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『あなたのパソコンからスパイウェアが検出されました。スパイウェアを追い出すにはここをクリックしてください』
部屋で動画サイトを見ていたらこんな広告が現れた。
「詐欺だな」
俺はそこをクリックせず、そのままロックバンドのライブ映像を見続けた。動画サイトにこんなのを投稿することは駄目なことなのだろうが、見ることは罪じゃないはず。それどころか、動画を上げた人は「ありがとうございます」なんて賛美の言葉を貰ってるくらいだ。結局、正義なんて見る角度次第だな、と思う。
激しいギターやシンバルのバンドサウンドが俺の耳に入っていく中、目はひとりでにチラチラとその詐欺広告に向いてしまっていた。
ロックに集中したいのに、右にあるその広告がチカチカと光る。思うように集中できない。イライラする。それは、もう、とても。
「あー! もう!」
机の上に積み上がっている教科書の間から下敷きを取り出した。それでデスクトップの半分を隠す。
そしてうっぷんの溜息をフゥと勢いよく吐き出す。
「これで集中できる」
俺は再びロックの世界に入っていく。
今聞いているのは、注目の若手バンドの出世曲である「Which?」という曲だ。俺はこの曲がCMで流れているのを聞いて初めて彼らを知った。俺は今まで聞いたすべての楽曲の中でこの曲が最も好きだと、自信を持って自負できる。時々無性に聞きたくなる時すらもあるくらいだし、なんならそれが今だ。
曲のラスト三十秒をシャウトに近い高音で暴れながら「キミはどっち?」と連呼するのがなんとも心地いい。自分も一緒に叫んでいるような気分になれる。一周回って官能的ですらある。
動画が終わり、昇天した状態で下敷きをどけると、広告はまだチカチカと光っていた。
舌打ちが抑えられなかった。まさに天国から地獄に墜ちたような気分だった。しかし、別の感情が俺の中で生まれ始めていた。
……押してみようかな。
体のあちこちで、卵から孵ったむずむずした何かが、にょろにょろとほふく前進し始めていた。
好奇心が少しずつ右手を侵していく。大量の蟻が腕の付け根から現れてくるように、侵されていく。マウスポインタが小刻みに震え、躊躇いながらも徐々に広告に近づいていく。
正直なところ、スパイウェアという物がそもそも何なのすらも知らない。だからこそ、気になってしまうというものだ。
本当にいいのか、本当にいいのか。
葛藤で腕が震える。でも、押すな押すなの原理でマウスポインタの速度が上がっていく。
カチッ。
押してしまった。
すると、何かのソフトの写真が出てきた。どうやらプログラムのスキャンと修復ができるらしい。そしてその下には「これを使ったら劇的に動きが軽くなった」「超おススメ」などのレビューがたくさん書かれていた。
「……うさんくさい」
俺は画面右上の赤色の『閉じる』ボタンを押した。
「あんなのに引っ掛かるかよ」
そしてノートパソコンをパタンと閉じ、パソコンの横に置いてあるスマホを手に取り、ツイッターを開いた。
「詐欺広告発見なう」
俺は斉藤龍一。高二。バスケ部の幽霊部員。一年生までは部員としてしっかり練習していたのだが、二年になって自分にはレギュラーは無理だと実感し、部活をさぼるようになった。厳密には一年の時からそんなことは薄々気づいていたのだが。
テレビで見かける歌手やバンドが歌った「夢は諦めたら終わりだ」とか「努力は何事にも勝る」とか。それまで俺は、そういう言葉に何とか支えられていたのだ。でも、時間が経つにつれ、自分の無力さを映す鏡の透明度が目に見えて上がってきた。最初は汚れまみれで何も見えなかったのに、汗を洗剤のように鏡に吹き付け、努力と根性、モテたい気持ちをブラシにして擦っていくうちに、哀しい現実が見えてしまったのだ。
そこにいるのは一匹の虫けらだった。
それでも何とか学年を超えることはできたのだが、敵はどこにいるのか分からないものである。「発明とは、99%の努力と1%のひらめきである」というエジソンの言葉が、俺を亡霊にした。
俺はそれまでこの言葉を「努力あるのみ」のような意味に捉えていた。でも、テレビに出ていた難しい言葉ばっかり言って何も伝わらない、偉そうな評論家みたいなおっさんがこんなことを言っていた。
「エジソンの言葉をみんな間違って捉えてる。あの言葉は「努力は素晴らしい」とかそんな綺麗事を意味してるんじゃない。「いくら努力しても『1%のひらめき』がなければ発明は生まれない」という意味だ。日本語は後ろに来る言葉を強調することくらい誰でも知ってるのに、どうしてこの言葉の意味を履き違えるのか」
その瞬間、今まで積み上げてきたものが海に投げ込まれ、ボコボコと沈んでいくのを感じた。
そうか。俺には無理なんだ。
そりゃあそうだよな。このおっさんの言う通りだ。冷静に考えればそういう意味に決まっているのに、「努力は才能に勝る」とかいう綺麗事を信じたいがために、みんな意味を間違って捉えてたんだな。
発明家ならば『1%のひらめき』。スポーツ選手やアーティストならば『1%の才能』なのだろう。いくら努力しても『1%』がない者は『1%』がある者に勝つことは出来ない。モテるモテないでもきっと同じだ。
俺にその『1%』はない。
夢を叶えている人は、その『1%』を持っている、選ばれた人なんだ。
そんな人たちが何を言おうと、俺なんかには無理なものは無理。
エジソンは俺に、発明の歓びではなく、現実の厳しさを教えてくれた。
まさかエジソンは自分が未来、人の夢を壊すことになるなんて思いもしなかっただろう。
世の中なんて結局、そんな残酷なものなんだ。
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