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「実は昨日から、正確には一昨日から麻生くんが行方不明です」


 翌朝の金曜日。一週間のラストスパートの始まりを告げるチャイムが鳴り、授業が始まる前に日本史の先生が教壇で重たげに発した。

「え?」「まじかよ」などの衝撃を感じる声の中、微かに笑い声が混じっていた。

 俺は「自分たちだけは知っていた」という優越感による笑いを、何とか下に下に、内に内にと抑えていた。きっとここで漫才師が喋りはじめたら誰よりも大口を開けて笑ってしまうに違いない。


「捜索届が昨日から出ています。まだ見つかっていません。もし、一昨日の放課後以降に彼を見かけたという人は、今から警察の方がいらっしゃるので、話してあげてください」


 お、まじで? 警察来るの? と教室が軽く湧いた。「らっきー」という声さえ聞こえる。

 大丈夫だよな、と俺は斜め前にいる木本の方を見る。彼は「あの服一回着てみたいんだよな、青いやつ」などと独り言を抜かしている。

 交番員が人捜しで来るわけないだろ。そう思ったが口は開いてくれなかった。それとも鑑識のことでも言ってるのだろうか。……そんなわけないよな。


「もし初めましての警察官と話すのが苦手だと言うなら誰でもいいです、どこかで先生たちに話してください」


 どうやらこの一時間目の最中に警察官が二人来て、二年のクラスをひとつひとつ回っていくらしい。一年と三年は先生が話をするだけ。麻生は帰宅部で他の学年と関わりがないから当然と言えば当然なのだろう。

 教室は浮足立っていた。高揚感、楽しみ、もの珍しさ。色々あるが、「心配」という雰囲気は全く見当たらない。


「さあ、落ち着いて。このクラスは最後だから」


 そう言って日本史の授業が始まった。

 黒板に鎌倉幕府がどうやらこうやらと書かれているが、よく分からない。昨晩は昼ごはんの時に睡魔を呼んだのが功を奏したのか、よく眠れた。「いただきます」の代わりに「睡魔よ、俺を襲ってくれ」なんて言ったあの時の自分は正気じゃなかったと分かるくらいに頭は回っている。だが、授業の内容が頭に入ってくれない。おそらくクラス全体がそんな空気だ。貧乏ゆすりの音があちこちから足を通して伝わって来る。教室中が集中できてない。普段なら先生もそんな空気に気付いて注意するのだろうが、今日はしなかった。おそらく先生自身もその空気に飲まれているのだろう。心なしか普段より少し早口な気がする。しかもよく噛む。そして何故か喉を気にしていた。


 授業が終盤に差しかかり、キレのいい所で終わらせようと、先生がラストスパートをかけた時、コンコンとドアをノックする音が教室の空気を一瞬で切り替えた。

 誰も口を開けなかったが「やっと来たか」「待ってたぜ」とばかりに皆が同じ方向に顔を向けた。

 はい、と担任が必要以上のボリュームの声を腹から出した。おそらくこの一声のために喉を気にしていたのだろう。しかし、まるで手が滑ってCDプレイヤーのボリュームノブを無駄に大きく回してしまったかのような、場違いな音だった。そしてリスナーである生徒たちは一斉に肩をビクッとワンバウンドさせた。


「失礼します」


 ドアが開き、スーツを着た背の高い警察官が二人入ってきた。


 でかい。


 誰かの口からその言葉が漏れたのが聞こえた。

 木本の口がパクパクと動いた。あれは多分「制服じゃねえじゃん」だな。


 ふたりともドアの枠すれすれの高身長で、日本人だとは思うが白人系の顔だった。ハーフだろうか。警察は二人以上で行動すると聞いたことはあるが、こんなコンビである必要があったのだろうか。ひとりはソフトモヒカン系の短髪だが、もうひとりは肩まで届くような長髪、後ろでポニーテールのようにくくっている。まるでどこぞの有名なベーシストだ。ベーシストと言えば、もうひとりは相方のギタリストに似ている。


 みんな俺と同じように「日本人?」と疑問に思ったのだろう。クラス中全体からまんべんなく変な空気が醸し出されていた。


 短髪の男が警察手帳を出し、「鈴木です」と言った。

 長髪の方は「田中です」と自己紹介した。


 なんでよりによって日本を代表する名字なんだ、と俺は目を逸らして笑いを堪えた。目を逸らした先に向いていた人も目を逸らして口に手を押さえていた。

 先生をチラッと見ると、唇を噛んでいた。


 あのふたりはもう何度もそんな景色を見ているのだろう。鈴木は表情を一切変えずに手帳を広げ、挟んでいたペンを持ち、田中は小さくコホンと咳をして話し始めた。


「もう先生から話は聞いていると思いますが、」


 田中が顔とのギャップが強い普通の日本語を話し始め、クラス中から小さく安堵の溜息と失笑の吐息が零れた。「このクラスの麻生信次くんに捜索願が出ています。一昨日、彼は一度家に帰ってから失踪したと思われます。捜索届自体は昨日の朝から出ていたのですが、できるだけ大事(おおごと)にしたくないという親御さんの考えの下、生徒の皆さんには事情を隠して外を捜索していたのですが」


 日本史の教師が小さく生徒達に向かって小さく礼をした。「隠していてごめんなさい」という意味だろうか。


「昨日は結局見つからず、麻生くんの親御さんと相談したところ、皆さんに協力してもらおうという結論に至り、私たちはここにいます」


『協力』と言う言葉に教室の温度が少しだけ上がった。将来、酒のつまみにでもしたいのだろうか。

 でも、俺の額に滴る汗は冷たいものだった。


 さすがにこの濃いコンビに、クラスメイト達はもう慣れたのか、教室には赤い緊張感の糸が、ピンと張っている。そんな中、青かったのは俺の糸だけだろう。


「おい斉藤、お前だけ糸の色が違うな。何か知ってるんじゃないか」と名指しで訊かれるじゃないかとさえ思ってしまう。視線が前の席の人の背中に落ち、泳ぐ。大丈夫だ。まだ何も分かっていないはずだ。そのはずだ。きっとそうだ。間違いない。間違いないに決まってる。


「昨日の放課後、学校を出てから麻生くんを見かけた人はいませんか」


 今度は長髪の方、田中が声を出した。


「……コンビニで弁当買ってるの、見ました」


 後ろから誰かの声が聞こえ、俺を含め、ほぼ全員が振り返った。

 全員から見られた細木(麻生と中学の時の同級生)は「あ、いや、はい」とテンパっていた。

 そう言えば俺も見た、という声が前の方からも聞こえた。

 なるほど、と田中は呟いたが、特にメモを取ろうとはしなかった。もう既に別のクラスで誰かが同じ証言をしたのだろう。


「他に、何かありませんか」


 先生が申し訳なさそうに声をあげた。今度はボリュームノブを逆に回し過ぎたかのような大きさだった。そしてもう一度、喉を触る。

 あまりにも惨めだったので思わず「裏山で見かけました。血を流して埋められてましたよ」と言いそうになる。


 そして、五秒ほど沈黙があった。


「そうですか、」


 鈴木は「期待してたのに」という表情だった。

 田中は「やっぱりな」という表情だった。


「では、最近彼に何か変わったことはありませんでしたか? 些細なことでも、何でもいいです」


 変わったことって言われても、普段から変わってるからなあ、という沈黙が流れた。

 トラブルとか何かありませんでしたか、と丁寧な言葉で先生は言った。さっきよりはましだがまだボリュームは小さかった。手が震えて丁度いいくらいに大きく回せないのだろう。

 鈴木の足先が床に何度か軽く打ちつけられた。麻生のいるクラスでもこの反応じゃイライラするのもおかしくない。つまり有力な証言はひとつも得られなかったということだろう。一言も話さず、友達もいない麻生じゃあ、しょうがない。

 それに気付き、俺はほっとした。木本と自分が麻生に襲いかかったところはやっぱり誰にも見られてなかったんだな。


「分かりました。では、捜査に何か進展があれば報告、場合によっては捜査しにきます。私たちは念のためにしばらく校内をうろついていますので、何か思い出したことがあれば私たち、あるいは先生方に教えてください」


 鈴木と田中は同時に一礼し、こちらも小さく頭を下げる。





「行方不明だってよ、ウケる。死んでんのにな」

 その後の休み時間、木本からそんなメールが届いた。そして、にやにやしながら木本が前にやってきた。


「どうだ、気分は」


 木本のその言葉に、俺は思わず慌てながら辺りを見回した。周りはあの警察官の話題で持ちきりになっていて、こちらを見る者などひとりもいなかった。


「正直不安だよ」小声で言った。


 すると「やっぱり」と木本は笑いだした。「龍一は優しいからな」


「……」


「俺はワクワクしてるぜ」

 木本は勢いよく顔を近づけてきた。俺とあわやキスでもしてしまうんじゃないかというくらいに。「ドラマの世界にいるみたいで最高に楽しいよ」


 そんな木本を見ていると笑うしかなかった。でも、この距離感は気持ち悪いので少し椅子を引く。


「つくづく羨ましいよ。この状況を楽しいと思えるなら」


「そうか? もしかして誉められてる? 俺」


 すごく嬉しそうな顔だった。こういう顔を見ると「別に」とか言って一炊の夢を演出したくなるのだが、そういう気にもなれなかった。


「ああ、誉めてるよ」


 にひひ、と木本は気持ちの悪い笑い声を出した。やっぱり「誉めてない」というべきだったか。いや、それはそれで「ツンデレ! 龍一かわいいな!」とか言われそうだからきっとこれで良かったんだろう。


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