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「いらっしゃいませ~」
色んな微臭が混じっているものの、決して悪い香りではない、花屋独特の空気だった。それを、少し薄れた罪のにおいと一緒に吸っていると、レジに立っている女性が微笑んで形式的な高い声を出した。
前髪は横に流し、それ以外は後ろに束ねてポニーテールにしている。オシャレというよりは作業のしやすさを重視したといった感じだが、整った顔立ちをしていて十分に美人だと言える。二十代だと思うが、丸い目と洒落っ気のない容姿が無邪気さを醸し出し、高校生アルバイトだと紹介されても不思議には思わないだろう。
「どのようなご用件で」
女性はレジから出てきて俺の前に立った。
「あっ、えっと」
年上の女性にあまり慣れていないせいか、変に緊張してしまう。同じ年上でも麻生の母親の時とは違う緊張感だ。
「あそ……、僕と同じくらいの学生がここで菊を買ったりしませんでしたか?」
俺の推理が正しければ心当たりがないはず。
しかし、「あー」と彼女は一瞬思い出すように左上に目をやった。
「はい、あの子ね。君と同じ制服を着た……大人しそうな子」
「あ、来てたんだ……」
推理は外れた。いや、「菊を買った同じ制服の大人しそうな子」という条件だけでは麻生とは限らない。
「よく来てましたよ。ねえ、店長!」レジの裏ののれんに向かって元気な声を出した。
え、何? と裏から四十代前半くらいだろうか、店長として十分な風格を持った女性がやってきた。
「どうしたの?」
「この学生さんと同じ制服の子がたまに菊を買いに来てましたよね」
「ああ~、あの子ね。そうそう。あの大人しそうな子ね。あと、みつきちゃん、この男の子は高校生だから『生徒』よ。『学生』は大学生のことってこの前言ったじゃない」
「あ、すみません!」と彼女は頭を下げ、俺は「そうなんですか?」と声を裏返した。
「ええ、小学生が『児童』で中学生と高校生が『生徒』、大学生が『学生』よ。これ間違える人が多いのよね」
店長はアハハと高らかに笑った。
すみません、この店長そういうの厳しいのよ、と『みつき』という女性店員は苦そうにはにかんだ。
「でも、学生って言葉は主に大学生に使うってだけで、高校生に使っても間違いはないんだけどね」
「じゃあ、いちいち怒らなくてもいいじゃないですか」
「まあね。で、さっき言ってた子って、たまに白い菊を五本ずつ買う子でしょ?」
店長がそう言うと、水をかけられた猫のように、体がビクリとした。白い菊を五本、というのは細木の証言と一致する。
「お墓参りか何かだと思ってたけど、そうよね、生徒さん」
「あ、そうですね」
もし彼女たちが話す人物が麻生なのだとしたら、『お墓参り』という表現は決して間違ってはいないだろう。
「あの子、私がここに来たときには通っていましたよね、店長」
「そうねー、みつきちゃんが来たのが去年だから。あの子は四年くらい前から通ってたかしら」
そうなんですか? と女性店員は首を傾げた。
その人が麻生ならば計算は合う、とジグソーパズルをはめるような確かな実感と、ジグソーパズルが壊れるような予感を同時に覚えた。
「その頃に身内が亡くなったのかしらねえ」
「ええ、そうですね、妹が」と嘘をついた。別に問題はないだろう。
「あら、それは大変だったわね」
店長は声のトーンを落とし、悲しそうな顔を見せた。誰か身内が亡くなった時でも思い出したのだろうか。
「でも、この前は白だけじゃなくていっぱい買ってましたよね」
女性店員の言葉に、俺はまた、ビクリとした。
「そうそう! よく覚えてるわ! 先週の木曜日よね! ここにある色全部五本ずつだったし、時間もいつもと違ったし」
店長は嬉しそうに手を叩いた。
ああ、もう間違いない、麻生だ。先週の木曜日というのは、間違いなくあの日だ。
ジグソーパズルが完成させたような確固たる実感と、ジグソーパズルのピースをいくつか猫が食べてしまったような、諦めにも似たガッカリ感。
「あの子、来る時はいつも店を開けてすぐだから、八時前には来てたのに、」
「八時前? 早いですね」
世の中にある「店」というのはコンビニ以外九時とか十時に始まるイメージの俺には、その時間からのスタートは十分に早く感じられた。
「ええ、朝に墓参りする人も多いから、うちは七時四十分から開いているのよ。花屋の中でもかなり早めね」
「へえ、そうなんですか」
なるほど。謎がひとつ解けた。
朝通学する時に花を買って、裏山に一度寄ってから学校に行っていたとみて、間違いないだろう。母親がそのことを言わなかったのは、麻生が裏山に花をお供えしていることをそもそも知らなかったからだ。麻生は、母親に重荷をかけたくないと思ってそのことは黙っていたのかもしれない。
「いつもは朝なのに、あの日は閉店間際の夜でしたから」
でも、違和感はまだある。謎はまだ解けきっていない。
どうしてあの日、平常時をはるかに超える量の花を買ったのか。それは裏山に行って俺たちに会うから――でもどうして?
これが最後、ということなのか?
「あの、麻生……彼がどういう周期で菊を買っていたか分かりますか?」
すると、店長がそうなのよ~、とけだるそうに答えた。
「私が聞きたいくらいよ。ここ一年くらい麻生くん? 彼が来た日をカレンダーに印つけてたんだけどね、大体一か月周期くらいではあるんだけど、明確な法則性は見えなかったのよ~。一週間っていう時もあれば二か月弱の時もあったし」
「そうですか」
そういえば、その花は勝手に持って帰られたり遊んでくしゃくしゃにされたりすると、聞いたことがある。
もしかしたら麻生は、この花に興味を持った人に張り込まれたりして、正体がばれないために、不定期で訪れていたのかもしれない。朝早くを選んでいるのも、登校のついでに行けるという利便性の他に、その時間なら他にほとんど誰もいないから、という理由もあるのかもしれない。そういえば、俺が学校に到着した時は必ずといって言い程の確率で既に麻生はいる。誰と喋るわけでもないのに、なんでこんなに早く来るのかと思っていたが、そういうことなのかもしれない。
「私、彼が来るのを密かに楽しみにしてるんですよね」
女性店員がそう微笑むと、店長も「私もなのよ、気が合うわね」と笑った。
「次はいつ来るのかしら。不定期だから分からないのよね」
その言葉に、何か、冷たいものがこみ上げてきた。麻生の母親に感情移入することで多少弱くなっていた罪のにおいがまた元に戻り、胸が痛くなった。
俺は思わず、鼻と口を右手で一度押さえてしまい、それを引き剥がし、笑顔を作った。
「その内来ると思いますよ」
聞きたいことは聞けたし、帰ろうかと思ったが、手ぶらで帰るのも悪いと思い、「何かいい香りの花ありませんか?」と訊いてみた。少しは罪のにおいをごまかせるものでもあればいいな、という思いだった。
「あ、それなら」と女性店員が商売用の高い声を出し、背後から五十センチくらいの茎の長さのピンクの花を持ってきた。
「このスイートピーなんかどうでしょう」
「ああ、赤いやつなら聞いたことあります」
「赤いやつもありますよ、持ってきましょうか?」
女性店員は俺の「いや、いいです」という返答を聞く前に取りに行った。
「私、スイートピーの甘い香りが大好きなんですよ」
そういいながら赤いスイートピーを持ってきた。
「私、甘党なんです」
あ、と昔木本が言っていたことを思い出し、――いや、そもそもただの「甘い物好き」の意味で「甘党」という言葉を使ったとしても、この人の使い方は少し意味合いが違うんじゃないか――とも思ったが、そういうことを口にする前に、すごいスピードで店長が口を挟んできた。
「『甘党』っていうのは『お酒より甘い物が好きな人』って意味よ」
さすが、と思う。
「え、そうなんですか? すみません」
女性店員はまたペコリと頭を下げた。




