七 反復
茂は波多野が集中治療室へ入って行ったのを見送り、後ろの葛城のほうを振り向いた。
「ご家族は・・・お兄さんは一度戻られましたが、またすぐに来られるとおっしゃっていました。」
「そうですか・・・。とにかく、手術もうまくいって・・・危険な状態を脱して本当によかったです・・・」
葛城の顔色は葛城のほうが傷病人であるかのように悪かった。
茂は待合室の椅子に葛城を座らせた。
「大丈夫ですか?葛城さん・・・」
「追いつくのが遅くなって、すみませんでした・・・。崇があんなことになる、場面で、茂さんひとりだけにしてしまった。」
「山添さんはどうしてあんなことを・・・・」
美しい両目を伏せ、葛城は苦しそうに微笑んだ。
「逸希さんが、自分から自由になるためでしょう。」
「・・・・」
「そして覚悟をもって、エージェントとして歩み出せるように。そういうことでしょう。」
「・・・・・」
茂が絶句したのを見て、葛城もしばらく黙り、そして、別の話をした。
「茂さん、我々に病院を教えた、あの人間・・・最初から車の近くにいたんですか?」
「わかりません。少なくとも俺はまったく気がつきませんでした。あの軽自動車から降りてきた、ちょっと髪の長い男性・・・知らない人間ですが、阪元探偵社の人間でしょう、そいつは最初から状況を全部見ていたような様子でした。」
「そうですね。そして、病院へ連絡したから、と、その連絡先のメモまで我々に渡し・・・私の車へ崇を運び込むのを手伝った。」
「・・・そのことも謎ですし、もっと謎なのは、最後にそいつが言った言葉ですね。」
葛城は目を上げ、記憶に刻まれたその言葉を復唱した。
「・・・『貴方達は我々から山添を奪取した。我々は通行人に気づいて逃走した。いいですね?』」
「はい。確かに、そう言いました。」
茂は、訳がわからないというふうに、眉間にしわを寄せる。
「ところで、茂さん。乗っていたバイク、見慣れないものでしたが、買い替えたんですか?」
「いえ、ちょっと足止めをと言ってたのは、実は途中で山添さんに尾行がみつかって、オートバイのキーを抜かれたんです。」
「・・・・・」
「それで、しばらくして駐車場にバイクを停めようとした別の人が来たので、お願いして、お借りしました。」
「・・・・・円滑に?」
「・・・・少し無理やりでしたが、なんとか。大森パトロール社の名刺を渡したら了解してもらえました。早く返しに行かなきゃ。」
「・・・・・・」
朝日が差し込む集中治療室で、目を覚ました山添は、上司の顔を見て目を数回瞬いた。
波多野部長が、黙ってベッド脇の椅子に座り、腕を組んで山添の顔を見下ろしていた。
「波多野さん・・・・」
ナースコールを押してから、波多野はため息をついた。
「どうだ?気分は」
「・・・はい、大丈夫です・・・」
看護師がやってきて、山添に声をかけたり機器の数値を確認したりし、波多野と一言二言会話を交わして去っていった。
波多野は立ち上がった。
「ご家族がもうすぐみえる。お兄さんと、義姉さんだ。」
「・・・・はい」
「怪我の経緯は、俺からは話していない。自分で説明しろ。ただし面会時間は短いから、手短にな。」
「はい。」
波多野は、山添の顔をしばらく見ていたが、やがて、一言、言った。
「・・・崇、・・・・すまなかった。」
「え・・・・」
山添はまだぼんやりとした意識の中でも、驚いて、上司の顔を見つめた。
「お前が追い詰められるのを、助けてやれなかった。」
「波多野さん・・・・」
「ゆるしてほしい。」
波多野の表情は、山添の記憶にある限り見たことのないものだった。
何も言えずにいる山添を置いて、波多野はゆっくりと集中治療室を出て行った。
まだ朝日が昇りきらない事務室の、個人の書斎のような社長室で、阪元航平は窓から外を見ながら部下の報告を聞いた。
円テーブルの前に立ったまま、庄田は話し終わり、一礼した。
阪元は庄田のほうを見ず、口を開く。
「・・・三十分前か・・・。三度目の襲撃で、殺害は成功。ご苦労様。チームの皆のことも、労ってやってくれ。」
「逸希・・・・三田ではなく臨時で入ったエージェントの手によるものでしたが、三田も最初の二回、一定の成果はあげました。」
「そうだね。」
「この後、お客様のご自宅へ伺い、最終のご報告をします。結局殺害方法に関しては、車にまつわる方法ということさえ実現できませんでしたが。」
「よろしくね。・・・逸希は?」
「今日は休暇を与えました。」
「そう。」
少し視線を下に落とし、阪元は目を厳しくした。
「・・・庄田。」
「はい。」
「逸希は、予想外の妨害をした山添に反撃され、いったんは確保されそうになったんだね?」
「はい。」
「しかし今度は逸希が反撃して、山添に重傷を負わせた。」
「はい。」
「山添に加勢した大森パトロール社の葛城と河合が、山添を奪取した。そして・・・」
「通行人に通報される恐れが生じたため、浅香が逸希に指示し、山添を放棄し退避しました。」
「重傷は負わせたけれど、とどめを刺すことはできなかった、と。」
「申し訳ありません。」
阪元はゆっくりと窓際を離れ、円テーブルの脇を通り、庄田のほうへ歩みよった。
庄田はその切れ長の両目を見開いた。
目の前に、美しく輝くダガーの刃先が、一瞬のうちに庄田の口元五ミリ先で止まっていた。
「私は、嘘つきは嫌いだ。庄田。」
相手を指差しているかのように、なにげない仕草で細い刃物を庄田の口元へ突きつけたまま、冷たい視線をまっすぐに庄田の両目へ向け、阪元が言った。
庄田は何も言わない。
「うちの会社に、刑罰規定はない。どんなルール違反をした人間も、解雇以上の厳しい処分はない。けれどね。」
「・・・・」
「私の個人的信頼を裏切る者は、私が個人的に殺す。」
「・・・・」
「三田逸希・・・・いや、朝比奈逸希は、うちの会社の大切なエージェントだ。そして希少な、アサーシン候補だよ。」
「はい。」
「正しい現状認識なしに、正しい育成はできない。」
「はい。」
「逸希は、山添に指一本触れることなどできない状況だったはず。違う?」
「・・・・」
「それは、彼が和人に指一本触れることができないから。それと同じように。」
「・・・・」
「二度目の邂逅は、山添が、和人の代理人として逸希の前に現れた。たぶんそうだよね?」
「どういうことでしょうか。」
阪元の深い緑色の目に厳しさが増した。
「庄田、それが、君にどうしてもできなかったことなんじゃない?君は部下として初めてのアサーシン候補である逸希をチームに受け入れたとき、逸希にとっての朝比奈和人の位置を、上司である自分が占めようと努力したはずだ。」
「・・・・・」
「でも、それは根本的に無理なことだった。それは君が逸希の実際の兄じゃないというような、そんな理由じゃなくて、ね。」
「・・・・・」
「で、負けを認めると同時に、阪元探偵社のシニア・エージェントとしての責務も放棄したってわけですか?」
ナイフの切っ先が庄田の唇に冷たく触れた。
「・・・・・・」
「答えなさい。」
阪元はナイフを数センチ下げた。それはちょうど庄田の喉元にあたる位置だった。
「三田は・・・・逸希は、山添に、手持ちのナイフで反撃しました。」
「・・・・」
「攻撃は二回。一撃目は上腹部。二度目は喉元を狙いましたが、こちらは残念ながら外れ、鎖骨のあたりを切り裂くにとどまりました。」
「・・・・」
「山添はその前、逸希の反撃を封じるために兄である朝比奈和人のことを口にし、感情的な揺さぶりをかけましたが、逸希は精神的動揺に打ち勝ち行動しました。」
「・・・・」
「技術面でまだまだ課題はありますが、大森パトロール社のもと警護員に身内がいた、そのことは、逸希の今後に影響はありません。」
阪元はしばらく黙って庄田の、透き通るように白い肌の顔を見ていた。
やがて、微かに目を伏せ、ため息をついた。
細く美しく光る刃物が、ゆっくりと庄田の首元を離れた。
「なるほどね。よくわかったよ。」
「・・・・」
「影響は、ない。君はそう思うんだね?」
「はい。」
「ならば」
阪元は踵を返して、部屋の奥へと向かってゆっくりと歩を進めた。
「・・・ならば、私はチームリーダーの認識を、信頼するほかない。」
「・・・・」
「乱暴なことをして悪かったね。業務に戻りなさい。」
「はい。」
庄田は一礼して社長室を出ていった。
窓の外へ目をやり、阪元は静かに微笑んだ。それはかすかに苦みを含んでいたが、明らかに、安堵した微笑みだった。
月曜午前、太陽が高く上り、昼前の明るい事務室内で、自席で作業していた吉田恭子は社長室の扉が開いて部下が出てきたのをちらりと見た。
そのまま作業に戻ろうとしたが、机の脇まで早足で歩いてきた部下に話しかけられ、否応なしに再び顔を上げた。
「恭子さん。」
「なに?」
「・・・一時間、つきあわされたんですが。」
「ああ、もうそんな時間になるのね。」
「なんで助けに来てくれはらへんのですか・・・・・」
「ごめんなさいね、気づかなかった。」
「そんなわけありません。」
酒井は応接コーナーのソファーにふんぞり返るように座った。
吉田は酒井のほうを見て、笑いをこらえるような顔で、言った。
「私より、お前のほうが、話を切り上げるのがうまいじゃない。」
「埋め合わせに、昼飯おごってください。」
「そんなんでいいの?」
吉田と酒井が街の中心にある古い高層ビルを出ると、外は昼休み時間にはわずかに早く、人通りはまだまばらだった。
酒井はため息とともに口火を切った。
「社長は、ものすごく不満なんですな。」
「逸希と山添の今回の顛末が?」
「まあ直接的には。ほんまはもちろん、庄田さんが嘘をつきとおしたことですね。」
「それが不満なのかしら?」
「・・・正確には、不満というより、自分が自分で悔しいんでしょうな。・・・・・間違いなく、庄田さんは、逸希をアサーシン候補から外そうとした。いや、あわよくば・・・・」
「うちの会社をやめさせようとした。」
「そうです。でも、これは結果的に、でしょうが、逸希がうちでやっていく決意を確認することになった。」
「そうなのね。」
高いケヤキ並木の、細い枝の隙間から、明るい陽光が広い歩道に降りてくる。
「今回、スパルタ式やったんは、そういう意味では庄田さんもですし、そして、社長もです。が、社長の目的は、逸希だけじゃなかったと思いますよ。」
「どういうこと?」
酒井は眩しそうに梢を見上げる。
長身の部下の顔を吉田は一瞬見上げ、再び前を見る。
「庄田さん自身が、朝比奈和人のことを、乗り越える。そのことが、社長の一番の望みやったと思いますよ、今回。」
「・・・・・・」
「それはたぶんですけどうまくいったと思います。今回。社長が誰より喜ぶべきなんですよ。ただしあまりにも庄田さんが毅然としてるんで、社長は悔しかったんですな。可愛げがない奴やなあと。」
「なるほどね。」
酒井と吉田は少しだけ笑った。
酒井はふっと思い出したかのように、前を見て再び口を開いた。
「庄田さんは・・・・あの人は、アサーシンでした。」
「ええ。たしか、そうね。」
「外見からはよく分かりませんが、足を痛めて、今ではあんまり長い時間は立ってられないんです。」
「現役のアサーシンだったとき、事故があったと聞いたことがある。」
「そうです。そのときの後遺症です。」
「うちの会社、生粋の殺人専門エージェント・・・・アサーシンは、減っている。酒井、お前も転向組だものね。」
「俺は身体的な理由というより、まあ、多角化ですな。」
「アサーシンが増えるより減るほうが多い理由は圧倒的に、やはり怪我によるものが多いわね。」
「あとは、命を落とす、とかですな。」
「ええ。」
「殺人専門エージェントは、絶対的に不足している。適性がある人材がいれば、選択の余地なんかありません。ひたすら育てるのみです。うちの会社は、殺人以外の選択肢を増やしてきましたが、それは、殺人という選択肢があってこそのものです。」
「ええ。」
「それをきっちりやれる人間は、どんなに多くても多すぎるということはない。ほかの専門分野からアサーシンへの転向は無理ですが、逆はできますしね。」
「それだけ高度な能力・・・総合的な能力が要求される分野だから。」
「ですから、庄田さんがたとえ一時的にでも、逸希の育成を躊躇したのは、よっぽどのことですわ。」
吉田は足を止めて、酒井の顔を見た。
「庄田は・・・・朝比奈和人に、なにか関わりが、あるのか?」
酒井は少し先まで歩いて、やはり立ち止まった。
吉田を振り返り、苦笑して頷いた。
「庄田さんは朝比奈和人が警護するクライアントを襲撃して、朝比奈を負傷させたことがあるそうです。」
「・・・・・」
「警護員を負傷させたものの、ターゲットには指一本触れることができなかった。庄田さんの、アサーシンとしての数多くの仕事の中で、唯一の失敗だったそうです。」
「・・・・・」
「しかしそれは朝比奈にとっても、初めての、自身が負傷した事例だった。」
「非常にレベルの高い者同士の、出会いだったということね・・・。」
「そうです。ちょうど、うちのチームにいるあのボケのアサーシンと、どこかの高原さん、みたいにね。」
「・・・・・なるほどね・・・。」
「この世で一番遠くにいる相手なのに、その考えていることが嫌になるくらいに、わかる。」
「弟を、危険な目に遭わせないでほしい、って、いつも心が責められていたのかしらね。」
「かもしれません、な。」
二人は再び歩き始めた。
「いずれにせよ」
酒井が両手を天に向かって伸ばしながら、ゆっくりと言った。
「・・・多少は、いくつかは、ステップを進んだ。そう思いたいところですな。我々、同じ会社の仲間としても。」
「そうね。」
月曜の午後、海を臨む人工の土地から巨大な橋を渡り街の中心へ向かう入口あたりにある、総合病院へ、茂は会社を休んで訪れていた。
一般病棟へ上がり、訪問者票に記入する。
ナースステーションにいた看護師に山添の様子を聞くと、お目覚めですから大丈夫ですよとのことだった。
奥の四人部屋へ入る。
窓際のベッドに、山添は横たわり窓の外を見ていた。
「お邪魔します。」
茂が近づいて声をかける。
「あ・・・河合さん・・・・。今日は、会社は・・・・?」
「有給を取りましたから。」
茂が集中治療室で何度か山添を見舞ったときはまだ意識が戻っていなかったので、事件後、二人は初めて会話していた。
「そうですか・・・わざわざ、すみません。」
日焼けした童顔は体力がまだ回復せず、げっそりとして見えた。
茂は持ってきた花を、ベッド脇の棚の花瓶に活ける。
そして、置いてあった椅子に座り、窓の外を見る。
「・・・外はすごい快晴です。ここも明るいですね。」
「はい。・・・ほかのベッドは三つとも空いていて、カーテンも開いてますしね。二人は退院、一人は亡くなっての、ことですが・・・。」
「・・・山添さんは、死んで病院を出たかったですか・・・?」
「え・・・?」
山添が茂の顔を見た。茂は床に目線を落としたまま、山添のほうは見ていない。
やや気まずい沈黙が流れる。
山添も、そして茂も、病室の入口まで来て立ち止まった人影には、気づいていなかった。
「山添さん、いいかげんにしてください。」
「河合さん・・・・・」
「いつか、あいつらに襲撃されたとき・・・・海から山添さんを助け上げた、高原さんが、どんな顔で山添さんを救命しておられたと思いますか?」
「・・・・・・」
「ようやく山添さんが呼吸をしたとき、どれだけほっとした顔を、されていたと思いますか・・・・?」
「・・・・」
天井へ目をやり、そして山添は目を閉じた。
「逸希さんのために死ねたなら。それはきっと、素晴らしいことでしょう・・・・山添さんにとっては。そう、あなたにとっては。」
「・・・・・」
「愛している人間のために、自分にできる最高のことを、してやれる。それ以上のことがあるでしょうか。あなたはそれをしようとした。そして・・・・」
「・・・・・」
「・・・そして、あなたは、ご自分は、朝比奈和人さんのところへ、行こうとされた。もうなんだか、一石二鳥です。こんな効率的な話、聞いたことない・・・・」
茂の言葉が詰まった。
長い沈黙があった。
山添が何か言おうとしたとき、茂が顔を上げ、山添のほうを見た。
「磯部は結局殺害されました。」
「はい。ニュースも、見ました。」
「我々が必死で・・・文字通り必死で、警護しても、その後、クライアントは簡単に殺される。そういうことが、確実に、ある。」
「そうですね。」
「無駄に、我々は命をかける。そうです。」
「・・・・はい。」
「警護員は、クライアントを守るのが、仕事です。そのすべてをかけて。」
「・・・・・」
「たとえ何の意味もなくても、です。馬鹿な人間たちと、自分や他人に思われても、です。」
「・・・・・」
「でも、命をかけるのは、クライアントを守るときにすべきこと・・・その、最後の最後に、すべきことです。」
「・・・・・そうです。」
「それ以外のために、ではありません。犯人のために、ではない。自分のために、でもない。そうですよね?」
「・・・・・はい・・・。」
「反省してください、山添さん。」
茂は、立ち上がった。
山添は、目を開け、茂の顔を見上げた。
「反省します・・・河合さん。」
茂は両手で、山添の両肩に触れた。
「俺の目を見て、もう一度言ってください。」
「反省します、河合さん。」
「約束してください。どんなことがあっても、警護員として一○○パーセント、その命の一ミリ遺さず、クライアントを守るために使うって。それ以外には、使わないって。」
「はい。」
「無駄遣いしないで、一番効率的に使うって。約束してください!」
「約束します。河合さん。」
茂はそのまま黙ってじっとしていた。
山添は再び目を閉じ、そしてもう一度開いて、茂の背後へふと目をやった。
茂も、気づいて振り返った。
高原と葛城が立っていた。
「河合、お前がなんだか思いつめた顔で有給休暇を取って、病院へ向かったって・・・・三村さんに聞いた。」
「高原さん・・・・」
「ちょうど私も今日はまた来ようと思っていたんですが、時間を早めて晶生と一緒に来ました。」
そのまま、高原も葛城も言葉を止めた。
山添も、黙った。
そして、高原が再び口を開いた。
「俺も・・・反省する。河合。」
「私も。」
茂は二人の先輩警護員のほうを向き直った。
「・・・はい。高原さんも、葛城さんも、反省してください。」
「反省する。」
「そして、約束してください。」
「クライアントを守ることだけに、命を使う。それ以外には、使わない。そうだな?」
「そうです。」
「約束する。」
「葛城さんも、お願いします。」
「約束します。茂さん。」
茂は椅子に力なく腰をおろし、うつむいてため息をついた。
葛城が近づき、茂の肩に手を置いた。
「茂さん・・・・・」
うつむいたまま、力なく茂が答える。
「それでもきっと・・・・先輩たちはきっとまた、無茶をされる・・・・・。また、無駄に危ない目に遭われる・・・・。そして俺は、これからも、死ぬほど心配しなきゃならない。そう、わかってます。わかっています・・・・・。」
山添が、点滴をしたままでベッドサイドの手を外側へ伸ばした。
葛城は茂の手を持ち、ベッドの上に伸ばさせた。
山添の手が茂の手をつかみ、茂は山添のほうを振り向いた。
「・・・河合さん。すみません、確かに、河合さんのおっしゃるとおりかも、しれません。」
「・・・・・」
「何も解決しない。おんなじところを、ぐるぐる回る。そこから本当に逃れることなんかは、できないのかもしれない。」
「・・・・・」
「でも、回ってくるたび、何かが変わる。もしかしたら、そうかもしれない。」
「・・・・・・」
「ありがとう、河合さん。」
再び茂は、うつむいた。
「すみません、俺、すごく・・・・・。」
高原が、茂に近づき、頭に手を置いた。
「河合、元気を出せ。」
「・・・・はい・・・・」
「お前がしょんぼりしていると、えっと、まわりまわって俺がつらくなるんだ。」
「・・・・・」
「今、思いついた。」
「え?」
高原はそのメガネの奥の知的な両目に、悪戯な愛嬌をよぎらせた。
「最新作を、さ。・・・・葛城怜、不幸の話。」
「それ、作品だったんですか」
「ドキュメンタリーだけどね。」
「・・・・晶生。」
葛城の美しい両目の視線を受け、高原は反射的に窓の外へと目線を移した。
月曜夜は、いつも空いている小さなバーは、いつも以上に空いている。
黒髪の長身の美青年が、美味しそうに水割りを飲んでいるのを見て、マスターはその顔を笑顔で見た。
「今日はなんだか、ご機嫌ですね、三村さん。」
「そうかな」
「お友達のところへは、いらっしゃらないんですか?」
「皆今夜はそれぞれ仕事だからね。ボディガードは夜とか休日とか関係ない仕事だから。」
「大変なんですね。」
「変わった人たちだよ。というより、ああいう仕事を真剣にやっていること自体、この世で一番バカな人たちなんじゃないかと思うよ。」
「三村さん、さらにその人たちへの友情がバージョンアップされている気がしますが。」
英一がグラスを置き、咳き込むのを見てマスターは後ろの棚からボトルを取り出した。
「バージョンアップしたとしたら、間違いなく、心配が、だね。」
「そんなに無茶ばかりされる人たちなんですか?」
「うん。しかもね、有能で優秀で賢い、経験値の高い人ほど、そうなる。不思議なものなんだけど。」
「なるほど。」
「だから・・・・ある意味、ボケの新人警護員が、ときどき、誰よりしっかりして見える。」
「・・・面白いですね。」
「困ったものだよ。」
英一は目線を下げ、笑った。
マスターは二杯目の水割りを静かに用意した。
バーの狭い階段を上がった地上では、月が、遠慮がちに地上へその光を届け初めていた。
第十五話、いかがでしたでしょうか。
次回できれば、三村英一に少し焦点をあててみたいと思っています。