火をして三秒経ち、犬歯に仕込んだ加速装置のスイッチを起動した。
全身に鈍足の風を感じながら、そのまま呟いた。
「秘めし風よ、内なる魔力よ。灰を魔纏て、悪しきを爆ぜらせ。制御解除」
衣服が流体金属に変化し、身体に密着した。体外へとヴェールを放出させ、灰の粒子が拡散。それは集まりながら流体金属を覆うフリルになり、余剰のヴェールが軌跡を描く。
頃合いだ、と加速装置を解除。後方のヴェールは一斉に爆発を起こし、ジェットパックが加速する。歪んだ空間から現れる深紅のレシプロ機と会敵した。
「ヴェール駆動モード切替完了! スロットワン選択!」
前方にグリップを押すと、翼が変化し朱雀を水平に直す。右肩部分の内蔵コンテナが開いた。アーム固定式の二連式ロケットランチャーを取り出し、右グリップを銃把に持ち替える。
出力を低めて降下。側を肉薄し、過ぎる直前で発射。機体に直撃し、火の粉を散らした。損傷部が燻って墜落しようと高度が下がる。
決まったと確信した時、機体が消失した。レーダーを確認。目標は遥か後方にいた。背後に反転し、赤い機体を捕捉する。
『瞬間移動⁉︎』
「違うわ! 機体が壊れてないもの!」
『あの、つまりどういう……』
「あくまで憶測だけど、古いゲームにおいてのリトライってやつね! 残機があるかは知らないけど!」
赤いレシプロ機との高度を合わせてロケットランチャーを構える。正面からぶっ放し、高度をあげる。望遠レンズでコクピットの搭乗者の姿を見る。その光景に目を疑い、凝視する。コクピットにキャノピーらしき反射はなく、搭乗者は酸素マスクを装着しておらず、ゴーグルとヘルメットだけの時代錯誤の姿だった。
そしてそれは、その正体を完全に晒しており、懐かしい顔があった。
「秋……?」
すれ違いは一瞬。再び確認しようとする時、敵は遥か後方に堕ちた。
そう思った瞬間だった。レーダー反応が消失し、またも少し前方に傷ひとつない赤い機体が現れた。
カオリにはなぜ秋が乗っているか、その答えは分からなかった。分かるはずもなく、考えられるはずもなかった。
「どういう——」
動揺を隠せないままレバーを操作し、スロットツーを選択した。
ロケットランチャーが内部コンテナに収納され、格納ボックスから後部ミサイル展開する。またも狙う。彼の乗る、その憎い機体を。
グリップのスイッチを押す。スロットの切り替わったそれは、数発のミサイルを発射した。
ファミレスは他と同じく混み合っており、子供連れや学生集団が多い。カオリはストローで黄色い炭酸飲料に息を吹いてボコボコさせていた。
「まさかこんなシメが来るなんてわたし思わんはずよね」
「よく分からないから馴染みの店に行く。まあよくあることだね。しょうがないしょうがな」
「しょうがないわけないでしょ! いつも行くとこ行ってどうすんのさ。何のために出かけたって——」
「……スマン」
秋が萎縮してコーラを飲む。カオリへ向けて笑いかけ、困ったように拝んでみせる。カオリも笑い返し、コールボタンを押した。マルチロイドがやって来て、腹部のボードを差し出した。
「追加で」
サイドメニューから次々と選んでいき、ついでに酒からもいくつか追加注文して、マルチロイドを見送った。
秋の口元が引きつり、次第に唸りをあげていた。
「おいそれ、会計は——」
「あるがとう秋!」
笑顔のまま秋を見据えて親指を立てる。青ざめた様子でPG窓を立ち上げ、残金を確認した。残金を見るとたちまち、口端から奇っ怪な笑い声を発しはじめ、すぐに頭を抱えてため息をこぼす。
カオリは困った顔で親指を戻し、
「ごめん、冗談だよ?」
「えっ」
「いや、まさかそこまで深刻になるとは思わなくて。さっきのは、もちろん自腹だからさ」
秋が安堵していると、マルチロイドがチューハイとカルボナーラを運んでやってきた。
カオリがマルチロイドからコップと皿を受け取り、早速フォークでパスタを巻き始める。秋は空になったコップを退けてチューハイに口をつけ、
「なあ、意味のないことをすることについてどう思う?」
パスタを巻いて口に入れていたカオリは口元を隠し、
「どうって?」
「なんでそんなことをしてしまうのかって。そんなこと」
口の中のものを飲み込んで答える。
「このデートとか?」
「なんてこと言うんだ。そうじゃなくて、なんで意味がないと分かってるのにそれを行うかって。そういうことだよ」
「うーん……」
質問の意図の分からぬまま天井を見上げる。うっすらと黄ばんでいて、かつては白かったことを想像させた。
「それが一瞬でも意味があると思ったから、なのかもね。都会の夜空の写真も」
「なるほどね」
納得した様子でリュックサックを開けて中を探る。先ほどの小さな紙袋を出したところで、マルチロイドがハンバーグを持ってきた。紙袋を横に置き、鉄板の上で弾けた音を立てて、近づくだけで鼻腔がそれと気づいた。
秋がプレートを受け取ろうとした時、小刻みの振動を感じた。振動は波のように忙しく変動して次第に大きくなり、コップが倒れて液体がこぼれた。
次々と机の下に潜るなか、カオリらも他に倣って地面に潜り込んだ。
「地震か⁉︎」
「でもどこにも警報が鳴ってないじゃない!」
「じゃあこれは——」
その瞬間、外から強烈な光が発せられるとともに停電が起きる。次第に騒々しくなる室内、PGから警報がわめき立てたと同時、耳を聾する爆発音が全ての喧騒を消し去った。
爆煙混じりに迫り来る、おびただしい量のガラスの破片。それは室内を洗い流す濁流となり、次いで天井が崩落するのを見る。
カオリは自らにのしかかる体温を感じた。頬に飛んだ生ぬるい水滴が皮膚を垂れて、のしかかる姿の咳き込みと呻きが耳元に聞いた。
ぞっとするものを察しながら、薄目で煙の晴れた方を見る。赤い影の過ぎ去る姿っを最後に、意識が遠のいた。
十二回目は狙撃銃。
十七回目は機関銃。
二十三回目は追尾爆弾。
スロットはあとひとつ。左右のスイッチをそれぞれ三連打し、未だ飛ぶことをやめない赤いレシプロ機に、近接大型ナイフ『鉤爪』を左右六本全て射出した。カーボンファイバーの縄に繋がれた鉤爪の全てが弧を描き、四本がコクピットの縁に引っ掛けた。グリップを引くと機体が傾き、両方のスイッチを押してカーボンファイバーの縄を戻す。
戻った一本を右手で引ったくり、パイロットを固定するベルトを刃で切断しようとすると、パイロットがカオリの方を見た。パイロットは両手を離し、機体はコントロールを失う。機体の重みに引っ張られた拍子に鉤爪が手を離れ、機体は落ちていった。
朱雀のジェットを使うとパイロットが焦げ、使わなければそのまま墜落。カオリがインカムに告げた。
「待機中の各員に告ぐ! 爆弾だらけの血まみれ機体を受け止めなさい!」
ナツミは、混んだ車道のわきにバイクを停めていたところに通信が入った。
ヘルメットからビーコンの位置を確認し、エンジンをかけて発進。渋滞気味の自動車を次々と追い抜き、赤だろうと構わず走り抜け、前輪を持ち上げて遮ろうとする自動車の上に乗り上げた。
そのまま次々と車体を飛び越え、背後で次々と衝突事故が起きた。構わず走り抜けて向かい側の道路わきを走りはじめた。
幼い声がインカムに割り込む。
『な、何やってんですか! こんなの免許剥奪ものですよ⁉︎』
「ごめん! 緊急時だから許して!」
『おっ、まーたナツミが何かやったのか!』
『アキラちゃん! メイスで道路占領しないで!』
『えっ——』
『えっ、じゃないってば!』
ナツミが目的地まで近い場所で速度を上げる。インカムにため息が二つほど聞こえて、
『こちら三番! 代理で作戦行動を告げる! 合図とともにサクラが機体を留めて、あたしが機体を凍らせる! ミオがワープゲートを開いたところで、そこにアキラが機体を吹っ飛ばし、ナツミが飛び散った残骸を全部処分!』
『待ってください! カオリさんは——』
『どうにかしてもらいましょう!』
『そんな横暴な!』
スズナの作戦と発言に全員がざわめくなか、急降下する二つの赤い巨体を確認。
加速装置を起動してヴェールを纏った姿に変わる。手近なところでバイクを停めて、ヘルメットを外して掛けてあった面頰を装着。伸縮杖を伸ばして待機した。
「さあ来い!」
カオリがインカムの会話を聞いて苦い表情に変わる。
「あっ、これまずいわ」
パイロットは気絶している。急いでコクピットの縁に引っかかって刺さった鉤爪の一本を外し、ベルトを切る。鉤爪を離してパイロットを引きずり出す。光を放つバリアフィールドが展開されるとともに、身を逸らして離脱。落ちていくなか、レシプロ機が背後で凍るのを見た。あとは作戦通りに事を運ばせるだろう。
急降下していく視界で考えた。
彼は誰なのか、何故ここに来て、何が目的だったのか。
あの日の赤い飛行体と、あの機体は同じなのか。
『どっかふっ飛べ! 太古の亡霊!』
『ええぇぇぇぇ! かなりパーツ落ちてきてるじゃんバカ!』
『こっちも狙えるものは狙いますんで頑張って下さい! ハンマーも!』
『待って! 誰だわたし狙おうとか言ったやつ!』
『落ちてくるものはみんなゴミだと思っていいわ! 遠慮なくやってしまって!』
間抜けた会話が聞こえる。無線機を切って、着地に向けて構える。
地面が近づいた。朱雀の安全ベルトを外して蹴り上げ脱出する。
一回翻って静かに着地。アスファルトを割って着地した朱雀の上に、静かに着地した。
砂埃舞う地面に降り、離れた場所でパイロットの肩を抱く。彼は依然としてぐったりと気を失っていた。寝顔に懐かしさを感じて身体の内にこみ上げるものがあった。
本当に楠木秋なのか。そのことをしっかりと確かめなければならなかった。
「魔纏解除」
小さく呟くと元の厚着姿に戻る。パイロットの頭を自分の身に預けて、ヘッドマウントグラスを外す。
ヴェールは自動での最適な温度調節を行うため、ヴェールを纏った姿であっても体感温度が変わるわけではない。しかし、この姿はカオリにとって忌むべきものだった。
周囲がざわめくなか、パイロットの目がゆっくりと開く。
「ここは……」
「先に答えて。あなたは誰?」
カオリが語気を強く聞く。パイロットは戸惑いながら身を起こし、
「ん? 楠木秋だよ。まさか忘れてた?」
「忘れるわけない。だからこそ聞いてるんじゃない」
秋はゴーグルを上げてヘルメットを外し、素顔を見せた。
「そらそうか。じゃなかったらここに来た意味ないもんな」
「言ってる意味が分からない……だって秋が生きてるわけ——」
「この時代の考え方だと僕は楠木秋ではないだろうね。未来では僕は紛れもなく彼そのものだし、君は母親であり恋人でもある。今の君にはわけのわからないことだろう。しかし未来ではこんなことが当たり前に変わっているわけだ」
「……分からないってば。どういうことだっていうの?」
悲痛に絞り出される質問に、秋は笑って答えた。
「未来から来た、楠木秋のクローン……今の言い方だと、そんな感じか」
「そんな……」
秋は立ち上がり、写真を撮る野次馬を見回す。堂々と胸を張って両手を広げ、高らかに言った。
「いくらだって撮ってみろ! 撮って、撮って、撮って、矛盾が消える証明を垣間見ろ! この時代の三年前、人々がより良い未来にするべく生まれた歴史改変装置『アカシックレコード』の指し示すまま、僕は現代で言う『タイム・マシン』に乗ってこの地帯を爆撃した!」
秋の告白に周囲はなおもざわめき、野次馬は次々と騒がしさを増した。
「僕を作った母親であり恋人だったカオリから話は聞いていた! しかしだ! アカシックレコードには逆らえない! アカシックレコードを裏切ることは国辱行為だったからだ! あの時の僕の行いは改変行為だったか、改変行為じゃなかったかなんて確かめる手立てがなかった!」
「だから僕は僕自身で確かな証明するために、アカシックレコードを裏切った! アカシックレコードの目を盗み、適当な時代にメールを送り、僕はこの時代に来た! 時代はいつでもよかった。歴史が変わる証人さえいれば、それだけでやるだけの価値があった!」
サイレンの音が近づいていく。野次馬の中から通報を受けたのだろう。警備用マルチロイド『パンダ』が野次馬を退けて秋を取り囲んでいく。
息を荒げたまま、背後で呆然と膝をつくカオリへと向いた。
カオリはこみ上げる感情のまま、取り憑かれたように足首に腕を絡ませた。
「そんなの無駄な行為じゃない! だって、たとえ歴史が変わったって、爆撃によって生まれたあなたが過去の自分へ爆撃する矛盾が晴れたって、それをわたしが証明したって! そんなの! これっぽっちの意味がない!」
「意味のないことは、意味があることよりよほど確かに思えて人を惹きつける。そんなことを、未来の君から聞いたことがある」
「意味がないと思うなら尚更やめて! もう二度と、二度とわたしの前から消えないで!」
「今の君には、僕はあの頃の僕と確信できるわけもない。今の僕は、あの時の僕に似せた人形だということにしてくれ」
言葉とともに、秋の手に手錠がかけられる。足がカオリの腕から離れ、連行されていく。そんななか、秋は彼女に何かを告げるべく口を動かす。満足そうにそれを終えると、奥歯の歯間から突き出した針を見せ、そのまま思いっきり噛んだ。
そこにいた彼は消えた。手錠と錆だらけのネックレスが落ち、警官を困惑させた。野次馬の誰もが頭を悩ませながら目が覚めたように立ち去り、警察も何事もなかったように撤収していた。
カオリは残されたネックレスを寄せて、自分のネックレスと比べてみる。錆がさらにひどくなっていたが、それは紛れもなく同じものだった。
エキゾーストノートが近づいてきた。三台のバイクでアキラの後ろにサクラが乗った形になっており、急ブレーキの音とともに聞き覚えのある声が聞こえた。
ライダースーツの姿のナツミがヘルメットのバイザーを上げた。
「カオリさん! なんで無線切ったんですか! MW1だけ明後日の方向行くから心配して——」
スズナが手で阻んで制止する。
「何かあったんだと思う。だから今は……」
カオリは背を向け、身を抱いたまますすり泣いていた。
ナツミがため息をつき、
「解散しよう。予定潰れてやることもないけど」
「最後のは余計です」
「結局これ何の任務だったんだ?」
「そういえば、あたしもよく分かってなかったけど……」
『皆さん! 今さっき、恐ろしいことが判明しました!』
焦ったようなインカムからの声が聞こえた。カオリ以外の全員が何事かと注意して聞く。
『今回の任務は誤情報だったようです』
「そうそうミオちゃん。それさ、どんな任務だっけ?」
『分かりません! 行ってたはずの任務内容がないんですよ!』
「はっ……?」
困惑してると、いつの間にか立ち上がっていたカオリがインカムを付け直し、
「何もなかった。それでいいじゃない!」
『あっ! 何やってたんですか! MW1のせいで各所の情報規制が面倒なんですよ⁉︎』
「そうね。そこら辺はお兄さん方に頼んでおきなさいな」
カオリがPG窓を確認して、
「今から帰って盛り上がりましょうよ。無駄なことに付き合わされたしね!」
「ちょうどよかった! わたし今日のためにケーキ作ってたんですよ!」
「どうせだし不二のおっさんに聞こえるようにやりたいな」
「なんてことを……」
『あの……』
盛り上がる様子をはたから見て、スズナが笑みを漏らした。
「いいんじゃない? 今日くらいはさ」
『まあ、皆さんの用事関係なく呼び出されてますもんね。わたしはいつも通りなんですけど』
「MW1回収してさっさとほっぽってきなさいよ」
『まあ、たまにはいいですかね』
全員がバイザーを下ろす。スズナのバイクの後ろにカオリが跨った。
「生憎、ここにバイクはないもので」
「なんであたしのバイクなんですか?」
「一番運転まともだから」
「落ち着かないんですけど……しょうがないですね」
カオリに予備のヘルメットを渡し、バイクを発進させる。他二台も続いて進む。
冷たい風を浴びて、トレンチコートがはためく。ヘルメットのバイザーに何かが落ちるのが見えた。
「雪降ってきたみたいですね。これぞって感じします」
「……やっぱ、クリスマスって嫌い」
「いいじゃないですか。更に惨めな不二さん見られるだけでも儲けものでしょう」
「……えっぐいわね」
スピードをみるみる上げる二台をミラーで見る。スズナはついに呆れ果てて無線を入れた。
「大人しく走らないと逆走して轢きますわよ」
『ヒィッ! ごめんねスズナちゃん!』
『サクラの顔に免じて許して!』
『なんですかそれ⁉︎ 人を盾に使って!』
そのまま耳元で小競り合いが繰り広げらえる。スズナとカオリは失笑して、ふと空を見上げた。
「面白みのない空ですね」
「ああいうのもたまにはいいものよ」
「そうですか?」
「ええ、だって綺麗に真っ黒じゃない?」
「なんていうか、詩的ですね。あたしは嫌いじゃないです」
カオリは満足そうな表情で、なおも夜空を見つめていた。
何故タイムマシンがレシプロ機かって?西暦八〇二七〇一年に飛べば分かるさ。