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 今日は土曜日。家には俺ひとりしかいない。

 暇だ。

 友達はみんな部活だから遊ぶ相手もいない。部活に入っていない奴もいるが、みんなそれなりに用事がありそうだ。

 ちょっと前までは暇さえあれば練習や筋トレをしていたのだが、今はそんな気になれない。

 不思議なものだ。たったひとりの何の面識もない知らないおっさんが、俺の人生を退屈なものにしたんだから。


「変わっちまったな、俺」


 バスケに熱くなってた頃が懐かしい。あの頃は全てが楽しかった。でも、今は楽しくないことが過半数を占めている。

 ベッドの上に背中から落ちる。洒落っ気のない白い天井が視界を覆い尽くす。ただただ天井に浮かぶ無造作な模様なき模様を目で追う以外にやることがなく。

 しかし、そんな作業で暇をつぶすことなど、並みの集中力の人間にはできない。俺はすぐに体を上げ、ほとんど無意識にバスケのゴールが向かいの壁にあるのを思い浮かべ、空気を投げていた。無理だと諦めたとはいえ、そう簡単に体に染みついたものが取れるわけでもなかったのだ。


 でも、なんとなく悔しくなってきた。俺は腰を上げ、勉強机という名ばかりの板の上に置いてあるノートパソコンを再び開く。


『パソコンの動作が遅いとお悩みでないですか? ここをクリックすればその悩みはすぐに解決されます』


 動画サイトに訪れ、また別の動画をクリックすると、さっきの広告の下にこんな広告が配置されていた。


「そんなところに広告って出るっけ」


 広告が縦に並んで二つ出るのを、俺は初めて見た。


「マジでスパイウェア侵入してる感じ?」


 スパイウェアって奴が俺のパソコンを侵して、普段出ないところに広告が出るようにしているのか?


 俺の胸の奥に小さな濁りが生まれた。全ての色の絵の具を混ぜたような濁り。心臓のポンプが、それを全身に拡散させていく。


「でもウイルスとか侵入させた覚えは……」あった。


 俺はぐったりと背もたれにもたれ、再び天井を見上げる。


「昨日一時間くらいエロサイトサーフィンしてたなあ、俺……」


 色んな意味で天国から地獄に落ちた気分だった。

 楽しいことの後には、やっぱりこういうことがあるんだな。


「どうしよう……」


 言われてみれば最近パソコンの動作が遅い気がする。昨日のエロ動画も喘ぎ声の途中でフリーズしたし。

 すると、そのはみ出た広告が切り替わった。


『あなたのパソコンはクラッシュ寸前です。直すにはここをクリックしてください』


「まじかよ」


 心臓に槍が貫通したような痛みが襲ってきた。


 このパソコンは、決して裕福じゃない両親が高校の入学祝に買ってくれたものだ。別に親のことが好きなわけじゃないし、家にいてもそんなに会話はない。でも、だからこそ、このパソコンを買ってくれたことは、すごく嬉しかった。


 白くてB4くらいのサイズのボディ。多分安いものだろうが、それでも俺には十分すぎるくらいだった。小学生の頃からパソコンを欲しがってたのだから。

 絶対にこいつを壊すわけにはいかない。


 その広告をクリックする。すると、さっきと同じ画面が出てきた。これらの広告は全部同じ物の広告なのだろう。今、このパソコンはスパイウェアという奴に侵入され、動作を遅くされた上に破壊されようとしている。そんなところだろうか。

『購入』の文字にマウスポインタを当て、鼓動に合わせてクリックする。

 そこには名前、住所、年齢、電話番号などを入力する枠と、『3800円』の文字があった。


「そんなに高くはないな」胸を撫で下ろす。少し安心した。


 このパソコンよりもずっとずっと安い。バスケのユニフォームよりも安い。

 しかし、画面の下の方に『クレジットカード払い』と書いてあるのが見えてしまった。それ以外に払う方法がないのだ。コンビニ振込すらない。


「クレジットカード……」


 未成年の俺がそんなものを持っているはずがない。


「くそっ……」


 クレジットカードは母さんと父さんが持っているのだが、今は二人ともいない。母さんは買い物に行ってくると言って昼前から家を出た。父さんは昨日から残業で帰って来ず、仕事場に泊まっている。二人とも帰って来るのは夜になってからだ。

 溜息をこぼし、『戻る』ボタンを押す。


「夜まで耐えてくれよ……」


 俺は、病気で倒れているペットを撫でるようにパソコンの白いボディを優しく撫でた。

 その時、視界に『無料お試し版はこちら』という文字が入った。


「ん?」


『購入』の下に少し小さな字で書いてある。確かに書いてある。間違いなく書いてある。


「……よし!」


 俺は迷うことなくクリックした。


 ページが切り替わり、画面の上部に『無料お試し版とは』という文字が映る。

 どうやらこれは無料でスキャンだけをしてくれて、どの程度システムが破損しているかどうかを調べてくれるらしい。更におまけにひとつだけ修復してくれるそうだ。

 ひとつだけでも、きっと大きく変わるに違いない。


 俺は根拠のない自信を持ち、『ダウンロード』の文字をクリックする。

 ダウンロード画面のメーターが左から少しずつ緑に染まっていく。それと平行して不規則で気味の悪かった心臓の動きが、少しずつ規則的で安定したものに変わっていくのを、掌で握るように実感することができた。

 ダウンロードが完了し、デスクトップに初めて目にするアイコンが現れた。


「よし」


 マウスポインタをまっすぐそのアイコンに当て、ダブルクリック。

 すると、黄色と黒の画面が現れ、色々な文字が現れた。ざっと文字を読み、『スキャンする』のボタンをクリックする。

 画面が切り替わり、黒いバーに黄色が左右に泳ぐ絵と、その下に『0』という数字が見えた。そして、『0』は凄いスピードで『10』へ『100』へと上がっていく。


「なんだこれ」


 その数字の横を見てみると、『レジストリの損傷数』という文字が見えた。


「レジストリって何だ?」


 その言葉が何を意味するのかを、俺は知らない。でも『損傷』という言葉が何を意味するのかは知っている。


「これってヤバくね……?」


 さらにその下には薄い字で『動作が遅くなる原因数 0』と書いてあった。おそらく今はレジストリというところの損傷数を調べていて、そこはまだ調べていないということだろう。

 左右に揺れる黄色いバーの動きと共に、心臓の動きがまた元の狂ったようなペースに戻っていく。

 レジストリの損傷数が『512』となり、止まったところで数字の隣に『危険』という黄色い文字が現れた。そしてその下の『0』が同じように大きくなっていった。

『動作が遅くなる原因数』の文字の下には更に『侵入したスパイウェア数』『システムの異常数』があった。


『レジストリの損傷数 512 危険』

『動作が遅くなる原因数 38 やや危険』

『侵入したスパイウェア数 18 危険』

『システムの異常数 3862 超危険』


 唖然、だ。「……なんだよこれ」


『超危険』の文字が赤く光る。そしてその下には『クラッシュ寸前』という血のような色の文字が見える。

 画面の右下に『ひとつだけ修復する』と『修復する』の文字が。

『修復する』をクリックすると、画面に黒いトーンがかかり、「これは無料お試し版です。有料版はこちら」という文字が現れた。右上のバツ印をクリックし、操られたように『ひとつだけ修復』をクリック。


「まさか512を511にするだけじゃないだろうな」


 すると、512がパッと511になった。


「ふざけるなよ」


 俺は右手で目頭を押さえ、瞼を閉じたまま天井を見上げる。


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