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「一応言っとくが、俺に言わせればお前はボールゾーンだぞ」


 木本は中庭のベンチに座りながら真顔で俺と向かい合った。


「心配するな。俺に言わせたらお前はボールどころかボークだ。一塁まで逃げたくなる」


 俺は木本の左に座る。

 少しだけ沈黙が流れた。周りの騒音が恋愛映画のBGMのような演出をしており、まるで甘酸っぱい青春を連想させ、気分が悪くなったので、すぐに切り出した。


「先週、麻生を殺して、今どう感じてる?」


「あ?」木本は眉毛を一瞬しかめさせ、また元に戻して「別に」と答え、笑い始めた。


「何も感じてない。むしろわくわくしてるよ。最高だ!」


 到底笑えなかった。昨日の、木本が「自首しよう」と言った夢は、絶対に正夢になり得ない。

 そう確信したと同時に、とてつもない不安感に襲われた。当然だろうが詐欺広告の時の比じゃない。


「だってそうだろ? 完全犯罪だぜ? 警察は今頃頭を抱えてイライラしてるだろうな。迷宮入りになっちゃう! どうしよう! って。そう考えると楽しくねえか?」


 俺は口も開かず、顔も全く笑えてはいないだろう。ただただ不安感と罪悪感にさいなまれている。


 そんな俺の様子に木本は勘づいたのだろう。言葉を止めた。

 そして、五秒後に木本は大笑いし始めた。


「ハハ、アハハハハハ!」


 俺は瞬きを忘れ、木本に見入っていた。


「龍一……ハハハ、もしかしてお前、罪悪感とか感じてる?」


 目を逸らす。


「それは図星ってことだな。ハハハ、ウケる! クラスメイトをたった一人殺したくらいで罪悪感か、アハハ!」


 血の温度が上がっていく。今にも沸騰して暴れだしそうだったが、不安や罪悪感、木本への恐怖心という沸騰石がいくつも転がっているせいで、心が行動に現れることはなかった。


「しかもお前、あいつのこと嫌いとか言ってなかったか? 嫌いな奴を殺した時の感情って世間一般的には『快感』じゃないのか? 『興奮』じゃないのか? 『達成感』じゃないのか? 罪の意識を感じるなんて、俺には意味が分からない」


 木本は言葉を止めない。ねっとりとした眼光が、俺の領域を削っていく。


「それにお前、やってる時は楽しんでたじゃねえか。崖に落とそうって提案したのもお前だろ? 担任から殴られたうっぷんを、あいつにやつ当たってたんだろ? なのに、なんで後になって、罪悪感なんて出てくるんだよ」


 確かに、その通りだ。麻生を殴ったり蹴ったり崖に投げたりした時の感覚は、今でも残っている。でも何故か、同時に殴られたり蹴られたり崖に投げられたりした感覚も残っているのだ。まるで麻生が憑依したかのように。

 麻生の不気味な笑みが頭をよぎる。もしかしたらあれは、俺に、麻生自身が感じた痛みを感じさせる呪いか何かを唱えてたのかもしれない。


「犯人、出てこーい、殺してやるぅ!」


 突然、木本はそう笑った。

 それは確認するまでもなく麻生の母の言葉だった。


「……っ!」


 あの真剣な魂の叫びを、バカにして笑っているのを改めて聞き、精神の沸騰石がパキパキと、割れていく。


「もしかして、あのコントもマジに捉えちゃってるの? ウケる」


 気が付けば、俺は木本に乗りかかっていた。ワイシャツの襟を掴み、木本と額を合わせている。


「……っ!」


「……」


 しばらく俺たちは睨みあっていた。正確には俺が一方的に睨み、木本は無の表情を続けていた。

 どうして俺が麻生の母を、麻生をかばおうとしているのかを、木本はおろか、俺自身にもよく分からなかった。


 かすかに、周囲の空気が、緊張感のあるざわつきに変わっているのに、気が付いた。野次馬が囲んでいるのかもしれない。


 木本がチッ、と舌打ちしたかと思うと、俺は突き飛ばされていた。


「キモい」


 背中から中庭の芝生に落ち、受身もできずに頭を打った。

 その、回る世界の中で、ベンチに腰を掛けた木本が、右腕だけを天に突き上げていたのが見えた。どうやら俺は、右腕一本に倒されたらしい。


「お前、今、少数派だぞ」


 その言葉が、倒れている俺のおなかの上にのしかかる。


「少……数……派……」


 その声は、まるで虫の息のようだっただろう。自分でも正確に発音できていたとは思えない。おそらく、ギャラリーまでは聞こえていない。


「ああ、少数派だ。お前も毎日通学しているなら分かるだろ。多数派の人間は、いや、お前以外全員と言っていいだろうが、あいつのお袋の台詞なんてネタにしか思ってないぞ。その辺の若手漫才師の自信作のネタより、よっぽど面白いネタだ。ぜひ全国放送のゴールデンに出てほしいくらいだな」


 自分は、無力すぎる。起き上がる気力すら出ない。


「あれをマジに捉えちまうなんてホント、お前は優しい。だが、どうやらお前は、小学校の国語の授業をさぼってたみたいだな」


 その意味の分からない言葉に思わず、目をしかめて体を起こし、木本と目を合わせた。人を見下して快楽を得ている、黄ばんだ目だ。


「本当は、少数派のお前を、民主主義の原理に乗っ取って、制裁しないといけないんだろうが、仮にもお前は友達だからな。今だけは許してやるよ。しかも大サービスしてやろう。出血大サービスだ! お前が小学校で聞きそびれたことを今、俺が教えてやるよ」


 そう言って木本はベンチから立ちあがり、近寄って来た。俺の目線の高さまでしゃがみ、さっき俺が木本にしたみたいに、顔を近づけ、額をくっつけた。

 体が、外からも、内からも、震える。


「お前は優しい。本当に優しい。でもな、これだけは覚えておけ。『優しい』と書いて『ださい』と読むんだよ」


 そう言い残し、木本は去っていった。

 俺は、まばたきも忘れ、さっきまですぐ前にいた木本の残像に、睨まれ続けていた。




「お前の人生を診断してやったぜ。しかも無料で」


 木本がそう話しかけてきたのは放課後、俺がひとりで教室を出ようとした時だった。

 その口調は、いつも通りのヤンキーを思わせない軽い口調だった。


 俺は訝しんで目を細めた。あの後だというのに、さも当たり前のように話しかけられたのだから、瞬時に口を開けられないのも無理はないだろう。


「ああ、お前の人生はとてもとてもつまらない。退屈すぎて死にそうだよ」


「……!」


 また、反射的に木本を睨みつけていた。


「おっ、殴るのか? お前が、俺を、殴るのか? 一度死んだはずの奴が、命の恩人を、殴るのか?」


 それはまるで「お前は一生俺に絶対服従だ」「お前は俺の奴隷だ」と言わんばかりの、見下した響きだった。

 俺の怒りは更に噴き上がろうとした。でも、それは起きなかった。代わりに、脚が震えるばかりだ。


「……できないな。お前を、殴るなんて」


 木本に助けられたあの時のことを思い出す。あそこで木本が現れなかったら、俺は確実に死んでいただろう。木本が命の恩人なのは、絶対に変えられない事実なのだ。


 ふん、と木本は笑った。「まさか、自首しようとなんて思ってないだろうな」

俺は自分の足に視線を落としていた。


「図星か。ホント、分かりやすいな、お前」


 木本は俺の耳元に口を近づけ、囁いた。


「お前の考えていることなんて足の爪を切るより簡単にできるんだよ。もし自首しようとでもしてみろ。お前を麻生の元に連れていくからな。いいか、二度と変なことぬかすんじゃねえよ。気分が悪い」


 低い声でそう言ってから、木本は笑顔をつくりながら顔を離し、「この後どうだ。遊びに行かないか」と綺麗に線を引いてみせた。


 玄関を出ると、校門前で警察官の鈴木と田中が立っているのが見えた。

 もしかして俺たちを待っているんじゃ、と一瞬ビクつくと同時に「これで全て終わらせられるかもしれない」と直感した。


 ――損得は考えず やりたいかで考えろ それで無理なら直感で選んでみな


『Which?』の歌詞が頭によぎる。


 よく見るとそばに体育教師がいた。どうやら談笑しているだけのようだ。

 木本は何事もないように歩きながら、堂々とほぼ一方的にくだらない話をしている。その心の中では興奮しているに違いない。

 十メートルくらいまで近づいたところで、俺の心臓がドクドクと脈打ち始めた。一歩一歩踏み出すに連れてその音が大きくなっていく。

 あと少し、あと一歩……。


「さようならー」


 木本が三人に軽く挨拶したのが聞こえた。

 俺は結局何も言えずに、警察官の横を通り過ぎていた。


 ――Are you greens and blues?  それでいいのか?


 『Which?』の歌詞が再び頭の中に流れた。

 爪が皮膚に食い込み、熱くなるまで、拳を握り続けた。


「偉いぞ、龍一」


 木本はそう笑いながら、ペットをかわいがるように俺の頭をポンポンと叩いた。


 ほんと、俺はどうしようもない。どうしようもない「greens and blues」――未熟で憂鬱なやつだよ。


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