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「お前バカだろ」
翌日、学校でこの話を木本にすると、案の定そう言われた。
「ああ、だよな。俺はバカだ、ポンコツだ……ポンコツ音頭が踊れるくらいにポンコツだ……」
そんなカラカラの干物みたいな俺を見て、木本はケラケラと笑っている。
今は一時間目が始まる前で、まだ来ていない生徒も多い。
クラスのあちこちで数人が固まって話している。五、六人で輪に喋っているグループもあれば、ひとりで本を読んでいるボッチもいる。上から見たらキリンもびっくり、いびつな斑点みたいになっていることだろう。
左斜め前から「昨日変な夢見たからぁ、今朝夢診断して見たんだけどぉー」と女子が空気の読めない音量で喋っているのが聞こえる。手首に付けた赤いミサンガを触りながら。
朝っぱらから夢を診断する時間があるとは平和なものだ。
木本と俺は俺の机を挟んで向かい合って話している。俺は自分の席で普通に、木本は和式便座に座るように前の席の椅子に腰をかけている。
「このご時世にそんなのに引っ掛かるやつがいるんだな」
「ああ、『スパイウェアが検出されました』って検索した時に出てきたよ。『こんな初歩的な詐欺に引っ掛かるやついるんだ、ウケるwww』ってな」
そのページにはご丁寧にその広告の消し方が載っていたので、その通りにして俺のパソコンはなんとか助かっている。3800円払って手に入れたソフトもその場でアンインストールした。あれは色々書いているが、ただただ容量を喰うだけの物らしい。おかげであのうっとうしい広告たちは俺のパソコンから永久追放され、めでたくはないが、めでたしめでたしだ。
「そもそもネットを見ているだけの時間で、PC内を検索なんてできるわけがないからな。健全な動画サイトが勝手に検索するわけもないし」
「ああ、それもYa●oo知恵袋で見たよ。それにしても今の時代のウイルスは凄い。クリックしただけでウイルスが入って来るんだから」
どうやらあの広告を最初にクリックした時に、俺のパソコンに軽く侵入したかもしれないらしい。そのせいで普段出ないところにまで広告が現れた。更に無料お試し版や有料版をインストールしたことで悪化。
「勉強になったよ。怪しい広告とかを見つけた時は、とりあえずそこに書いてある文字を検索すべきだって」
「ああ、そうだな。ネットの上では少しくらい疑ってかかるべきだ。龍一は優しすぎるんだよ」
俺は昔からよく「優しい」と言われる。俺自身、全くその自覚はないのだが。
「確かに、騙されるのも初めてじゃないような気がするよ」
昨日、騙されたことが分かり、広告を消す作業をした後に母さんが帰ってきた。当然、俺は正直に謝った。
母さんが化粧を取っているときに、その後ろで美しい土下座をした。
「ごめんなさい。詐欺に遭いました」
「は……?」
その反応はあまりにも当然なものだったと思う。
結局、詐欺会社に住所や電話番号はともかく、カード番号まで漏れてしまったので、クレジットカードをすぐに解約してもらうことになった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
何度その言葉をお経のように唱えたことだろうか。
父さんが帰って来ると、俺は父さんにも事情を説明して謝った。怒られるかと思いきや父さんは木本のようにひと笑いし、俺の肩を叩いた。「人を騙すよりよっぽど楽なもんさ、騙されるのなんて」
そう言えば『Which?』にもそんな歌詞があったな、と思い出した。
キミはどっち?
キミが決めるんだ
謙遜とか優しさとか そんなださい言い訳はいらない
Are you greens and blues?
それでいいのか?
臆病なタイムアップなんて最低な終わり方さ
損得は考えず やりたいかで考えろ
それで無理なら直感で選んでみな
悪いようにはならないさ 大丈夫
俺に騙されたと思って決めてみな
人を騙すよりは楽だから
さあ、決めるんだ
キミはどっち?
父さんの言葉は大した慰めにはならなかったが、自分の好きなアーティストがそう言ってるなら、と思えば少しくらいは楽になった。
それにしても、よくアップデートせずに済んだものだ。俺はクレジットカードを持っていなくなった母さんに小さく感謝した。
でも、冷静に考えれば冷静に考えるほど惨めなものだった。木本の指摘ももっともだし、クレジットカードでしか払えないというところも馬鹿げている。最初から詐欺だと分かっていたのに徐々に騙されていったというのも恥ずかしい。あとでツイッターを見てみると自分が「詐欺広告発見なう」などと呟いていたのが本当に惨めだった。しかも「www」「こんなのに引っ掛かるやつバカだよな。一緒に肩組んで笑おうぜ」などとフォローされていたものだからどうしようもない。泣きそうになりながら笑うしかなかった。
ああ、穴があったら入りたい。いっそそのまま埋めてもらいたいくらいだ。
「なあ、龍一。その広告現れたのってあの有名で健全な動画サイトだろ?」木本は俺の目を覗き込んだ。
「え? そうだけど」
ああ、と彼は無表情で小刻みに首を縦に振った。
「え、何?」
「そのサイトはちゃんと広告審査してるから、普段そんな変な広告出さないだろうな。それが現れた時点ですでに悪質なウイルスかソフトウェアが入ってたんじゃねえのか?」
「え?」
言われてみれば、確かにそうだ。
「心当たりはあるか?」
「心当たりか……」ある。確固たるその節があった。
それを察したのか木本は俺に顔を近づけ、小声で言い放った。
「危険なエロサイトでも見てたんじゃねえのか」
俺も同じように距離を詰め、小声になる。なんと言っても、ここは共学だから。
「……一時間サーフィンしたよ」
「それだな。楽しかったか?」
「それはとてもとても。なかなかいい波に乗れたよ。どうせ木本も見てるんだろ?」
「俺は日本の大手しか見ねえんだよ。安心安全の木本と呼んでくれ」
「大手とかあんのかよ、安心安全の木本」
「あるんだよ。しかも、その辺に散らばってる画質の悪い上にモザイク付いてるのじゃねえぞ。画質高いうえにモザイクなしだ」
「それこそ危険じゃないのかよ」
「Ya●oo知恵袋で聞いたから安心だ。ここ大丈夫ですかって」
そんな使い方あるのかよ、と俺はバカにして笑った。
「バカにしてんのか」
「してるんだよ」
「『あのバンドは何人いるんですか?』とか、公式サイトの覗けばすぐ分かること訊いてるやつよりはずっとマシだよ」
「『この問題の答え教えてください』って試験問題を投稿するやつとかな。『今何時ですか?』って訊いてるやつもいるよな」
「『タッタラ、タラッタッタラ。この歌ってなんですか?』ってのも見たことがある。しかもベストアンサーの返答が『それです! ありがとうございます!』だったからな」
「なんで合ってるんだよ。で、木本がした質問のベストアンサーはどんなのだった?」
「『そのサイトは十分安全地帯にありますが、わざわざそれを質問するあなたの心はおそらく危険地帯に突入してしまったのでしょう』」
「それは間違いない」
ハハハッ、と俺は歯を見せて笑う。「政策の反対署名を住民から手にした政治家の『重く受け止めます』って発言くらい信憑性に問題があるだろうけど」
「それなら大丈夫だ。ベストアンサー以外の答えの中にも『危険』の文字はなかったし、俺以外に何人も同じこと聞いてたから」
「いんのかよ」
既にいるなら改めてわざわざ訊かなくてもよかったんじゃないのか。
俺は頬を引きつらせた。男はどうしてこんなに単純なのか。
「それに、俺は無料サンプルしか見ないからな。ダウンロードはしない。長いサイズは本番だけで十分だ。故に俺は安心安全なんだ」
「元ヤンがよく言うよ」
童貞の俺と違い、木本には経験がある。今は少し落ち着いているが、中学の頃、木本は結構なヤンキーで、ベタな話だがかなり可愛い彼女がいた。学年のマドンナで、ホワイトデーにはバレンタインにチョコを上げたわけでもないのに、たくさんお返しされただとか。
でもその彼女は、今はいない。中学を卒業する前に別れたらしい。ちなみに別れた理由は教えてくれなかった。木本曰く、「これに関しては友達同士でも隠しておきたい」そうだ。
一回くらい言ってみたいよ、そんな台詞。
「今フリーなくせに」
色々な思いを込めて俺は苦し紛れに呟くが、喧嘩でも口でも木本の方が一枚も二枚も上手だ。
「だから見てんだろうが。童貞のお前とは楽しみ方が違うんだよ。どうせお前はインチキくさくて画質悪くてモザイクついたのか、危険な香りがぷんぷん漂う海外のでも見てるんだろ」
土曜日に自分が見ていたものを頭の中で高速プレイバックしてみる。
「くそっ、言い返せない……!」
「それも図星かよ。まあ本物見るまではそれだけにしておいた方がいいかもな」
木本は俺に黄ばんだ歯を見せながらエアー煙草を吸う。「リアルを経験した後か、明日地球が破滅するかっていう時まではとっときな」
「これが格差社会というやつか……」
ふと教室を見回してみる。こんな話をしていると女子の胸の膨らみと想像が膨らむ股間しか視界の中心に入ってくれない。
「まあ、その時のためにサイトの名前メールしといてやるよ」
「いらないって」
その日の授業中、頭の中で何度も『Which?』がかかっていた。
「キミはどっち? キミはどっち?」
その叫びが「キミはどっち? 騙すほうか騙される方か」とも「キミはどっち? 経験済みか未経験か」とも聞こえた。




